どこまでが本当で、どこからホラか
和田正信「中国旅行がしたくなる本」のなかに熊掌(ゆうしょう)料理についてのくだりがある。料理に関連する本をテーマにして少しずつ読んでいるところでもあり、面白いので引用する。
だいぶ前のことになるが、図書館で何気なく目についた中国料理の本を引っ張り出してパラパラとめくっている時にふと思った。
この国は少しおかしいな、と。
本の名は『中国名菜譜』(全四巻、中山時子氏監訳)。中国各地の名物料理を地域毎に編纂したものでなかなかの労作であるが、私が「おかしいな」と思ったのはこんなところだ。
「紅焼熊掌(熊の掌の醤油煮)」の作り方。「脂がのってやわらかい熊の手1.8キログラム前後(熊の肢は含まない)のもの一対を選び、水9リットルを張った鍋に入れて強火で一時間半煮てすくい出す。タコをきれいに取り除き、鉄製の毛抜きでわた毛をすっかり抜き取ってきれいにすり洗いしておく。(略)」
どうだろう、どこかおかしくないだろうか。
料理の方法だけを淡々と、極めて実用的に書いている。ヒラメのムニエルの作り方でも示しているように。しかし、誰がこの本を読みながら「紅焼熊掌」を作るのだろう。
動物園の熊の飼育係の人だろうか。
熊を横に一列に整列させ、手を出させ、脂の乗り具合、大きさ、重さを調べている飼育係の人の姿が浮かんでくる。
「まだ早いな。食べ頃は来年だろう」
熊たちも戸惑いながらも、本をのぞき込み、
「ここでいう熊掌とは前肢だけですかね。後肢はどうするんだろう」とか、「右手とも左手とも書いてないけど、どちらでもいいんでしょうかね」、なんて相談し合っている。
そう言えば、熊の掌に右手、左手の違いなどないと思うでしょう。ところが、何と、熊掌は右手に限る、とまじめに書いてある本もある。
中国で発行された本で、『中国食品大全』。
「熊は寒さを避けて冬眠をする。その間なにも食べないのであるが掌に擦り込んでおいた蜂蜜をなめ栄養を補給する。熊掌は美味にして滋養に富むが、それ故に、特に利き腕の右手が旨い」、と。
なるほど。いわれてみれば至極もっともな話である。ただ惜しむらくは、左ぎっちょの熊の見分け方は書いていない。熊の自己申告に頼るほかないのかも知れない。
もっとも、最近日本で中華料理店を営む人から聞いた話では、利き腕かどうかは専門家が見れば一目で分かるそうだ。筋肉の柔らかさがまるで異なり、旨さの違いも、蜂蜜云々より実際はそのことに負うところが大とのこと。価値も、仕入れ値にして片や30万円片や1万円と天と地ほども違うそうだ。野球のイチローのように、右投げ左打ちという熊がいれば一番いいのかも知れない。
また、食材としての熊掌には椎茸とおなじように、ナマのものと乾したものがあるそうで、その人によれば、前述の『中国名菜譜』で使われているのはナマの方だろうとのこと。なぜなら、乾した熊掌をもどすには、利き腕で二時間、利き腕でないと二十四時間ほど熱湯で煮なければならないのだそうだ。
本書を読んで、「よし、今日の夕食は熊掌にしよう」、という方がいるといけないので書き添えておく。
熊掌料理のことはしばしば話題になるのでご存じの方もいたかもしれないが、著者が少々皮肉を込めながら書いてあるものを読んで、にやりとしてしまうではないか。
実は若い頃、満漢全席という中国の宮廷料理を食べに行くことを思い立ったことがある。一泊二日、朝昼晩全部で六食を食べ続けるという。10人以上でひと組、通常なら十五人が適当とのこと。総額150万円の費用である。さっそくその話に乗りそうな人に次々に声をかけ、十人近く集まって、では一人15万円を一年がかりで積み立てをして行こうではないか、ということにしたのはいいが、急に担当替えとなってしまい、その話は流れてしまった。
もしそのとき行っていれば、もちろん熊掌料理もあったはずなので、実際の料理と味について一言言いたいところであったが、残念である。いまはそんな元気はない。
周大兄、あのときは残念でしたね。
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熊掌は右手に限ります。蚊の目玉の美酒団子もいけるとか、行きたかったネー。
西太后は甘党だとか、、、
そのうちいくべー。
投稿: 周さん | 2016年4月 5日 (火) 07時44分
周大兄様
体調を整えて、備えておいて下さい。
当方の事情により、少し先になるかも知れませんが、是非ご一緒したいと思います。
投稿: OKCHAN | 2016年4月 5日 (火) 08時06分