レオポール・ショボ(山本夏彦訳)「年を歴た鰐の話」(文藝春秋)
山本夏彦をご存じだろうか。ブログを始めた頃、長年集めたこの人の本を読み返していたので、時々取り上げたような記憶がある。熱烈なファンがいて、その人たちが「欲しい!」と熱望してきたのが、この「年を歴た鰐の話」という本である。
戦前出版されたこの本は、山本夏彦が初めて世に出た本で、ずいぶん売れたらしい。戦後すぐに再版された。この本の巻末に吉行淳之介が、その戦後再版された本を手に入れて所蔵していることを嬉しそうに、そしてやや自慢げに書いている気持ちがよく分かる。
その後入手を熱望する人が多いので、山本夏彦に再版要請をしたが頑として聞き入れなかった。2002年に山本夏彦は87歳で死去。私の持っているのは平成15年出版のものだから、死の翌年である。遺族が再版を認めたのであろう。夫人は山本夏彦より先に旅立っているからご子息が認めたものと思われる。ご子息は山本夏彦の遺作の編集などにも関わっている。
山本夏彦は名随筆家、というよりも名コラムニスト、という方が良いかも知れない。内田百閒同様、文章をとことん彫琢し、短い文章に思いを凝縮した。文意は一見飛躍する。その飛躍のあいだの書かれていないところを読者が補うことで、山本夏彦と読者の心がつながる快感こそ、この人のコラムを読む楽しみなのである。
だからその文章を読む力のない人が時に誤解し、差別主義者である、などと非難した。東京都が文化賞を授与する、と決めて本人にも通知しながら、女性議員などがそれに反対して強引にそれを撤回させたこともあった。女性蔑視の文書を書いている、というのが理由であった。山本夏彦は意図的に誤読を想定している皮肉屋なところがあるのが分からないのだ。愚かなことである。
この「年を歴た鰐の話」は右ページが文章、左ページが著者(ショヴォ)の描いた絵になっている。だから絵本なのであるが、子供向け、というわけではない。他に「のこぎり鮫とトンカチざめ」「なめくぢ犬と天文學者」の二篇をあわせ、全部で三作の話がおさめられている。
内容は残酷なのだが、それがたんたんと書かれている。目くじらを立てる人もいるかもしれないが、そのような人は決してこんな本を買わないし、そもそも存在を知らないだろう。
私の持っているこの本もそれほどの部数出版されたとも思えないし、私も探し続けていたから気が付いて購入したので、店頭で見ることはまずない。だからこの本を持っていることは喜びであり、自慢であるのでこのような文章になっている。久しぶりに読み返した。
山本夏彦の随筆は多数文庫に収められているので、書店でいつでも手に入る。興味をお持ち下さったら是非お読みいただくとよろしい。さて楽しめますかどうか。私の母は、内田百閒はお気に召したが、山本夏彦はあまりお気に入りではなかった。
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最近、オリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」とかいう曲の歌詞に、どこかの団体が
反日などを連想させるとクレームをつけてました。
全体・真相を見ないでヒステリックな反応ばかりしてては先がない気がします。
投稿: けんこう館 | 2016年4月18日 (月) 09時52分
けんこう館様
どんどん内申書重視になっていくのは、入試に対する負荷を減らす効果があると考えられてのことのようです。
ここで生ずるのは、絶対評価ではなく、クラスや学校内での相対評価の価値観の重視です。
そうなると、他の人を引きずり下ろすと、相対的に自分の価値が上がる、という思考にとらわれます。
突然何を言うのか、とお思いでしょうが、誰かを非難することが自分の値打ちを上げる、と擦り込まれた人が、あらゆるところにその矛先を向けて、攻撃することにつながっていると思うからです。
まともな人はそういう人を軽蔑しますが、まともでない人が普通になり、まともな人の反論を許さなくなりつつあるのが現代であるなら、嫌な世の中です。
投稿: OKCHAN | 2016年4月18日 (月) 11時42分