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2016年6月

2016年6月30日 (木)

被害妄想のトランプ

 他者との利害関係の落としどころは、互いにとって必ず不満なものである。もともと100%自分に都合の良いものが、もっとも満足すべきものなのだから、それは当然なのだ。もし神様が公平な裁定をしたとしても、互いに自分のほうが損が大きいと考えるだろう。だから互いに自分のほうが少し譲り過ぎだ、と思うところが妥協点になるのは世の習いと知るべきだ。

 そんなことはわかっているつもりでも、自分が当事者になるとそれを忘れる(私もある交渉ごとでそれを実感しているところだ)。それよりも、最近はそんな世の習いそのものを知らない人の多いことに驚く。人間は愚かになったのか、もともとそうだったのか。

 外交でも経済関係でも妥協点は互いに不満なものだが、妥協しないとそれ以上に不利益だから、互いに交渉し、主張すべきところは主張して駆け引きし、落としどころを探して手打ちとなる。結果について批判しようと思えば、いくらでも批判できるのは妥協したのだから当然なのに、100点満点ではない、と非を言い立てる輩がいる。

 自分が当事者になることをまったく想定出来ないことを承知の上で、無責任に騒ぎ立てている民進党(まさに社民党のコピーのようだ)はさておいて、当事者に名乗りを上げ、ポピュリズムに乗って見得を切っているのがドナルド・トランプという男だ。

 米韓FTAという貿易協定がある。韓国は、TPPに参加しない代わりに、アメリカやその他の国と個別に一歩進んだ自由貿易協定を結んでいる。トランプはこの米韓FTAにより、対韓国の赤字が倍増し、アメリカの雇用10万件が失われたと非難し、自分が大統領になったらこの米韓FTAを再協議の対象とする、と表明した。

 韓国内でもアメリカに有利すぎる(私もそう思う)として不満の多いFTAですらそうなのだから、より平等なTPPについてトランプが賛同するはずもなく、アメリカはTPPから脱退すべきだ、と公言した。それどころか北米自由貿易協定(NAFTA・アメリカ、カナダ、メキシコなどと結んだ自由貿易協定)も、自分が大統領になったら再協議するという。

 最初に述べたように、協定は妥協の産物であるから、必ず自国に不利益な部分があるのは当然なのに、100%自国に都合が良くない、と非難しているのだ。

 アメリカ国民の中には自分が損をしている、させられている、と感じているものが多いらしい。それは自分の生活が昔よりも苦しくなった、それが誰かに奪い取られていることによるものだ、と考えているのだろう。確かにアメリカは先進国の中では極めて貧富の差の高い国だ。富が偏在して国民の多くが不満を持っていることは間違いない。

 だから政治家の役割は、経済的なマイナスがなるべく起こらないように配慮しながら、その富の偏在を是正することであろう。サンダースが人気があったのはそういう理由だと思う。

 そもそも戦後、アメリカには世界の富が集中して、アメリカ人は世界中が豊かさをうらやみ、理想とするような生活を享受してきた。その富の集中はいまのところ持続しているとはいえ、世界の貧しい国々、特に中国やアジア諸国が次第に豊かになることで、アメリカだけが豊かではなくなった。貧しい国々の富が集まってアメリカは豊かだったのだから、それらの国が豊かになればアメリカは相対的に一人勝ちなど出来ないのは道理である。

 エントロピーの法則ではないけれど、世界は平準化していくものだ。

 それをアメリカ人は自分の持っているものが奪われている、と感じている。いままでは、エスタブリッシュやウォール街に犯人がいる、とされてきたが、トランプは海外の国々が犯人だ、と主張しているのだ。アメリカ人の被害妄想をあおり、それをかき集めてエネルギーにしようとしている。

 もともと政治とは関係のないむかしから、いつも犯人はアメリカ以外の国だ、日本だ、中国だ、というのがトランプの考えだったから、日米貿易摩擦時代の感覚のまま被害妄想を肥大させてきた人物だということだろう。

 アメリカ政府だって自国に不利な協定など結んできたわけではなかろう。したたかな交渉をして、どちらかと云えば自国に有利な結果を勝ち取ったことがほとんどだろう。妥協したのは、妥協によってアメリカが失うものよりも、協定によって得られるものの方が大きいという判断だったはずで、アメリカを損なうような協定を結ぶはずがない。

 ということは、それらの協定を否定することが、アメリカにとって不利益であるのは考えればわかる。彼は再協議でより自国に有利なものにする、と豪語しているけれど、相手もぎりぎりの妥協の上で協定したのだから譲れないものは譲れない。然らばトランプはどうするのか。中国のように軍備で、それとも経済制裁で相手を脅すのか。

140920_211 トランプの表の顔

140920_227 裏の顔

 被害妄想の人物は世界観が歪んでいる。被害妄想者は常に誰かのせいで自分が損をしている、と考える。自分の責任を考えることの出来ない、ある意味で弱い人間であると思う。さいわいトランプ人気にも陰りが出ているというけれど、イギリスのEU離脱に見る通り、あり得ないことが起こる。アメリカ大統領選挙こそ、衆愚政治の典型だから国民投票で衆愚政治の再来が起こらないとはいえない。世の中どうなっていくのだろう。不謹慎ながら、自分に火の粉がかからない間はちょっと面白いけれど・・・。

政治家の弱さの表れ

 政治家の弱さとはなにか。ポプュリズム、すなわち大衆迎合主義である。ポプュリズムとはなにか。政治家の責任放棄である。

 今回のイギリスのEU離脱の国民投票の結果に、当のイギリス国民がもっとも驚いているようだ。やり直しを求める署名が増えているようであるし、離脱に投票した人たちの口から、離脱推進者たちの嘘に騙されていた、という恨みの声が聞かれている。再度投票の機会があれば残留を選ぶ、という声も多いようだが、これだけ世界に激震を起こしたことについて無責任な物言いだろう。

Dsc_3926 驚いたぜ!

