過労死
残業時間が多いと過労死になる率が上がるという。それはそうかも知れない。厚労省は残業時間の規制をするための法整備を検討中とニュースで報じられた。
同じ仕事をしてもてきぱきと片づけられる人と、だらだらと要領の悪いやり方をしている人といる。同じ時間働いても、終わらずに残業をしなければならない人と定時に終わってしまう人とがいる。
もしそれぞれが残業をするとき、残業による疲れはどちらが大きいだろうか。身体としては仕事量をこなしている人のほうが大きく、そしてだらだら仕事をしている人のほうが精神的な疲れが大きいような気がする(経験上いろいろな人を見てきてそう思う)。
ある百人ほどの工場の会社の若い社長と仕事で縁があった。ひとまわりほどその人のほうが若いが、私はそのバイタリティと前向きな姿勢に敬意を感じて一目置いていた。私が儀礼的ではなく、心から敬語が使える人だった。
一日三、四時間しか寝ないという。早朝、自分でボイラーに火を入れ、工場の準備をし、従業員に朝の指示をしたあと、仕事をする。現場で働き、来客の相手をし、営業に回り、ときには大型トラックで大阪に配達に行った。そこでもちろん相手の会社と折衝もしてくる。夜帰ってきてからどうしてもその日にしなければならない現場の仕事を最後まで片づけると深夜になる。だから睡眠時間は三、四時間しか取れないのだ。
これが休日以外毎日続く。休日も休日しかできない仕事をしていた。即断即決、気にいらない来客には、二度と来るな、とはっきり言う。大会社の社長だろうが海外だろうが、思い立つとその場で電話を入れる。
この人は日々の人生の半分が世の中の人の言う残業だった。もちろん経営者だからそれを残業とは言わないが。過去形で言わなければならないのは、この人が四十代前半で過労死したからだ。仕事関係の人たちも含め、葬儀に参列したすべての人が涙を流している葬式を、私は生まれて初めて見た。
同一労働同一賃金という。大変けっこうなことだ。しかし労働は行った仕事量で評価するもので、同じ仕事量を倍の時間をかけてやっていたらそのとき賃金を半分にするのだろうか。人には能力があり、向き不向きもある。仕事の評価をだれがどのようにするのか、そこがあいまいなまま、労働時間だけを仕事量としてみるしかないらしい世の流れを見ていると、平等とはなんなのだろう、と思う。世の中はもっとファジーでもいいのではないかと思ったりする。不満があれば辞めればいいだけのことなのだから。

ブラック企業のような犯罪的な企業を規制するためであることは分かるが、ロボットの仕事を評価するように人間の仕事を評価しようとすることの是非を、もう少し原点から見直す必要がないだろうか。
過労の問題も、心身が弱いから過労になる人と、丈夫で仕事に生きがいをもち、人の分まで引き受けざるを得ないこともあって、過労になってしまう人とがいる。どちらが過労死するか。人は限界を超えていることに気が付かないことが多い。私は仕事のできる人ほど過労死しているかも知れないと思う者で、その点では過労死は社会の大きな損失だと考える。
過労死の問題や同一労働同一賃金をとなえる人の中に、楽をしたい人たちに迎合するにおいを感じてしまい、本質的な問題が後回しのような気がする。大事なことなのだが、今の規制の流れに、現場の仕事の現実と少しだけ違和感があるのは、私がおかしいのだろうか。
だらだら書いたが、なんだか伝えたいことがうまく書けなかった。たぶん、仕事というものをマルクス主義的にとらえている現代社会の常識が問われているのだけれど、そんなことを言い出せば、私自身がわけが分からなくなってくるのでここまでとする。
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働くという概念も考え直さないといけない気もします。家事・子育ても含めた日々生きることも
働くという大きな枠の中に入れて考えないと解決策は出てこない気がします。
投稿: けんこう館 | 2016年5月19日 (木) 10時21分
けんこう館様
仕事が金銭という報酬と等価の労働である、とするのはマルクス主義的な考えだと思います。
仕事にはそれ以外の生きがいや楽しみの面もあります。
それに仕事と報酬は等価であることは絶対ありません。
等価であっては会社は成り立ちません。
等価だと考えるから常に報酬が少ないと考えて、資本家に収奪されているという共産党の世界観につながってきます。
利益の一部を報酬として受け取り、一部は他の人に、そして一部は社会に還元される仕組みになっていることを忘れているのですね。
投稿: OKCHAN | 2016年5月19日 (木) 16時18分