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2016年4月

2016年4月30日 (土)

またも出ました「このようなことは二度と・・・」

 このようなことは二度と起きないように・・・という言い方は嫌いであると少し前に書いた。一度あったことは、ふたたびみたび起こるからで、決意の表れというよりも言い逃れの常套句にしか聞こえない。

 三菱自動車も前回前々回のリコール隠しのあとにトップがそのような言い方をしていたように思う。それがまたこの体たらくだ。

 ところが今回見たのはいささか違う。あの号泣元兵庫県議の野々村某が、自身のブログで縷々釈明に努めたあと(つまり、いつものようにわけの分からない言い訳をしたあと)、「このような事件を二度と起こさないことや、お一人でも多くの方を幸せにすること、少なくとも人にご迷惑をおかけしないことを誓約いたします」と綴ったそうだ。

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 この場合の、二度とこのようなことは・・・については、それはそうだろう、と思う。彼がふたたび議員などの公職に就くことなどあり得ない(まさかないと思う)し、それならば政務活動費の着服などけっして出来ないわけで、いっていることは正しい。正しいけれど、そもそも意味がないわけで、この人、ほとんど意味のないことをペラペラとしゃべるだけの、ちょっと頭の構造に問題のある人らしいことは、その言動を見聞きすればすぐ分かる。それなのに議員になれた、というのは選んだ人に問題があるといわれても仕方がないであろう。


 「二度とこのような・・」と似たような話として、慰安婦問題の日韓政府の合意のことを思った。「この合意をもって、慰安婦問題を蒸し返さない」と約束した、とマスコミは報道し、そのように日本人は理解した。

 29日に別所駐韓大使が韓国の野党の代表と会談したところ、「日韓合意の無効化」を要求され、「新たな交渉を行わなければならない」と言われたそうだ。そしてこの発言内容は党によって公表された。

Dsc_0028 済州島で見たゴミ箱

 何度同じようなことを繰り返せば済むのであろうか。「合意」は国と国との約束のようなものである。それを撤回するには然るべき理由と手順があるのが当然だろう。まだ野党の代表の要求ではあるが、韓国のマスコミはこれを大々的に取り上げかねない。すでにそれらしき論調はしばしばニュースに見られる。韓国政府は今のところ「合意」を無効にするような動きはないが、大衆迎合に終始する朴槿恵大統領が、その国民的機運に影響を受けておかしな動きをしないとも限らない。

 三重県の伊勢で5月に開かれるG7サミットに、日本は何カ国かの代表を招待している。開催国はG7以外の国を招待することができる。今回は、韓国、ベトナム、ラオス、インドネシアを招待した。ところが朴槿恵大統領はその招待をことわってきた。日程の都合がつかないのだそうだ。もちろん他の国はやってくる。

 朴槿恵大統領は日本というアウェイでの安倍首相との会談を恐れているのだろうか。ことわったことをたぶん手柄にするつもりかも知れない。そう勘ぐりたくなる。本当に情けない大統領だ。こういうときこそ自分の主張を述べる数少ない機会ではないか。こんな大統領では「合意」の無効化をやりかねない。いままで韓国歴代の大統領がし続けたように、また約束の反故をして蒸し返すだろう。

 そしてそれはすべて日本が悪いからだ、というだろう。もしそうなったら、本当に心の底から韓国が嫌いになりそうだ(まだそうでないのが不思議だが)。たぶん韓国経済は今後当分の間右肩下がりを続けるだろう。それに対処する能力のない政権を戴いていることの不幸を、これから韓国国民は身にしみて実感するだろう。このような呪いのことばを綴りたくなるような、朴槿恵大統領の招待拒否である。

危うし、知識人

 中国の習近平国家主席が知識人の代表との会合で「共産党・政府の指導者・幹部は知識人からの批判を歓迎すべきだ」と述べた。

 さらに「批判に誤りがあって正確ではなくても、包容力を持って寛容であるべきで、弱みにつけ込んだり、レッテルを貼ったり、懲らしめてはならない」とも述べた。

 習近平政権は知識人に対する言論統制を強めており、内外からの批判が高まっていることを意識しての発言だろう、とニュースは伝えている。

 中国の近現代史に多少の知識のある人なら、必ず思い出すことがあるはずだ。毛沢東に権力が集中しつつあるとき、それまでの中国国民のため、という施策よりも、「国家のため」と称しながら毛沢東のための施策が進められたことを批判する知識人からの意見が相次いだ。彼らは命がけだった。

 それを見て毛沢東は「言いたいことをどんどん言ってくれ。それを歓迎し、参考にしよう。批判的意見を言ったからといって処罰したりしない」と国民に約束した。

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 そこで中国の知識人は「国のため、国民のため」に良かれという気持ちから、いろいろな提案をしたり、国家の施策に対する問題点の指摘を行った。「百花斉放(百花争鳴)」と呼ばれるこの全国的な盛り上がりは、中国の未来に大きな希望を抱かせた。

 約一年後、毛沢東は「右派分子たちが、社会主義を批判している」と言う社説を新聞に発表。その後、掌を返したように言論統制と、批判した知識人達への弾圧を開始した。拘束され、拷問を受けて廃人になったり、死亡した数がどれほどあったか分からない。

 最初は批判に高をくくっていたのが、思った以上の盛り上がりに危機感を覚えたのだろう。最初からそのような知識人をあぶり出そうとした、とまでは言い切れないが、その可能性も否定しきれない。

 たぶんそのときに批判的意見や提言をした人々こそが中国の良識であり、国を支える能力のあった人たちだったのかも知れない。しかし彼等は粛清された。それが後の文化大革命の時に繰り返され、知識人であることがすなわち悪である、として紅衛兵たちの暴走のターゲットとなり、百花斉放後の粛清の犠牲者をはるかに超える、恐ろしいほどの数の犠牲者を生んだ。一千万とも二千万とも言われる人が殺されたとも言われる。少なくとも数百万単位であったことは、中国政府自身が認めている。

 そのことを習近平が知らないはずがない。言論統制を強化しながら、自由にものを言ってよい、などという矛盾したことを言う習近平を信じられるだろうか。それでも言ってもいいと言われたら、ついどんどん言う人間がいるだろう。中国では過去の歴史は隠されているとはいえ、知識人たるものが全然そのような前例を知らないということはないだろう。ところが知識人というのは、ものを言いたくてたまらないものだ。

 だから、危うし、知識人。

世界統一を夢見たこともあった

 朝のニュースで、香港で熊本へ観光に行ったことのある人たちなどが、熊本地震で被災した人たちに対してエールを送る集まりをしたことが紹介されていた。インタビューを受けた女性が「日本大好き」と中国語で言ったあと、「頑張ってください」と日本語でにっこり語りかけた。それは嬉しい光景だった。

 アンケート調査によれば、日本では中国に好感を持てないという人が、韓国に対してより以上に多いという。しかしその韓国で、テレビの前でにこやかに「日本大好き」と公言出来る人がいるだろうか。心の中でそう思っていても、「親日」は「売国奴、非国民」とみなされて、罵声を浴びるおそれがあるから口に出せないだろう。不幸な国である。
 
 中国や韓国は、自国民の団結力を高めたり、不満を逸らすために反日教育を行ってきた(公然たる事実なのに、そんなことはない、という消息通もいるのは不思議なことだ。反日教育を受けても反日にはならない人がいるというだけのことであって、反日が思考の根底にしみこんだ人が多いことを否定出来ないのではないか。過去の歴史を知らない若い人のほうに反日が多い事実がそれを示している)。それでなくても隣国と不仲になることが多いのは、よく知られた事実だ。それなのに国家が意図的にそれをあおって来たのだ。

 日本人が反中国、反韓国になってきたのは、国家がそのように仕向けたのではない。マスコミが報道する韓国や中国の反日を、繰り返し見せられ続けたことの結果によるものだろう。

 それは、過去行ってきた日本の侵略や植民地支配が原因だと、某田嶋陽子女史などは言うだろう。確かに現代中国の建国の歴史、共産党支配の正当性は、日本を敗戦に追い込んだことに置いている。実際には日本と戦ったのは蒋介石の率いる国民党であって、共産党は常にその後ろ側に潜んでいたに過ぎなかったことは、この際置いておく。

 しかし、では中国を侵略した列強について、中国は反イギリス、反フランスなどの教育をしているか。ドイツがヨーロッパを戦渦に巻き込んだからといって、フランスなどの周辺国がいつまでも過去の歴史をたてに反ドイツ教育などしているか。アフリカの国々やインドがもとの宗主国に対していつまでもその歴史にこだわっているか。

 若いとき、というより中学生、高校生であったとき、国家というくくりそのものが国家同士の争いの原因ではないか、などと考えた。だから世界が全体で一つの国家になってしまえば、国家の争いなどなくなるのではないかと素朴に考え、素直に国連の役割が増大してそのような世界統一へ進むことを夢見たりした。

 しかし東西冷戦時代の現実の世界は、そのような夢をうちくだいた。

 EU統合などはある意味ではそういう理想を目指したものと考えたい。繰り返し起きた戦禍に倦み、国というしきりが戦火の原因だという思いから、実際には経済規模を大きくすることが得だということが推進のエネルギーであろうが、その国のしきりを少しでも取り払おう、という意識もあったと思いたい。そのEUからイギリスは抜ける意思を示す可能性が出て来たことはどういうことか。

 中国は同じような夢を見ているつもりなのかも知れない。自分が盟主となって東アジアを統合するつもりかも知れない。それに朴槿恵大統領は賛同したのかも知れない。しかし習近平が目指す東アジアの統合体は、ただの中国の覇権主義的行動の言い換えに過ぎないことを露呈させてしまった。しかしそのことにいまだに習近平は気が付いていない。邪魔をしているのはアメリカや日本だと本気で思っているらしい。他国がどう自分を見ているのか認識することができない習近平は、その点では愚かな人ではないか。

 世界統一という夢が、万が一果たされたとしても、今度は地域紛争という形の争いが起こるだけだという、悲観的見方もあり得るだろう。

 ただ、いまあちこちで起きている民族紛争が、国家というしきりをなくすことでずいぶん減るのではないか、という気はする。

 朝のニュースの一コマをきっかけに書きながら考えたので、まとまらず、申し訳ない。

2016年4月29日 (金)

傘があった

140925_63 バリ島にて

 二日酔いの酒が抜けるにしたがって、次第に元気が出て来た。そこで傘を探しに心当たりを尋ねた。駅前のコンビニで買い物をしたのを思いだしたのだ。正解であった。そこの傘立てにちゃんと残っていた。店の人に事情を説明し、めでたく持ち帰ることができた。

 それにしてもだれも持っていかないのは日本の民度の高さであろう。それに雨が完全にやんでいたから、傘を勝手に持っていく必要がなかったのだろう。降っていればわたしも忘れなかったし。

 買い物をすると、そのことに気をとられて傘を忘れる。これは歳のせいではなく、むかしからで、ずいぶん傘を失った。傘の消費には人の何倍も貢献してきた。今回は残念ながら貢献出来なかったけれど。

傘がない

  昨日持って出かけたはずの傘がない。

 昨夕は犬山の兄貴分の人と名古屋で会食した。小雨交じりなので傘を持って出た。酔ったら傘を忘れることが多いので、忘れないようにしようと思っていた。だから店を出るときはかなり酩酊していたけれど、確かに傘を手にしていたように思う。

 朝起きてまずそのことが気になって傘があるかどうか確認した。おりたたみの当たり前の黒い傘だけれど、中国製ではなくて国産なので普通売っている物より高い。忘れないように少し良いものを買ってあったのに、その傘がどこにもない。

 どこに忘れたのだろう。思い当たるところはある。あるけれど、いくつもあるので探しに行く気にならない。それに二日酔いだ。兄貴分の人がそろそろ終わろうとしたのに、はなし足りない気がしてそのあともだらだらと飲み続けた。二日酔いになるのは当たり前だ。

 先輩を怒らせたことを思い出した。どうしよう。いまはどうしたら良いかよく分からない。二日酔いで、考えることができない。

 帰ったら裁判所から手紙が来ていた。不愉快な申し立ての書類だ。昨晩それを読んだが、酔っていたからよく覚えていない。いまは二日酔いだからもう一度読む気がしない。

 うーむ、朝風呂にでも入って少し酒を抜こうか。

2016年4月28日 (木)

歯医者に行く

 左下の奥歯の被せものが取れて一ヶ月以上になる。ぞの分だけ左右の歯の高さが違ってしまい、食べるときに食べにくい。右で食べるべきか左で食べるべきか考えないといけない、という事態となっている。

 最初はむりやり被せ直すとなんとか嵌まったが、すぐ取れてしまう。そのうち歯がずれてきたのだろうか、嵌まらなくなってしまった。

 歯医者は嫌いである。行かなければいけないと承知していても、行く気にならない。一度行きだして予約を入れれば、それは約束だから仕方なく行くが、いったんそれが途切れればこうしていつまでも歯医者に足が向かない。

 しかし歯がちんば(差別用語を承知して使っている。こういう状態を表すのに便利だから)だとなんとなく肩がこったりするようだ。体中のバランスが狂っているような気がする。

 仕方なく予約の電話を入れて歯医者に行く。

 型を取って連休明けに出来上がった被せものを付ける。右上奥歯も被せものが取れたままだが、それはなしで行きましょう、ということでそのままになっているが、隙間ができて、ものが挟まってかなわない。それも連休明けに処置する。

 それと・・・、「一つずつ片付けましょうね」と医者に言われた。

どうしていけないの?

 三菱自動車が不正行為をしていたことで非難を浴びている。悪いこととは知りながら、やめられなかった人たちがいた。自分だけ、「これは間違っている」と言い立てることができなかった人たちがたぶん少なからずいただろう。誰かが言い出せば是正されたかどうか、今となっては分からない。

 どうしてそうなったのか、弾劾する方は正義の立場だから、正論で追い詰めるが、たぶん非難される側にも言い分がないわけではないだろう。ただ、そんなことを言えば火に油を注ぐだけだから沈黙している。

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 以前、人殺しはいけないことだ、と語った教師に、「先生、なぜ人を殺してはいけないのですか?」と質問した生徒がいた。教師はうまく答えられずに、最後は絶句した。このことがマスコミでとやかく言われ、なるほど、と思うような答えもあった(小浜逸郎氏の答えなど「なぜ人を殺してはいけないのか」洋泉社・のちPHP文庫)けれど、ほとんどは生徒を納得させるようなものではなかった。

 数多くの論客がすっきりした答えが出せないものをわたしが出せるわけもないが、そのときの小浜逸郎氏の答えを参考にすれば、そもそもこの生徒はこの質問の答えを本当に聞きたかったのか?ということがまず気になる。質問には何らかの解答の期待がなければならない。わたしには、この生徒は先生が答えに窮することを期待はしただろうが、どんなことを答えても、それに「どうして?」を重ねる用意をしただけで、答えを求めていなかったのだと思う。

 そんな質問にはそもそも意味がない。意味のないものに真摯に答える事自体が徒労であろう。頭の体操にはなるが。

 熊本大地震の混乱に乗じて、地震情報を聞いてすぐに現地に乗り込んで窃盗を働いた連中がいるという。阪神大震災の時にも数多くの窃盗があり、それで味をしめた者がいたという。それを聞いて今度は俺もうまいことやろう、と手ぐすね引いていたのかも知れない。東日本大震災の時にもいただろう。

 誰かがうまいことをやっているなら今度は自分も、という心性を人はどこかにもっている。しかし人はふつうはそれを抑える。それが犯罪であればもちろんだが、合法的であっても「うまいことやる」ことに抵抗がある。それが「うまいことができるときにはやる。やらないのはバカだ」というのが中国だろう。そんな国や人々はいくらでもあるにちがいない。

 彼らこそ「どうしていけないの?」と問うだろう。

 パナマ文書が暴露されていろいろ議論があるが、「タックス・ヘヴンは合法的な行為である」ということばを繰り返し聞いた。そうなのだろう。では合法的なことがどうして非難されるのか。「うまいことやる」ことに対しての抵抗の裏返しの気持ちが大いにあるはずだ。だから非難されている人たちは「どうしていけないの?」と反論する。

 人がうまいことやることに抵抗感があるのは、他人よりも自分が利益を余分に受け取ることに対するやましさの故だと思う。だから列に並んでいるときに割り込むようなことは、ずるいこととして非難される。

 しかし、金銭的なことになると、しばしば人はその抵抗感を見失う。「うまいことやった」人に対する非難が、ずるさに対する不快感よりも、実は、「自分もうまいことやれたら良かったのに」という嫉妬から生じているとすれば、「どうしていけないの?」という反論に窮することになるだろう。

 それは、「自分はうまいことができるときにもうまいことをしない」と意識して生きることでしか回答出来ない質問なのだろう。

 こうして「どうしていけないの?」という問いが自らに問われることなく拡大して、人の生き方の倫理的なものが見失われていき、ついには「どうして人を殺してはいけないの?」という質問につながっていく。世界はますますそのような、倫理観を喪失した時代になりつつある。

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 わたしは子どもたちに「損をしても平気でいられるような人間になれ」という意味のことを教えたつもりだ。覚えているかどうか知らないが、少しは頭の片隅にあると有難い。サバイバルだったり弱肉強食だったりする現代では、生きにくい生き方を選ぶことになるが、それに耐えられる強さこそ、本当に強い人間であるという美学を信じたい。ではわたしは?意識はしているつもりだが・・・。

鎌田浩毅「西日本大震災に備えよ」(PHP新書)

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 著者をテレビで拝見したことがある。マスコミにしばしば登場するので、この本は「ピーターと狼」のピーターか?と思わなくはなかったけれど、熊本大地震があったことでもあり、また、南海トラフを震源とする大地震が予測されていることも承知しているので、なにが書かれているのか読んでみたかった。

 この本は熊本大地震があったから急遽出た、という本ではない。出版は昨年11月末である。そこに熊本大地震が明快に予測されている、ということもない。当たり前だ。地震はまだそこまで正確に予測出来ない。まだ地震についての科学的な研究が始まってから、百年あまりしか経っていない。

 地震を考えるとき、そのタイムスパンは百年、また千年、ときに何万年という物差しが必要だ。それがわずか百年あまりの観測で得られた知見で、短期間内での発生の予測を論じるのは無理だ、という。自然現象はそもそもそういうものである、という。言われてみればその通りだ。

 ただ、千年に一度という、いままで観測経験のない東日本大震災という巨大地震を経験して、地震学は膨大なデータを得ることができたようだ。そういえばNHKで放送された「巨大災害 日本に迫る脅威 地震列島日本に見えてきた新たなリスク」という番組でもそのことが詳しく紹介されていた。

 地震には、プレートの移動による界面でのズレの復元によって発生する地震と、活断層のひずみエネルギーを原因とする内陸型の地震とがある。東日本大震災はプレート型、神戸で起きた地震や熊本大地震は活断層型の内陸地震である。

 従来はこの二つの型の地震は別物だと思われていた。ところがそれが実は連動しているらしいことが分かってきた。そもそもプレートにしても、従来よりもはるかに多くのプレートがあること、そのプレートの界面にたまったエネルギーが複雑に関係し合っているのだ。

 NHKの番組でも、この本でも、まさに熊本から大分にかけての今回の頻発する地震のラインにプレートの境目が明示されていたことに驚く。NHKの番組もこの本も、熊本地震の前のものだ。

 巨大地震が複雑なプレート界面におおきく影響を与え、最近の相次ぐ地震発生の原因になっているらしいことは、どうもたしからしい。いま日本はそのような地震の活動期に入っていることを認識して対処しなければならない、というのが著者の主張である。

 地震は人力では止めることは不可能だ。それなら、日本人は地震が起こることを前提とした生き方をするしかない。日本人は古来からそうして生きてきた。そもそも日本の自然の豊かさは、そのような地震活動や火山活動によってもたらされたものである、と著者は言う。

 そして、日本人が災害によって受ける損害と、もたらされた恩恵とを長い時間でみると、恩恵の方がずっと大きいという。災害に失われる人命や財産を思うと、忸怩たる思いがあるが、それは確かな事実であろう。 

 止めようのない自然災害と折り合いを付けるにはどうしたら良いか。自分がそのような災害をどう生きのびるのか。著者自身が考えた生き方について縷々述べられている。それは提案である。この辺になると賛成することとそうでないことが出てくるが、それを考えるきっかけにすれば良いだろう。

 著者には申し訳ないが、この本には多少不要部分があるのではないか。その点を除けば、読むに値する本と言ってよい。

2016年4月27日 (水)

競争があるということは・・・

 マレーシアとシンガポールを結ぶ高速鉄道について2016年中に覚え書きが交わされることになりそうだという。

 これは中国の一帯一路構想の実現に関わる物として、中国は大変重要視していると中国メディアは伝えている。この路線についても、インドネシアと同様、日本との受注競争になるだろうと予測し(その通りだろう)、成長を続ける東南アジア市場で、将来に向けて実績を残しておきたい両国はふたたび激しい競争となるだろうという。

 そのあとがあっと驚く意見であった。

「競争が生じている事実から、双方の実力は互角」と主張したのだ。

 うっかり見逃すと、そうなのか、と思いかねない。中国の国民はそうとしかとらないだろう。このアクロバティックな中国的論理の奇妙さは、論理を越えた不条理の論理だとわたしは感じるが、そう思う方が変なのか。

 実力が互角だと、互いに競えば競争になるのはたしかだ。しかし互角でない勝負を、金に物を言わせて強引に押し切ったインドネシアの高速鉄道の受注競争が、実力が互角であったことの証明になど絶対にならない。

 インドネシアではいまだに工事の全面的な着手が始まっていないという。たぶん今度のマレーシア-シンガポールの高速鉄道計画でも、中国はおなじように札びらで押し切ろうとするにちがいない。

 インドネシアも、日本に発注しておけば良かったと思っていると考えたいが、ジョコ大統領の懐があたたまった見返りだろうから、どうしようもない。しかし中国が次々に約束やぶりを始めているから、ジョコ大統領への批判は次第にわき上がっているようだ。命取りになるかも知れない。

 アルゼンチン沖などで違法操業を繰り返し、国際警察から手配されていた中国漁船が、インドネシア沖でやはり違法操業をしたため、インドネシア海軍は警告発砲した上で拿捕した。

 それに対して中国政府がインドネシアにこう申し入れた。

「国際法にもとずく国際ルールを遵守することを要求する。中国船の航行の自由を保障し、船員の安全と権益を守れ。船員たちの早期釈放をしろ」。

 この漁船はアルゼンチンの取締船に体当たりして逃げており、インドネシアでも体当たりをしてきたために警告射撃を受けることになったという。

 (朝日新聞の大好きな)中国の論理の面目躍如ではないか!

