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2016年5月15日 (日)

相棒

 昼間、暇なときに再放送の「相棒」を観る。リアルタイムで観たことはないが、一度見始めると面白いので最後まで観てしまう。ただ、あの後半のCMの洪水には辟易する。そこで録画してCMを飛ばして観ると極めて快適である。民放の番組はニュースを除いてすべて録画して観るに如かずである。

 こうしてドラマなどを観ている人は多いだろうし、どんどん増えているだろう。一時間ドラマといっても実際は55分足らず、CMを除くと正味40数分だから時間の無駄を省ける。

 CMが限界を超えてきている。その限界が番組の二割の人もいれば三割の人もあるだろう。感覚的にいえば、番組後半で番組そのものとCMが、ほとんど交互に同じ長さに感じるのが限界点だろう。私には現在のCM量が限界点か、すでにそれを超えているように感じる。しかも間に挟まれるCMが1分半から2分になり、さらに2分半、甚だしいときは3分に及びだした。

 それなら視聴者は防衛上録画して、CMを見ない方策をとるだろう。高額の経費をかけてCMを流しながら、それを見る人が減り続けるというのはジョークみたいなものだ。これは経済活動だからなくすことなどできないけれど、そもそもテレビがNHK以外はタダであることがCM氾濫の原因であろう。

 タダで見せているのだもの、その対価としてCMを見るのは当然、と放送局は思っているのだろう。衛星放送など、昼間は番組すべてがCMなどという時間帯(それ以外は場面転換もなく、カメラも固定の、学芸会以下のレベルの陳腐な韓国ドラマ)が山のようにある。そんな番組を見る人などそのCM提供会社の人間だけではないか。

 放送休止しないためにそんな番組で埋めているだけであろう。まだまだ日本は金余りの豊かな国なのだということなのだろうが、愚かなことである。

 CMの話をしようと思っていたのではないのに、つい熱くなった。

 「相棒」というドラマのことである。一度録画して見始めると、続けて観たくなる。スペシャルを含めて第三シーズンをすべて観た。水谷豊が少し若い。明日からは第六シーズンが放映されるようだ。どういう順番になっているのだろう。

 水谷豊といえば、最近の水谷豊と、ときどき旅にご一緒する兄貴分の人がなんとなく似ている。そのことを本人に言ったら、あまり愉快そうでない反応が返ってきた。兄貴分の人には若い頃の少しちゃらちゃらしていた頃の水谷豊のイメージが染みついているようだ。

 北方謙三の小説「逃れの街」を原作とする同名の映画(工藤栄一監督)で観た水谷豊は、そんな時代の水谷豊だった。忘れられない映画だ。だから私は水谷豊が好きなのだ。蘭ちゃんの旦那でもあるし。

 沢口靖子主演の「科捜研の女」シリーズもたまに観ると面白そうだ。沢口靖子と言えばデビュー映画の「刑事物語」(武田鉄矢主演)で注目の大物新人と騒がれたのに、それほどでもなかったのは残念だが、この映画を劇場で見て、可愛かったのをよく覚えている。

 こんな風に手を広げるとドラマばかり観なければならなくなりそうで、危ない。ほどほどにしなければ。CMさえなければタダでしかも安く楽しめる。

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