文藝春秋編「もの食う話」(文春文庫)
長くなるが、前書きをそのまま引用する。
厨房から
食と性とを並べて二大本能などという。が、後者は人目につかない場所でひそかに行うのを原則とするのに対して、食の方は人前で公然と行って恥じるところがない。それどころか、むしろ大勢でにぎやかにやるのが楽しいと、なにかというと宴会をし、花見などは地べたにゴザまで敷いて土ぼこりの中でこれ見よがしに盛大にやる。それどころか、やんごとない方面の晩餐会などはわざわざ国民の前で食べて見せたりもするのである。
だがしかし、食とはどうやら生命を維持したり、舌を楽しませたりといっただけの底の浅いものでもなさそうで、性がそうであるように、その奥になにやら不気味なものがあるという気がしませんか。 試みに親でも兄弟でも、恋人でも連れあいでも飲み食いしているところをじっくり観察してほしい。老若男女を問わず、食べるという行為は、随分とぶしつけでいかがわしく、滑稽で恥ずかしく、露骨で猥褻であることに気づかれるにちがいない。
仮に、食べているところを見ても見せても罰せられるという法律ができたとしたら、命をかけても他人のそれを見たいというくらい好奇心を刺激するに決まっている・・・のではないだろうか。若いきれいな男女の食事風景の裏ビデオが出廻ったりすると思いませんか。
さて、この本は、その楽しくもいやらしくふしだらな(?)行為の核心に触れる文章を読者にこっそり提供するものであります。
こうして「食前酒」、「前菜」、「主菜」、「サラダ」、「デザート」、「食後酒」とに章をわけ、いくつかの詩や随筆、また短編小説を饗している。
今ひとつ思い入れが入らないものがないことはないが、ほとんどが強烈な味わいのものばかり。これを読めば、食というものが人にとってどれほどのものであるかを思い知るであろう。それと同時に、なにか覗いてはならない魔の深淵を覗いてしまったような気持ちになるにちがいない。
どれも逸品ぞろいだが、大岡昇平「食慾について」、邱永漢「食在廣州 食は広州に在り」、武田泰淳「もの食う女」、赤瀬川源平「食い地獄」、岡本かの子「家靈」、筒井康隆「人喰人種」、近藤紘一「夫婦そろって動物好き(抄)」、中島敦「幸福」が特に気にいった。これでほんの一部です。読まなければ損な掘り出し物。
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