頭が良くなる注射

 朝鮮日報の記事から。

 何とかして子供の成績を上げたいと腐心する親をターゲットに、病院が「集中力強化」「頭脳活性化」をうたう点滴注射を売り込んでいるそうだ。ある親に取材したら、一度やってもらったら効果があったようなので、それからは全国テストのたびに子供を連れてきている、そうだ。一回8万ウォン、三日前から毎日一回点滴注射を受ける。

 専門家は成分から考えて懐疑的(もし効果があっても簡単に尿から排出されてしまうだろうとみている)で、プラシーボ効果(偽薬効果)だろうとみている。鰯の頭も信心から、ということか。子供も痛い思いを強制されて可哀想に。

 ところで成績が良かったとして、実力は上がったことになるのか。こうして進学し、上級学校から社会に出て、ずっと注射を受け続けるのだろうか。社会では間違いなく実力主義だから、そんなメッキは簡単に剥がれる。カンニングと一緒で、一時的に成績が上がったところで、本人の能力が伴わなければ、結局不幸ではないのか。

 愚かな親心であり、こんな商売が流行る社会は異常である。

二度とこのようなことは・・・

 三菱自動車の不正について問われた石井国交大臣(公明党)は、「二度とこのようなことが起こらないように、厳重に調査して対処する」と答えていた。

 この「二度とこのようなことが起こらないように・・・」という決まり文句がわたしは嫌いであり、無性に腹が立つ。二度と起こらないようなことは、そもそも一度も起こらない。一度起こるようなことは必ずまた起こる。人間とはそういうものだ。想像力に欠けた、そんなことを得々と言う人間をわたしは信用しない。

 韓国当局が、飲酒運転の同乗者や酒販売者への処罰を強化し、飲酒運転常習者は車両没収も行うつもりであることを発表した。飲酒運転で死亡事故を起こしたり、最近5年間で5回以上飲酒運転をした場合は車両が没収されるそうだ。しかし5年間で5回以上飲酒運転する人がいる、ということが凄い。飲酒運転でも免許証が没収されないのか、免許証がなくても平気で飲酒運転しているのか。

 ネットでは「おかしな法律を作るな」という声もある。それはそうだろう、と思っていたら、「酒を売るな、ということか」「金に困っているから罰金対象者を増やそうとしている」などとの批判意見をみて唖然とした。そういう意味でおかしい、といっているのだろうか。

 なかでも「そんな処罰をするくらいなら、車を製造したり販売したりする業者も処罰しろ!車がなければ飲酒運転事故も起きなくなる」というのが極めつけの意見であった。

 石井大臣殿、こういうのを二度と起きないための方策というのですぞ。・・・・まてよ、そうか、三菱自動車が車を製造出来なくすれば二度と不正もできなくなるわけで、石井大臣はそれを暗に言っていたのであったか!気が付かなかった。

2016年4月26日 (火)

床屋へ行く

 久しぶり(3ヶ月ぶりくらいか)に床屋に行く。前回はいままでで一番短く刈り上げたのに、いつの間にか随分伸びている。本数は全く増えていないのは哀しいが。

 格安の床屋が同じ市内の隣町にあるのでそこへ行く。歩くと30分近くかかる。冬なら良いのだが、もう陽気がよくなっているので、これだけ歩くと汗みずくになる。わたしは汗かきなのだ。

 一駅だけれど電車に乗っていく。安いことが嬉しいが、それ以上に嬉しいのは散髪時間が短いことだ。洗髪まで入れても全部で30分かからない。あの本も読めない無為の時間が嫌いなのだ。長いとつい眠ってしまって、調髪している人に迷惑もかける。短ければ寝る暇もない。

 土日以外はシニア料金。自分がシニア料金であることがどうも受け入れにくいのだが、すでに立派なシニアなのだ。髪がさっぱりすると、なんとなくからだが軽くなる。

 葉室麟の新刊「辛夷の花」が出ているはずなので、駅まで戻り、名古屋へ行く。

 駅の近くのジュンク堂の店内を一渉り散策する。買いたくなった本が約20冊、絞りに絞って約8冊だけ購入。もちろん葉室麟もあった。ブログをいつも拝見しているshinzeiさんに、呉智英の未読の本を教えてもらったからそれを探したが、見つからず。今度ゆっくり探そう。池内紀のコーナーで足が停まる。どれも読んだら絶対面白いはずだ。みんな欲しくなる。我慢して2冊だけ購入。

 他に時事物、新書、講談社学術文庫の面白そうな本などを抱える。

 ゆとりがないのに、気が付くと一万円を軽くこえる買い物をしている。わたしにとって歯止めがきかなくなるという意味で本は麻薬であるが、別にだれにも害はないし、自分も懐に堪えるだけであるから良しとする。わたしがいなくなったら、その本の始末に子どもたちが迷惑することくらいは、申し訳ないがなんとか我慢してもらおう。

 連休は人出が多いから遠出はしないつもりだ。出かけるのは連休が終わってから。子どもたちも予定がいろいろあるらしいから、ふだん以上に静かな日々となりそうだ。購入した本や読みかけの本を読み、映画を楽しむことにする。

 皆さんはそれぞれにお忙しいことであろう。

魚谷常吉(平野雅章編)「味覚法楽」(中公文庫)

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 著者は茶人で、大正から昭和の初め、神戸で料亭「西魚善」を営む。昭和15年、和歌山県に転居して出家、僧籍に入る。昭和39年入寂。

 若い大学生たちに食の蘊蓄を尋ねられ、問わず語りに語ったものを、昭和11年集めて本にした。それを平野雅章(先般紹介した北大路魯山人の「魯山人味道」の編集も彼)が編集し、昭和56年に出版、さらに1991年に文庫化。

 食について書かれているが、茶人としての視点で食材や料理が語られているので、一般の料理蘊蓄本とはずいぶん違う。多少狷介な人であったのだろうか、ときに決めつけをするきらいがある。

 料亭を営んでいたくらいだから、その味覚に対する感性は鋭いが、日本料理にこだわる(こだわりすぎる)点は、わたしのような鯨飲鯨食(by魯山人)で雑食派にとっていささかうるさい。また、語られた時代も現代と違うので、その食材の世界がやや狭いような気がする。

 わずかな味の違いにこだわる繊細さが、美学と受け取れるか、スノッブと感じるか、微妙なところだ。ピアニッシモを聴き分けながらフォルテッシモを聞くことにも耐えられるのがわたしは食通だと思うが、著者はフォルテッシモは論外というだろう。

 編者のあとがきによれば、著者は最後に務めた寺で金銭的なことで檀家との諍いがあり、体調不良もあって覚悟の自死をしたようだ。

2016年4月25日 (月)

ドラマを楽しむ

 映画を観るにはエネルギーがいる。少々衰えて、なかなか映画を観る気にならない。見ようと思えば山ほど録画した映画があるからいつでも観られるが、せっかくみるのだから集中力を持って観たいのだ。

 そういうわけで録画しているドラマのほうを優先して観ることが多い。WOWOWでは東野圭吾原作の「カッコウの卵は誰のもの」が面白い。最初はそれほど期待していなかったのだが、さすがに東野圭吾の原作だけあって、回を追う毎に夢中で見るようになった。今度の日曜が最終回だ。

 同じくWOWOWの「ザ・プレイヤー 究極のゲーム」は刑務所から復帰したウェズリー・スナイプスの久方ぶりの登場だ。テンポが良く(ちょっと展開が早すぎるくらい)楽しめる。

 同じくWOWOWの「ナイトメア2 血塗られた秘密」。「ナイトメア」の第二シーズンだ。これはかなり強烈なゴシックホラー、主演のエヴァ・グリーンがすばらしい。世紀末のロンドンを舞台に、過去のホラーの有名どころが次々に登場する。魔女や吸血鬼、狼男にフランケンシュタイン、ドリアン・グレイまで登場する。ゴシックホラー好きならWOWOWに新たに加入してでも見逃す手はない。当然観ているか。

 NHKBSの「最後の忠臣蔵」はアンコールによる再放送だけれど、予想以上に面白い。池宮彰一郞の原作が良いのだろう。映画化もされているが、未見。意外な展開を楽しんでいる。武士というものがどんなものだったのか、あらためて考えさせられる。赤穂浪士討ち入りのあとの、彼らの処断についての幕客の対応を巡る話はリアリティがある。

 またまたWOWOWだが、「荒野のピンカートン探偵社」(再放送)を楽しんでいる。創設間もないピンカートン探偵社が、カンザスシティで起きた事件を解決するために捜査を行う。それをきっかけに、捜査に携わったピンカートンの次男ウィリアムと、科学捜査の知識のある女探偵ケイト・ウォーンが、カンザスシティ支部として残される。

 こうしてカンザスシティの町で起こる事件を次々に解決していく、というドラマなのだが、列車は開通し、電信での通信が可能になっているとはいえ、南北戦争が終わったばかりの、まだ西部開拓時代の雰囲気の中での捜査である。人々は銃を当たり前に身につけている。少々お手軽に事件は解決するが、その軽さが慣れると案外楽しめる。登場人物になじんできたからだろう。

 サブキャラクターとしてディーン・フジオカが日本人として出演している。身なりは西部劇そのままで、もちろん英語も日本語もしゃべる。ある事件の関係者として(実は賞金稼ぎ、しかもさらにその正体は日本政府の密命を受けた男)登場するのだが、評判が良かったからだろうか。そのあと数話してから、ふたたびカンザスシティに現れて、彼らの助手をすることになるのだ。

 ピンカートン探偵社といえば、たしかコナン・ドイルの「恐怖の谷」(もちろんシャーロック・ホームズものだが、舞台はアメリカ)に出てくる探偵が殺される事件は、ピンカートン探偵社の実話をもとにしたものだったはずだ。

 次々に面白いドラマがあるからなかなか忙しい。ドラマばかり観ているわけにも行かないし。

文藝春秋編「もの食う話」(文春文庫)

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 長くなるが、前書きをそのまま引用する。


   厨房から

 食と性とを並べて二大本能などという。が、後者は人目につかない場所でひそかに行うのを原則とするのに対して、食の方は人前で公然と行って恥じるところがない。それどころか、むしろ大勢でにぎやかにやるのが楽しいと、なにかというと宴会をし、花見などは地べたにゴザまで敷いて土ぼこりの中でこれ見よがしに盛大にやる。それどころか、やんごとない方面の晩餐会などはわざわざ国民の前で食べて見せたりもするのである。
 だがしかし、食とはどうやら生命を維持したり、舌を楽しませたりといっただけの底の浅いものでもなさそうで、性がそうであるように、その奥になにやら不気味なものがあるという気がしませんか。 試みに親でも兄弟でも、恋人でも連れあいでも飲み食いしているところをじっくり観察してほしい。老若男女を問わず、食べるという行為は、随分とぶしつけでいかがわしく、滑稽で恥ずかしく、露骨で猥褻であることに気づかれるにちがいない。
 仮に、食べているところを見ても見せても罰せられるという法律ができたとしたら、命をかけても他人のそれを見たいというくらい好奇心を刺激するに決まっている・・・のではないだろうか。若いきれいな男女の食事風景の裏ビデオが出廻ったりすると思いませんか。
 さて、この本は、その楽しくもいやらしくふしだらな(?)行為の核心に触れる文章を読者にこっそり提供するものであります。


 こうして「食前酒」、「前菜」、「主菜」、「サラダ」、「デザート」、「食後酒」とに章をわけ、いくつかの詩や随筆、また短編小説を饗している。

 今ひとつ思い入れが入らないものがないことはないが、ほとんどが強烈な味わいのものばかり。これを読めば、食というものが人にとってどれほどのものであるかを思い知るであろう。それと同時に、なにか覗いてはならない魔の深淵を覗いてしまったような気持ちになるにちがいない。

 どれも逸品ぞろいだが、大岡昇平「食慾について」、邱永漢「食在廣州 食は広州に在り」、武田泰淳「もの食う女」、赤瀬川源平「食い地獄」、岡本かの子「家靈」、筒井康隆「人喰人種」、近藤紘一「夫婦そろって動物好き(抄)」、中島敦「幸福」が特に気にいった。これでほんの一部です。読まなければ損な掘り出し物。

2016年4月24日 (日)

万全の対処は無理

 つけっぱなしのテレビをぼんやり見ていると、熊本地震についてのニュースやコメントが多い。報道番組と称するバラエティでも、ああだこうだと地震のことに言及するのは、当然のことではあるが、自治体や政府の対処に対する批評に、それぞれの局やメインキャスターの傾向が顕れているように感じる。

 報道はありのままに伝えていても、現場のどこを選び、だれにインタビューをするかで、ずいぶんその印象が変わる。見ていて思うのは、困難に直面する中で、ひたすら何が足らない、これが足らない、こんなことに困っている、という不満を述べている人を次々に登場させている番組と、いろいろ援助してもらって有難い、感謝している、という意見をこまめに拾っている番組とがあることだ。

 もちろん全部が偏っているわけではなく、適度に混ざっているのだが、傾向があるように感じる。当然不満不足を多く取り上げれば、政府や自治体の対処の不備を批判するコメントをコメンテーターは述べることになる。そうなれば某みのもんたのように、自衛隊はちゃんとやっていない、という暴言を呼ぶことになる。

 曽野綾子なら、こういう災害のときは、まず自助に努めるべきで、救援が成されるのが当然、という意識を抑え、救援されたらそれに感謝するべきだ、というだろう。わたしはそれこそが、人として、特に日本人として当たり前の感覚だったのではないかと思う。

 それを足らないものだけならまだしも、不平不満をひろい集め、それを持って自治体や政府を批判するという姿勢の中に、災害があって批判が正当化出来ることを喜んでいるような気持ちが見え隠れしているような気がするが、考えすぎか。それが日本人の美点を次第に損ない、異常なクレーマーを出現させているのではないか。

 感謝するこころがあれば、自然に今度は自分が助ける気持ちも湧いてくるものだ。誰かのせいにしているとそういう気持ちが失われてしまうのではないか。

 日曜日の朝の関口宏の番組は、毎日新聞とTBSの典型のような傾向で報道しているように見える。友人の一人が、それがとても不愉快だ、と言っていて、わたしも同感だったから、普通はスポーツに関するところだけをときどき見る。今日たまたまその前から見ていたら、政府や自治体への批判が多いと感じた。全部を見続けなかったから偏った見方かも知れない。

 しかし、こんな自然災害に万全で完璧な対処など、出来るはずがない。だから不備を批判しようと思えばいくらでも材料がある。起こったことは起こったこととして、その対処の不備を検証し、次にはどうすべきか考える、と言う姿勢を欠いていれば、ただ批判して自分が上位になった快感を感ずるだけのことではないのか。これでは韓国の反日と同じで、自己満足に過ぎず、なにも前に進まない。

 関口宏に特に強い反感を持っているのではなく、ひとつの例としてあげたので、他意はない。

赤酒と赤牛

 少し前に、どなたのブログに対してだったか失念したが、新潟の赤米で造った赤酒のことをコメントした。

 今朝のニュースで、熊本の赤酒の酒造会社が震災の被害を受け、タンクなどが破損して酒造りの再開の見通しが立たないとのことであった。もともと負債を抱えていたようで、二重の苦難の中に置かれているようだ。熊本にも赤酒があるとは知らなかった。

 ずいぶん昔に、新潟の赤酒をいただいた。珍しいから期待を持って飲んだけれど、残念ながらそれほど感激する美味しさではなかった。わたしと相性が合わなかったようだ。もともと美味しさよりも祝い用の酒なのかも知れない。

131121_24 阿蘇の赤牛

 阿蘇の野焼きは秋吉台と同様よく知られている。阿蘇山の周辺には木が生えていないで広い草原をなし、そこにたくさんの牛が放牧されている。いわゆるホルスタイン種ではなく、また黒牛でもなく、赤牛と言われる明るい茶色の牛である。

11042_147 赤牛の像

 その牛を放牧した場所と酪農家の家をつなぐ道路が、崖崩れで寸断され、通行不能となっている。さらに崩れるおそれもあるために、今のところ道路の復旧の見込みはないようだ。農家自体も背後に山があるので、いつ被災するか分からないという。「家の後ろが崩れたら、人は逃げるが牛は置き去りにして見殺しにするしかない」と牛を見ながら嘆いていた。

11042_134 赤牛の像の近くから見た、崩落した阿蘇大橋

 南阿蘇には二度ほど行ってその都度温泉宿に泊まり、周辺を走り回った。赤酒には出会わなかったが赤牛はそこら中で見た。震災は自然のものであるから避けがたいとはいえ、知っている場所の被害の様子を見ると、心が痛む。

11042_135 赤牛の像の近くにある数鹿流ヶ滝 


11042_144 滝を遠望

 この辺りはどうなっているだろうか。

2016年4月23日 (土)

海上浮動式原発

 中国環球時報の記事によると、南シナ海で活動に必要な電力を供給するために、中国は海上浮動式の原子力発電所を建設する計画だという。

Dsc_0002 冬の日本海に浮かぶ海底油田のリグ

 南シナ海には津波はないのだろうか。インドネシアの大地震やそれによる津波が南シナ海に及ぶことは、当然起こり得ることではないのか。東日本大震災の教訓から、冷却水を廻すための電源喪失が起きないような対策をとるとは思うが、災害についての認識は、実際に経験が無いと、どうしても甘くなるだろう。

 洋上に浮動式の巨大建築物を建てることについて、中国は海底ガスや海底油田用のリグの建設で経験済みだから自信を持っているのかも知れない。しかし、そのようなものと原発は全く違うのではないか。万一の危険性は格段に大きい。そのことの認識がある国であるとは、残念ながらいままでの中国のさまざまな事故を見ると、決して思うことが出来ない。

 汚染水が漏れて海上に流れるだけで大騒ぎしている韓国や原発反対を強力に叫び続ける人々は、この海上浮動式原発に強く反対するものと考えられる。
 
 もしそのニュースを知りながら黙しているならば、彼らのいままでの言動はなんだったのか、と問われるだろう。たぶん何も言わないだろうが。

 わたしは、原発がないですませられるならない方が良いと思うが、しかし福島第一原発の事故は、地震だけであれば起こらなかったと考える者であり、津波による電源喪失が冷却水の供給を不能にして起こった事故であると確信している。そして電源が津波を受けて海水が浸入して侵入することを想定した対策案が示されていたにもかかわらず、それをあり得ない、と一蹴した学者と一部経営者がいたと聞いている。

 ところが、数億の経費を投入するだけで済むことを根拠無く否定したことによって何兆円以上、いやもう一桁多いかも知れない損失を会社と日本という国家、日本国民にもたらした責任者の責任は、いまだに問われることなく、不問に附されている。これは太平洋戦争の責任を日本人が自ら問うことがなく、いまだに問うていないのによく似ている。東京裁判という、終戦直後の感情的な裁判は、勝者による一方的なものであり、日本人自身がさばいたものではない。

 日本では、しばしばこのように明らかに責任があるのにその責任が不問に附される。今回も、想定外の巨大地震、巨大津波は予測不能だった、というのが免罪の理由とされている。しかし、実際には過去の歴史的な記録などから、巨大津波は予測され、想定されていた。そしてその対策は進言され、否定されたのである。

 話を戻す。繰り返すが、中国は海上浮動式原発で事故が起こることについての想定が不十分であろう。事故が起きたら、そのときはそのとき、というのがいままでの中国のやり方のように思える。たぶん誰かがやり玉に挙げられてそれで終わりだ。海が汚染されることなど何とも思っていない。すでに中国の近海は工場排水などで汚染し尽くされ、魚も棲めなくなっている。だから他国の海で違法操業を繰り返すことになっていて、それに対して中国当局が、ほとんど野放しであることは実証済みである。中国では、海を愛し、大事にするという思考がそもそもないのだから。

 鳩山由紀夫氏は、彼の政治信条にしたがい、いまこそ中国におもむいて、この計画を中止するよう申し入れることであろう。

 韓国の国民を代表して、朴槿恵大統領も、中国に中止申し入れのために馳せ参じるものと確信する。

 それぐらいしてもいいだろう。

 そう言えば、この浮動式の原子力発電所は移動が可能なのだそうだ。事故が起きたら海上を移動して、フィリピンの新しく再開される米軍基地あたりに持っていくかも知れない。南シナ海はすべて中国の領海だと言うから、それに反対する国に対する、攻撃されることがない移動式の新型兵器だ。


美味しかったもの

 食べもののことを書いた本を積み上げて、少しずつ読んでいる。共感したり、肝心のことが書かれていないと不満を感じたり、美味しさに感激したときのことを思い出したりしている。

 「もの食う話」(文藝春秋編)という本を読み始めたら、内田百閒の文章が初めの方に二篇ほど収められていた。そのひとつは、『餓鬼道肴蔬目録』と題するもので、昭和十九年に書かれた。

「昭和十九年ノ初メ段段食ベルモノガ無クナッタノデセメテ記憶ノ中カラウマイ物食ベタイ物ノ名前ダケデモ探シ出シテ見ヨウト思イツイテコノ目録ヲ作ッタ」

とあり、続けて次々に食べものの名前が列記されている。内田百閒はこれらの食べものを、そのときにはもうほとんど入手不能に近かったからこそ、その食べものへの思いはつのったのだろうと思われる。

 いまはよほど困窮でもしていなければどれも食べることが出来る。現代が非常に人間に苛酷な時代であるかのように言う者があるけれど、平和で豊かな時代であるのは間違いない。それをもう少しありがたいことと思わなければいけないのではないか。

 わたしも内田百閒に倣い、こちらは過去食べて特に美味しかった記憶のあるものを列べてみよう。

釧路で食べた厚岸(あっけし)の牡蠣
釧路で食べたイクラ丼
釧路の花咲蟹
札幌で食べた留萌の八角の刺身
北見で食べたサロマ湖のホタテ
北見の七輪で焼くホルモン焼き
北見のモツ鍋屋のおばさんが出してくれたエゾシカの刺身
札幌の夜行列車を待つ間に食べた毛蟹
函館、札幌で食べたイカソーメン
室蘭で食べたキンキ
札幌や釧路で食べた大きなほっけ
札幌で食べた大きなニシン

大間のマグロ
下北半島の薬研温泉で食べた山菜
秋田のジュンサイ
牡鹿半島で食べた鯨
仙台で食べたホヤ
仙台で食べた酢牡蠣
鶴岡で食べたハタハタ
山形の食用菊
米沢のホルモン焼き
山形の芋煮会
山形で食べた三陸の大きなノドクロ
学生時代、山形の下宿で食べたキノコ類
米沢で飲みつかれた夜明けに食べた丸どじょう鍋

新潟で食べたキスの刺身
佐渡のヤリイカの刺身
長岡で食べたイカわたの味噌漬け
能登の穴水で食べた夏(禁漁期間)の甘エビ
三国の越前ガニ
金沢で冬よく食べたコウバコ蟹
福井で食べた塩ウニ
金沢のニギス
鱈の白子

伊勢源のアンコウ鍋
高橋(たかばし)伊せ喜のどぜう
母の作る九十九里のセグロイワシの天ぷら
母の作るアジのたたきの酢漬け
母の作る大型鯖の味噌煮
銚子の鰹
九十九里のナガラミ
九十九里のなれ鮨
アジの煮付けと骨湯
自分で釣った大型カマス
房総の鮑のワタ
ボラの洗い
葉山のスズキの洗い
甲府のほうとう
足利の切り込みうどん

知多・日間賀島の蛸飯
名古屋のひつまぶし
味噌煮込みうどん(店を選ぶ)
カワハギの肝
フグの白子
大阪のお好み焼き

疲れてきてだんだん雑になってきた。

瀬戸内海の知人の家で食べたハネ(小型のスズキ)の刺身
高知で食べた鰹の刺身

 山陰や中国地方、九州でもいろいろ美味い物を食べたがすぐ浮かんでこない。洩らした食べものもたくさんある気がする。それにしてもよくもいろいろ食べてきたものだと、我ながら感心する。