 外交評論家の宮家氏が、キャメロン首相を「追い詰められて国民投票という無責任な方法に逃げた弱い政治家だ」と非難していた。確かに宮家氏の言う通りだと思う。

 キャメロン首相は、まさか離脱派が勝利するとは思わなかっただろう。国民投票でEU残留が決定して、自らの政策の支持としたかったのだが案に相違した。しかし離脱が決定した責任は彼にはなく、国民にある、と彼は考えているようだ。だから彼は怒っているようだ。物言いに少々感情的なところが見受けられる。彼は離脱についての交渉は次期首相に委ねる、として今回の尻ぬぐいを公然と拒否している。何しろ彼に責任はないのだから。

Dsc_3896 開いた口がふさがらない!

 あきれるのはEU離脱推進をした面々が、投票で勝利した瞬間は天下を取ったようなガッツポーズをしていたのに、離脱後に押し寄せるさまざまな困難が明らかになるにつれて、離脱後の責任を積極的に引き受ける姿勢を見せないことだ。国家の大事を政争の具にして名を挙げたかっただけで、自分がそれを引き受けるつもりなどない、意気地なしばかりのように見える。

 あえて火中の栗を拾う政治家はいないのだろうか。

 ポプュリズムの政治家といえばまさにアメリカの大統領候補、トランプ氏もその典型的な人物だろう。彼は弱い政治家なのだろうか。そもそも政治家ですらないとしか思えないが、そのトランプ氏の対外経済政策について面白い記事を見た。長くなったのでそれは次回に。

書くことがない

 書くことがないのでちょっとサボっている。


 なにかがあったわけではない(なにもなかったわけではないが)。

2016年6月29日 (水)

立花登青春手控え

 NHKBSの金曜時代劇で「立花登青春手控え」というドラマを放映中。今週の金曜で第8話が放映されてひとまず終了する。

 これは藤沢周平ファンならわかるように「獄医 立花登手控え」を原作としている。原作は「春秋の檻」、「風雪の檻」、「愛憎の檻」、「人間の檻」の四巻のシリーズで、講談社文庫に収録されている。藤沢周平のものでは「清左右衛門残日録」とならんで私の特に好きな小説である。

 じつは「立花登青春手控え」は一度NHKでドラマ化されている(1982年)このときは全24話で放映され、原作のシリーズが完結するまでが描かれていた。中井貴一主演のこのドラマがとても出来が良かったので、そのあと原作を読んで二度楽しんだ。「御宿かわせみ」シリーズとならんで忘れられない。

 今回は溝端淳平が主演。キャラクターとしては私のイメージを壊すものではないから、リメイクとしては悪くないと言うことだ。リメイクではたいてい幻滅する。ドラマのセットもむかしのものよりずっとリアルに作られているようだ。ここまでは悪くない。

 しかし微妙に違和感がある。それは前回との比較の問題ではなく、ドラマの演出や俳優の所作、描かれている時代についての世界観の問題である。細部についてはメモしていないから説明しにくい。

 立花登は医学の道を学ぶため、江戸で医師として開業している叔父を頼って出羽から江戸へやってくる。叔父のところで居候のかたちで診察の手伝いをしている。そんな叔父の仕事の一つに小伝馬町の牢医の仕事がある。

 江戸へ出て三年、ほとんど叔母やいとこのちえから使用人のようなあつかいでこき使われ、名前も呼び捨てにされている。しかし叔母の尻に敷かれている叔父は見て見ぬふりをしている。その登の唯一の息抜きは柔術道場での修行だ。

 そんな登に叔父は牢医の仕事を一人で引き受けるように言い渡す。

 物語は、その小伝馬町の牢で出会ういろいろな罪人との関わりで、登が巻き込まれる事件と、それによってそれぞれの罪人たちの人生を垣間見る、という仕立てになっている。これはそうしておとなに、そして男になっていくという、成長小説なのだ。

 だから小伝馬町の罪人たちの暗さと哀しさが、見ているこちらに伝わらなければ、事件の解決が登の成長の糧になったという実感が掴みにくい。

 特に哀しさは、描き切れているとは言いがたい。だから余韻が弱く、登が一皮ずつむけていく、という様子が見えないのだ。これではただの少し変わった捕物帖である。

 思い入れが強いので、少し辛口にすぎるかもしれない。ただ、前回の中井貴一主演のときにはもっとずっとその哀しみが胸に迫ったものだ。

 今回の8話では四巻のシリーズの前半二巻からの物語が選ばれている。だから第二シーズンが作られるのではないかと思う。そのときにはもう少し登が成長し、ちえも大人の女に成長する様子が描かれることを期待したい。溝端淳平は好感が持てるのにもったいない気がする。

 たぶんこのドラマは遠からず地上波で放送されると思う。前作を知らなければ、面白く見ることができる程度の作品である。

2016年6月28日 (火)

沢木耕太郎「銀の森」(朝日新聞出版)

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 沢木耕太郎は気になる作家である。ノンフィクション全集も出ていて、揃えたい気もするけど、読まないと思われる巻もあるので、個別に気にいったものを買うことにしている。
 
