国と民族
いま読んでいる本のひとつに、宮崎正弘「中国、大失速 日本、大激動」という本がある。昔ほど集中力が持続しなくなったので、何冊か並行して本を読むのだ。
この本の紹介は読了してからにして、本筋ではないけれど、この中で旧ユーゴスラビアの国々を歴訪するという部分がある。その国々とは、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、コソボの七カ国である。いつも楽しませてもらっている「かすみ風子」さんの『風子のブログ』で、この地を旅行した紀行文と写真を拝見したばかりだ。
バルカン半島は火薬庫であるといわれてきた。第一次世界大戦はここから始まった。第二次世界大戦では、チトー大統領の率いるパルチザンがナチスドイツと戦い、王政復古を狙う軍と戦い、満身創痍となった。この戦いについては何度か取り上げた『ネレトバの戦い』という映画で、強烈に私の記憶に残されているので、行ったことはないけれど、識らない国の話ではないのだ。
チトーのカリスマ性をもって、戦後ユーゴスラビアとしてひとつの国となったが、彼の死後、長い凄惨な戦いの後、最終的に七つの国に分裂することになった。民族浄化、というスローガンのもと、殺しあいが続けられたが、終戦後しばらく経ったいま、国によってその痕跡を拭って近代化したところもあり、また、まだ戦禍の傷跡がそのままの国もあるという。
ここで思うのは、国とは何か、民族とは何か、ということである。
近代世界は民族を無視して国という境界を設けた。現在のような国は昔から存在したのではない。国と民族がほとんど同じである日本のような国は珍しい存在なのだ。だから日本人にはその実感がないと良くいわれる。
中近東やアフリカの紛争は、西洋が定規でひいた境界と民族の棲む区域との矛盾で起きている。宗教紛争に見立ててマスコミは賢しらげに解説するけれど、それは幻想ではないか、と思っている。
その典型的な悲劇の舞台のひとつが、この旧ユーゴスラビアという国だった七カ国なのだ。そして、今中国がその難題を抱えて、強引に民族浄化を行っている。これをしっかり認識している人がいるなかで、日本はマスコミもほとんどそれを取り上げない。何が「人権」だ。ある人の些細な人権侵害は問題視し、ある場合には人権が無視されても知らん顔をしている某朝日新聞などに「人権」を旗印にする資格はない。
アメリカでトランプが絶大な人気を博しているのは、まさにこの民族主義をプロパガンダのテーマにしているからなのではないか。イスラムの移民を受け入れるな、と喚き、ヒスパニックのあらたな移民を拒否せよ、といい、日本、中国、韓国をアメリカの富を収奪してきた、と非難する。これは民族主義そのものではないか。
そもそも民族主義を否定することで、ここまで強大化したアメリカが、民族主義者を大統領に推そうとしている。なんたる自己矛盾なのか。
実際のところ私も断片的な知識しかないのにこれを語っているが、それでもこの矛盾がこれからの世界の将来に大きく影を落とし続けるだろうことが感じられる。その視点で海外ニュースを見ている。
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領土・民族・文化(言葉)が、ほぼ同じように続いてきた日本が珍しいのに、
日本的な考えが通じると思ってる日本人が多い思います。
日本に生まれた幸せに気づいてないようです。
投稿: けんこう館 | 2016年4月 4日 (月) 16時14分
けんこう館様
ご指摘の通りだと思います。
そのために海外旅行をすることも良いのですが、わかる人は行かなくても分かり、行っても分からない人は分からないままということが普通かも知れません。
人は見ようとしなければそこにあるものが見えませんから。
投稿: OKCHAN | 2016年4月 4日 (月) 18時01分