 このほか海外で食べた美味いものを上げていけばきりがない。読む方も疲れるだろうから今回はここまでとする。

 とにかく美味しいものにはそれを食べたシチュエーションが伴っていて、説明していけばそれぞれに一つひとつの話がある。

2016年4月22日 (金)

やはり出た

 韓国か、または中国からこんなニュースが聞かれると思っていたら、やはり出た。

Dsc_0095_2 上海にて

 香港の新聞に出たニュースだが、中国の昆明銀工金属製品という会社が、『熊本地震祝賀セール』の告知を自社のブログに掲載した。「日本大地震を祝い、17日から3日間、最低価格で商品を販売する」という内容だ。

「余震が続けばキャンペーンを継続する。仮にマグニチュード8の地震が起きれば、値引き幅を拡大する。日本人10万人が死亡すれば、さらに値引きし、日本が沈没すれば在庫一掃セールを実施する」そうだ。

 さすがにネットユーザーから顰蹙を買い、非難が殺到したため、同社は問題の告知を削除した。もちろん同社にたいして賛同する意見も多数寄せられていたらしい。

Dsc_0087 上海にて

 他のメディアからは、「日本政府と日本の国民を同一視してはならない」と批判的な指摘があったそうだ。そういう問題とも違うと思うが。

Dsc_0078_2 上海にて

 このような他国の災害、災難に便乗して悪のりする輩は必ずいる。日本の不幸を笑いものにすれば喝采を浴びるもの、と思い込んでいたのだろう。喝采よりも非難を浴びたことに意外な思いをしているかも知れない。多少は中国にはまともさがあると思いたい。

 これが韓国だったら、こういう悪のり組を激しく非難したら「親日的」ととられるのを恐れて、みな黙っているような気がする。それが韓国の反日の暗くて怖いところだ。こんな韓国と、報道の自由、つまり言論の自由度の低さで、日本はほとんど同じ、70位くらいだと評価した、国境なき記者団という何やら得体の知れない団体は、何を見て評価いるのだろうか。偏見を持ってものを見るのは自由とは言わない。それとも某朝日新聞などの偏向ぶりを見て評価したのだろうか。それなら仕方がないか。

 ところでこの期待どおりすぎるニュース、具体的な社名があがっているから嘘とは思いにくいが、本当なのだろうか。誰かのやらせということはないだろうか。ちょっと疑わしい。

 熊本地震と言えば、みのもんたが自衛隊の救援活動について「自衛隊きちんとして欲しいね。過去の震災、阪神淡路、関東大震災の教訓生かせてないでしょ?」とツイートして、「自衛隊はちゃんとやっているではないか」と猛批判を受け、炎上した。
 ネットニュースから拾い読みだから、正確に何を言ったのか分からないが、この人の上から目線の物言いは不快である。みんながそう思ったから批判されたのであろう。一時期ちやほやされたから、何様かになったと勘違いし、息子の不祥事をきっかけにいろいろな番組を降板することになったが、いまだに勘違いは治っていないらしい。
 降板する羽目になったのは息子の不祥事が原因と言うよりもきっかけに過ぎなかったことが分からないようだ。マスコミは祭り上げておいて、てっぺんから引きずり下ろすのが得意であることは良く承知しているはずなのに、自分だけは別だと思ったのか。
 自衛隊は、映像を見ていても、良くやっているのを国民みんなが承知している。みのもんたも隊員に混じって泥まみれになったら二度とこういうことわけの分からないことを言わなくなるだろう。本人のためにもお勧めしたい。足手まといか。

曼陀羅寺のつづき

藤で有名な曼陀羅寺にいる。このひとつ前のブログで、曼陀羅寺を曼荼羅寺と間違えていた(変換のままにして見逃していた。こちらの本堂の扁額の字を見て気が付いた)。知っている人は笑っていただろうが、知らない人は間違ったままに覚えてしまう。すぐ訂正したのだが、申し訳ないことである。


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曼陀羅寺の境内は広い。

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明日から藤まつりなので、まだ訪れる人は多くない。藤まつりが始まると駐車場は満杯で、渋滞する。

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まつりの準備に忙しい人たち。

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本堂。他にも立派なお堂がたくさんある。

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本堂にかかる「曼陀羅寺」の扁額。

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本堂のものではないが、彫り物の見事なものがあった。

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特にこの鶏が好い。古いカメラを久しぶりに持ち出してきたので、アップがここまでしか出来ない。

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善いお顔と姿の石像。

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こんな石像も。

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花も好いけれど、顔のあるものが好きなのでついこんな写真が多くなる。このお顔はひび割れ始めているのが可哀想。

おまけ。

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曼陀羅寺

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今月20日、江南市の曼陀羅寺に藤の花を見に行った。

その前に行ったお千代保稲荷や多度大社のあたりで藤の花が咲き始めているのを見て、津島の天王公園の藤か江南の曼陀羅寺の藤を見に行こうと思い立った。

津島の天王公園の見事な藤は、昨年見ている。曼陀羅寺の藤は以前咲き残りを見たことがあるだけだ。

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車で行っても駐車場が心配だったので、名鉄電車で行くことにした。江南駅から曼陀羅寺方面に行くバスが何本も出ている。駅前には「藤まつり」の幟がたくさんはためいていた。山門とはだいぶ離れたところがバス停になっていて、そちら側からも会場に入れる。

会期は21日からだから、まだ始まっていない。お陰でバスは空いているし、花もゆっくり見ることができた。

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藤の花はまだ半分くらいの咲き方か。それより、牡丹の花が見事に咲いているのに目が行った。

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大輪の牡丹は美しい。牡丹の花は咲いているときは見事なのだが、咲き終わるとちょっと汚らしい。なかなか盛りに見るのは難しい。

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藤棚の下に立つと甘い匂いが馥郁と香る。ふじの甘い匂いは昨年の天王公園の藤で経験している。それまではこれほど香るものとはしらなかった。

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これは入り口付近の藤。いろいろな種類の藤がたくさんあり、広い公園になっている。メインの場所はこの先にある。

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これは長く垂れさがる種類。九尺藤などというからまだこれからもっと伸びるのか。

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こちらは棚ではない白い藤。

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鉢植えの藤。見れば分かるか。

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ここまで濃密に咲いていると、その匂いと色が共にシャワーのように降り注いで来て、くらくらする。

2016年4月21日 (木)

西丸震哉「山歩き 山暮らし」(中公文庫)

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 本格的な山には学生時代、二三回登ったことがあるだけだ。だから山登りの楽しさ面白さはほとんど知らない。しかしこの本には人の歩いてない未踏ルートや原野を行くという話が満載である。

 わたしは藪の中や暗がりは何が潜んでいるか分からないから恥ずかしながら少々怖い。ましてや独りで夜の山中に野営することなど出来ない。そういうことが平気な人もいるのだ。

 いくら金を積まれようが切羽詰まろうが、バンジージャンプやスカイダイビングが出来ない人もいるし、それを楽しむ人がいる。

 はるかなむかし、まだ野山がいまほど開けていない頃は、旅をするというのは、ときに人里ではないところで野宿をするのが当たり前だったのだろう。獣がそれを当然と思うように、人間もそうだったのかも知れない。文明化して、人のいるところだけをたどることが旅となって、人間は進化したのか何かを失ったのか。

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 山中の夜のキャンプで見上げる星空はどんなふうだろう。しいんと静かな無音の音を聞く気持ちはどんなふうだろう。以前、深夜に伊豆の山中で車を停めて、全くの闇の中で車の外に出て無音の音を聞き、星空を見上げたことがある。また、子どもたちとキャンプ場に泊まったとき、キャンプの喧噪が全く聞こえないところまで離れて、星を見上げたことがあった。

 星がこんなにもたくさんあるものか、と息を呑んだ。しかし、こんなものはひと晩を全くの孤独で山中で過ごしたときに感じる絶対的な孤独とは全く違うものであろう。わたしがしたのは疑似体験と言うにもささやかすぎる。孤独が自然との一体感にまでつながらなければ、体験にはならないだろう。意識があらたな広がりを獲得するような経験があるような気がするが、ついにそれを知ることなく終わりそうだ。

 ただそういうものがある、ということをこの本は教えてくれていると思う。

 この本の中で、旅は独りか、気心の知れた友人と行くべし、と著者は云う。パック旅行、団体旅行、宴会旅を非難する。大いに同感で、自分の精神が何かに感応するような体験が、一人旅だからこそ出来るのが旅の楽しみだと言うことを思い出させてくれる。

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 少し専門的(学術的)な山行の記述もあり、興味のない人には一部読みにくいかも知れないが、自分では決して体験することの出来ない経験を少しだけ味わうことが出来る。

 山登りはべつにして、少し長い一人旅に出たくなった。そのためにはいま抱えている懸案がある程度めどが立たないといけないが、はて、どうなるやら先が見えないのはつらいことだ。

 ところで大阪の親友が、合掌造り集落や円空仏を見に行きたい、といっていた。連休明けにでも都合の良いときに声を掛けてくれれば、いつでもつき合うつもりである。読んでくれているかな?

多度大社(2)

多度大社の続き。


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本殿からの参道の帰り道にて。

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咲き残りの椿の赤が鮮やかであった。

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筆塚。わたしは恐ろしく拙い字だが、筆で書を書きたい気持ちはある。そのために篆刻もしたい、などとも思っている。落款を押したいのだ。しかし今のところ思うだけ。

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秋の紅葉は見事だろう。

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一拳社は本殿とは別に、鳥居の近くの神明殿の裏にある。

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眼に霊験があるらしい。

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千手観音が祀られている。

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ガラス戸を開けてなかにはいれる。

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ガラス戸にはこんな張り紙が。

猿は見かけなかったが、鹿が二頭山の方に駆けこむのが見えた。

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階段下にこんな可愛いお地蔵さんがいた。

お千代保稲荷もこの多度大社も木曽三川に近い。

木曽川、長良川、揖斐川がほとんど接するように併流している。木曽川より東は愛知県、西側が岐阜県海津町、さらに西が三重県である。やがて長良川と揖斐川はひとつの川として合流し、海に注ぐ。

多度大社のある桑名へは、むかし名古屋の熱田から海路であった。だから伊勢参りも東海道も、船で行くことが多かったようだ。一宮から木曽川を渡り、中山道と合流して関ヶ原を越える道ももちろんたどることが出来る。

多度大社(1)

多度神社は天照大神の第三子、天津彦根命を祀る。


境内に多くの別宮、摂社、末社があり、総称して多度大社と呼ばれる。

五月初めに、若者が陣笠・上下姿で騎乗し、急坂を駆け上がる勇壮な上げ馬神事で知られる。

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白い神馬。幼稚園児たちが絵を描いていた。

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この神社にとって白い馬はただの神馬ではないようだ。

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本殿に向かう。多度山を背後にしているので、緑が多く、神域であるのを感じる。

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絵馬がびっしりと掛けられている。

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芭蕉塚。

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どれが句碑か分からない。

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招魂社。

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西南の役以後の大きな戦役の死者を弔う社らしい。

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美御前社。

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女性に霊験があるらしい。

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神明社、天照大神を祀っている。伊勢神宮は天照大神を祀っているはずで、この多度大社は言わば身内である。だから伊勢参りしたらこの多度大社にもお参りすることが多かったという。お参りしないと片参りになる、などというのは多度大社の宣伝によるものか。

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本殿。案外こじんまりしている。

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由緒書き。

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少し離れたところから。

このあともう少し周辺を歩く。


2016年4月20日 (水)

千代保稲荷神社

岐阜県海津市にある千代保稲荷神社は、地元ではお千代保稲荷(おちょぼいなり)と呼ばれている。伏見稲荷、豊川稲荷と並び、三大稲荷のひとつだそうだ。養老の滝から近い。


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正月の挨拶回りの途中で同僚と立ち寄ったことがある。そのあと、この辺りを通ったときにもう一度ゆっくりよろうと思ったら、場所がよく分からずに諦めた。

いまはナビがあるから大丈夫。道はかなりややこしい。たぶんナビは最短のコースをたどっているからであろう。ナビなしでふたたび来る自信はない。

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参道には店がたくさん並んでいる。人の数が少ないように見えるが、実際はけっこう人手があった。ここは商売の神様だから、お参りする人が多いのだ。

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大きな熊手も売られている。神社に奉納しても良いし、持ち帰っても良い。

この神社はおみくじやお札など、縁起物を一切販売しない。そのかわり縁起物は参道の店で売っている。さすがにお札やおみくじはないが。

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神様のお使いのキツネの石像がたくさん列んでいる。

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しっぽの違いはあるが、キツネは犬に似ていることが分かる。眼はキツネ目だけど。

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本殿に参拝する人たち。

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門前に売られているワラ紐で結ばれた油揚を奉納する。

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本殿の横に重軽石というのが置いてあった。けっこう重いらしい。やってみたかったけれど、実は左後ろにずらりと人が並んで待っているのだ。わたしがカメラを向けたので次の人がよけてくれた。待つほどのことでもないと思って、パス。

このあとは多度大社に向かう。こちらは三重県の桑名市になる。30キロあまりあるが、車なら知れている。


中沢正夫「[精神科医のノートから]他人の中のわたし」(ちくま文庫)

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 著者は分裂病(現在は統合失調症)治療の権威として知られる精神科医。その治療の過程で患者とその精神疾患に向き合い、悩んだこと、考えたことなどを文章にしている。それはまさに「人間とは哀しいものだ」(by会田雄次)という思いだろう。

 ところで、分裂病を統合失調症と言い換えることにどんな意味があるのだろう。精神の統合が損なわれ、分裂しているから分裂病なので、言い換えたことで却って病気の姿が見えにくくなった気がするがどうか。

 この本には分裂病の患者や、鬱病の患者など、精神疾患の患者の病像、それにかかわる家族の苦悩が具体的に描かれている。そこで医師は、ただひたすら患者や家族から話を聞くことに専念する。そこで見えてくるものは、患者の人生そのものである。しかしまず患者が医師に心を開かなければ、話を聞くことが出来ない。患者自身が医師と向かい合うこと、それは病と向かい合うための第一歩なのだが、その第一歩が始まらないこともあり、始まってもふたたび心を閉ざしてしまうこともある。

 患者や家族が悩むように、医師も苦悩するのがよく分かる。しかしこのような医師は、本当に精神科の医師の中の一握りではないか。この本にも、いまの医療制度では、個別の患者に多くの時間を割くことが出来ないことが、痛憤の思いで語られている。精神科の医師たちの多くは理想に燃えて医師になり、真摯に患者と向かい合おうとしたと思う。しかし現実はそれを許さない。

 いま精神疾患は投薬で重症化を防げるようになってきた。そのため、患者と向き合おうとせず、投薬の効果のみに目が行く若手の医師が増えてきたと聞く。患者は実は出口を求めている。その出口を指し示すのは薬ではなく医師であることが、この本を読めばよく分かる。

 病気は一般ではなく、個別である。人はそれぞれ違うし、その生きてきた人生も違うからである。治療もそれを考慮に入れなければ、患者の心に届かない。そのことをどれほどの医師が自覚しているのだろうか。

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 この本では知られざる精神疾患の真実を知る、という面もあるけれど、語られる患者の人生を通して、人間とは何か、を考えさせる面が大きいように思う。

 著者は椎名誠の不眠症の主治医であり、ときどき椎名誠の本に登場する。優れた医師はふところが深いのだ。深い思考とやさしさに満ちた好著である。この本を読んでいて徳永進氏(やはり医師で著作が多い)を思い出した。

2016年4月19日 (火)

養老の滝

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はるかむかしの奈良時代、美濃に親孝行の息子がいた。酒好きな父に十分な酒を飲ませたいと願いながら、貧しいために叶わずにいた。ある日山中で芳香をかぐ。そこに流れ落ちる水が、まるで酒のような匂いを放っていたのだ。その水を汲んで家へ帰り、父に飲ませると、こんなに美味い酒を飲んだことがない、と大いに喜んだ。


この話を聞いた元正天皇は、多度山に行幸し、この霊水を自ら試された。続日本紀には元正天皇のおことばとして、
「手や足を洗ったら、皮膚はつるつるになり、痛むところも治った。白髪は黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくかった目も明るくなった」と書かれている。

「この水は真に老を養う若返りの水である」と讃え、その年、霊亀三年を養老元年と改元した。

その霊水は、いま養老神社に流れているが、その源流が今回訪ねた養老の滝である。

Dsc_0014 滝への道の脇の渓流。

Dsc_0016 登り口の脇に咲く花

養老の滝への道は狭い。軽でもすれ違うのが困難だろう。たびたび言うが、私は狭い道が嫌いである。ところが滝が好きだと必然的に狭い道を走ることになる。困ったことである。

名古屋へ転勤してすぐの頃にこの養老の滝へ来たのだが、そのときはこんなに狭い道ではなかった気がする。そして、滝へ行くためにずいぶん山道を歩いた覚えがあるので、もっとずっと下の方に車を置いて登ったのかも知れない。

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滝の前に滝不動尊が祀られていた。滝の周囲にはだれもいない。

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滝へ行く途中の開けたところから、濃尾平野が一望出来た。

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山には咲き残りの桜が遠望出来た。

いつかまた来たいと思っていた養老の滝を再見出来た。
しかしもう一度来たいとは思わない、道がせまいから。

このあと二カ所ほど行きたいところがある。

こんなことを考えた(すみません、ちょっと長くなってしまいました)

 けんこう館様から拙ブログに、「(前略)全体・真相を見ないで、(細部にこだわり・引用者註)ヒステリックな反応をしていては、先がない」という意味のコメントをいただいた。

 それに対しての私の返事コメント。

「どんどん内申書重視になっていくのは、入試に対する負荷を減らす効果があると考えられてのことのようです。
 ここで生ずるのは、絶対評価ではなく、クラスや学校内での相対評価の価値観の重視です。そうなると、他の人を引きずり下ろすと、相対的に自分の価値が上がる、という思考にとらわれます。

 突然何を言うのか、とお思いでしょうが、誰かを非難することが自分の値打ちを上げる、と擦り込まれた人が、あらゆるところにその矛先を向けて、攻撃することにつながっていると思うからです。まともな人はそういう人を軽蔑しますが、まともでない人が普通になり、まともな人の反論を許さなくなりつつあるのが現代であるなら、嫌な世の中です。」

 いただいたコメントに対して、思いつきで書き出したので、文中にあるように唐突な話が繰り広げられているように見えるかも知れない。少し補足したい。

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 私が「お客様は神様です」ということばを毛嫌いするのは、在職中営業という役割に従事してきて、そこでときに理不尽な人に出会ったことが理由かも知れない。そんな人は滅多にいないのだが、絶対的な正義を振りかざすので、一人だけでもかなりやっかいである。そういう人は同業たちからも鼻つまみの担当者とみられていたが、ご当人は全くお気付きでない。

 また唐突な話になった。書いている本人もどこへ行くか分からない。うまくおさまればよいが。

 クレームは大事にしなければならない、という。クレームのなかに本質的な問題が隠れていることがしばしばあり、それに対処することで、会社として大きな改善が得られることが多いからだ。しかし、クレームを付ける人のなかに、本気で自分が「神様」だと思い込んでいる人がいる。

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 そもそも現代は、人間はみな平等である。クレームを付ける人もそれを受け付ける人も対等である。クレームを受ける方がへりくだって受け答えし、反論しないのは、ただただ功利的な理由による。それを嵩にかかり、罵倒し、自分の損なわれた利益をはるかに超えたものを要求し、無理難題を言うクレーマーは、神様ではなく悪魔のようである。社会にはなんの益もなく、感情的なしこりだけが残る。

 学校に異常なクレームを付けるモンスターペアレンツの話を見聞きするに付け、この「お客様は神様です」の三波春夫の声が聞こえる。

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 平等ではあっても、人間は千差万別であるように、子供も千差万別で、その能力もそれぞれ違う。それは体重や身長、容貌が違うように、違う。ところが、現代の神話として「子供はちゃんと教育を受ければ、みなおなじように一流大学に受かる」、「成績が悪いのは備わった能力の問題ではなく、教育などの環境の問題である」が信じられている。

 「ビリギャル」という映画がうけるのも、そういう神話のなせるものであろう。もちろん能力があっても、努力なしによい成績が取れないのは自明なことで、能力があって努力しない者と、そこそこの能力しかないがよく努力する者とでは、後者が必ず勝利することは、「ウサギとカメ」の話を持ち出すまでもないことであろう。ビリギャルは努力すればそういう結果が出る、というもので、能力がないものが勝利する、というものではないはずだ(なにせ観ていないので)。そもそも努力出来る、というのは最大の能力なのだから。

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 そんなことがあやふやになった学校教育の現場で、点数主義が否定されている。点数をもって生徒を序列づけてはならない、という理由から、いままで以上に内申書重視に移行しつつある。点数はおおむねテストの結果であるから、教師の偏見は入りにくい。しかし、内申書となれば、偏見の入り込む可能性は増大する。私も小学生のときは特定の教師と相性が極端に悪い時期もあり、テストのときはそこそこなのに、通知表はかなりひどい成績を付けられた。さいわい親はこちらを信じて、通知表を見て笑っていたので心強かったが。 

 そもそも点数による評価を否定する心性にこそ、点数主義が隠れている。点数はたまたまある教科の知識を習得したかどうかの結果を見るためのものである。だから点数の評価が、その生徒の全人格を評価する、などということではないので、それをさも平等主義に反するが如き言い方で否定するのは、点数が生徒の人格を評価する、と見ているからにほかならない。

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 ますますどこへ向かうか、わけが分からなくなってきた。

 すでに重視されてきた内申書的な評価は相対的である(そもそも通知表の評価はクラスのなかでの本人の位置づけ的側面が大きい)。数が限定されている集団のなかの相対的な評価が定常化するとどうなるか。自分の立ち位置を上げるための努力に要するエネルギーよりも、他人を引きずり下ろすために必要なエネルギーの方がしばしばはるかに少なくてすみ、容易である(この言い方、内田樹老師の本で読んだような・・・)。

 このテクニックと生き方を生徒は長年にわたって学校で学ぶ。身についたその思考は、社会ではたいてい通用しない。評価は相対的な面もあるが、同時に絶対的な評価があるのが普通である。なにせ集団が学校よりはるかに大きいからだ。

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 そこでたいていの人間は自分の思考に修正を加えるが、それが出来ない人間がいる。だから他人を非難し、なんとか引きずり下ろそうとする。民進党の揚げ足取りの姿勢に、その実例が見える。自民党安倍政権を非難すれば、自分たちの立ち位置が上がる、と確信しているのがよく見えるではないか(私だって安倍政権が全部正しいなどとは思っていないが、少なくとも安倍首相は、何をしようとしているのかよく分かる。しかし民進党は日本をどうしたいのかさっぱりわからない)。

 シールズのラップ踊りにうんざりするのも、彼らの主張そのものよりも、その自己陶酔的な正義感の故である。マスコミが、権力の暴走や、腐敗に対してメスを揮うのは、役割として当然である。ところが、しばしば枝葉末節としか見えないあら探しには辟易する。読者聴取者の知りたいという要望に応えている、というのなら、日本人は悲しいことに、そのようなのぞき趣味者が多い国民となりはてたのか。

 なんとなくおさまりかけてきたぞ。

 他人のあら探しをして、正義の味方を自認し、シュプレヒコールと共に叫ぶ人たちに、身体に染みついた、その他人を引きずり下ろせば自分が上がる、という思考が働いている、というのが私の結論である。