 「銀の森」というのは銀幕の森、ということだろう。この本は1997年から2007年の間に彼が観た映画についてのエッセイである。一ページで彼なりの映画から感じてつけた標題と、その映画の題名(例えば、「彼が世界を見捨てるとき」・『グリーンマイル』)、続く三ページで内容と彼がそこから感じ、そして考えたことが語られている。全部で90の映画が語られているのだが、関連する、または比較する映画も語られるから、全体では軽く百を超える。

 1997年から2007年の間、といっても、それは映画制作年のことではなく、沢木耕太郎が観た時期、ということだから、『ローマの休日』のような映画も含まれている。

 私は残念ながらこの期間は仕事が忙しくてあまり映画を観ていない。だからとりあげられた映画の中で、観たことのあるのは10作ほどだ。自分が観た上で沢木耕太郎のこのエッセイを読んでみたい、と思ったけれど、そうなるといつになったら読み始められるかわからない。観たつもりになってこのエッセイを楽しんだ。

 いつも通り、沢木耕太郎の複眼的な感性に、映画を深く観ること、同時に素直に観ること、そして考えることの楽しさを教えられた。

 この続編として「銀の街から」という本に、2007年から2014年までに観た映画についてのエッセイがまとめられている。

乱れまなこの勝手読み

 イギリスのEU離脱推進派は、国民投票前に、EUから離脱すればイギリスにバラ色の未来が来ることを公約していた。例えば、イギリスがEUに拠出している負担金がなくなるために、財政難の国民保険サービスに週あたり480億円を出資することが可能になる、などと公約していた。

 これらの公約は離脱運動の宣伝バスに大書されていたものだという。ところが選挙後、離脱派のリーダー達はこの公約は確約できない、と言いだした。ひどいのになると、そんな約束をした覚えがない、などと言い出したから、離脱派、残留派双方から激しい怒りを呼んでいるという。予想されていたこととはいえ、お粗末なことである。これこそ民主主義の勝利か?

 韓国の造船業は一時期世界を席巻する勢いだった。その韓国造船業界が価格では中国に太刀打ちできず、技術では日本に及ばず、受注が激減して危機に瀕している。その造船業界は危機打開のために海洋プラントプロジェクトに傾注してきた。

 海洋プラントと言えば多くはエネルギー資源採掘のためのものだ。しかし原油価格の低迷などで、そのような海洋プロジェクトは資金的に持続困難になっている。韓国の造船会社は完成したプラントの引き渡しを拒否され、資金面で危機を迎えているという。

 このようなプラントは完成引き渡し後に支払いが行われる慣習で、支払い不能のために引き取りを拒否されているのだ。もちろんそのようなプラントは海外との契約で進められたものだ。巨額の焦げ付きが生じたら、どうなるのか。

 韓国の輸出にブレーキがかかっていると言われて久しいが、どうも回復の見通しが見えないようだ。韓国政府筋は、今年の輸出は対前年2.1%増を予想していたが、今回4.1%減へと大幅下方修正した。これにはイギリスのEU離脱による影響は織り込めていないと思われる。

 それにより、韓国の経済成長率は3.1%から2.8%に下方修正された。これが楽観的かどうかはこれから明らかになるだろう(中国への輸出はさらに減少し、安価品が中国から韓国に流れ込んでくることは明らかだから、日本よりもダメージは大きい。私は楽観的にすぎると思う)。

 ただ、韓国旅行は安くなることが見込める。一時的かもしれないが、反日も少しは緩和されるだろう。

また久闊

 同期入社で、仲の良かった友人が五年ぶりくらいに連絡をくれた。心当たりのない番号からの電話だったので、誰かと思ったが、「わかるー?」の一声ですぐわかった。まだ在職している私の若い友人に携帯の電話番号を聞いたのだそうだ。

 所用で名古屋へ来るが、本日夕方、都合はつくか?と言う。行く!と即答した。そういうわけで今夕は名古屋駅で待ち合わせ。

 ユニークな思考法をする友人で、人生の優先順位が私とだいぶ違う。だから定年後は積極的な交流を求めなかったが、嫌いではない。と言うより、会う機会があれば会いたいと思いながら、ずるずると会わずに過ごしてしまったことを残念に思う一人である。 

 そんな彼から連絡をもらったことがとても嬉しい。

 時間はあまりないようだが、互いの消息や情報交換を楽しみたいと思う。大酒する男ではないから、飲み過ぎは心配ない(と思う)。

2016年6月27日 (月)

小松左京「小松左京ショートショート全集①」(ケイブンシャ文庫)

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 ケイブンシャ文庫を最近見ないな、と思ってネットで検索してみたら、勁文社という出版会社そのものがすでに倒産して存在していないのを知った。

 遙かなむかし、SF少年だったので、ショートショートも大好きだった。好きだから中学時代、高校時代はいくつか迷作を執筆し、級友に廻し読みしてもらった。30作以上ものしたはずだが、形で残っているのは三作のみ。当時はアイデアが次から次に湧いてきたものだが、ほとんど忘れた。

 久しぶりに小松左京のショートショート全集を読み直した。この全集は全三巻、全部で200話くらいある。間違いなく面白いのだが、昔ほど感激がない。それほど感性が鈍磨したのだろうか。わくわく感がないのは、感性の鈍磨よりも自分の精神の変化が理由かもしれない。

