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2016年4月21日 (木)

西丸震哉「山歩き 山暮らし」(中公文庫)

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 本格的な山には学生時代、二三回登ったことがあるだけだ。だから山登りの楽しさ面白さはほとんど知らない。しかしこの本には人の歩いてない未踏ルートや原野を行くという話が満載である。

 わたしは藪の中や暗がりは何が潜んでいるか分からないから恥ずかしながら少々怖い。ましてや独りで夜の山中に野営することなど出来ない。そういうことが平気な人もいるのだ。

 いくら金を積まれようが切羽詰まろうが、バンジージャンプやスカイダイビングが出来ない人もいるし、それを楽しむ人がいる。

 はるかなむかし、まだ野山がいまほど開けていない頃は、旅をするというのは、ときに人里ではないところで野宿をするのが当たり前だったのだろう。獣がそれを当然と思うように、人間もそうだったのかも知れない。文明化して、人のいるところだけをたどることが旅となって、人間は進化したのか何かを失ったのか。

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 山中の夜のキャンプで見上げる星空はどんなふうだろう。しいんと静かな無音の音を聞く気持ちはどんなふうだろう。以前、深夜に伊豆の山中で車を停めて、全くの闇の中で車の外に出て無音の音を聞き、星空を見上げたことがある。また、子どもたちとキャンプ場に泊まったとき、キャンプの喧噪が全く聞こえないところまで離れて、星を見上げたことがあった。

 星がこんなにもたくさんあるものか、と息を呑んだ。しかし、こんなものはひと晩を全くの孤独で山中で過ごしたときに感じる絶対的な孤独とは全く違うものであろう。わたしがしたのは疑似体験と言うにもささやかすぎる。孤独が自然との一体感にまでつながらなければ、体験にはならないだろう。意識があらたな広がりを獲得するような経験があるような気がするが、ついにそれを知ることなく終わりそうだ。

 ただそういうものがある、ということをこの本は教えてくれていると思う。

 この本の中で、旅は独りか、気心の知れた友人と行くべし、と著者は云う。パック旅行、団体旅行、宴会旅を非難する。大いに同感で、自分の精神が何かに感応するような体験が、一人旅だからこそ出来るのが旅の楽しみだと言うことを思い出させてくれる。

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 少し専門的(学術的)な山行の記述もあり、興味のない人には一部読みにくいかも知れないが、自分では決して体験することの出来ない経験を少しだけ味わうことが出来る。

 山登りはべつにして、少し長い一人旅に出たくなった。そのためにはいま抱えている懸案がある程度めどが立たないといけないが、はて、どうなるやら先が見えないのはつらいことだ。

 ところで大阪の親友が、合掌造り集落や円空仏を見に行きたい、といっていた。連休明けにでも都合の良いときに声を掛けてくれれば、いつでもつき合うつもりである。読んでくれているかな?

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