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 蛇足だが、韓国の反日にはまさに日本と韓国という限られたなかでの相対主義が見えるではないか。しかし韓国がいくら日本をこき下ろしたところで、韓国の地位が上がるわけではない。韓国がここまで成長し、発展出来たのは、そんなやり方などせずに、しっかりと日本に追いつき追い越せと努力した多くの人たちがいたからにほかならない。

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 これでけんこう館さんの「--ヒステリックな反応をしていては先がない」ということばに対する私のコメントの、思考の流れが多少は説明がついたであろうか。やはり無理か。

 長文乱文多謝

 お慰みに写真を添えましたが、本分とは関係ありません。

2016年4月18日 (月)

セーフ

 午前中は定期検診。糖尿病外来は月曜日なので、いつも病院は混雑する。それがどうしたことか、今日はガラガラ。何か病院に悪い噂でも立ったのだろうか。しかし帰りがけにはいつもどおりの混み方だったので、たまたま朝がすいていた(風呂や映画館みたいだけれど、病院にもこういう言い方で良いのだろうか)ということらしい。

 4月で年度替わりのせいか、外来診察の医師が半数以上入れ替わっている。私の担当も、美人女医さんから男の先生になった。ようやく顔なじみになったのに残念なことである。さいわい新しい先生は小柄で親しみやすそうな人だったので安心した。私はけっこう人見知りするのだ。

 患者が多数いるから、それぞれの患者のカルテなどそんなに丁寧に読む時間はないであろう。そう思って、現在の様子といままでの経過を二分間ほどでざっとまとめて説明した。先生はにっこり笑って「よく分かりました、順調のようですね」と言った。心配した血糖値は多少前回より悪いけれど、正常範囲であり、安心した。

 薬局ではいつものように時間を食ったが、それでもずいぶん早めに帰宅することが出来た。腹が減っているから帰りの足どりは軽い。 

さあ、今晩は飲むぞ!(自分に課したルールで、昼は原則として飲まない)。一週間近く禁酒していたのだ、美味しいにちがいない。

レオポール・ショボ(山本夏彦訳)「年を歴た鰐の話」(文藝春秋)

 山本夏彦をご存じだろうか。ブログを始めた頃、長年集めたこの人の本を読み返していたので、時々取り上げたような記憶がある。熱烈なファンがいて、その人たちが「欲しい!」と熱望してきたのが、この「年を歴た鰐の話」という本である。

Dsc_8977 上が箱

 戦前出版されたこの本は、山本夏彦が初めて世に出た本で、ずいぶん売れたらしい。戦後すぐに再版された。この本の巻末に吉行淳之介が、その戦後再版された本を手に入れて所蔵していることを嬉しそうに、そしてやや自慢げに書いている気持ちがよく分かる。

 その後入手を熱望する人が多いので、山本夏彦に再版要請をしたが頑として聞き入れなかった。2002年に山本夏彦は87歳で死去。私の持っているのは平成15年出版のものだから、死の翌年である。遺族が再版を認めたのであろう。夫人は山本夏彦より先に旅立っているからご子息が認めたものと思われる。ご子息は山本夏彦の遺作の編集などにも関わっている。

 山本夏彦は名随筆家、というよりも名コラムニスト、という方が良いかも知れない。内田百閒同様、文章をとことん彫琢し、短い文章に思いを凝縮した。文意は一見飛躍する。その飛躍のあいだの書かれていないところを読者が補うことで、山本夏彦と読者の心がつながる快感こそ、この人のコラムを読む楽しみなのである。

 だからその文章を読む力のない人が時に誤解し、差別主義者である、などと非難した。東京都が文化賞を授与する、と決めて本人にも通知しながら、女性議員などがそれに反対して強引にそれを撤回させたこともあった。女性蔑視の文書を書いている、というのが理由であった。山本夏彦は意図的に誤読を想定している皮肉屋なところがあるのが分からないのだ。愚かなことである。

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 この「年を歴た鰐の話」は右ページが文章、左ページが著者(ショヴォ)の描いた絵になっている。だから絵本なのであるが、子供向け、というわけではない。他に「のこぎり鮫とトンカチざめ」「なめくぢ犬と天文學者」の二篇をあわせ、全部で三作の話がおさめられている。

 内容は残酷なのだが、それがたんたんと書かれている。目くじらを立てる人もいるかもしれないが、そのような人は決してこんな本を買わないし、そもそも存在を知らないだろう。

 私の持っているこの本もそれほどの部数出版されたとも思えないし、私も探し続けていたから気が付いて購入したので、店頭で見ることはまずない。だからこの本を持っていることは喜びであり、自慢であるのでこのような文章になっている。久しぶりに読み返した。

 山本夏彦の随筆は多数文庫に収められているので、書店でいつでも手に入る。興味をお持ち下さったら是非お読みいただくとよろしい。さて楽しめますかどうか。私の母は、内田百閒はお気に召したが、山本夏彦はあまりお気に入りではなかった。

2016年4月17日 (日)

会田雄次「新選 日本人の忘れもの」(PHP)

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 昭和52年(1977)出版の「表の論理・裏の論理」、昭和55年(1980)出版の「逆説の論理」、昭和47年(1972)出版の「日本人の忘れもの」の三冊から抜粋し、一冊にした本である。

 会田雄次といえば、ビルマのラングーン(現在のミャンマーのヤンゴン)にあったイギリス軍統治の捕虜収容所での経験をもとに、西洋文明の本質とは何かを考えぬいて書いた「アーロン収容所」で知られる。この本を若いときに読んで、文化の違い、人間の違いというものについてずいぶん考えさせられた。

 常に著者の根底にはそれがある。それと、こちらの本にしばしば念を押すように書かれているのは「人間とは哀しいものだ」ということばである。過去の日本人にはごく当たり前に理解出来るこのことが、西洋人には不思議な思考にしか見えないのではないか、と著者は云う。しかもその「人間とは哀しいものだ」という思いを、今の日本人は失いつつあるのではないか、という嘆きのようなものが読み取れる。

 たぶん中国や韓国でもそのような「人間とは哀しいものだ」という思考は希薄であるように感じる。

 正しいか正しくないか、という論議が喧しい。しかし物事には半分正しくて半分正しくないこともあるし、ほとんど正しくないけれど、少しだけ正しいこともある。それは人間が全く正しい人と、全くの悪人がいることなどないのと同じで、当たり前のことなのに、それが見えなくなっている。

 池波正太郎が鬼の平蔵の口から、人は悪事ばかりしていても、ときに思わず善行をしたりするものだ、と語らせる言葉にも表れていて、その意味は私などには即座に理解出来る。自分が不実な人間であることを知っている。不実であることを知っていれば、どうにかそう見えないように実を込めようと意識するものだ。

 いま、民進党などが昔の社会党とおなじように、何でも反対、といっている。安倍政権の政策に不満なところもあるけれど、この点は賛成だ、という冷静な、是々非々の論議を行おうとしているように見えない。安倍首相は悪者だから、すべて否定する、という姿勢である。まるで毒を吐く怪物であるかのようにあしざまに言う。

 その、自分は正義だから相手は悪、という物言いにはうんざりしている。谷沢栄一が「正義の味方の嘘八百」という本を書いていて、その怒りはよく分かった。なにさまのつもりなのか、と言う物言いが、代議士ばかりでなく、マスコミでも頻繁に聞かれるのは嘆かわしい。そう書いている私も同様か。

 なぜそうなるのか、それがこの本に著者流に解析されている。一部釈然としないこともあるが、それは書かれた時期と現代との時代差によるものかも知れない。現代はこの本が書かれたときよりも、より嘆かわしい状況なのだろうか。

女性をバカにする?

 ネットに提供されているニュースのなかに、朝日新聞デジタルニュースがある。天声人語や社説もあるのだが、残念なことに数行だけの提供の場合が多い。実際には数ページ分なので、残りは有料でどうぞ、というわけである。わずかな金額なので、購読出来るのだが、多少偏見があり、わざわざ金を出したい新聞ではないので、標題だけ見ている。

 4月16日(土)7:00配信の「(社説)震度7の熊本地震--大地の警告に耳をすまそう」というのはちょっと気になった。内容を見ていないけれど、この見出しだと、この社説の主は大地の声を聞く能力があるらしい。残念ながら私は聞く能力がないし、大方の人にもそのような能力がないであろう。このような超能力の持ち主は、ぜひ気象庁の地震対策班に招聘すべきであろう。

 揚げ足取りはこれまでにするが、しばしば神がかったり、上から目線の見出しが見られて、またか、と思うことが多いのが朝日新聞だ。金を出さないので内容を見ていないから、もうしわけないけれど・・・。

 そんな具体例を探そうと、ニュースを二、三日さかのぼって眺めていたが、地震関連のニュースが多くて、さすがに上から目線のものは見当たらない。探すときにはないものだ。ただ、朝日新聞はほかのものよりネットや個人の意見のような個別のものを取り上げて、「」付きの見出しが多いような気がした。たったひとつの意見を全体の代表のようにしているようで気になる。

 そうしたら見逃していたこんな内容の記事を見かけた。

 自民党の赤枝恒雄衆議院議員が「親に言われて仕方なく進学しても、女の子はキャバクラに行く」
と発言したことを、民進党の青柳陽一郎議員が、国会の地域改革整備法案の質疑の場で取り上げ、
「どのような趣旨か分からないが、あまりに女性をバカにした発言である(自民党議員の)このような劣化には数のおごりがある」とただした。

 この赤枝氏の発言は、貧困対策推進を協議する超党派の議員連盟でのものだと注釈がある。

 たしかにこの赤枝氏の発言は、そのような場で発言するような内容とは思われないので、劣化と言われても仕方がないが(実際に菅官房長官はこのことに対して苦言を呈している)、しかしこの発言をもって「女性をバカにしている」と決めつける方もどうかと思うし、それをそのまま取り上げて、自民党は女性の敵(そこまで言っているわけではないが)、であるかのように朝日新聞は読者に思わせようというのか。

 いやいや進学した女の子が、みんなそろってキャバクラに行くとは思えない(まさか)。ただ、親の気持ちになれば、せっかく進学させたのに、娘にキャバクラ勤めをされれば、情けない思いをするのがふつうだろう。そんな気持ちを込めてこの発言になった、と感じる。キャバクラを賤業である、と言うわけには行かないから、女性をバカにした、という言い方になっているが、察するにキャバクラは賤業であると考えてことを、自民党の赤枝氏も民進党の青柳氏も認めていることが分かるではないか。赤枝氏はそのような女の子を否定的に言い、それが女性蔑視だと非難する青柳氏は、何が言いたいのかよく分からない。結論はキャバクラはバカにされる職業だと言うことか?妄言多謝

2016年4月16日 (土)

宗教の管理

Dsc_0071 中国のお寺・人出は多いが観光だろう

 中国では仏教ブームだそうである。人間は強い人ばかりではないから、弱肉強食の世界に耐えられず、宗教に救いを求める人もいるだろう。ほんのわずかな割合でも、中国は全体数が多いから、ブーム、などと言われるのだろうが、そもそもは共産主義と宗教は相容れないはずだ。もちろん中国が共産主義国であるというのは、この思想を確立したマルクスから見たら、噴飯物であろうが一応そういうことになっている。

 なぜ相容れないのか、それは共産主義というのも一つの宗教だから、とわたしなどは思っている。そもそも宗教は心の問題である。いくら禁止しても、止められるものではない。

Dsc_0077 見よ!この世界観

 ところが中国政府はチベット仏教や、内モンゴル自治区のラマ教を徹底的に排斥し、僧侶たちを弾圧してきた。多くの僧侶は殺され、寺院は破壊された。もちろん新疆ウイグル自治区のイスラムに対しても同様である。徹底的なな管理の下に置かれている寺院と、それを受け入れた僧侶だけが、許されて活動している。恐怖と暴力で管理しているのである。

 思い出すのは、あの気功集団に対する弾圧である。中国政府は、集団行動をとったということでかれらを咎め、多くの人が牢に送られ、教団は解体された。ほとんど日本の切支丹弾圧に近い様相だった。

 いま中国は仏教ブームだという。これがとことん管理されたなかでのブームであることは当然であろう。不満の解消にいささかでも宗教が寄与するという読みでもあるのだろうか。そうであるからかろうじて許されているのかも知れない。

 近代では、太平天国の乱や白蓮教徒の反乱に見る如く、民衆を糾合して、国を倒すエネルギーのもとになったのは宗教である。それを知りながら、宗教を許さざるを得ない中国政府の恐怖はいかばかりであろうか。

今回が本震

 今朝起きて驚いた。熊本で再び大きな地震があり、その地震は阪神淡路大地震に匹敵するほどのもので、こちらが本震だろうという。明るくなって報道ヘリなどによって現地の様子が映されているが、今後その被害がさらに次々と明らかになると思われる。まさか前回の地震が、実は今回の地震の前震だったなどとはだれも考えなかったことだろう。

11042_134 南阿蘇村から阿蘇大橋を望む。阿蘇と熊本を結ぶ橋だ。この近くの宿に二度ほど泊まった。

 被害に遭われた方は大変お気の毒でお見舞い申し上げたい。大きな地震での経験を踏まえ、政府や地元の自治体は迅速で的確な対応を取ることと信じる。たぶん今回もボランティアが活躍すると思う。

1306_24 牡鹿半島・大震災の傷跡

 いつも思うのは、このような大災害のときの日本人の冷静な態度である。パニックになることなく、事態をじっと耐えている。これは、必ず自分たちは助けてもらえる、と確信しているからだろう。政府などに対する信頼があるからに間違いないのだが、政府は悪者であると言い続けているマスコミや進歩的文化人は、地震が収まったあとに、ここに問題がある、あそこに不手際があった、と言いつのるだろう。人の不幸に便乗した物言いで不快である。

 海外の大災害では、ほとんど自力で切り抜けなければならないことが多いように見受けられる。救援物資の配布のためのインフラそのものが壊滅しているから仕方がないとはいえ、そもそもその配布そのものがなかったり、たとえあってもそれが被災者によって奪い合いになり、一番弱いものが後回しになっていることだろうと心が痛む。次に何時手に入るか分からなければ、奪い合いも宜なるかな、とは思うが、哀しいことである。

 曽野綾子が、日本人はもう少し自力での準備をして、譲れるものは譲れ、ひとに差し上げられるものは差し上げろ、配布されたものにつまらない不平不満を言うな、というのは、海外と日本の違いを踏まえた物言いで、当然のことを言っているだけなのだが、それを弱者に冷たい、と非難するものがいるのは情けない。

 今回のような大きな地震がこれほどの回数で起きる、というのは過去聞いたことがない。だからこれから何が起こるか分からないし、これは熊本に限ることではない。今朝は阿蘇山を挟んで、北東部に当たる大分でも中程度の地震が発生しているようだ。余震が飛び火しているのだろう。心配である。

 こういうときはこんなこともあるのではないか、あんなことも起こるのではないか、と憶測が思い浮かぶが、いまはそれを語るのは控えるべきだろう。起こったあとで、だから私が言っただろう、と自慢したいだけのための物言いは、デマに通じるだけで、悪意はなくとも社会に悪影響が大きい。
 パニック小説を時々読む私としては、想像を働かせると次々に妄想がわき、話したくなるが、胸に留めて我慢している。

2016年4月15日 (金)

ヘッセ(高橋健二訳)「シッダールタ」(新潮文庫)

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 高校生だったか中学生の頃か、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ。たぶん推奨図書として学校で薦められたのであろう。いたく感激して、そのあとヘッセの作品をいろいろ読んだ。世界文学の作家の本などあまり読んでいない方だけれど、ヘッセは読みやすいので、新潮文庫で当時出ていた10冊ほどはすべて読み、いまも大事にとってある。いまどきの若者はヘッセを読むのだろうか。

 この「シッダールタ」も読んだはずなのだが、何十年ぶりかに読み直したら、ほとんど忘れているので、全く初見の如しである。

 ゴータマ・シッダールタ、すなわち仏教の創始者、ブッダ(仏陀)のことである。ドイツの作家が、そのシッダールタのことを書いて、仏教とは何か、仏陀が解脱したということはどういうことか、悟りとは何かを彼なりに考えぬいた。

 不思議な本である。シッダールタは覚醒者(悟った人)ゴータマ・ブッダと邂逅する。ここではシッダールタはブッダではない。シッダールタはほとんどゴータマと同じ境地に達しながら、自ら俗世間に入っていく。そして金持ちになり、有名な遊女と懇ろになり、愛欲にまみれる。歓極まったあと、その空しさに気が付き、再び人里を離れ、人里に行くために渡った川の渡し守に再会して、二人で暮らすことになる。

 渡し守ヴァズデーヴァは無口で、相手の話をひたすら真摯に聞く聖人である。彼に語ることでシッダールタは思索を深める。ヴァズデーヴァは、ひたすら川を見よ、と言う。川はひたすら変化するが不変に流れ続け、しかもその水はおなじものではなく、しかもすべてがつながっている。このことは生命、物質、いやこの世のあらゆるものに通じることなのだ。そのことの真の意味が分かるかどうか、それが悟りなのかも知れないが、それが悟りだ、と感じた瞬間にそれは悟りではなくなる。

11041_407 国東半島磨崖仏

 シッダールタの友人ゴーヴィンタは、共に出家したのだが、シッダールタと別れてゴータマのもとに残り、修行を続ける。そのゴーヴィンタがふたたびみたびシッダールタと出会い、彼の到った境地とは何かを語り合ううちに、ついにシッダールタが悟ったことを知る。

 本当に不思議な話である。煩悩を離れ、輪廻の輪から解脱することについて理解しながら、再び煩悩の世界を体験し尽くす、というこの話は、ヘッセにとって、観念だけでは世界を認識することにはならないのではないか、体験を通してこそ世界は初めてその実相を見せ、自我とはなにかが解るのではないか、と言いたいようである。 

 ほとんど見逃しそうだが、文中に何回か「神」ということばが見られる。仏教の前身ともいう、バラモンの世界の神々をさしているとも言えるが、唯一絶対神の匂いがして、ここにヘッセの精神の根柢に張り付いたキリスト教的なものが浮かび上がって見えたのは、私の読み違いか。ヘッセもそれを排除しきれなかったのではないかなどと勝手読みした。

 全くこの本ともブッダとも関係ないけれど、私がもっとも好きなSF小説は、光瀬龍「百億の昼と千億の夜」である。この本の話はいくら話しても話し足りないほどなのだが、この本にはプラトンやシッダールタやアシュラやキリストなどが登場する!宇宙の根源的な生成滅亡の謎に言及するという、とにかく壮大な話しである。とにかくものすごく面白い。萩尾望都さんが漫画にしている。それも持っていたのだが見当たらないのが残念。他の漫画本と一緒に処分したのだろう。そういえば杉浦日向子さんの「百物語」や滝田ゆうの「寺島町奇譚」までないのはなんたることか。

 蛇足ながら、シッダールタつながりでつい連想した。

料理と酒

Dsc_4457 酒と肴・津和野にて

 魚谷常吉氏の和談を集めた「味覚法楽」という本を読んでいる。このなかに料理と酒について書かれているところがあるので抜粋する。

 まず肴と酒の関係を見ると、だいたいこれを二つに分類できると思う。すなわち、第一は酒のための肴、第二は食物をうまく食うだめの酒である。

 第一は酒徒というよりは酒豪に多いので、酒量の多いほど肴を要しないので、ひどいのになると沢庵一切れに酒五合だの、ウニ一舐め二合などというのがある。その反面、食いもしないのに肴を数多く卓上に陳列しなければ承知出来ない連中もある。これらはいずれも珍味を喜ぶもので、味の方面からいうと酒の味を出す辛い系統のもの、あるいは酒を傷つけないような淡泊なものを賞し、濃厚な肴を排斥するのが普通である。量は少ないほど喜び、もし多量に供すると、俺は牛や豚じゃないと放言する。

 第二のうまく食うために酒を用いる手は、案外料理に小言の多い連中で、端本等に美味いものを選ばなければならない。しかも量は少なくとも良いから、種類の多いのを喜ぶものである。 

 これらの両者を酒の立場から見ると、第一の連中は概して辛口を、第二は甘口の酒を喜ぶように思われ、酒の質からいえば、肴の要らぬ連中はいかなる酒でも辛抱はするが、陳列組は、上等の酒でなくては承知出来ないいたって小言の多い連中に多い。第二の組は、酒の質はもちろん上等のものを求めるが、まず料理相応で辛抱する。したがって上等の料理の場合は、必ず上等の酒を要求するようである。これは上等の料理は概してその味が薄いので、くせのない、やわらかい酒がよく調和するので、自然に生まれた現象だと思える。

 最後に、鯨飲鯨食組は動物に近いので、これは問題外にしてさしつかえないと思う。


 どうも私は動物並みらしい。

 そう言えば縁のあった人たちに、酒豪がけっこういた。その人たちの多くが、つまみを一つだけ頼んで、それを置いておくだけで五合、ときには一升呑む。新潟や東北に多い。相手が目上だったり、客である場合は、動物並みの当方としては、一人だけ肴をならべるわけにもいかず、哀しかったものである。

おまけ、津和野のうずめ飯。器は萩焼か。

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2016年4月14日 (木)

河野友美「『料理の雑学』ものしり事典」(三笠書房・知的生き方文庫)

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 同じ食材が美味しかったりそうでなかったりするのは理由がある。魯山人ではないけれど、お米の炊き方一つでも、ご飯の味が全く変わることは料理を少しでもしたことのある人ならわかる話だ。先日tsuyamaちかよさんのブログ「丸ちゃん」の『美味しいご飯の炊き方』を拝見して、お米の研ぎ方について知ることが出来た。

 お米を研ぐのは、表面にある米ぬか(古くなると増えるらしいが)を落とすためであることを承知していたが、私は念入りに、しかも力任せに研いで、何度も良く洗っていた。しかしもっと優しく研いでも大丈夫、その方が良い、ということであった。

 この本にも米の表面のぬかは、簡単に洗うだけでかなりが流され、さらに軽く研ぐだけでほとんどが取れてしまうという。あまり力任せにするとお米自身が摺れていくだけのことで、完全に透明になるまで洗う必要はないと書かれている。

 さらに水加減や研いだあとのお米への水の含ませ方でもずいぶん炊きあがりが違う。水加減はもっともお米の味を左右するものであることが詳しく説明されている。そんな話が2~3ページに一つずつ、たくさん収められている。

 だし、塩などの調味料の加減、どんなタイミングで加えるか、などをはじめ、いろいろの疑問点が、多少の科学的な検証を添えて説明されている。料理は経験であるが、最低限の基礎知識は持たないと、美味しいものを作るのは難しい。

 よんどころない事情で二十年以上自炊を続けてきたけれど、知らなかったことのあまりに多いことに驚いている。とはいえ料理のレパートリーはそれほど多くないし、いまさらあらたに増やすつもりもないから、今後多少の修正をするための参考ということにしようと思っている。

 本当に料理というものは奥が深いものだ。これを楽しむというのも大いにありなのだが、ともすれば食に淫して糖尿病になった身としては、知識だけにしておこうと自戒している。

 食べもののことを書いた本を一山積んであって、少しずつ読んでいる。そのなかに、しばしば皮の旨さについて書かれていて共感することが多い。脂の乗った鯖の味噌煮の皮の黄金色に輝いているのなど、見ているだけでよだれが出そうだ(この年でちょっと恥ずかしい)。