 物語に意味が感じられないとわくわくしないからだろうか。中国や日本の単純な志怪小説にあれほどわくわくするのに。

 わくわくしないと読了するのにいささか疲労を感じる。面白ければ良いというわけではないようだ。

シンクロナイズ

 朝は比較的にすんなり起きられるほうである。だいたい5時から6時には起きる。それが今朝はなんとなく不調で起き上がれない。まあいいや、ともう一度朝寝をした。  

 いささか体調が戻ったとはいえ、なんとなくすっきりしない。食慾はあまりないが朝ご飯をむりやり食べて、ブログを開こうとしたらニフティは開くけれど、自分の部屋へ入れない。しばらくして、異常が発生していて修復中との情報を知る。ブログの閲覧は可能なようだ。ただ、更新が出来ない。復旧の見通しはまだない、とのことだ。書くネタも尽きているから、ちょっと休め、というサインか。

 ブルーレイレコーダーがまた満杯に近いので、残したい映画をディスクにダビングすることにした。ところがダビングを開始したとたんエラー表示が出てとまってしまった。ダビングしようとした空ディスクに異常があるのかと思って、別の空ディスクで試したが、まったくおなじなので、ディスクの異常ではないようだ。

 まったくどうなっているのだ。不調が二つ重なることは偶然としてあり得ることだろう。しかし立て続けに三つの不調がつづいて発生した。こういうときはユングの言うシンクロナイズを感じてしまう。偶然以上の不思議な同期がこの世にある、と思わざるを得ない。

 しかしそう感じたとしても、不調が治るわけではない。

 ブルーレイレコーダーのクリーニングを久しぶりに試してみる。二、三度繰り返したら、ダビングが出来るようになった。どういう理由で不調になり、なぜ復活したのかわからないが、とにかくめでたい。そうこうしているうちに、体調もいつもに近い程度まで戻っている。

 あとはニフティの回復を待つだけだ。もしこのブログが掲載できていれば、とりあえずの不調の同期は収まったということだ。

2016年6月26日 (日)

民主主義

 民主主義を論じるほど民主主義について知っているわけではない。人並みに知っているかどうかも怪しい。毎日拝見しているブログの一つ、「shinzeiのブログ」で、shinzeiさんが民主主義について懐疑的な意見を書かれていた。最近私も民主主義に多少懐疑的な気持ちになっていることは確かだ。

 民主主義は、人間は全体としては正しい判断をするものだ、という性善説に基づいている。楽観的な世界観と言って良い。だがその民主主義に基づいてナチスドイツが誕生したことも事実である。

 トランプ氏が共和党の大統領に選ばれたこと、今回のイギリスのEU離脱決定を見ていれば、人間が全体として正しい判断をする、というのが幻想であることがわかる。それぞれ理由があってのことだとは思うが、その理由と、それによって起こる事態に対する想像力が著しくバランスを欠いているような気がしてならない。

 どう見ても拝金主義者にしか見えないトランプ氏が、貧しい労働者のための政策を推進するなどと本気で信じているのだろうか。大盤振る舞いはするだろう。一時的に喝采を浴びるだろう。しかしアメリカが内向的になることで国力を低下させれば、アメリカは、いま座っている特別席から降りなければならなくなる。栄光の大英帝国がただのイギリスになったように、アメリカもただのアメリカになるのだ。いつかは来ることをトランプが早めるということだろう。

 そうなればアメリカ人だけが豊かな暮らしをしていた時代の再来を夢見た貧しいアメリカ人たちは、夢が叶うどころかさらに貧しくなるだけのことだ。

 今回のイギリスのEUからの離脱を強く支持した高齢者たちも、大英帝国時代のイギリスを夢見ているようだ。しかしそんな時代の再来などあり得ないことを若者達は知っている。移民問題をあおり立てて、離脱を推進した指導者達はこれから権力を獲得するだろう。

 歴史的判断の結果は、普通なかなか評価が難しい。別の判断をしたときとの比較が不可能だからだ。ところが今回のEU離脱についての結果の評価は簡単である。過去と離脱後との比較をすれば良いのだから。離脱前よりイギリス国民の暮らしが良くならなければ、離脱は間違いだったことが明確にわかる。

 そのとき矛先は誰に向かうのか。

 民主主義は最終的に多数決でものごとが決まることになっている。だから責任は全員にあるのだが、全員にある責任を、誰も自分の責任だと考えないで済むというシステムでもある。たぶん民主主義のもっとも大きな欠陥はここにあるのかもしれない。

 責任者がいなければ、無責任になるのはあたりまえではないか。

綸言汗の如し?

 朝の時事放談で、武村正義と丹羽宇一郎氏が意見を述べていた。二人は消費税増税の先送りを批判していた。その中で丹羽宇一郎は「綸言汗の如し」の言葉を出して、安倍首相を非難した。そこに違和感を感じた。

 漢和辞典によれば、「綸」とは青い帯紐のことで、皇位継承の印綬の紐の意のようだ。つまり転じて天子を表す。だから「綸言」とは天子の言葉の意味だ。天子の言葉は絶対で、誰も逆らえない。だからこそ、汗をふたたび体にもどすことが出来ないように、言い直しがきかないことを天子自らが強く自覚し、言葉に注意すべし、という意味である。

 昭和天皇も今上天皇もそれを良く自覚していることが強く感じ取れる。当然とはいえ、凡人に出来ることではない。その点で皇太子が残念な人であることは誰もが感じていることではないか。

 消費税増税の公約は訂正不能の約束ではない。現在の経済状況が増税を是とするか非とするか考慮すれば、変更した方が良いという判断はあり得るだろう。

 ところで安倍首相は天子であろうか。確かに強い権限を持ち、失言は許されない立場にいることは確かであるが、絶対に天子ではないし、その言葉は絶対的でもない。誰も絶対的だなどと思わないからこそ、批判することが出来るのである。

