「昇進拒否権」のニュースから
朝鮮日報掲載の面白い記事を見た。現代自動車の労働組合が、今年の賃金と労働協約の交渉で、一般社員と研究職社員の課長職への昇進拒否権を認めるように要求したという。
昇進は異動とおなじように会社の業務命令のようなものだろう。上昇志向の高い人には嬉しいけれど、意に沿わない場合も当然ある。責任を持ちたくない、という考えの人もいることだろう。しかし「拒否権」とはなんたるいいかただろうか。人間として業務命令を拒否することは可能であり、もちろん許される。しかしそれを拒否することで引き受けなければならないことが生ずることも覚悟するのは当然だ。
「拒否権」という言い方は、その拒否したことで引き受けなければならないことが生ずることを「拒否する権利」ということでもある。会社は営利組織であって、民主主義で運営されているわけではない。どうもそのあたりまえのことがはき違えられているようだ。
組合が拒否権を主張した意味を新聞はこう推察している。課長になると労働組合員の資格がなくなることで、人事考課の対象となり、組合の庇護が受けられなくなるからだろうと。
護られ続けたいと願う人と、組合員を確保し続けたいという組合との利害が一致したから、このような主張になっているのだろう。会社は優秀な人を昇進させたいと考えて辞令を出すものだろう。そのような人が昇進を拒否するだろうか。それも不思議なことだ。韓国も有能無能にかかわらず昇進させる年功序列システムなのだろうか? それとも責任だけ重くなって賃金のなどの待遇がそれに伴わないのだろうか。
差し障りがないとは言えないが、ずいぶんむかしのはなしなので自分の経験したことを書く。当人が読むことは考えにくいが、もしものときは申し訳ない。
残念ながらあまり仕事ができない営業員がいた。不真面目ではないのだが、相手の気持ちの動きを読み取ることの苦手な人で、会話が否定語に終始するきらいがある。自分が営業としての役割で相手と折衝しているということが理解できずに、自分自身がつい表に出て来てしまう。その上気が小さい。これらがそろっていることは営業として致命的である。
営業以外の部署に異動させるることも検討されたらしいが、引き受ける部署がないためにそのままになっていた。そして私が彼の上司になった。彼は気が小さいので、自分の失敗を正直に報告できないことにまず気がついた。こちらは経験から彼の行動をほとんど読み取れる。指示を出し、結果の報告を求め、進展がなければ得意先に同行して援助する。そのうちに同行をいろいろな理由で回避しようとしはじめた。
得意先の中には彼の気の弱さにつけ込む人もいる。無理難題を突きつけてくると、彼はそれをことわりきれない。しかもそれを報告したら私に叱られることがわかっているから報告できない。板挟みで苦しんでいるのが見て取れた。強引に彼をそれらの得意先に連れて行き、すべて片付けた。そのときの彼の晴れ晴れした顔は忘れられない。可哀想だ、と思い、営業を外れてもらうことになった。
その彼は、私とほとんど年は近いので、その当時の私とほぼ同格の待遇の管理職だった。彼がエスカレーターのように管理職の階段を上がることに反対する人(もちろん私も)がいたのに、その彼を次々に昇進させた人がいる。彼のことをよく知っているはずなのに、平等を勘違いしたのか、彼だけ遅らせると彼に傷がつくことを可哀想に思ったのか、それは知らない。
その結果、社内の人たちの中に不満が高まっていた。それは結局彼にとって不幸なことになったのだが、残念ながら彼は他人の気持ちを忖度する能力がない。自分がただの被害者だと感じていたか、それともなにも感じていなかったのか。最後は、会社は彼に退職を勧奨することになった。彼からはそのあと、お礼の手紙が来た。気持ちが楽になったことを喜んでいるように読み取れたが、儀礼的なのか、本当のお礼の気持ちなのか、わからない。
「昇進拒否権」というニュースから、そのことを思い出した。
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