 魚が嫌いな人がいる。よほど不味い魚に出会ってそれが嗜好の欠陥につながっているのだろう。可哀想なことである。魚が好きだけれど、皮は苦手、などという人がいる。私はそういう人が好きだ。親しければ、その皮がちょうだい出来るからだ。

 弟がそのくちで、子供の頃、鯖の味噌煮のときはしっぽ側をよろこび、しかも皮は私にくれる。腹の方が好きな私には都合がいいし、皮も手に入るのだ。善い弟である。ところがライバルが現れた。私以上に魚食いの妹である。幼いときは良かったが、だんだん私とうまいところを奪い合うようになった。だから腹の部分は二つあるから二人で分け合えるものの、弟の皮を私がひとり占めするのは横暴である、と不満を漏らすようになった。可愛い妹であるが、これは譲れない。しかし末っ子は引き下がらないものだ。

 ついには交替で弟の皮(鯖の皮ですよ!)をいただくことになった。可愛いけれど、たまに憎い妹になった。いまではその弟も、鯖の味噌煮の皮を「旨い」というようになっている。もちろん旨いと言っているものを、むりやり分けてもらうつもりもないから「そうだろう」と、鷹揚に構えている。

 鯛の皮、フグの皮、アンコウの皮、等々、旨い魚の皮が次々に目に浮かぶ。最近読み始めた本(魚谷常吉「味覚法楽」)によると、高級蒲鉾に肉を取って残ったハモの皮を焼き、骨を丁寧に抜き取り、鋏で細く刻み、鯛の皮なますとおなじようにしたハモの皮なますは、初夏から酷暑にかけての関西の総菜に用いられる旨い肴だ、という。

 そもそも関東生まれの関東育ち、ハモの旨さを知らないし、食習慣にないから、このハモの皮なますなど、どんな旨さなのか想像出来ない。出来ないけれど、それでもなんとなく旨そうだなあ、と皮好きは思うのである。

 鶏の皮も安くて美味いものだ。でもきりがないから、それはそれでまた別に書くことにする。

2016年4月13日 (水)

宮崎正弘「『中国大恐慌』以後の世界と日本」(徳間書店)

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 先日読んだこの著者の「中国、大失速 日本、大激動」が2月28日に出版されたもので、そして今回読んだ本が3月31付けで出版されたもの。同じことを書いているわけではないから、単純に時間経過による変化を読み取るというわけにはいかない。それより、どうしても著者の世界を見る眼を繰り返し読むことになってしまう。

 とはいえ、当然こちらの本の方に、今年に入ってからもたらされたニュースが多いから、その分析には新しい視点も見られる。

 現在伝えられているニュースや中国当局の発表する経済指標によれば、中国の経済状態は小康状態に見える。激減しつつあった保有外貨の減少は三月はプラスに転じ、経済収支も改善され、悲観的に報じられてきた2016年のGDPの伸び率の見通しも、やや上方修正された。元安も株安も止まり、安定している。物価も懸念されていたような上がり方はしていない。不動産も都市部では下落が止まり、再び需要が回復している。

 これらのニュースは本当だろうか。本当かも知れない。しかし、中国は情報を自分の都合で隠したり明らかにしているから、検証のしようがない。発表された統計数字を見て、そこから、楽観的に見る見方も出来るし(中国はそれを期待している)、それぞれの統計値の矛盾をつき合わせて、実態をもっと悪いもの、と悲観的に捉えることも出来る。

 なぜ矛盾が生ずるのか、それが誤差から生ずるものをはるかに超えていれば・・・、当然統計に故意のウソがある、と推計されるのだが、まさか、と思うお人好しもいまだに多いようだ。しかし、それを見抜いて中国マネーを虎視眈々と狙っているハイエナ、いやハゲタカたちがいる。そのハゲタカたちの洩らすことばに実は真実が見えてくることもある。そのこともこの本には言及されている。

 前作でも言及したが、著者は中国ウォッチャーだが、中国だけを見ているわけではない。中国を見るためには、中国を取り巻く世界を見なければならないことを教えてくれる。著者は世界中を飛び回り、世界のパワーバランスがどうなっているのか、世界がどう動いているのか、それにどう中国が関わっているのか、そこから中国の世界戦略を読み解こうとしている。

 結論から言えば、習近平は世界戦略を誤っている。そのことのツケが今回りつつある。無尽蔵とも言える保有外貨を背景に、世界中に金をばらまくような外交を続けてきたが、それが次々に不良債権化しつつある。すでにリビアやベネズエラではひどい火傷を負ったが、著者はそれ以上の焦げ付きが続々と発生すると予測する。

 海外ニュースを注意してみていくと、この予測を裏付けるニュースが散見され始めている。アフリカで、南米で、カナダで、オーストラリアで、そしてインドネシアで・・・。インドネシアの高速鉄道は、中国が受注したけれど、全く進展していない。あり得ない短期間での完工を約束しているが、遅れれば遅れるほど達成は不可能になっていく。そもそもインドネシア(というよりジョコ大統領は)は、国家予算をつぎ込まずに工事をすることが出来ることを是として中国に決めたのだが、中国側は今になってインドネシア政府に債務負担を持ちかけているという。

 あとになって、相手が引っ込みがつかなくなったら、約束を平気で覆すのは中国のお家芸だ。契約、という観念が希薄だから、約束を破ることが悪いことだ、という意識は全くない。国際的なルールを守らなければならないという常識が欠如した国柄なのである。このごろ、世界は習近平主席のお陰で、ようやくそのことに気が付きだしたようだ。いまだに中国に幻想を抱いているのはイギリスとドイツくらい、フランスもようやく気がつき始めたようだ。

 この本の中で私が注目したのは、山内昌之「中東複合危機から第三次世界大戦へ」という本を取り上げ、コーカサス地方に発生している民族紛争が、世界を戦争の危機に引き込む恐れに言及していることだ。私も含めて日本人にはこのことの意味は分かりにくく、唐突に見えるかも知れないが、ロシアとトルコの代理戦争のようなこの紛争が、どれほど危機的か、ヨーロッパの国々は恐ろしいほどよく分かっていることのようだ。ここに武器を供給しているのはもちろんロシアだが、同時に中国も深く関わっている節がある。

 さらにイランとサウジアラビアとの確執が危機につながるおそれもある。

 世界は今までとは大きく変わって、激変しつつあるのかもしれない。このきっかけがアメリカのオバマ大統領の失策にあるとも言えるし、必然だったと言えるかも知れない。ただ、結果から見ればアメリカは出来ることをしなかった、と歴史に残される気がする。それなのにアメリカは、あの大統領選挙のお粗末なありさまである。

 中国が経済的な危機に陥るのか、それを回避出来るのか、今まさに剣が峰にある。そしてその危機が現実になったとき、国内の不満のエネルギーを逸らすため、意外に強行手段に出る、ということは、当然あり得ることとして考慮しておかなければならない。ラップで反戦音頭を踊っているときではないのだ。

 中国は北朝鮮の死命を制する鍵を握っている。これは私の妄想だが、中国経済危機が深刻になったら、それから眼を逸らすために、北朝鮮を追い込んで、暴発させることも可能なのだ。いま北朝鮮は中国から完全に干し上げられれば、かなりの確率で暴発するのではないか。そのあとどうなるか、など中国は知ったことではないだろう。

 ますます踊っている場合ではない。

ブログの楽しみと舞台裏

 ブログをせっせと更新しているからといって、四六時中ブログを書いているわけではない。

 思いついたことをメモ帳に書いておく。読み終わった本を机の横に積んでおく。それぞれ自分の頭の中でなんとなく形になりかけたような気がしたときに、それを文章として吐き出してみる。メモは、しばしばなぜそのメモをしたのか分からなくなっているが、書き出すと思い出すこともある。このごろは時々文章の形でものを考えたりしている。

 そうして一気にいくつかのブログを書いてしまう。読んだ本の話ならたいてい二、三冊一度に書く。ひとつ原稿用紙で2~4枚分くらい、これは一太郎で下書きするから、そこに表示されるので分かる。下書きするのはずいぶん昔から自分のスタイルの一太郎の書式で書くようにしてきたので、慣れていて書きやすく、読みやすいのだ。誤字などのチェックには、読みやすくないと見落としが多くなる。そこからブログにコピペするのだけれど、あとになってブログで見直したときに、見逃した間違いに気が付くことも多くてがっかりする。

 なかなか自分の文章は他人の目では見れないもので、自分の考えどおりにしか読めないものだ。人の文章のアラにはすぐ気が付くのに・・・。

 写真の多い旅の話は、直接ブログに書き込む。文章そのものはたいした量にならないし、その方が簡便だし、リアルタイムに書くことも多いからだ。

 ひとつ10分からよほど長くて30分で書く。二つか三つ、一度に書くことが多いから、約一時間は集中する。書いたものを適当に時間を指定しておくと、定期的にブログを更新しているように見える、というわけである。

 だから気分が乗らないときは、一日何も書かないときもある。でもすぐ在庫がなくなるので、けっこうせわしいことはせわしい。しかしそれをほとんど習慣にしているうちに、この日課が自分の生活の必要なリズムに繰り込まれていて、それなりに楽しくなっている。

 それが重荷になったら少し休むことも考えているが、今のところ大丈夫である。それに、不思議なことに文章というのは書き始めると勝手に湧いて出てくるもので、あとで書いたものを見て、へえ、自分はこんなことを考えていたのか、などと感心することもある。それに書きながら考えると、表面的だった自分の考えが少しだけ深化したような気もする。下手な考え休むに似たり、というけれど、なにも考えないよりはいいと自己満足している。

 その自己満足も、アクセスをしてくれているひとがいるからでもある。だれも読んでくれなければ、ここまでせっせと書く気持ちは持続しない。以前息子に、目線をもう少し下げた方が良いという意味の苦言をもらった。たしかに当初は上から目線で、少しえらそうだったような気がする。今も本質的に変わっていないのだろうけれど、少しはその辺を意識しているから、ことばがエスカレートしそうなときは、自重するときもある(それでもか、といわれそうだが)。

 他の人のブログもほぼ毎日読むようにしている。今は二十人ほどの方に限定しているが、意見はさまざまで、ときに同意出来かねるものもあるけれど、それはお互い様で、みなセンスがあり、それぞれの人の生き方がほの見えて、継続して読み続けると短編集やエッセイ集を読んでいるような思いがする。

 日記には、人に絶対読ませないつもりで書くものと、人が読むことを想定して書くものとがあるという。ブログは、人に読んでもらうことを前提にした日記でもある。いずれにしても日記の第一読者は自分である。自分で書いたものをおもしろがれるうちは、ブログを楽しみたいと思う。でもせっかくだから、たくさん読んでもらいたい気持ちももちろんある。

2016年4月12日 (火)

シェイクスピア(木下順二訳)「マクベス」(岩波文庫)

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 魔女裁判がもっとも盛んに行われたのは、まさにシェイクスピアの時代である。そして「マクベス」と言えば、のっけから三人の魔女が登場し、マクベスをそそのかすことでこの悲劇が始まるのである。

 池内紀「悪魔の話」を読んで、「マクベス」を連想するのもちょっと変だが、たまたまいつか読もうと積んである本の一冊だったこと、先日「人間ぎらい」という戯曲を読んで、戯曲を楽しむ、というのもありだと思ったし、魔女が大事な役割で登場するのも興味深い。

 目的があると案外すらすら読めるもので、ようやく持っていただけの本が日の目を見た。

 「マクベス」はシェイクスピアの四大悲劇の一つで、「ハムレット」、「オセロー」、「リア王」につづいて、最後に書かれたものだそうだ。

 マクベスは魔女たちの予言で、自分が王になりたいという密かな願望がかなえられると思い込む。それにしても自分を引き立て、人望もあり、恩のあるダンカン王を暗殺することには逡巡がある。

 しかしその魔女の予言を妻のマクベス夫人に伝えたことで、強くけしかけられて、ついに暗殺を実行する。さらに秘密が漏れないように、魔女の予言を共に聞いた親友のバンクォーに刺客を送る。

 ついに王になったマクベスは、しかし人望を失っており、反乱者が続出する。不安から再び魔女に自分の未来を問う。そして「バーナムの森が動かないかぎり安泰である」という託宣を受ける。

 ラストの有名なクライマックスは、そのバーナムの森が動くシーンである。

 舞台は11世紀のスコットランドであり、まだ魔女裁判は猖獗を極めていたときではない。とはいえこれが書かれた16世紀から17世紀にかけての、シェイクスピア全盛のときは、まさに魔女裁判がもっとも盛んなときであった。しかしこのマクベスにはその影があまり感じられない。 

 それらのことも含めて、巻末に「『マクベス』を読む」という、訳者の木下順二がこの戯曲の構造解析をしている文章が付けられている。表面だけ読んでいたけれど、このような深読みを絵解きして見せてもらうと、さらに興味深い。名作と言われるだけの奥行きがあるのを知った。

夢を見た

 あけがた夢を見た。世界を旅しているらしい。それも列車での旅のようである。断片的でつながりがないが、目覚める前には、アフリカやサウジアラビアなどの中近東を列車で旅している。

 はっきりと記憶しているのは、サウジアラビアの砂漠のなかを走る列車の彼方に、突然青い海が見えたことだ。やがて列車は海岸沿いを走る。波は思いのほか高くうねり、そして砂浜に突然大量のアザラシ(オットセイではないと思う)が,寝そべったりうごめいたりしているのを見た。

 よく見ると高くうねる波のまにまに、やはりたくさんのアザラシがいる。波に翻弄されているばかりで、泳いでいるとは見えないほどだ。

 写真を撮ろうと車窓にカメラを向けると、誰かが前にいて邪魔になる。立ち位置を変えるのだが、どうしてもその人物のシルエットが映り込んでしまう。

 どうしよう、と思いながら目が覚めた。

2016年4月11日 (月)

池内紀(おさむ)「悪魔の話」(講談社学術文庫)

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 著者はドイツ文学者でエッセイスト。

 日本では幽霊と妖怪、中国では鬼と妖怪、西洋ではゴーストと悪魔であろうか。それぞれ文化が違うからその分類などは大きく違う。中国の志怪小説を楽しんでいるうちに、柳田國男の妖怪話に魅せられ、今度はつい西洋の悪魔の話の本に手を出した。講談社学術文庫にはこんな本もあるから楽しい。

 日本の幽霊も、中国の鬼も、西洋のゴーストも、そもそももとは人間であるから、ここではおいておく。では西洋の悪魔とは何か。

 悪魔は神様が作ったものらしいが、そもそも神様が完璧であれば、悪魔が生まれるはずもなく、この世に悪がはびこるのもおかしなことなのであるが、完璧ではない人間には神の真意は分かりようがない。ただ、いろいろと想像するだけである。

 悪とは「欠乏、欠陥、弱さ、不均衡、過誤であり、無目的で、美しくなく、生気がなく、賢くなく、道理を欠き、不完全で、非現実的で、理由がなく、不確実で、不毛で、無力で、無秩序で、首尾一貫せず、不明確で、暗く、実質を欠き、どんな存在をも決して所有しない」と、シリアの修道士ディオニュシウウスが言ったそうだ。

 なんだか悪というのは人間そのものみたいだ。

 悪魔が悪いのは生まれつきのことではない。それがどうして悪となったのか?

 自らの自由意志を自由に用いて善でないもの、存在しないものを求めたからだ。非存在へと向かうにしたがい、善であり、存在であり、実存である神から離れ、空虚に近づく。

 そもそも悪魔はそれほど複雑な存在ではなかったようだ。それが神との関係で、その存在理由を突き詰めていくうちに、次第に高度化していき、奇怪な姿がイメージされていった。さらに魔女が創造され、魔女裁判、異端審問が大真面目に行われ、信じられないほど多数の人びとが、魔女やその手先として残虐に殺された。

 あのゲーテの「ファウスト」にはベースとなるファウスト博士が存在し、いくつかの伝説が残されている。そこに登場する悪魔メフィストフェレスに悪魔の一つの典型を見ることができる。

 映画では、悪魔が登場するものがいくつもある。嫌いではないので、ずいぶんたくさん観た。ちょっと思い出しただけでも「エンゼル・ハート」(デ・ニーロとミッキーローク)、「エクソシスト」、「オーメン」、「ローズマリーの赤ちゃん」(ミア・ファロー)、「ディアブロ」(キアヌ・リーヴスとアル・パチーノ)、「コンスタンティン」(キアヌ・リーヴス)、「エンド・オブ・デイズ」(アーノルド・シュワルツェネッガー)などが思い浮かぶ。他にもたくさん浮かんでいるが、題名がすぐに出てこない。 

 どうも私の悪魔のイメージは映画にだいぶ影響されているようだ。しかし西洋人が恐れるようには、日本人である私は怖さを感じない。そもそも西洋の神様を信じていないから、悪魔も怖いと思えない。それより日本の幽霊映画の方がずっと怖い。

 悪魔というとドイツロマン派のホフマンの書いた「悪魔の美酒」という不思議な小説が思い出される。奇々怪々な物語なのだが、大昔に図書館で借りて読んだきりで、その後手に入らないままである。どうも最近はドイツロマン派ははやりではないようだ。河出書房の世界文学全集はいくつもの種類が出ているが、その中のグリーン版という廉価版の全集に、この「悪魔の美酒」がおさめられていたはずなので、いつか古本屋で探そうと思っている。

 悪魔学、というのがあるらしく、ずいぶん大部の本も出ているが、そこまで詳しく知りたいとは思わない。この「悪魔の話」で充分西洋の悪魔について概観出来る。悪魔のことが知りたい、というより、悪魔を創造した西洋の中世とはどういう時代だったのか、その辺に興味が湧いてきたが、あまり手を広げてもきりがない。

 ところでこの本は、1991年に原本が出版され、2013年にこの文庫に収められるにあたり、「ニーチェの妹」という補遺を付け加えてある。

 ニーチェの遺稿集「権力への意志」が、ヒトラーの、そしてナチスのバイブルであったことはよく知られているが、それがどういうものでどのように編纂されたのか、本来はどういうものだったのか、意外な事実が明らかにされている。

 ここでニーチェの妹エリザベートの、ニーチェを崇拝する強い思いが、どれほど世界に災厄をもたらしたのか。

 これをもってエリザベートが魔女であった、とみなすことも出来るし、彼女こそ悪魔にそそのかされたのであって、あのホロコーストというものが悪魔の仕業であったとも考えられるのだ。悪魔は存在する、としか言いようのない事件はいまも次々に起こり続けている。それは人間の「不完全さ」の故なのか、それとも悪魔にそそのかされた結果なのか。

話を聴かない

 テレビで、コメンテーターが意見を言っている最中に、言葉を差し挟む人がしばしば見受けられる。たしかに自分の意見ばかりを滔々と述べていて、放送時間を独占してしまうが如きコメンテーターもいるから、口を挟みたくなる気持ちが分からないこともないときもある。しかし、じっと他の人の話を聴いたあとで、自分の意見を語りだした人の、肝心のところで、平然と腰を折るような割り込み方をする者がいる。

 自分の語りたいことだけを語り、人の話を聴く気がないとしか思えない。そのような人を見て私などは不快感を感じるが、それを不快と感じない人も多いから、ふたたびみたび番組に呼ばれるのだろう。

 世の中が、自己主張を良いこととして強めていく風潮は、今まで日本や日本人が、自己主張を抑制してきたことの反動なのかも知れない。沈黙よりも自己主張が美徳とみなされる時代になったのか。黙っているのをいいことに、あることないこといわれ放題に言われ続けていた、という気持ちの反発が、このような風潮につながっているのだろうか。

 団塊の世代のしっぽにつながる者として、正義の名による自己主張の嵐を見聞きし、その場に居たこともある。政治活動のようなものはしなかったけれど、それらの人と対峙したことは少なからずあった。学生寮に暮らし、オルグ活動(情宣活動である)にやってくる人々と言い合いをした。教条主義を毛嫌いする敬愛する先輩のもと、寮を防衛しようとしたのだ。

 こちらのお粗末な論理でもなんとか追い返せたのは、先方は地方の駅弁大学の寮など、本気で攻略しようとしていたわけではなかったからか。どちらにしても、やって来たのがみなたいした知識のない低レベルの連中だったことが幸いであった。下手したらこちらも取り込まれかねなかったのだから。

 そんなときでも、真摯に思いを伝えれば、相手はこちらの話を聴く耳を持っていた。だから互いが違う思想の持ち主であるけれども、敬意を持って遇するに足る者である、という点で了解出来、感情的、暴力的にならずに別れることが出来た。

 今、テレビで見ている世界は、私にとって驚くべき世界である。もともとそうなので、驚くにあたらないのかも知れないけれど、人と人とが互いに相手の言い分を全く聞こうとしなくなったように見える。

 これでは交渉など成立しないのではないか。交渉は利害の反する者どおしの自己主張の場である。しかしそこに妥協点をさぐる、つまり妥協点があること、それを求めようと思うことにおいてだけは最初からの一致点、出発点であることが了解されている。

 さらに交渉によって決まったことは(互いがよほどの理由が無い限り)それを遵守することも了解されている。

 人間はそうして数々の危機をなんとかくぐり抜けてきた。その人間の知恵があみ出した危機回避の方法のひとつが民主主義だと思う。だから意見の対立があっても、最終的には多数決で決めて、決まったことには従う、というルールを了解したのである。

 そしてもうひとつが、代議制、というシステムである。各個人がすべて参加してものを決めるのは、物理的にロスが大きいから、優れているとみなす代表者を選び、その代表者たちに物事を判断し、決めてもらう、という方法を採用しているのである。

 書いているうちに話がだんだん拡大したが、民主主義というものはそういうもので、相手の言い分を聴くことが前提である。

 社会主義の国が、相手の言い分を聴かない社会であることは、北朝鮮や中国のニュースを見ていれば、だれにでも分かることだろう。ところがテレビを見れば自分の言いたいことだけを言い、相手の言葉を遮り、話を聴かないという場面をしばしば見せられる。

 甚だしい場合は、司会者自らがそのようである。

 これが私が不快を感じる、という所以である。

 司会者の隣の女性が、ときに相手の話を聞いた上で、全く話を聞いていなかったとしか思えない、自分の考えをもとにしたことばを挟むことがあり、これも不快だが、これは不勉強により、擦り込まれた自分の知識内でしか考えられない愚かさの故であるから、なんとか我慢することにしている。

2016年4月10日 (日)

河野友美「食味往来 食べものの道」(中公文庫)

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 往来とは人の行き来のことでありその道のことで、食味往来とは、食材の往来よりも、特に味の往来にこの本が着目していることを示している。

 過去の味は、形で残らない。だから現在残っている味から類推するしかない。それをたどることで味がどのように伝わったのか、それを見ていく。その伝わった道は、ある一つの道であることもあるし、いくつかの分岐をしていたり、もともと別の道のこともある。

 基本的に日本国内に限定された考察であるが、それでも多岐にわたっているから、それぞれの調査追求は浅いのは仕方がない。ややあっさりしすぎているかも知れない。それでもある地方の味の分布のまだらさはとても興味深いのではないか。

 地図上ではいくら近くても、峠があって昔は越えがたかった場所が、トンネルで簡単に行き来出来るようになっていたりすると、その断絶が見えにくくなっている。ところがそこに食べものの歴然とした違いがあることで、過去が見える。また海を通路とすると、はるか離れたところが共通の味を持っていることもしばしばある。しかし現在の陸上交通の便利さが、その違いを失わせつつあることも事実である。 