 それとも丹羽宇一郎氏には安倍晋三が天子に見えるのだろうか。

 イギリスが国民投票でEU離脱を決めたことで株は暴落し、急激な円高となった。このまま推移すれば、リーマンショック級の経済危機である。それなら消費税増税の先送りは結果的に正しい決定だったといえるのではないか。経済危機に増税するほど愚かなことはないのは、誰もが認めることだろう。

 時事放談はEU離脱の前に録画されたのだろうか。もし離脱が決まったあとに録画されたのだとしたら、この二人は現実とは異なる別世界の住人なのだろう。それともただただ安倍首相を批判したいだけの民進党の岡田党首とおなじ穴の狢か。

九州

 会社に入ってすぐ、鹿児島の大学の出身だった先輩に連れられて鹿児島へ行った。生まれて初めての九州だった。先輩の親友の家に泊めてもらい、連日朝から芋焼酎を飲んで、酩酊の中で指宿や桜島、天文館をさまよった。

 そのあと仕事で数回九州に行った。東北や北海道は縁があったのでなじみが深いが、九州と四国はほとんど未知の世界である。そこで定年後に車で二度、走り回った。もっとも行きたかったのが大分県・国東半島。期待通りすばらしかったので満足した。大分から湯布院へ、そして阿蘇周辺の広々とした景色も忘れられない。

11041_396 国東半島磨崖仏

11042_111 湯布院から見る由布岳

11042_56 阿蘇山火口

11042_194 阿蘇外輪山

11042_134 阿蘇大橋

 その思い出の地が地震や大雨で大変なことになっている。南阿蘇村には二度泊まっているので、ニュースで見るたびに他人事に思えない。

 南九州に元上司だった人がいて、訪ねたいと思いながら果たせていない。一昨年、兄貴分の人と九州へ行ったときに、すぐ近くまで行きながら、大病したあとの兄貴分の人の体調が万全でなく(そもそもそういう人を私の強行軍の旅に連れ回すのが問題であった)、途中で切り上げて、訪ねることが出来なかった。

 昨年、友人達と三人で訪ねる予定を立てた。しかし、私の母が死んだり、その他いろいろそれぞれに事情が生じて、計画は空中分解してしまった。思いはあるのになかなか行けない。

 昨晩2013年に撮られた路線バスの旅(田川陽介と蛭子能収とマドンナの三人旅)の再放送を見た。熊本地震の前の九州を、自分の走り回ったあたりの景色を見た。

 ふたたび行きたいという思いがつのったが、九州は遠い。

2016年6月25日 (土)

かき揚げを作る

 大好きで、定期的に作るものにかき揚げがある。バナメイ海老のむき身のパックを買い(少し量の多い目のものが嬉しい)、長ネギを幅5~7ミリくらいの輪切りにして加え、かき揚げにする。

 あまり大きなものにせずに、一つひとつを小ぶりに作る。ネギはこれでもかというほど大量に使うのが美味しい。

 天ぷらの衣はややゆるめが良い。揚げ油のふちからそっと淹れてカラリと揚げるといくらでも食べられる。

 最近は天ぷらを塩で食べさせるところがふえたが、私は天つゆ派だ。大根おろしと生姜を適当に入れた天つゆにつけて食べるのがいちばんうまい食べ方だと思う。

 今晩はそのかき揚げ大量生産、大量消費を実施することに決めた。

アメリカの白黒映画を見る

 久しぶりに映画を見た。WOWOWの「狙撃者」(1952年、エドワード・ドミトリク監督)、「クリムゾン・キモノ」(1959年、サミュエル・フラー監督)、「殺人地帯USA」(1961年、サミュエル・フラー監督)の三作。おなじ日(6/23)に録画したものだ。

 すべて白黒映画で、しかもあまり長くない。シンプルだった世界が、実は複雑でそれまでの世界観では解釈しきれないものであることに気がつきはじめたことを感じさせる映画たちだ。

 アメリカの映画ばかりだけれど、その時代のアメリカの映画人たちはそこからなにを学び、なにを残したのだろう。世界が複雑であることに気がついた彼らは、映画をひたすら複雑にしたてることで、本当の世界の不可思議さを見失ったのかもしれない。

 リアリティは単純さのなかにこそあるということを見失ったのはどうしてなのだろう。物語は一語で伝わることもあり、多言を尽くすほど気持ちは伝わらない。

 シンプルな映画も好い。

ニュース拾い読み

 イギリスのEU離脱決定について報じられた昨日のニュースの中からいくつか拾い読みした。

 中国外務省の報道官は、「英国国民の選択を尊重する」と述べた上で、「今後の欧州諸国への影響、動向を真剣に注視していく」そうだ。イギリスがAIIBに率先して参加したことで、ヨーロッパ各国がそれに追随した。今回のイギリスのEU離脱が中国にどのような影響を及ぼすのか読み切れないのだろう(当然だが)。

 ところが中国国営新華社通信は、今回の結果は「キャメロン首相の大ばくちの失敗」と酷評したそうだ。「西側の形式的民主主義が民族主義や極右主義の影響に抗しきれなかった」と批判している。ある意味では鋭い指摘かもしれない。

 その一方「イギリス、EU双方が、自らの利益の必要性から、さらに中国との関係発展を重視することで協力の新たなチャンスが生まれる」との見方も示しているらしい。経済的に中国とEU諸国の結びつきが強化されることを期待していることがよくわかる。

 気になったのは、スコットランドや北アイルランドではふたたび独立の気運が盛り上がりそうなことだ。スコットランドも北アイルランドも今回の投票で残留支持が上廻っていた。スコットランドは単独でもEUに加わりたいという意見も多いようだ。そうなるとふたたび独立が主張されるようになり、再度選挙をすれば今度は独立派が勝利するかもしれない。

