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2016年4月15日 (金)

ヘッセ(高橋健二訳)「シッダールタ」(新潮文庫)

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 高校生だったか中学生の頃か、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ。たぶん推奨図書として学校で薦められたのであろう。いたく感激して、そのあとヘッセの作品をいろいろ読んだ。世界文学の作家の本などあまり読んでいない方だけれど、ヘッセは読みやすいので、新潮文庫で当時出ていた10冊ほどはすべて読み、いまも大事にとってある。いまどきの若者はヘッセを読むのだろうか。

 この「シッダールタ」も読んだはずなのだが、何十年ぶりかに読み直したら、ほとんど忘れているので、全く初見の如しである。

 ゴータマ・シッダールタ、すなわち仏教の創始者、ブッダ(仏陀)のことである。ドイツの作家が、そのシッダールタのことを書いて、仏教とは何か、仏陀が解脱したということはどういうことか、悟りとは何かを彼なりに考えぬいた。

 不思議な本である。シッダールタは覚醒者(悟った人)ゴータマ・ブッダと邂逅する。ここではシッダールタはブッダではない。シッダールタはほとんどゴータマと同じ境地に達しながら、自ら俗世間に入っていく。そして金持ちになり、有名な遊女と懇ろになり、愛欲にまみれる。歓極まったあと、その空しさに気が付き、再び人里を離れ、人里に行くために渡った川の渡し守に再会して、二人で暮らすことになる。

 渡し守ヴァズデーヴァは無口で、相手の話をひたすら真摯に聞く聖人である。彼に語ることでシッダールタは思索を深める。ヴァズデーヴァは、ひたすら川を見よ、と言う。川はひたすら変化するが不変に流れ続け、しかもその水はおなじものではなく、しかもすべてがつながっている。このことは生命、物質、いやこの世のあらゆるものに通じることなのだ。そのことの真の意味が分かるかどうか、それが悟りなのかも知れないが、それが悟りだ、と感じた瞬間にそれは悟りではなくなる。

11041_407 国東半島磨崖仏

 シッダールタの友人ゴーヴィンタは、共に出家したのだが、シッダールタと別れてゴータマのもとに残り、修行を続ける。そのゴーヴィンタがふたたびみたびシッダールタと出会い、彼の到った境地とは何かを語り合ううちに、ついにシッダールタが悟ったことを知る。

 本当に不思議な話である。煩悩を離れ、輪廻の輪から解脱することについて理解しながら、再び煩悩の世界を体験し尽くす、というこの話は、ヘッセにとって、観念だけでは世界を認識することにはならないのではないか、体験を通してこそ世界は初めてその実相を見せ、自我とはなにかが解るのではないか、と言いたいようである。 

 ほとんど見逃しそうだが、文中に何回か「神」ということばが見られる。仏教の前身ともいう、バラモンの世界の神々をさしているとも言えるが、唯一絶対神の匂いがして、ここにヘッセの精神の根柢に張り付いたキリスト教的なものが浮かび上がって見えたのは、私の読み違いか。ヘッセもそれを排除しきれなかったのではないかなどと勝手読みした。

 全くこの本ともブッダとも関係ないけれど、私がもっとも好きなSF小説は、光瀬龍「百億の昼と千億の夜」である。この本の話はいくら話しても話し足りないほどなのだが、この本にはプラトンやシッダールタやアシュラやキリストなどが登場する!宇宙の根源的な生成滅亡の謎に言及するという、とにかく壮大な話しである。とにかくものすごく面白い。萩尾望都さんが漫画にしている。それも持っていたのだが見当たらないのが残念。他の漫画本と一緒に処分したのだろう。そういえば杉浦日向子さんの「百物語」や滝田ゆうの「寺島町奇譚」までないのはなんたることか。

 蛇足ながら、シッダールタつながりでつい連想した。

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