 この本が最初に出版されたのは1987年、文庫に収録されたのは1990年で、この本が書かれたときよりも、さらに地域の味の違いの消滅が進んでいることだろう。

 この本で取り上げられている食はたくさんあるが、例えば、昆布、醤油、すし、ちまき、ソバなど。食に興味のある人なら、その意味が分かるだろう。

 個別の話では、京都の芋棒と山形の芋煮(これについて語り出せば止まらなくなる)の関係についての話などはとても興味深い。また「うずみ」という料理(といわれるほどのものではないが)についての考察も面白い。私の好きな津和野で去年食べた「うずめ飯」がそのひとつであり、広島と島根周辺の食べものであって、それがどう伝統料理として残されたかが考察されている。さらに出雲ソバと出石のソバの関係、更級系との違いなど、ソバ好きには興味のあるところだろう。

 この中で、個人的には「ちまき」について思うところがあった。ちまきにはあんの入っているものとそうでないもの、細く巻いたものとおむすび状に熊笹で巻いたもの、餅状のもの(餅米をついたものだけではなく、粉から蒸したものも含む)と餅米をそのまま包んで蒸したものなど、いろいろな種類がある。

 もともとちまきは中国からの伝来であるとされており、屈原を鎮魂するための供え物が発祥と言われる(異説もある)。上海の近くの嘉興(チアシン)というところのサービスエリアで食べたちまきは、餅米の五目ご飯をおむすび状に熊笹で巻いたもので、ねっとりとねばりがあってとても美味しいものだった(蝿がものすごくて往生したが)。

 父の妹である山形県の新庄の叔母が、私が子供の頃は毎年端午の節句に合わせて、ちまきときな粉、そして私の大好きなくぢら餅などを箱一杯送ってくれた。笹にくるまれたこのちまきを蒸して、きな粉をつけて食べる。このきな粉が黄色というより緑がかっていて、とても香ばしくて美味しいのだ。蒸されたちまきはねっとりとねばりがあり、笹の香りもする。忘れられない味だ。くぢら餅については以前ブログに書いた。新庄の名物で、黒砂糖が入った甘い餅で、見た目が鯨肉に見えることからこう呼ばれる。クルミなどが入っていたりすることもある。甘いから硬くなりにくく、ちょっとあぶれば、さらに甘みが増して美味しい。ただあぶるとき、焼き網にべたべたと張り付くのに往生するけれど。

 あちこち出かけているので、ここに書かれた料理について、そうそう、とうなずくもの、そうだったかなあ、と思うもの、今度行ったら食べてみよう、土産に買ってこよう、というものがいろいろあった。旅の楽しみは食べものの楽しみであり、そこに独特の食べものは記憶を強化する。食べものに対する好奇心が多少弱ってきたことが少し哀しい。

中国の変化の兆し

 今月8日から、中国は海外旅行から帰国する個人の持ち込み品の関税を引き上げた。それによると、今まで品物により10%~50%の四段階だったものを、15%~60%の三段階に変更する。例えば、家電は従来20%だったが、30%となり、高級時計やゴルフ用品は、30%から60%となる。酒や化粧品も50%から60%に引き上げられる。

Dsc_0073 上海万博前の、スクラップ&ビルド中の上海

 税関では一人5000元(約8万円)以下は免税、ということになっていたが、それを超えていても、いままで厳格に適用されたことはほとんどない。ところが、これからはそれが適用されることになるだろう、と噂されている。すでに高額品の爆買いは次第に減り始めている、と言われているが、関税強化がどのように影響するか、つまり爆買いが突然なくなってしまうか、注目される。

 これは宮崎正弘氏の著書などからの情報だが、中国の外貨準備高は額面上よりずっと少なくなって、危機的状況ではないか、という。

 昨年初め頃には3兆6000億ドルとも7000億ドルとも言われていたが、昨年12月には3兆3300億ドルに、そして今年の2月末で3兆2023億ドルと推計されている。つまり毎月1000億ドル(月々11兆円!)ずつ減少している。それでも3兆ドル以上あるではないか、と思うなかれ。

 アメリカのGFI(ワシントンのシンクタンク)の調査では、過去十年間に中国から不正に流れ出した外貨は3兆800億ドルだという。本当なら、中国の外貨は底をつきかけていることになるではないか。

 ところが中国政府の3月の発表では外貨準備高は久しぶりに増加したと言う。ダンピング輸出をして世界から顰蹙を買い、輸出が激減しているのに、どうして外貨が増えるのか。あり得ないことである。

 そして関税の強化の発表。

 あり得ないことを発表せざるを得ず、しかも関税を強化して、外貨の流出を止めようとする動きが関係していることは明らかではないか。

 つまり爆買いが突然終わる可能性がある。これは本当に爆買いが終わるかどうか、それによって中国の深刻度が見て取れるということでもある。

 パナマ文書の中国関連だけひろい集めて統計を取ると、中国の対外純資産(5兆ドルといわれる)の中身も、実は・・・ということになるかも知れない。経済通で知られる李克強首相がこのごろ冷静さを欠いている理由は、これであろう。

 同情すべきは、彼は国営企業の構造改善をしなければ、中国が大変な事態になることをよく承知していて、それに取り組む意欲満々だったのに、すべての権限を習近平に奪われ、ことごとく提案が退けられたことだ。そして取り返しのつかない事態になってから、自分にその責任がかぶせられそうになっていることで、あの全人代での異常な脂汗、言い間違い連発につながっているのではないか。冷静さを欠くのは当然である。

 責任を人にかぶせたからといって、中国の事態が好転することはあり得ない。とすると、習近平はどうするのか。自分を毛沢東のように偶像化し、文化大革命のような事態を画策しかねない。ちゃぶ台返しみたいなものだ。なんだかそういう危ないこと、中国人にとって不幸なことになりそうである。

 杞憂ならよいのだけれど。

旅番組

 自分で出かけるには時間も懐も限度があるので、テレビで旅番組を見るのが好きだ。テレビの番組表を見ていると、旅番組がたくさんある。旅先でロケをしているのに出会ったことも何度かある。ただ、あまりかしこくなさそうなタレントが、ワアワアキャアキャア言いながら、旅をしているのかおバカを見せているのか分からないような番組は願い下げである。番組を見て、ここに行きたい、とか、ここは行った、たしかにこのようだった、というように、心がときめくような、そんな番組が好きである(たいていの旅番組好きの人がそうだろうけれど)。

 今週放送されたものを録画していた番組を二つ見た。ひとつは、不定期放送の、田川陽介と蛭子能収、そしてマドンナ一人の、路線バスの旅。好きな番組のひとつで、今回のマドンナはさとう珠緒、山形県の米沢から、下北半島の大間崎への三泊四日でのチャレンジである。この春のものではなくて再放送らしい。

1208_123 米沢・上杉公園

152 十和田湖

168 奥入瀬

 これは難しいぞ、と思った通りのハードな旅であった。あそこでこうすれば良かった、ということは、あとから分かることで、そのときには分からない。私ならこうする、と思うコースも浮かぶが、はたしてそれが正解となるかどうかも、やってみなければわからない。とにかく私が学生時代過ごした米沢を起点に、まず山形県を北上し、秋田県に入り、角館から田沢湖、さらに十和田湖から青森県へ、というのは、私の大好きなコースで、距離感やかかる時間の見当はつくのだ。

 だから、見ていて自分がそこをたどっているような気になってしまう。それにしても、ぶっつけ本番の路線バスの旅は本当にハードだろうと思う。それだけ面白い。結果は内緒。

 もうひとつはたびたび取り上げている「鉄道・絶景の旅」で、今回は北海道の稚内から九州の枕崎まで、全長3000キロを行くスペシャルである。いつものように峠恵子さんのナレーションが快調。スペシャルのときには、しばしば不要なゲストを使って、たいていぶちこわしになるが、今回はゲストなしでテンポが良い。

 ここで「現存12天守」ということばを初めて知った。旅の途中でそのうちのいくつかを訪ねていた。

 ネットで調べたら、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12天守がそれである。江戸時代以前に建てられて、改築などをしていても、原形を何らかの形で残しているものを指すようだ。

1202_27 犬山城

 私はこのうち半分、六つの天守に登っている。

1309_22 松本城

 こんなことを知ると、残りに全部行ってみたくなるではないか。四国は高知城しか登っていない。また行かなければ。

 たびごころがうづきますなあ。とりあえずいつでもいけたのに行かずにいる福井県の丸岡城に近々行ってみようか。これなら地道で日帰りすることが出来ないこともないし。

2016年4月 9日 (土)

安岡章太郎「歴史への感情旅行」(新潮文庫)

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 本物のプロの作家の奥行きの深さを思い知らされた。

 安岡章太郎は好きな作家である。好きだといいながら、岩波から出ている全集(全十巻)を六巻まで揃えて、残りはそのままになっている。その六巻も半分くらいしか読んでいない。全集は小説だけであり、小説でないエッセーなどの方がたくさん読んでいるかも知れない。

 この本で取り上げられている「歴史」は、史実に近いものもあるけれど、もっと血の通った、その血の温もりを感じるような「歴史」である。だから自分に関係のある人たちの、人生そのものが語られている文章も数多くある。師事していた井伏鱒二については繰り返しいろいろな思い出が語られていて、それだけで井伏鱒二が一人の人物として浮かび上がってくる。井伏鱒二を読み直さなければと思う。友人であり、盟友でもあった、いまは亡き吉行淳之介や遠藤周作について語ることばにも、その哀切な思いがにじみ出ていて、胸を打たれる。遠藤周作を読み直さなければと思う。

 ここに収められた文章や書評は、一つ一つに重みと篤い感情が込められていて、一つ一つについて自分(安岡章太郎ではなく私)が感じたことを、それぞれに掘り下げて語りたくなるけれど、それではこれからこの本を読む人の楽しみを奪うことになり、お節介が過ぎるだろう。

 安岡章太郎のルーツである高知の安岡家と、幕末の土佐の歴史について、ここにも断片的に書かれている。これらをまとめたものが「流離譚」という長編小説として結実していて、いつか読みたいと思いながらそのままである。土佐の自由民権運動と言えば板垣退助だが、その運動の顛末も一部この本(「歴史への感情旅行」)に言及されている。それは史実というより、口伝として残るような血の通った「歴史」である。そのことは、私が草莽についてこのごろ思うこと(長谷川伸の「相楽総三とその同志たち」の草莽の志士たちや、先日訪ねた最上郡の清川村の清河八郎たちの話など)に通じていてとてもよく分かる。安岡章太郎も、草莽、にこだわっている。

 いったい私は今まで何を読んできたのだろう。人生をどれほどムダにしたのだろう、と慚愧に堪えない。とはいえ物理的な時間には限度がある。それなのにあれもこれも読みたい、読まねばならぬ、と思わされた。少し馬力をかけなくてはいけないようだ。

 読書をたのしむのはこれからだ! 

面白いと思うのだけれど

 NHKのドラマ「精霊の守り人」は、私は面白いと思うのだけれど、視聴率が低いそうだ。日本では、ファンタジードラマは受け入れにくいのだろうか。もしこれがアニメなら、もう少し人気が出たのかも知れない。

 あえて難を言えば、私が多少耳が遠いせいか、台詞が聞き取りにくいような気がする。もともとファンタジーは、その世界観を受け入れて初めて面白くなる。台詞のなかにその世界の説明が含まれているから、その台詞が聞き取りにくいと世界観の理解も損なわれる。俳優のせいと言うより、音響に問題があるような気がしている。声がこもってしまっているし、背景の音楽とのバランスも悪いのではないか。これは、繰り返すが、私の耳のせいかもしれないが。

 特に藤原竜也の台詞が聞き取りにくい。なぜ帝が第二皇子を殺すほど憎むのか、その謎がその台詞に隠されているはずなのに、何を言っているのかよく聞こえないからイライラする。ふだんこの人の台詞が聞き取りにくいと言うことはない。いくら役柄として声を低くしているにしても、こんなに聞き取りにくいのは耳のせいばかりではないのではないか。しつこいけど。

 私は養老孟司先生ほどではないが、ファンタジーが好きなほうであるから、ドラマの世界観を受け入れようとする。だから分かりにくくても想像力を精一杯働かせてついて行けている。難点があっても一度はまればそれなりに面白い。残念ながら視聴率が低いのはついて行けない人が多いと言うことなのだろう。

 綾瀬はるかもいいと思うけれどなあ。いつも汚れて出てくるのが受けないのだろうか。役柄だからしようがないではないか。

 とにかくこのような異世界のドラマを見せるときは、その異世界がどうなっているのか、分かりやすくしなければならないし、回を追う毎に分からなかったことが、少しずつ分かりだしていくようにしなければならないだろう。観ている方がひとりでに知識を増やせたことによろこびを感じさせなければならないのだ。最悪なのは、台詞などで一気に説明しようとすることだ。どこの世界に、自分の世界の説明を口に出して滔々と説明する人間がいるというのだ。

 「精霊の守り人」は第一シーズンが四回で終わり、第二シーズンに引き継がれ、三年にわたって放送される大河ファンタジーだ。こういうドラマでは、登場人物の成長が、自分の子供の成長を見るようにうれしく見えたら成功なのだが、第一シーズンでそこまで視聴者を惹きつけることが出来るだろうか。

 途中から見たらなかなか世界観について行けないのがファンタジードラマだとすると、一度視聴率が下がればなかなか回復しないかも知れない。たしかに出来の悪いところを挙げると他にいくつもあるから、第二シーズンには工夫が必要ではないか。子供が楽しめているか、それを念頭に置いたら、どうしたら良いか分かるのではないか。今のままでは子供は見ない気がする。どちらにしても私は見るけど。

2016年4月 8日 (金)

モリエール(内藤濯訳)「人間ぎらい」(新潮文庫)

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 戯曲の面白さを知ったのは、ゲーテの「ファウスト」を読んでから、などというと格好いいのだが、覚えているのは読むのに苦労したことばかりで面白い、という境地にならなかった。それより山田太一や倉本聰のテレビドラマの脚本を読んでから、というのが本当のところだ。「北の国から」や「今朝の秋」など、実際にドラマを観て配役のイメージのあるものを脚本で読むと、再び頭の中で劇が動き出す面白さをそのとき初めて知った(そう言えば山田太一の「冬構え」というドラマが傑作として記憶に残っており、その脚本を読みたいと思っていた。今度それを探してみよう)。

 その話を始めると別の話になってしまうので、この本にもどす。

 私は本に書き込むのが嫌いなのだが、珍しくこの本には気にいったところに線が引かれている。よほど感じるものがあったのだろう。17世紀にフランスのモリエールによって書かれたこの喜劇を読む気になったのは、当時読んだいろいろな本に、この「人間ぎらい」という戯曲がしばしば取り上げられていたからだ。さいわい「ファウスト」と違い、文庫で100ページあまり、一気に読み切れる長さである。たまたま別の本を探していたら、この本が出て来た。ちょっと読み直していたらいつの間にか夢中になって読了してしまった。

 フランス社交界を舞台に、レトリックにあふれた会話が飛び交う。登場人物は、過剰に潔癖で正直を貫こうとする青年アルセストと、それをなんとかなだめて助ける友人フィラント、そのアルセストが熱烈に恋する美貌の未亡人セリメーヌ、そのセリメーヌに言い寄る俗物的な貴族の男たち。

 もちろんセリメーヌは手練手管で男を手玉に取るのが大好きな女なのだが、だからこそ純粋なアルセストは惹かれてしまう。

 社交界の会話だから慇懃で過剰な敬意と美辞麗句で飾られているのだが、云っている内容は辛辣の限りを尽くしている。実際にこんな物言いをしたら大変なことになるだろうけれど、それが喜劇である。

 そのレトリックとウソに翻弄されていくアルセストが、真剣であればあるほど滑稽で、間抜けに見えてくる。最後にある手違いからセリメーヌの本性が明らかになってしまうのだが、そのときアルセストがどのような態度を取ったか、それが観客にどう受け取られたか、興味のあるところだ。

 私はこのような会話を駆使して楽しむ能力も技も持ち合わせていないので、あっけにとられてしまう、と云うのが正直なところだ。「こういえばああいう」その巧妙さに、頭の回転がいいなあ、と単純に感心してしまうのだ。

 会話の一部を引用する。ここはアルセストと友人のフィラントの会話なので、レトリックは使われていない。


アルセスト
 けれどつまり、君の心配は無用だよ。考えてみろ、今度のことについて、君は何を言うことがあるのだ。君はあつかましくもぼくにむかって、いまの恐ろしい世相を大目に見ろとでもいうのか。

フィラント いや、君の言うことにはみんな賛成だよ。世間のことはなにもかも陰謀ばかりだ。欲得ずくめだ。今じゃ狡く立ちまわる者ばかりが、勝ちを占める世の中で、じっさい人間はなんとかならなければならないのだ。しかし、人間のやり口が公平でないから、君が社会から離れたいというのは、どうも我が意を得ないな。人間にそういう欠点があればこそ、我々はこの世の中に生きていて、我々の哲学を練る道が見出せるのだ。そしてまたそこに、人間道徳の立派な運用があるのだ。もし何事も正直ずくめで、だれも彼も率直で公明正大で従順だったら、美徳というものは、大部分無用なものになってしまうよ。なぜといって、こちらが正しい場合、他人の不正を気持ちよく堪え忍ぶのが美徳の美徳たるゆえんだからだ。そんなわけなんで、高遠な徳をそなえた人間は・・・

アルセスト いや、君の話はじつに立派だ。君はいつも滔々と立派な理屈をならべるよ。(以下略)

 二人の青年の性格の違いがよく分かるであろう。訳者の内藤氏が、あとがきに、良識についてベルクソンの「相手が変わればこちらも相手にふさわしい態度を変えて、相手と調子を合わすことを怠らぬ心のねばり」という言葉を引用している。つまりフィラントは良識を持つ人物として描かれている、ということである。

 それに対し、主人公のアルセストは一本気だが、良識を欠いている。世間知らずの純真さは、正義感の持ち主という見方も出来るが、悪く言えば自分だけが正しいという、雅量を持ち合わせない弱い性格とも言える。

 面白くて、やがて哀しい、これが喜劇の神髄なのであろうか。

 もうひとつの面白さは、セリメーヌという女性の絶妙な口舌なのだが、それを論ずるのは、そういう女性との会話経験の少ない私には荷が勝ちすぎる。良く読み込めば、人によっては言い逃れの参考になるであろう。もっと若い時に勉強しておけば良かった。

読書計画

 この前に書いた「終われない」というブログに、けんこう館様から、ストレスが伝わりましたよ、というコメントをいただいた。大変有難いことである。そのコメントへの返事に重なってしまうが、泣き言を少し書く。

 今回のストレスは当事者である相手本人ではなく、相手の親族の一方的な私への非難が原因である。その非難のなかには事実無根のこともあり、それは前回の調停で訂正することが出来たが、先方は自分たちが正義で私が悪である、という構図に終始している。

 それは、何が何でも金寄越せ、ということであるように聞こえる(邪推なのだろうけれど、いろいろな理由でそうとしか感じられないのだ)。離婚が可能なら、出来る範囲を少しくらい超えて犠牲を払ってもいい、と私に思わせているのは向こうの作戦勝ちかも知れない。弁護士からは最初に、信じられないくらいの修羅場がありますが、その覚悟がありますか、と念を押されていたが、まさかこれほどとは、というのが今の本当の気持ちである。

 こちらが犠牲を払う、ということは金銭的なことしかないので、そうなれば今後の人生計画の大きな変更が必要である。それらのことをつい考えて夜眠れなくなり、医者に精神安定剤を処方してもらったりしたのだ。面白いもので、安定剤があると思うと安心して眠れる。だからまだ一錠も飲んでいない。ただし飲み食いが増えているために体重のリバウンドが起きている。節制が効きにくくなっている。

 月に二十冊ほど、新しく本を買う。多くは文庫や新書で、ハードカバーは三分の一位だが、今後は半分以下にしなければならないだろう。そして遠方への旅もすこし控えなければならないと思っている。それだけで多少金が浮く。さいわい積んであるだけで読んでいない本はいくらでもあるし、もう一度読みたい本もいくらでもある(死ぬまでに読み切れないことは間違いない)。

 そういうわけで、棚や押し入れなどの本を掻き出して、五十冊ほどを選定し、いつも自分の座る横に積み上げた。だいたい月に二十冊あまりのペースで読むから、これから新しく買う本と合わせて、夏頃まではこれで足りるだろう。私にとって、一番精神の安定に効果があるのは、読書であることをあらためて感じている。

 ここから気が向いた本をとっかえひっかえ読んでいこうと思っている。それが「読書計画」という意味だ。どこが計画だ。

終われない

 今朝は昨晩とうって替わって青空であるが、吹き戻しの風がまだ吹いている。咲き残った桜もこれでほとんど散るだろう。ソメイヨシノは受粉しても結果しない(つまり種を残せない)、ある意味では哀しい植物である。人が挿し木して増やさなければ、けっして繁殖することが出来ないのだ。日本中、いや、世界中のソメイヨシノは、一番最初に作られたものと遺伝子が同じ、つまりすべてコピーであり、世代交代、ということがない。韓国がソメイヨシノは韓国が原産だ、というのはだから明らかな間違いである。ソメイヨシノは江戸時代に日本で継ぎ木などによって人工的に作られた突然変異種なのだから。このことは以前書いたからここまでとする。

 ブログでいろいろな桜の写真を拝見した。その種類の多いことにいまさらながら驚く。先日はテレビで台湾の桜を観た。植民地時代、日本人が台湾に桜を持ち込み(もちろん台湾にも固有種は沢山あるが)、たくさん桜を植えて花見をしたそうだ。戦後、植民地時代の記憶を嫌って多くの桜が切りたおされたという。桜には罪がないことを台湾の人々も感じていたのだろう、いつの間にか再び桜を増やすようになり、今では日本と同様に桜がたくさん植えられて、多くの人が花見をするようになった。ただ、温かいから花見のシーズンは二月らしい。赤みの色の強い寒緋桜などが多いようである。

 その台湾に、桜おじさんとして有名な園芸家がいて、桜の苗木を大量に生産している様子が紹介されていた。この人は台湾の山野の珍しい桜の木を保存し、繁殖させることにも努力してきた。さらに継ぎ木などで新しい品種の桜の作成にも熱心であるという。広い敷地にたくさんの苗木が植えられ、その手入れに朝から晩まで夢中のようであった。この人にとって、桜の手入れは仕事ではなく、心からの楽しみなのだろう、幸せな人であることが、育った桜を見上げる満面の笑みから見て取れた。こんな、桜に魅せられた人が日本にもいる。太平洋側から日本海まで桜を植え続けた人の話もある。みんな桜が好きなのだ。桜は人間に魔法をかける能力があるのかもしれない。

 昨日は弁護士事務所で担当の弁護士と打ち合わせ。五月の連休明け早々に家裁で離婚調停の結論を出すことになっていたが、先方が入院したという。どういう症状で、今後どのような見通しなのかほとんど何も知らせてこないのでまったく分からない。ただ、病院の契約者になってくれ、と言う申し入れだけが来ている。