 北アイルランドはイギリスに組み込まれているが、アイルランドとの南北統一を望んでいる人々も多い。アイルランドは引き続きEUの加盟国であるから、今回の結果は北アイルランドの人々をイギリスからアイルランドへ追いやることにつながりかねない。

 イギリス連合王国が崩壊する、と懸念する声も出ているという。

 韓国政府と与党セヌリ党は、イギリスのEU離脱の結果について緊急会議を行い、今後の韓国への影響を検討した。その結果「韓国の経済成長率の見通し」の「下方修正」をしない方針を示した。世界中がやや悲観的な経済見通しを示しているのに、韓国政府ははやばやと「たいした悪影響はない」と判断したことになる。

 これは本当に現時点での影響を検討しての判断なのか、「そうであって欲しい」という願望の表明なのかよくわからない。たぶん遠からず判断は事実の前に変更を余儀なくされると思うが。

2016年6月24日 (金)

なにを夢見たのか

 イギリス国民はEU離脱を選び、残留を呼びかけていたキャメロン首相は辞任を表明した。

 残留を呼びかけた人たち、それに呼応した人たちには、現状という具体的なイメージがあった。しかし離脱を選んだ人たちにはどのような離脱後のイメージがあったのだろうか。いったいどんな夢を見たのだろうか。

 ニュースで報じられているところによれば、とにかく移民がこれ以上イギリスに流入して欲しくない、という思いが離脱を選ばせた、という。それほど移民に対する拒否感が強かったということなのだろう。

 日本にはほとんど移民など流入していないから、その感覚は理解できない。移民がどうしてこれほど多くなってしまったのか。そのことはよくよく考えないといけない事態なのだろう。日本人には理解が出来ないけれど、それを理解しないと世界は見えないのかもしれない。

 フランスで、そしてイギリス以外のほかの国々で、移民に対しての思いが同一である可能性は高いのではないか。それが極右の台頭を生み、EUの解体へのエネルギーになっている。

 各国政府指導者は移民を受け入れることのコストに堪えようとしたけれど、国民はそれに拒否を示している。

 そもそも国というしくみ、限界を超えようとしたEUという実験的な試みである仕組みが否定されたことは、とても大きな意味があるような気がする。

 二十世紀という、国家主義にとらわれた世界観からの離脱が二十一世紀の大きなテーマだったような気がするのだが、それが頓挫した。このことは二十世紀の戦争の世紀のリフレインをもたらすような気がするのだが、杞憂だろうか。

 それとも新しい時代への試練が今始まったということなのか。どんな希望があるのだろうか。

時代の潮目

 現時点(本日昼12時)で、イギリスのEU離脱国民投票は、離脱派が優勢であると伝えられている。これから開票される地区の票は、多くが離脱賛成派の優位な地区なので、最終的にイギリスはEUを離脱することになると思われる。

 これによってイギリスがどうなるのか、EUがどうなるのか、世界がどうなるのか、いろいろ予測は出来るものの実際のところは誰にもわからない。

 すでにポンドやユーロ、ドルが暴落しはじめている。代わりに一気に円高が進んでいる。これが始まりだとすれば、世界経済は大いなる停滞におちいるかもしれない。

 それぞれの国は自国の防衛にはしるだろう。日本にとってそれがどのような影響としてはね返ってくるのか。株の大幅下落が始まったところを見ると、あまり良くないことになると予測されているのだろう。

 当然アベノミクスは烏有に帰すかもしれない。そうなれば民進党はかさにかかってその責任を問うだろう。岡田党首は日本がどうなろうと知ったことではない。安倍晋三が引きずり下ろされれば満足だろう。彼は富の分配を叫ぶが、富そのものが大きく毀損されたら、分配すべき原資そのものが失われることを想定しているのか。

 人は現状に不満があれば、変化、それも大きな変化、を望む。しかしその変化の結果、それ以前よりも良くなるか悪くなるか、よくよく考えての判断かどうか、それを忘れがちだ。

 自ら選びとった変化によってもたらされた結果を引き受ける人はいるのか。

 今回のEU離脱で世界がどう変わるのか。想像以上に大きく変動するような気がする。私はしばしば他人事で変化をわくわくしながら眺めるけれど、今回ばかりは取り返しのつかない事態が想像されて心配だ。

荒俣宏「本朝幻想文学縁起」(集英社文庫)

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 荒俣宏の知識の胃袋はとてつもなく大きく、しかも貪食である。興味を覚えたものを手当たり次第にばりばりとかみ砕き、次々に呑み込んでいく。それがただ混沌としているのなら、無意味な大食いだが、彼の場合はそれらが整理され、彼流の秩序で互いに関係づけられていく。

 この本に書かれている内容は、一冊で百冊の中身がある。たとえではなく、実際に全部で百のテーマが語られている。いわゆる百物語の体裁になっているのだ。百物語は百話語り尽くしてはならないとされているが、はたしてその禁を破って良いのか。

 例えば、小野小町について、空海について、安倍晴明について、南総里見八犬伝について、妖術について、神道について、次々に彼の知識の引き出しから膨大な物語が繰り出されていく。読んでいるうちに滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を、そして上田秋成の「雨月物語」を、「今昔物語集」を、「宇治拾遺」を、「日本霊異記」を読みたくなる。

 それらの物語をたんに断片的な物語として読むことしかできなかったのに、異世界の天空に散りばめられた無数の星のように、それが互いに関連したものとして組み立てられていく。

