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2016年5月 1日 (日)

関谷文吉「魚味礼賛」(中公文庫)

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 著者は昭和23年生まれなので、わたしより二歳ほど年上だが、ほとんど同年代である。浅草の老舗の寿司屋「紀文寿司」の四代目として、深い知識と感性と経験に基づく魚介類の、そして鮨についての話が惜しげもなく披瀝されている。それぞれの魚の食味の違いやその旬による味わいの違いを、その歯触りや香りを主体に、ときにクラシックの名曲にたとえられながらなんとか読者に伝えたい、という熱い思いが読み取れる。昭和62年から二年半にわたり、月刊誌「Will」に連載したものをまとめたのが本書である。

 この本は本物である。食通と称する人の語る蘊蓄の是々非々を歯に衣着せぬことばで論破している。明らかに間違っているものについてはにべもなく切って捨てている。本物の人は、知ったかぶりが堪えられないのであろう。

 もちろんここまで繊細な感性で魚を選んで食べられるのは、老舗の一流寿司店の店主であるからなので、よほどお金にゆとりのある、食にこだわれる人を除いて、普通の人には無理な食生活であろう。しかしここに書かれていることを識っていると、ニセモノは避けることができるし、多少は味覚に感性を取り戻せるかも知れない。

 個別の魚についての話もそれぞれ紹介したいが、それは本を読んでもらいたいので、最後の方に書かれた以下の一文を紹介して締めとしたい。


 「わたしは魚と心中するのではないか」と、ふと感じることがあります。特にすしに対する偏愛ぶりは自分でも尋常ではないと思います。
 買い出しの帰り、気がつくと自然に足が向いている市場のすし屋でつまむすし。忙しい昼の仕込みどき、小腹がへってさっと握ってつまむすし。知り合いのすし屋で晩酌のあとに付けてもらうすし。
 実際ここ二十年ほどは、三食すしという日が四、五日続くのはあたりまえでしたが、そのことでなにか支障を感じたという記憶は一度もありません。すしが体の一部と化しているような錯覚さえ覚えることがあります。
 しかしこうも食べ続けていると、「ああ!おいしかった」という感動はほとんど湧いてきません。そうかといって、ほかのものを食べてみても、最初のひと口ふた口はおいしいと感じますが、半日もするとまたすしが食べたくなるのです。それでは惰性で食べているのかというと、そうではない証拠に本物以外はのどを通らないのです。こういうことを言うと、人は毎日すしを食べられる私のことをうらやましがりますが、こちらにすればそうとばかりも言えません。
 どんなにおいしいものでも、毎日毎日機械のように食べ続けていると、必ず飽きが来るものです。飽きの上にさらに飽きを重ねていくと、そのうちにそのものが嫌いになります。
 しかし、食べ物の味わいはそういった状態になって初めて客観的にとらえることができるようになり、本当の味が理解できるようになると思えるのです。ですから、おいしいと感じているうちは、食べたいという欲求の陰に隠れて真味はわからない場合が多いのです。食べ飽きるということが食味における一種の悟りのように思えてなりません。
 もちろん、このような食べ方は例外で、食べる側としては悟りも糸瓜もありません。食べておいしければそれでよいことですし、なまじ悟らないほうが幸せに違いありません。しかし、私の本音では、飽きを重ねることができた本当の理由は、それ以上に何度も何度も、心を揺さぶられる感動を魚や貝から与えられたからです。

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