 二十年以上別居状態なので、法律的な婚姻の解消を目指していた。離婚に同意してもらうために、こちらが提供出来るものについてもすでにまとめてあり、今回で結論を出すつもりだった。こちらが申し入れたことであり、ここで調停を打ち切って次の段階(裁判)に進むのは、こちらが不利になる場合があるかもしれない、と弁護士は言う。

 しかし先に延ばして何か進展があるのか。宙ぶらりんのストレスが自分を精神的に蝕んでいる。不利でも何でも事態を先に進める決断をする。ちょっとうんざりしている。そういうときは酒は飲まないことにしているのだが、昨日は発泡酒を一缶だけ飲んだ。

2016年4月 7日 (木)

宮崎正弘「中国、大失速 日本、大激動」(文芸社)

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 著者は、私が中国ウォッチャーとして一目置いており、その本による情報に注目している一人だ。中国に対して超辛口の批判をしているから、中国政府筋などは「妄言」を振りまく輩、とみなしているかも知れない。

 ところが不思議なことに、中国に頻繁に通い、人脈も官民多岐にわたっているのに、その彼の活動が中国側に咎められるようなことはあまりないようだ。それだけ巧妙なのか、当局も手を出さぬ方が得策、とあきらめているのか。

 彼の情報は非常に多岐にわたる。この本でももちろん中国がメインで論じられているが、それ以外に世界中を飛び回って表面に現れた事象をその眼で見て、世界のパワーバランスを読み解きながら、その背景と今後の展開を予測している。もちろん中国を軸にしてであるが。この本ではいままで以上に悲観的な中国の近未来が語られている。それはたぶんほぼその通りに推移する、とわたしは思っている。

 この本でもあまりに沢山のことが次々に語られているので、一つ一つが消化不良のまま置いていかれてしまう。思考のスピードがけた違いに速いのだ。こういう人にはかなわない。こちらはそれをながめながら、ザル頭がかろうじて拾うことが出来たものをもとに、世界はどうなっていくのだろう、などとぼんやり考えている。

 下手な考え休むに似たり、という勿れ。楽しんでいるのだから。

 この本は生ものなので、早めに読まないとおもしろさが減る。しかししばらく寝かせてから、結果と、この本の予測をつき合わせて見る、という楽しみ方も出来ないことはない。

 以前長谷川慶太郎の、毎年年末に出している次年度予測の本を15年分くらいまとめてあとで読み直したら、とても面白かった。

梅谷薫「ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人」(講談社+α新書)

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 表題に挙げられているような人の標的となり、この本に挙げられたような事態に遭遇したらと思うと本当に怖ろしい。実際にはこの本にあるほど極端ではないけれど、しばしばこのような加害者とよく似た人に出会うのが人間社会である。

 それを嫌い、そこから逃避するには人里離れたところで自活をするしかない。それが出来ないのであれば、出来る範囲で折り合い、あまりにも異常な場合は逃げ出せば良い。 

 ただ、相手がおかしい、と決めつけている自分こそおかしい、と人に見られているかも知れないから、なかなか難しい。自分のことは自分では分からないものだ。

 私は、しばしば正義を標榜する人を毛嫌いする。しかし当たり前だが正義を嫌い、悪を認めているわけではない。その正義の普遍性を疑っているだけだ。そもそも正義が絶対的なものであるはずがないので、時代により、社会状況により、その判別は大きく振れる。とはいえこれは「ほぼ」正しい、という正義がないと何を基準にしていいか分からなくなってしまう。それが倫理というものだろうか。

 自分の正義を相対化することがまったく出来ないで、自分が正しいのだから、相手は悪である、という決めつけこそ私の最も嫌いな「正義」である。だからそのような正義を旗印にする人たちにとっては、悪のレッテルを貼った安倍政権を攻撃非難することは正義の行動らしい。これでは中世の魔女裁判や異端審問みたいではないか。習近平とどう違うというのだ。安倍政権が、だから正しい、などと私はいっているわけではない。それではお互い様である。誤解しないで欲しい。

 怖いもの見たさで、ちょっとゆがんだ人たちの話を読む楽しみをこの本は教えてくれる。ああ、あの人みたいだ、などと心当たりのある人は著者のアドバイスを参考にされたらよろしいであろう。多少は精神的なストレスの解消につながるかも知れない。

 なんだか世の中にこういうおかしな人が増えているような気がする。それこそ朝日新聞を典型とする、弱者や被害者は正義である、というマスコミなどによって醸成された社会の風潮だろうか。

 だからみんな、自分が被害者だ、と訴える。世の中被害者とクレーマーだらけだ。三波春夫の「お客様は神様です」のことばが社会に及ぼした害毒は計り知れない。こうして被害者だらけになったために、本当に救済しなければならない弱者がなおざりにされ、犠牲になって初めてマスコミの話題になる。そんなことだらけだ。

 曽野綾子がしばしばそのようなマスコミや進歩的(!)文化人に罵倒を浴びるのは、彼女が、もう少し人それぞれが強くなり、自立しなければならない、と云うからであろう。彼女はアフリカをはじめ、世界の最下層の世界での人間の生活を見ているから、これほど豊かで恵まれた暮らしをしながら「私は被害者である」と訴える自称弱者に対して、世界を見なさい、と訴えているだけである。

 世界の貧しい人々が豊かになるほど、日本の豊かさは相対的に低下していくことは(たぶん)間違いない。アメリカやEUだってそうなっていくのは当たり前のことだ。

 これを取り上げて政府の経済政策の失敗だ、と喚く民進党など野党の人々は、世界の富が日本に集まって日本が豊かだったあの夢の時代を夢見ているのだろうか。彼らこそ、いまは豊かさよりも大事なものがある、と日本国民に価値観の転換を訴えるべきではないのか。それこそが革新ではないのか。どう見ても保守以上に保守的な主張に終始している彼らには存在意味がないと思っている。

 どうも書いているうちに本の話から大きく外れてきたようだ。しかし「ゆがんだ正義感」などというと、ついそのことを思ってしまうではないか。それとも私の方がゆがんでる?

2016年4月 6日 (水)

誰が乳母車を挟んだのか?

 地下鉄・東京メトロで、乳母車を挟んだまま車両を走らせてしまい、ホームの緊急ボタンを押したにもかかわらず、車掌が停止させなかったことが激しく非難されている。

 この場合、うろたえた新人車掌が、停止するべきだとの判断が出来なかったことの責任が問われているのは、ある意味で当然であろう。

 もし、この乳母車に赤ん坊が乗っていたら、などとテレビのコメンテーターは大げさに驚いて見せている。情報によれば経緯は以下の通りである。

 家族でこの地下鉄に乗ろうとして、赤ん坊を抱いた母親が、もう一人の子供の手を引いて、まず車両に乗り込んだ。それにつづいて父親がこの乳母車を押しながら乗り込もうとした。その時にドアが閉まり、結果的に車輪の片側だけが車内に入った状態で挟まれたまま、電車が発車した、という状況らしい。この時に乳母車の車軸だけがドアに挟まれた状態なので、ドアの異常センサーが感知出来なかったという。ドアは1.5センチ以上で感知するようになっていた。

 海外の電車ではない。日本の電車はしつこいほど危険を警告する。もうすぐ発車しますよ、と警告を繰り返し、発車のベルやブザーが鳴る。幼児か痴呆者に対するが如き親切さである。

 今回もそのようななかで、閉まりかけのドアに、家族であわてて乗り込んだものと私は推察する。子供は時に動作がのろいから、父親まで乗るのは明らかに無理、という状態で父親は乳母車を強引に押し込み、それでセンサーが働いて、ドアがもう一度開くことを期待したのではないか。万一挟まれても乳母車なら痛くはない。それが意に反してセンサーが働かなかったものと思われる。

 つい先日、やはり家族(顔が似ていたからそう思われる)四人が名鉄の名古屋駅で、そのように電車に乗り込む場面に遭遇した。発車のベルが鳴り響くなか、おばさんとおぢさんの二人がまず車内に駆けこんできた。続けてやはりおばさん二人が駆けこもうとして一人がドアに挟まれた。そのときには発車のベルはすでに鳴り止んでいたから、まさに無謀である。おぢさんが強引にドアに手をかけて開けようとしている。すぐドアが開いて、挟まれた女性は無事に車内に入ることができた。

 ホームの放送も車内放送も「無理な乗車は大変危険ですから絶対おやめ下さい」と注意をしていた。それを聞いた四人は照れ笑いを浮かべながら何やらお互いに言い訳している。しかし、周りの白い目の中で、自分たちが人に迷惑をかけているという思いはみじんも見られず、その照れ笑いは次第に、うまいことやった、という笑いに変わっていった。

 乳母車の話に戻る。誰が乳母車をドアに挟んだのか?この父親は、もしこれでドアが開き、自分が首尾良く乗り込むことが出来たら、妻や子に、どうだお父さんはなかなかのものだろう、と胸を張ったにちがいない。ところがいまは被害者あつかいである。いまに天罰が下るぞ。

 一方的な推察でものを言って申し訳ない。私の妄想である(ほとんど確信しているけれど)。みんな実は分かっているのでしょ。いつも見かける風景だもの。

輪島朝市

輪島の朝市に行った。目的はカメラバッグを買うこと。いま愛用しているバッグはこの輪島の朝市で買った。


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この茶色のバッグは、濾布のような高密度で分厚い生地を柿渋で染めたもので出来ている。

現在使用中のものを見てもらい、お店であれこれ出してもらって探したのだが、どうもイメージに合うものがない。いま使用中のものとおなじものもない。迷った時はとりあえずあきらめる、変に妥協すると、あとでどうしても好きになれずに買ったものに申し訳ないことになることが多いからだ。あとでやはり欲しい、となったらそのときこそ手に入れればいい。

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この日(3月31日)は冷たくて強い風が吹いていて、寒い日だったが、観光客がそこそこいた。

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魚を見るのは大好き。しかし最近釣りにほとんど行かなくなったので、自分で魚をさばくのが億劫になってしまった。だから見るだけ。

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写真の「えがらまんじゅう」を二つ購入。温かいのをすぐ食べる。黄色いのはクチナシで色づけしているそうだ。中にあんこが入っている。身体が温まる。

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この日は鮮魚より干物が多い。時期的にそうなのかも知れない。ムシガレイを酒の肴として購入。

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乾しダコを売っていたが、迷ったので買わず。水にもどし、細かく刻んで戻し汁ごとご飯と炊き込むと美味しい。知多のタコ飯は絶品なので、今度知多で乾しダコを買うことにしよう。

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朝市に近い駐車場は狭いところが多いので、少し離れるけれど、港の駐車場に車をおいた。目の前に輪島キリコ会館があるが、今回はパス。とにかく海風が冷たくて寒い。

駐車場は出る時に料金を支払うのだが、料金所に誰もいない。しばらく様子を見ていたが誰もやってこないので、仕方なくそのまま通過させてもらった。ごめんなさい。悪意はありません。

輪島はけっこう遠い。このまま一路自宅へ走った。帰り道は自動車道路を走った。

また今度、能登を丁寧に一周するつもりである。そう言えば昨日の会食で友人達と能登へ行こう、と約束したような気がする。能登島に魚の旨い民宿があるのだ。

充分発語した

 独り暮らしをしていると、ほとんど誰とも会話しない日々が続いたりする。急に発語すると、声がかすれてしまって自分で驚く。外出すれば誰かと会話することになるが、そうそう出かけてもいられない。とはいえ、時々は自分自身を調整しておかないといけない。

 それだけが目的ではないが、昨日はしばらくぶりに大阪の友人二人に会いに行った。楽しく会話し、楽しく飲んだ。ずいぶんたくさん飲んだが、会話を楽しんでいると適度に発散しているせいか、悪酔いしない。酒は楽しく飲むべかりけり(酒は静かに飲むべかりけりby白秋)、だ。ずいぶん早くから飲み始め(さすが大阪!昼前から開いている居酒屋がいくらでもある。周りを見るとシルバー世代ばかり、ひまと金がある人がたむろしている)たので、無事その日のうちに名古屋へ帰り着くことが出来た(ちょっと名古屋でもう一軒、ということになりかけたが、自制した)。

 充分発語した。もともと私はおしゃべりなのだ(ブログを見ている方は分かるだろう)。しゃべりだめしたから、またしばらくは大丈夫。

 友人の一人がずいぶん前からそば打ちにこっていて、打ち立てのそばをお土産に手渡してくれた。そばの話になると止まらない。こちらも嫌いではないが、食べるだけでいい。さっそく今朝、彼の指示どおりの茹で方でお土産のそばを食べた。

 うまい!

 かすかな二日酔い気分が吹っ飛んだ。ありがとう。もう一食分あるので昼にいただくことにする。

2016年4月 5日 (火)

相倉(あいのくら)集落

相倉集落は、白川郷、菅沼集落とともに、現存する合掌集落として世界遺産に登録されている。


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集落の入り口に大きな駐車場があり、見学者はここから歩いて村に入る。例年なら、4月の半ば過ぎまで、除雪した道路以外は深い雪の中なのだが、今年はほとんど雪がない。

駐車場の横から高台の展望台に上ることが出来る。知っていたけれど、今回初めて登った。

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坂道の途中の土手には蕗のとうが。

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集落を上から見た。一部雪が消え残っている。白川郷の展望台ほど高いところではないので、全体を見渡すというわけにはいかない。

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目を上げれば雪山が迫っている。

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村内の道へ戻らずに展望台から山沿いの道を地主神社へ。

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神社の境内から村を見下ろす。こういう風景、好きである。

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こういう建物がたくさん並んでいる。寝間着が干してあるのが生活感があっていいではないか。

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奥まったところの、公開していない普通の家。

ちなみに一昨年の三月末の集落の様子。

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これでも普通より少ないくらいで、年によっては五月の初めでも雪が降るそうだ。

この日はこのあと金沢でタイヤ交換だったので、峠越えして城端(じょうはな)から金沢へ。金沢に泊まり、美味しい酒と肴を堪能したことはだいぶ前に報告した。

本日(4月5日)は、午後から大阪で友人二人と会食。会食といっても、もちろん主に酒を飲む。しばらく誰かと長いこと会話していないので、母のように発声困難(あまりしゃべらないでいると、実際に声が出にくくなる)の危険があるし、正直淋しいのだ。声をかけたら即快諾してくれる友には感謝している。明日も明後日も用事が出来たので、今日は日帰り。

日帰りだけれど、晩の更新は出来ないだろう。

隠すより顕れる

 海外ニュースを見ていたら、「パナマ文書」が話題になっていた。パナマはタックス・ヘヴンの国である。金持ちや権力者が税金逃れにこの国の金融システムなどを利用することが知られている。

 このパナマの法律事務所が、その税金逃れのアドバイスをしていた記録が流出した。今後日本のニュースでも取り上げられるだろう。プーチン大統領からジャッキー・チェンまで、多数の名前が明らかにされている。税金逃れは、国によっては合法であるが、その金のもともとの由来が問題になる人物も多いだろう。

 今のところ日本人の名前は見当たらないが、もしかしたら少額なので公表が後回しになっていて、これから明らかになるのかも知れない。

 この情報リークで特に興味深いのは二つ、一つは習近平とその親族の名前が挙げられていること、そして不思議なことにアメリカ人の名前が一つもないことだ。アメリカ人がタックス・ヘヴンであるパナマでマネー・ロンダリングをしていないなどということは考えられないから、たまたまこの法律事務所に依頼していないのか、アメリカ人だけ選択的に記録が隠されているかのどちらかであろう。

 新聞の購読をやめているので、ヤフーなどのネットニュースをしばしばチェックしている。良く見るのは海外、特に韓国と中国のニュースだ。ニュースを取り上げた時のブログのネタはここからであることが多い。特に中国のニュースは面白いものがしばしばあるので、楽しみに見ている。面白い、というのは、まさかそんなことが、と驚くようなものである。それくらい中国人の論理は異質だからである。もちろん重大なニュースも見る。そこからその意味を考えるのは結構頭の体操になる。

 ところが今年に入って、中国のニュースが激減している。重大なものも面白いものも、である。だから、最近は中国ニュースといっても台湾と香港のニュースが大半である。試しに見てみたらいかがであろう。最近は台湾に詳しくなってしまった。興味のある国だからいいのだが。

 つまり、情報がないことから、中国はいま情報が厳しく管理されているということがよく分かるではないか。それならパナマ文書に習近平の名前があることなど報道されることなどないであろう。何しろ、蝿も虎も叩く、といって汚職撲滅を理由に粛清を進めているのだ。まさか自分を処分するわけにも行くまい。習近平に恨みを持つ人々も多いから、この事態を利用しようとするかも知れない。どうなるかそれをよく見ておこう。楽しみだ。

 イギリスやドイツでは、すでにこのパナマ文書がニュースで取り上げられているから、これからヒートアップするだろう。

 話は戻るが、どうしてアメリカ人の名前がないのか。これがアメリカの仕掛けによるリークであることはだれが見ても明らかではないか。アメリカに不都合とみなされた人物が標的になっているのかも知れない。これは結果から推定されると思う。個別に見ると面白いのだが、もう少し事態が進展するのを見てみようと思っている。

2016年4月 4日 (月)

どこまでが本当で、どこからホラか

 和田正信「中国旅行がしたくなる本」のなかに熊掌(ゆうしょう)料理についてのくだりがある。料理に関連する本をテーマにして少しずつ読んでいるところでもあり、面白いので引用する。

 だいぶ前のことになるが、図書館で何気なく目についた中国料理の本を引っ張り出してパラパラとめくっている時にふと思った。

 この国は少しおかしいな、と。

 本の名は『中国名菜譜』(全四巻、中山時子氏監訳)。中国各地の名物料理を地域毎に編纂したものでなかなかの労作であるが、私が「おかしいな」と思ったのはこんなところだ。

「紅焼熊掌(熊の掌の醤油煮)」の作り方。「脂がのってやわらかい熊の手1.8キログラム前後(熊の肢は含まない)のもの一対を選び、水9リットルを張った鍋に入れて強火で一時間半煮てすくい出す。タコをきれいに取り除き、鉄製の毛抜きでわた毛をすっかり抜き取ってきれいにすり洗いしておく。(略)」

 どうだろう、どこかおかしくないだろうか。

 料理の方法だけを淡々と、極めて実用的に書いている。ヒラメのムニエルの作り方でも示しているように。しかし、誰がこの本を読みながら「紅焼熊掌」を作るのだろう。

 動物園の熊の飼育係の人だろうか。

 熊を横に一列に整列させ、手を出させ、脂の乗り具合、大きさ、重さを調べている飼育係の人の姿が浮かんでくる。

「まだ早いな。食べ頃は来年だろう」

 熊たちも戸惑いながらも、本をのぞき込み、
「ここでいう熊掌とは前肢だけですかね。後肢はどうするんだろう」とか、「右手とも左手とも書いてないけど、どちらでもいいんでしょうかね」、なんて相談し合っている。

 そう言えば、熊の掌に右手、左手の違いなどないと思うでしょう。ところが、何と、熊掌は右手に限る、とまじめに書いてある本もある。

 中国で発行された本で、『中国食品大全』。

「熊は寒さを避けて冬眠をする。その間なにも食べないのであるが掌に擦り込んでおいた蜂蜜をなめ栄養を補給する。熊掌は美味にして滋養に富むが、それ故に、特に利き腕の右手が旨い」、と。

 なるほど。いわれてみれば至極もっともな話である。ただ惜しむらくは、左ぎっちょの熊の見分け方は書いていない。熊の自己申告に頼るほかないのかも知れない。

 もっとも、最近日本で中華料理店を営む人から聞いた話では、利き腕かどうかは専門家が見れば一目で分かるそうだ。筋肉の柔らかさがまるで異なり、旨さの違いも、蜂蜜云々より実際はそのことに負うところが大とのこと。価値も、仕入れ値にして片や30万円片や1万円と天と地ほども違うそうだ。野球のイチローのように、右投げ左打ちという熊がいれば一番いいのかも知れない。

 また、食材としての熊掌には椎茸とおなじように、ナマのものと乾したものがあるそうで、その人によれば、前述の『中国名菜譜』で使われているのはナマの方だろうとのこと。なぜなら、乾した熊掌をもどすには、利き腕で二時間、利き腕でないと二十四時間ほど熱湯で煮なければならないのだそうだ。

 本書を読んで、「よし、今日の夕食は熊掌にしよう」、という方がいるといけないので書き添えておく。


 熊掌料理のことはしばしば話題になるのでご存じの方もいたかもしれないが、著者が少々皮肉を込めながら書いてあるものを読んで、にやりとしてしまうではないか。

99120082 大晦日に北京のこの店で宮廷料理を食べた


99120076 北京の料理教室で先生の作った正月飾りをもらったどん姫

 実は若い頃、満漢全席という中国の宮廷料理を食べに行くことを思い立ったことがある。一泊二日、朝昼晩全部で六食を食べ続けるという。10人以上でひと組、通常なら十五人が適当とのこと。総額150万円の費用である。さっそくその話に乗りそうな人に次々に声をかけ、十人近く集まって、では一人15万円を一年がかりで積み立てをして行こうではないか、ということにしたのはいいが、急に担当替えとなってしまい、その話は流れてしまった。

 もしそのとき行っていれば、もちろん熊掌料理もあったはずなので、実際の料理と味について一言言いたいところであったが、残念である。いまはそんな元気はない。

 周大兄、あのときは残念でしたね。

国と民族

 いま読んでいる本のひとつに、宮崎正弘「中国、大失速 日本、大激動」という本がある。昔ほど集中力が持続しなくなったので、何冊か並行して本を読むのだ。

 この本の紹介は読了してからにして、本筋ではないけれど、この中で旧ユーゴスラビアの国々を歴訪するという部分がある。その国々とは、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、コソボの七カ国である。いつも楽しませてもらっている「かすみ風子」さんの『風子のブログ』で、この地を旅行した紀行文と写真を拝見したばかりだ。

 バルカン半島は火薬庫であるといわれてきた。第一次世界大戦はここから始まった。第二次世界大戦では、チトー大統領の率いるパルチザンがナチスドイツと戦い、王政復古を狙う軍と戦い、満身創痍となった。この戦いについては何度か取り上げた『ネレトバの戦い』という映画で、強烈に私の記憶に残されているので、行ったことはないけれど、識らない国の話ではないのだ。

 チトーのカリスマ性をもって、戦後ユーゴスラビアとしてひとつの国となったが、彼の死後、長い凄惨な戦いの後、最終的に七つの国に分裂することになった。民族浄化、というスローガンのもと、殺しあいが続けられたが、終戦後しばらく経ったいま、国によってその痕跡を拭って近代化したところもあり、また、まだ戦禍の傷跡がそのままの国もあるという。

 ここで思うのは、国とは何か、民族とは何か、ということである。

 近代世界は民族を無視して国という境界を設けた。現在のような国は昔から存在したのではない。国と民族がほとんど同じである日本のような国は珍しい存在なのだ。だから日本人にはその実感がないと良くいわれる。

 中近東やアフリカの紛争は、西洋が定規でひいた境界と民族の棲む区域との矛盾で起きている。宗教紛争に見立ててマスコミは賢しらげに解説するけれど、それは幻想ではないか、と思っている。

 その典型的な悲劇の舞台のひとつが、この旧ユーゴスラビアという国だった七カ国なのだ。そして、今中国がその難題を抱えて、強引に民族浄化を行っている。これをしっかり認識している人がいるなかで、日本はマスコミもほとんどそれを取り上げない。何が「人権」だ。ある人の些細な人権侵害は問題視し、ある場合には人権が無視されても知らん顔をしている某朝日新聞などに「人権」を旗印にする資格はない。