 宇宙は無秩序ではなく、それぞれの星はその重力の故に互いに関係しあって存在しているのだ。

 もともとここで取り上げられたような話が好きであるから、ただただあっけにとられてその世界に引き込まれ、楽しんだ。

 畏るべし、荒俣宏。

2016年6月23日 (木)

張岱(ちょうたい)

 張岱などといっても知る人はほとんどないであろう。明末清初の人である。文人中の文人で、たまたま岩波文庫の「陶庵夢憶」という随筆集のワイド版で出会った。正直言って読み切れる自信なしに、購入した。原文ではないが、漢和辞典を片手に、四苦八苦しながら最後まで読んだ。

Dsc_9864 張岱の本

 たぶん訳者の松枝茂夫が、注釈をふんだんに入れてくれていること、しかも、分からないことは分からない、と正直に書いていることに好感を感じたことも読み切れた理由だろう。

 張岱が書いている中国が、主に江南地区であり、仕事はもちろん、プライベートでも私がたびたび訪れた杭州地区の話が多いことも読み続けられた理由の一つかもしれない。過去と現在がオーバーラップしてイメージ出来たのだ。

 なにかを知るためには手がかりが必要だ。張岱の「陶庵夢憶」で明の時代の杭州と、そのあとの清の時代になってからの杭州を知り、その時代の変わり目の中での張岱の生活の激変を知る。それは命がけの変遷である。たぶん日中戦争前、日中戦争時代、そして戦後の共産主義中国への時代の変化のなかの文人の生活の激変はそれ以上のものだったのかもしれない。

 張岱は日本では想像できないほどの豊かな家庭の中で生まれ、育った。しかも天才的な知的能力を持っていた。年少のときからあらゆる文献を読み解く力を持ち、一度読めばそれが身につくという天才だった。そんな張岱が明という時代の滅亡を目の当たりにし、自分の財産すべてを失う。

 「陶庵夢憶」は張岱が生まれ育った豊かな時代の思い出を、彼の博覧強記の知識を駆使して書き留めたものだ。だから彼が書いたものは過去の時代という時間的な厚みを同時に書き留めたものである。

 たびたび私が語るように、空間だけでなく、時間も含めた四次元の言及は、こちらを現世から解き放つ。そんなことを感じさせてくれる文章は、めったに出会えるものではない。

 最近、東洋文庫で張岱の「西湖夢尋」という本が出版された。杭州の西湖には何度も行ったから思い入れもある。今は読了するのがもったいなくて眺めているだけ。ただ、「陶庵夢憶」ほど読みやすくない。自分の訪ねた西湖の名所の数々の記憶を頼りに少しずつ拾い読みをはじめたところだ。

 また西湖に、そして杭州に行きたいけれど、幻滅するだけなのかもしれない。変わり果てた西湖の向こうに、張岱の見た西湖を幻視することが出来るだろうか。

録画を観る

 面白そうな映画とドラマをハードディスクに録画しておいて、時間のあるときに観ている。それでも観るよりも録画する方が多いからハードディスクはすぐ満杯になる。だから映画はブルーレイにダビングして保存しておく。

 それなのに最近、録画するジャンルがふえてきたので忙しくなった。「鉄道絶景の旅」「そこまで言って委員会」「ブラタモリ」「相棒」シリーズの再放送などが今までのものに加わっているのだ。さらに観たい番組だけどCMがわずらわしいものは全て録画するようにしたら収拾がつかなくなった。

 しかしWOWOWのドラマやNHKBSのドラマに面白いものが多すぎる(ただし、韓流ドラマだけはもう飽きたので観る気がしない)。もっと時間が欲しい。映画を観る暇がないじゃないか。

 今朝からせっせと消化をはじめた。ものによっては少々の早送りをする。たぶん数日中に予約に余裕が出来るはずである。ハードディスクの容量の大きなものに録画するのも手だが、それは却って観るほうが追いつきにくくすることになりそうだ。

 でも、こうして録画したものを消化できるのも気力がある程度あるから出来ることで、気力が衰えるとその元気もなくなる。

 さあ昼からは「ナイトメア2」の第9回と第10回(これで第二シーズン完結)を観よう。そして「リゾーリ&アイルズ」の第6シーズンの第一回と第二回を観るぞ。

おいしいお茶

 上等のお茶、つまり高いお茶を買って淹れて飲むと美味しい。でもその美味しさが淹れ方一つでずいぶん違う。うまく淹れたときの美味しさは格別である。

 お茶の善し悪し、淹れる温度、湯とお茶の葉の割合、湯を入れてから注ぐまでの時間など、こだわっているときりがない。しかしそれらをなるべく一定にしても、お茶の味が違う。

 たぶんお茶ばかりではなく、コーヒーや紅茶でも同様なのであろう。映画「カモメ食堂」でコーヒーに注ぐお湯を、ひいた豆にどう注ぐかの微妙な違いで味が違うことを表現していた。じっくりと湿らせた上で時間をおいてから湯を注ぐだけで、コーヒーの味が違うというのはわかる気がする。

 今はとにかく茶葉に注ぐお湯の温度にこだわってみている。沸騰させたお湯を、どのように冷ましてからどのタイミングで茶葉に注ぐのか。

 少し贅沢に茶葉の量を多くし、少し低めの温度でじっくりと淹れてみる。そのたびに味が違うけれど、お茶のうまみを以前よりも楽しめるようになった気がしている。

 そもそもお茶の入れ方の基本がわからなければ、良いお茶と不味いお茶の違いすらわかるわけがない。良いお茶をいかに不味くして飲んでいたか、それが悔やまれる。今は安いお茶でもその味の最善の味をひきだして飲む飲み方を模索している。

