足尾駅界隈
足尾は、いまは日光市に編入されている。銅山があった時代に栄えたが、閉山してからさびれてしまった。観光で盛り返そうと、銅山観光に力を入れて、足尾銅山を世界遺産にしようという動きもあるようだが、残念ながら可能性は低そうだ。
わたらせ渓谷鉄道も、銅山観光のある通洞駅界隈は多少の賑わいがある。しかしその先の足尾駅には見るべきものがあまりない、と思っていた。たまたまわたらせ渓谷鉄道の、トロッコ列車(土日祝日のみ運行・要予約)のチラシを見たら、古河掛水倶楽部という建物が紹介されていた。100年ほど前に銅山の迎賓館として立てられたもので、資料館も併設されているという。それを見に行こう。
足尾駅。だれもいない。降りたのは私一人。
海抜640メートルもあるのだ。ここから日光まで、車なら一時間もかからない。
駅から200メートルほど歩くと煉瓦造りの建物が見える。あれが掛水倶楽部か。フェンスのなかはテニスコートである。しかし草ぼうぼうで、テニスはもうできないだろう。
なんと、閉館中。開くのは土日祝日のみ、トロッコ列車のときだけなのだ。
門から中を覗くと建物がいくつか見えるが、残念ながら入れない。
次の帰りの列車まで四、五十分ある。どうしよう。少し先に橋が見える。渡良瀬川をまたいでいるその橋から川でも眺めようか。
橋のたもとにこの川が渡良瀬川と名付けられた由来が書かれていた。えらいお坊さんが修行の旅の途中にこの川を渡ろうとした。浅瀬があって渡ることができたので渡良瀬川と名付けたのだそうだ。
橋に軍手が重ねて置いてある。乾しているとも思えない。誰かが忘れたのだろうか。だれもいない。
橋から下を覗いて驚いた。すばらしく澄んで透明な水が流れている。
渡良瀬川と言えば鉱毒水で有名で、汚染された川と思いがちだが、もともとはこのようにきれいな川だったのだ。それにこの辺りは銅山より上流だからずっと変わらずきれいだったのだろう。
これが下をのぞき込んだ渡良瀬橋。木立のなかに古河掛水倶楽部がある。
ここから少し足を伸ばすと、たくさんのトタン葺きの住居がある。
銅山に働く人々の社宅だろう、とすぐ分かった。
人が住んでいるやらいないやら、と思って眺めていたら、一軒の家でテレビの音がした。
高台にも住居が。こちらはやや大きな一軒家だから、少し偉い人が住んでいたのかも知れない。
通りがかりの老人がややうさんくさげにこちらを見ている。
この辺りは銅山にはたらいていた人の社宅ですか、と尋ねると、そうだ、いまはほとんど住んでいないけれどなあ、との答え。自分を含めて6家族くらいしか暮らしていないのだという。
目の前の建物を指さし、ここは生協で、みなここで買い物をして賑わっていたのだけれど、ここも今年中に閉めるそうだ、とさびしそうに言う。住人がいなければ店もやっていけない。残された人はどうするのだろう。
駅に戻る。駅の前には小さなディーゼル機関車が置かれている。またふたたび鉄路に乗ることはなさそうだ。
足尾駅のホーム出戻りの列車を待つ。ついに私以外だれも乗客の姿を見なかった。
次は途中駅の大間々というところに立ち寄る。
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徒歩では結構な距離を散策されましたね。
足尾はどこを見てもわびしい限りです。
足尾精錬所の高台にかっての住居跡が多数残されていますが
私が数年前に見たときは荒れ放題でした。今はどうなっているやら。。。
また、画像の川に沿って山に向かうと、工夫たちが利用した風呂跡や
学校跡もありましたが、これもどうなったか。。。
管理が行き届いておらず、足尾の世界遺産登録は到底無理でしょうね。
投稿: おキヨ | 2016年5月22日 (日) 12時40分
おキヨ様
間藤まで行くと高台に銅親水公園があっておっしゃるような場所も見られるらしいです(桐生の人に聞きました)。
しかし間藤の駅から一時間くらいかかるらしいので、パスしました。
石見銀山が世界遺産に登録されたので、足尾もそれにつづこうとしたのでしょうが、石見銀山は若い人を中心に町を挙げて努力していました。
足尾にはそのような活気もやる気も見えませんから、無理でしょうね。
投稿: OKCHAN | 2016年5月22日 (日) 14時29分