 アメリカでトランプが絶大な人気を博しているのは、まさにこの民族主義をプロパガンダのテーマにしているからなのではないか。イスラムの移民を受け入れるな、と喚き、ヒスパニックのあらたな移民を拒否せよ、といい、日本、中国、韓国をアメリカの富を収奪してきた、と非難する。これは民族主義そのものではないか。

 そもそも民族主義を否定することで、ここまで強大化したアメリカが、民族主義者を大統領に推そうとしている。なんたる自己矛盾なのか。

 実際のところ私も断片的な知識しかないのにこれを語っているが、それでもこの矛盾がこれからの世界の将来に大きく影を落とし続けるだろうことが感じられる。その視点で海外ニュースを見ている。

2016年4月 3日 (日)

和田正信「中国旅行がしたくなる本」(連合出版)

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 この本が出版された(1995年)当時、著者はJTBに勤務し、中国滞在の後、東京支店次長。2003年に退社し、現在は中国旅行の旅行会社を立ち上げている。

 この本では中国旅行の楽しみ方(それは海外旅行の楽しみ方ということでもあるが)を自分の体験による実感から伝えている。

 安全で、安心で、しかも楽しい旅を期待するのなら、自宅のこたつの前のテレビの海外紹介番組を見るべし、と著者は言ってのける。同感である。海外に行けば、物事は予定どおりにいかず、不愉快な思いをたびたび経験し、腹も立ち、というのが当たり前のことで、次第にあきらめの境地に到り、ついにはその予定どおりでないこと、不愉快な経験そのものを楽しむ、というところまでいって、初めて海外旅行をした、といえるのである(ちょっと負け惜しみっぽいが、その方が思い出に残ることは間違いない)。

 この中で紹介されている旅行のコースのひとつに、北京の万里の長城で初日の出を見る、というのがあるが、これは著者の発案だという。何度か述べているが、私もこの企画のコースで、八達嶺の2000年の初日の出を子どもたち二人と拝んでいるのだ。

99120091 夜明け前の八達嶺

99120101
初日の出直前

99120105 正真正銘、2000年の初日の出
 
この本はただ、中国旅行は面白いよ!と客を誘う本ではない。 

 著者の体験した数々が、いかにも理不尽な中国そのものなのだが、その中国人の発想そのものの不思議さを通して、日本人と中国人の違いを識るのである。そして日本人の考え方こそが正しい、という発想が、いかに井の中の蛙であるか、それを気づかせてくれる。そういう発想、そういう考え方もあるのか、と気づくことの意味の大事さを識ること、それが海外旅行の目的であり、楽しみなのだ。

 本文中から面白いエピソードを引用する。日本人の考える「サービス」というものが中国人にどう受け止められたのか、という話である(いまはだいぶ変わったけれど)。


 日本から初めて進出してきたホテル・マネッジメントは中国人従業員とのコミュニケーションを深めることを目的にその代表と定期的な会合を持つことにした。

 その最初のミーティングで経営の代表はこう言った。
「ホテルとしてお客様への感謝の気持ちを常に忘れないで欲しい。又、それを態度で表すようにして欲しい。例えば、ロビーに居たとして、入館するお客様には『いらっしゃいませ』と頭を下げ、お帰りになるお客様には『有り難うございました』と頭を下げる、といったように」

 これに対する従業員代表の反応は、
「よく意味が分からない」、であった。

 日本人マネージャーはごく当たり前のことを当たり前に言っただけなので、「意味が分からない」という意味が分からない。聞いてみるとこうだ。
「よい場所を選び、立派な設備を備えてここにホテルを造りましたね」
「その通り」
「多くのお客が来ると思って造りましたね」
「その通り」
「お客が来るのは、そういったものに魅力を感じて、自分の意志で来るのですよね」
「その通り」
「だとすれば、私たちはお客の要望を満たしているわけですね。私たちは役に立っているのですね」
「その通り」
「だとすれば、感謝すべきなのは、私たちではなくお客の方ではないでしょうか」

 さすがにここでは「その通り」とはいわなかった。


 中国人は、人に頭を下げる必要がない生活を最も尊ぶべき理想の生活と考える、ということの意味がこのあと詳しく分析されていく。

 中国人の夫婦喧嘩の話。


 中国人は夫婦喧嘩も他人に聞かせるためにするという。夫が妻に向かって、あるいは妻が夫に向かって何かを言うのではない。通りやベランダに出て、自分の正しさ相手の非道さを大声で怒鳴りあう。当人たちは舞台の上の弁士であり、近所の人たちは観客兼陪審員になる。周りに向けたパフォーマンスである。

「野次馬が居ないと、中国人は喧嘩をしないだろうか?」
 中国人の知人にこう尋ねたことがある。

「当たり前ですよ。見る人もいないのに喧嘩をしてどうするんですか。バカみたいじゃないですか」
「しかし当人同士のコミュニケーションでもあるでしょ」
「そういう面もないことはないかも知れません。しかし周りがあっての当人同士ではないですかね。中国人は内輪と外側をいつでも意識していますよ」

 こういうことではないだろうか。

 大勢の人間に取り囲まれた環境が中国人の生きる精神風土である。彼は常に群衆に見られている。見られていることを意識している。同時に、常に群衆のひとりとして誰かを見ている。
(中略)
 ともかくも、日本人の観光客は、「彼らはどうして他人の喧嘩には走って寄っていくのに、このレストランのウェイトレスは俺のところに注文を取りに寄って来ないんだ」、とイライラしながら待たされることになる。


 これは私も同様な経験をした。

 こういう話が満載である。その体験をついには楽しむようになった時、日本人と中国人は違うのだ、という当たり前のことが、知識ではなく、実感として分かって来るのだ。そのことは、つまり自分と他人とは違う、という分かっているつもりでも、実は人はみな同じ、という間違った教育を受けてきた日本人には、つい忘れがちの事実を思い知らせてくれることになるのだ。違うからこそ話すことで理解しようとする。同じだと思うから相手が間違っている、悪意がある、と思う。その差はとても大きいことなのだ。

 私がものの考えの基本の一つにしていることを分かりやすく書いてあるこの本は、案外の掘り出し物なのだ。

 もうひとつ面白い文章があるのだが、次の機会にする。

帰雲城址(かえりくもじょうし)とお小夜稲荷

御母衣ダムを過ぎれば、急勾配の道を下って平瀬温泉の横を通り、一気に白川郷に到る。156号線のこの辺りを白川街道と呼ぶ。途中に帰雲城址があるが、気が付かずに見過ごしやすい。


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帰り雲城址の石碑。由緒書きを見る。

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ここにあるとおり、巨大地震によって正面の帰雲山が大崩壊し、帰雲城とその城下集落が一瞬にして埋没した。

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帰雲山の容姿。このような崩落した様を、御母衣湖から流れ降りている庄川沿いに多数見ることができる。

帰雲城には金銀財宝があったという埋蔵金伝説があるという。

白川郷には立ち寄らず、さらに北上し、五箇山に到る。

五箇山インターのすぐ近くに菅沼集落という合掌集落がある。ここにはもちろん土産物売り場などもあるが、こじんまりしていて観光ズレしていないので、車なら是非立ち寄りたいところである。村内には車は入れないので国道沿いの、村から見れば高台の駐車場に置き、歩いて降りるか、駐車場の一角のエレベーターで降りて村内に入る。

今回はここではなく、この先の、もうひとつの合掌集落、相倉集落に行くので、パス。

この菅沼とすぐ下手の小原村一帯にはお小夜伝説が残されている。

かつて加賀藩の流刑地だった五箇山は、険しい山に囲まれた秘境故に、重罪人が流された。その中の罪の特に重いものは村から遠く離れた独房に収容されたが、やや軽いものは平小屋という小屋に収容され、村人との交流も許されていた。

小原村に流された遊女のお小夜は隣村の青年と恋に落ち、身ごもる。流人に恋は禁じられており、まして身ごもることなど許されることではなかった。

お小夜は青年や村人に害が及ぶのを恐れて、庄川に身を投げ、命を絶ってしまう。この悲恋はこの地の民謡として残されているそうだ。

お小夜が身を投げた庄川の淵は、菅沼集落から少し下ったところにあり、木碑が建てられている。車は停められない。

小原村にはお小夜稲荷が残され、地元の人が常に花を手向け続けている。

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お小夜稲荷。

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お小夜稲荷の近くの庄川に架かる橋から。この近くに流人小屋も残されていて、寄りたいところだったが、場所がよく分からず、通過してしまった。

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近くのダム湖ではもう気の早い釣り人が竿を出していた。

156号線を左に折れて、国道304号線に入る。急な坂を登ってすぐに今回の目的地のひとつ、相倉集落への入り口がある。

2016年4月 2日 (土)

酒井シヅ「病が語る日本史」(講談社学術文庫)

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 著者は順天堂大学の名誉教授で、日本医史学会理事長。あのドラマ、「JIN-仁-」や「八重の桜」、「花神」の医学考証を務めた。

 とかく「昔はよかった」と云う人がいる。昔の方がよかったこともあるだろう。しかし、こと医療に関してだけは、昔より今の方がはるかにいい。当たり前のそのことを、この本を読んであらためて実感した。

 過去の病気は、形で残されているものではない。掘り出された遺体や遺骨の痕跡から、どんな病気や怪我で死んだのか、どんな栄養状態だったのか、が推察されていく。又、沢山の日記などの文書による記録から、どのような病気が人々を犯していたのか、それを研究したものを、分かりやすくまとめたものがこの本である。 

 病気は医師が診るものであるよりも、呪術師や宗教家によって調伏されるもの、という時代がずっとつづいた。そうでなくなりだして、たかだか二百年もたっていない。まだ世界にはそんな地域もあるし、人はいまだに病気の回復を神に祈る。確かに病気には精神的な働きが関わっている部分もある。

 平安時代、藤原氏一族に糖尿病が多く、あの道長も糖尿病で死んだ。結核、痘瘡、マラリア、ガンなどで死んだ人間は多い。武田信玄や徳川家康は、胃がんで死んだ、という話などは初めて知った。

 ハンセン氏病や梅毒についての医療の進歩の歴史は本当に人類にとって福音であった。ある病気が撲滅出来るようになると、新しい病気が又流行する。人類は病気と常に戦い続けていて、今後もその戦いは続くのだ。

 中国で医師や病院が激しい攻撃にさらされている、というニュースをしばしば耳にする。高額の医療費を支払ったのだから病気はちゃんと治癒すべきものである、という考えから、もし病気が治らないと、医師を攻撃するのである。

 医師の医療過誤もあるであろう、歴然としたものであれば、その罪は問われなければならないが、病気は古来治ることもあれば治らないこともある。病気の程度や本人の体力、治療との相性もある。そんな当たり前のことも分からないその中国人の怒りとは無知のなせる技なのだろう。この本でも読んで、医療の歴史を見直したらどうか。

 しかしそのような人ほど、こんな本には絶対見向きもしないものだ。

 この本には、ほとんどの病気について、人間がどのように対処してきたのかが、時代の流れに沿って詳しく書かれている。ただし、日本の話が中心で、比較のなかで海外の話も添えられている。この本は病についての歴史だが、同時に日本史そのものでもあって、ある人物がその病気で急死しなければ、歴史は全く違うものとなったかも知れない、などという想像力も働かせてくれる。

 読みやすい上に、大変勉強になった。ところでシヅという名前の著者は、男性なのか女性なのか、それが分からない。

御母衣湖(みぼろこ)

ひるがの高原から林の中を下っていくと荘川に到り、道は突き当たる。右へ行けば荘川インターのそばを通り、高山へ到る。

左側を行けば御母衣ダムによって出来た御母衣湖のわきの道を北上し、ダムを越えて白川郷に到る。

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見た目では特に分からないが、トンネルが狭い。以前はダムの向こうまで九カ所、この狭いトンネルがあった。いまは二カ所が、広いトンネルになって七カ所、そこだけ気をつければよい。

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何と春なのに水がほとんどない。本来はここは湖底である。むかしここに道があったことが分かるであろう。人が住んでいたのだ。

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少しダムに近づいたところで湖水を見る。

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望遠でアップしてみればこの通り。まるで夏の渇水期のようだ。

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ようやくダムの近くに来て湖らしい姿を見る。雪山の方向の奥に御母衣ダムがある。ロックフィル式のダム。下から見上げると、ただ岩が積んであるだけに見えるダムであるが、このダムはとても大きい。ダムの下に御母衣ダム展示館がある。ダムの構造のことばかりではなく、工夫された展示品があり、立ち寄る値打ちのある面白いところだ。

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ちょっとアップする。

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ダムを通り過ぎてから撮った雪山の写真。たぶん白山のこちら側の前山と思うけれどよく分からない。

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ここにも人家の痕跡が。

ダムの先に合掌造りの見事な建物、遠山家、があるのだが、春の修繕のためか工事用のトラックが駐車場をふさいでいたのでパスする。

いつも立ち寄るのに今回パスしたのは、洲原神社、白山長滝神社、阿弥陀ヶ滝、そしてこの遠山家。みなそれぞれ絵になるところなのだが、今回はメインを五箇山にしているので、そちらに向かう。


夫婦滝と分水嶺

長良川と長良川鉄道に沿って国道156号線を北上している。日本土鈴館からすぐ郡上白鳥の街。ここで油坂峠を越え、九頭竜川沿いに福井へ抜ける道(途中におろしそばの美味い店もあるのだが)を選ぶことも出来るが、そのまま長良川鉄道沿いに北上する。長良川源流への道だ。


長良川鉄道は北濃駅が終点。この鉄道は越美南線として作られ、福井からの越美北線(現・越前鉄道)とつながるはずだったが、それは頓挫したままである。長良川鉄道はたびたび豪雪や台風などの土砂災害により運行が止まっている。

終点の北濃駅の近く(車で15分ほど)で日本の名滝100選の阿弥陀ヶ滝がある。好きな滝で、たびたび立ち寄っているが、今回はパス。代わりに長良川源流の滝、夫婦滝に立ち寄る。

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例年ならこの時期はまだこの駐車場は雪に埋もれていて、車は停められず、滝へ行くことが出来ない。車の向こうに消え残っている雪が見える。この雪を越えて滝に向かう。

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渓流沿いに山道を少しだけ歩く。

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それほど大きな滝ではないが、春なので水量は多い。

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こんな滝で水垢離したら、身体が持たない。たぶん夏に水が少ない時に水垢離したのだろう。

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こんな勢いなのだから。

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かなり激しい。

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雪に折り敷かれたシダ類が、春とともに立ち上がりはじめている。そろそろ山菜採りの時期だ。

つづれ織りの坂道を一気に駆け上がると、ひるがの高原にいたる。ひるがの高原の入り口に分水嶺がある。国道沿いにあるので立ち寄りやすい。

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分水嶺の碑。

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大日岳が水源なのだ。スキー場が見える。まだ滑れる。

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道路側から。向こうから流れて来て、左が太平洋、右が日本海へ。

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反対側から。これだと右が太平洋へ、左は日本海へ。正面向こうに小さく見える車が愛車。

ひるがの高原を杉、林の中を快走すると、間もなく荘川へいたる。美味いそば屋が並ぶ。荘川から高速(東海北陸道)に乗るか、御母衣ダムを越えて地道で白川、さらに五箇山へ行くか迷う。御母衣ダムの道はトンネルが狭いので、トラックとすれ違う時こわいのだ(トラックどおしはすれ違い出来ない。それなのにトラックが多い道なのだ)。もともとダムを造るためのトンネルだからしかたがないのだ。

御母衣ダムの横を通る道は金沢に単身赴任していた時、毎週のように通った道だ。まだ東海北陸道の白川郷と荘川の間が通じていなかった。その区間をつなぐトンネルは11キロ近くある大トンネルで、大工事だったのだ。

もちろんなつかしい道を久しぶりに走ることにする。男は度胸だ。

2016年4月 1日 (金)

北大路魯山人(平野雅章編)「魯山人味道」(中公文庫)

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 細かい活字で300ページあまり、それを一日数ページずつ読み進めていたので、読了するのに一ヶ月以上かかってしまった。

 昭和初期から亡くなる昭和34年までの、魯山人が書いた小文が多数と、大小の講演会での講話を文章にしたものなどがまとめられている。魯山人の主張と価値観はほとんど変わらないし、語るのは料理と美についてだから、書かれていることは、多くが同じことを言い換えているだけである。素材別に詳しく書かれているものなどは傾聴に値するが、一度読んだ総論的美意識については三度読めばあとは又か、と思うだけである。

 編者である平野雅章氏はたぶん魯山人の傾倒者であろうから、大事なことだから繰り返しても心地よいかも知れないが、そこまで思い入れのない読み手(私のことです)はちょっとうんざりする。たぶん半分にしてもまったく問題ないのではないか。

 この本については、子母沢寛の「味覚極楽」との比較で一度取り上げ、ちょっと辛口の批評をしたが、読了しての印象は変わらない。魯山人の美意識、鑑賞眼、味覚の敏感さは人に秀でたものであることを認める。しかしその劣っているとみなしたものに対する切って捨てたような物言いは、人に嫌われたであろう。

 直接的ではないが、こんな文章を読んでどう思われるだろうか。少し長くなるが引用する。


 私は美味いものが好きで、昔から手の及ぶかぎり、事情の許すかぎり、美味いものを食って来た。私は書を愛するところから、これも力の許すかぎり、書を見て来た。その他、建築にせよ、庭園にせよ、およそわれわれの生活を美化する一切のものについて、力の及ぶかぎり手を伸ばして来た。しかるに、はじめはいろいろ外国のものなどに魅惑されるのであるが、やがて目が肥えるに従い、次第に日本のものがよいということが分かって来る。これは書にせよ、絵にせよ、陶器にせよ、料理にせよ、建築、音楽、花にもせよ、庭にもせよ、すべてについて言えるのである。たとえば書である。書は誰でも初心の頃は、一応中国人の書に惹きつけられるようである。私も初めは、中国人の書をよいと思った。しかるに、少しく書が分かって来ると、自然と日本人の書に帰って来る。

 中国人の書は、形態はよいが内容において欠けている。言わば、役者の殿様が衣冠束帯をつけたようなもので、なるほど、見てくれは殿様らしく立派だが、所詮、役者の殿様であって、本物ではない。すなわち、内容がないのである。風采容貌だけだ。これは陶器についても言える。中国で出来た古染付などというものは、時代の反映となって、中国のものとしては、なかなか秀れたものである。けれども、現在このよい陶器を生かし得るものは、中国人ではなく、日本人である。又、日本に陶器が移ってからは、単なる陶工の造り物であったに過ぎないものが、立派な芸術と化して創作されるに至っているのを見ても分かる。

 翻って、料理を見るならば、その差は一層明らかに看取される。まず日本は、第一に料理の材料たる魚類でも、野菜でも、肉でも、あらゆるものが、比較にならないほど立ち優っている。料理の技においても、私から見て、中国人に学ぶべきなにものもなしと言ってよい。

 絵でもそうである。印刻においてもそうである。だが、これはひとり中国に対して言えるばかりでなく、広く欧米諸国に対しても同様のことが言えるのである。

 私は洋画というものが、形や柄の表面美に囚われていて、ものの神髄を掴む点においては、到底日本の線描名画に適し得ないものであると思うが、仮に百歩を譲って、洋画には洋画でなければならない点がありとするも、日本人は、立派に描き得るが、外国人にして日本画をよくするものあるを聞かない。ただに絵ばかりではない。建築でもそうである。音楽でもそうである。日本人は西洋人の建築を立派に自分のものとして造り、洋画も相当なものであるが、外国人にして日本音楽を解し、これを日本人の洋楽における如く、一人前によく成し、よく歌うものあるを聞かない。まして延寿太夫の如き清元を、あるいは義太夫をあるいは謡曲を解し歌い、且つ語る者に至っては、恐らくただの一人もないであろう。彼らには安来節ひとつ満足に歌うことが出来ないのである。

 ここにおいて、私はなぜこう日本人のみが独り世界に冠絶した素質を有するか考えざるを得なくなった。これは、なにもお国自慢でもなんでもない。あらゆる方面における作品と行為を見れば見るほど、私のみでなく、誰だってその感を深くすることであろう。(昭和十年)


 まだまだ魯山人の日本賛美はつづくが、ここまでとしよう。 

 思うに、魯山人は自ら求める美を極め、彼の求める至高に至ったのであろう。その独立峰とも言うべき魯山人の山には、他人はとりつく島がなかった。魯山人の供する料理を、そして器を褒めそやした人々は、真に魯山人を理解していたのだろうか。魯山人は優れていたのだろうけれど、彼の求める美は彼だけのものであった。だから彼の美意識から見れば、中国だろうが欧米だろうが、よその山の話なのであろう。不遇に始まり、絶頂を極め、そして晩年再び不遇のなかに死んだ魯山人は、自らの狷介さをエネルギーにして、彼だけの快楽を追求した人のようである。

日本土鈴館(5)

いくら気にいったからといって土鈴館ばかりでいい加減にしろ、といわれかねないので今回を最後にする。だけど「顔」があふれているとうれしくなってしまうのだ。


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あごにピントが合ってしまった。

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もう顔という枠を超えている。

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額に垂れた毛が薄暗いところで見るとちょっと不気味。むかし時々泊まった親類の家の柱のところに能面がかかっていて、夜中にぼんやり見えるその顔に見下ろされているのがちょっとこわかった。

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ちょっと変わったところでは、寝ている鉄腕アトム。電池切れか?

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河童のコーナーの先の廊下にあるこけしコーナー。写真はそのほんの一部。

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昭和時代(まさに私が子供時代)の子供の遊びが表現されている。

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土で出来た人形なのに暖かみがある。人形というのは不思議なものだ。

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首人形。これも各地にあるようで、地区別に展示されている。佐渡のものも有名だ。

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全国の雛飾り。大型の普通の雛飾りも沢山あった。

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手まりのコレクションのコーナー。

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天神様のコーナー。これは四面くらいあった。とてつもない数なのである。大過剰なのである。

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ふくろうのコーナー。これも何面かある。私もいくつか集めているけれど、この膨大なコレクションを見ると気が萎える。競争してもしようがないけれど。

この日本土鈴館。見過ごしやすいけれど、近くに行ったら是非立ち寄ってみてはいかが。郡上白鳥の街の近くにある。顔に酔います。


日本土鈴館(4)

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河童の特集コーナーが部屋と部屋をつなぐ廊下の一角にしつらえられていた。こちらはほとんど土鈴ではない。

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酒好きとしては、こういうのにいたくよろこびを感じる。

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重量感がある上に、カラス天狗までかぶっている。

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体表のヌメヌメ感がいやらしい。感じすぎか。

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この手足、どうなっているの?

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とても写実的。リアリティがある。

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河童の家族。

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私も一つこんなのを持っている。

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兄貴、まあ、もう一杯。

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人の好い(といっても河童だけど)のもいるのだ。

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美浜町の河童は神がかっているらしい。

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河童の絵と云えば小島功。原画が何枚も展示されていた。

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髪を洗わなければ頭のてっぺんの皿は分からないのかもしれない。

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カッパは服を着ないらしい。しかし、マフラーはするようだ。




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