分からないことは分からない
分からないことを分かろうとすることは大事なことであると思う。なにかのきっかけで分からないことが分かったときは嬉しいものだ。しかしそのように分かるまでは、分からないことは分からない。それなのに分かろうとしても分からないことを、分かったような顔をしているのは恥ずかしいことである。
いつもブログを拝見しているマケイヌイカさんのブログに東野圭吾の「片想い」という小説を読んで感じたことが書かれていた。私は読んでいないけれど、性同一障害がテーマらしい。マケイヌイカさんはそのことを自分なりに考えている。
そのことを私もちょっとだけ考えてみたけれど、分からないことは分からない、と思った。世の中は同性婚があたりまえに認められるようになってきた。いままでは激しくバッシングされてきたことが、いまは胸を張って堂々とできることになった。そのことを非難するつもりは少しもないが、それを積極的に支持して祭り上げている人々はなんとなくうさんくさい。
おうおうにしてそういう人は以前にはバッシングする側だったりする。戦争をあおった人間が、掌を返して平和主義を唱えるのを今まで見てきた。
普通の人は積極的に同性婚に反対も賛成もしない。男が女の気持ちを、そして女が男の気持ちをわからないのだもの、同性を愛する気持ちはさらにわからない。分からないことは分からないのだ。ただ、それがどういうことか、これらのニュースを見てなんとなく考えてはいるはずだ。
おかまとかホモと呼ばれる人がテレビにしばしば出るようになって久しい。眉をひそめる人もいるが、私はそれほどでもない。ただ、中に好きな人と、ひどく嫌いな人とがいるのは、それ以外の人を見るときと全く同じである。嫌いな人の名を挙げたいが、やめておく。
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同性婚を認めることが先進的なようなイメージがありますが、戸籍制度を変えるより、遺贈の税率を相続税と同じにしたり、一定の条件を満たした同居人に家族と同じような権限を認めるような制度にすればややこしく考えなくてすむと思います。
わからなことをわかったようにふるまうより、わからない人も不利にならないような制度にすればと思います。
投稿: けんこう館 | 2016年5月 9日 (月) 11時43分