 中国の少しうるさい文人の随筆を読んでいると、お茶の味に対するこだわりに興味を覚える。張岱という人の「陶庵夢憶」という随筆集は私の愛読書で、読んでもわからないことだらけなのに、三回も読んだ。この人のお茶に対するこだわりはずいぶん私に影響を与えていると思う。

 張岱のこだわりはもちろん、まず水である。美味しいお茶を飲むために名水を求め、そのために金を惜しまない。中国は日本よりも水が良くないはずだから、そのこだわりは当然なのかもしれない。

 たぶん張岱はどこの水であろうと、目隠しされていても味の区別がついた人だと思う。水の味のわかる人が現実にいることを私は実際に知っている。そういう人は御飯の味も酒の味も絶対味覚のように区別がつく。そんな人に若いときに出会って知っている。

 そんな微妙な違いはわからないけれど、本当に美味しい、と思うお茶を飲んだことは何度かある。贅沢なほど高価なお茶を求めるつもりはないが、ささやかな出費で多少は良いお茶の葉を買い、それを最善の淹れ方で飲んで満足したい。

 今はそれを楽しみの一つにしたいと思っている。ときどき自己満足だがうなずけるときがある。嬉しい。

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愛用の急須。実際にこれでお茶を注ぐのをイメージして欲しい。
違和感を感じないだろうか。
そう、これは左利き用。右手では注げない。
ワタクシ、左利きなのです。

2016年6月22日 (水)

橘玲(たちばなあきら)「言ってはいけない」(新潮新書)

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 こういう本を書くのは、勇気があるというのだろうか。ここに書かれていることについて、そうだろうなと思うことは少なからずある。しかしそんなことをブログに積極的に書くつもりはない。下手をすると炎上してしまう。

 副題が「残酷すぎる真実」であり、帯には警告として「この本の内容を気安く口外しないでください」と書かれている。

 だからこの本の内容は紹介しない。このような帯の惹句はある意味で文字通り怖いもの見たさの人をひきけるためのものであろう。しかし同時に読者の安全を慮ってのことといえないこともない。

 と言うわけで、「残酷すぎる真実」は「不愉快な現実」であるという、この本を読むのはあなたの自由である。そそのかしているかな? 

岡田党首の怨念

 今回の参議院選挙についての民進党の謳い文句が「安倍政権の暴走をとめる」、らしい。

 この謳い文句は共産党と同一である。安倍晋三首相が暴走しているのかどうか、意見の分かれるところだろう。暴走している、と考える人が、岡田党首がそう繰り返し念仏のように唱えているからそう考えているのなら、それはただ洗脳されているだけだ。ではどの部分が暴走なのだ、と問えば、憲法改正を進めようとしているからだ、と岡田党首も共産党も口を揃えて言う。

 憲法改正は国民が賛成しなければ達成できない。そのために強引に国民を誘導していると言うなら暴走だろうが、国民はそんな誘導に乗っているという実感はない。ただ、もしかして憲法は改正した方が好いかもしれない、と思う人が少しずつ増えているのは、ただただ中国や北朝鮮の異常な行動が背景にあることは誰でもわかっている。

 このまま社民党みたいな寝ぼけたことを言っていると危ないかもしれない、と気づいた人が増えているだけのことで、安倍晋三の使嗾などではない。

 それを暴走、などと言って、なんだか民進党(民主党)の没落の恨みを安倍晋三に呪いとして喚いているだけにしか見えない。そもそもなにが暴走で、民進党はそうではないなにかの政策があるのかどうか、なにも見えない。

 岡田党首の怨念たけが表に見えて、民進党がなにをめざし日本の国をどうしたいのかまったく私には伝わっていないのだが、民進党支持者にはそれが見えているのだろうか。岡田さんはいったいどうしてしまったのだろう。

 岡田党首は、今回参院選で敗退したら勇退すると公言している。どうも嫌気がさして辞めるためだけに突っ走っているようにしか見えないのだが、勘違いだろうか。なにかめざすものがあるようにはまったく見えないのだが。

140920_149 最近岡田さんの顔が歪んで見える

 アンケートによれば、自民党の独走には国民は少なからず危惧を抱いている。だから野党に少しくらい盛り返して欲しいという意見は多い。だが、いまの野党にそれを受け止める何かがあるのか。

 私は保守的な人間だけれど、野党のあまりの劣化には却って日本の危機を感じてしまう。

 個人的な恨みを政治信条にするな!

2016年6月21日 (火)

赤信号が多すぎるぞ!

 泊まっていたのは富山県朝日町の小川温泉というところ。背後の山の後ろ、ずっと上の方に朝日岳があるのだ。もちろん宿からは見えないけれど、涼しい。それにしても部屋に扇風機くらい置いて欲しい。私は少々のぼせるくらい長湯するので、浴衣が汗でぐしょぐしょになってしまう。お陰でちょっとだけ減量できたようだ。

 今朝は雨。「不老館」という畳敷きの木賃宿みたいな宿に泊まったが、隣は小川温泉元湯のホテル小川。不老館はその傘下の形で、朝食はホテルのバイキングを食べに行く。歩いて二、三分だけれど、雨は鬱陶しい。

 氷見にでも行って魚を仕入れようと思ったが、雨中をウロウロするのはあまり好きではないので、直帰することにした。もちろん地道。

 富山県の信号と私は激しく相性が悪い。ほとんどの信号は赤信号で、停車しなければならない。以前、魚津に埋没林を見に来たとき、10カ所の信号が連続して赤だったとブログに書いた。そのときはたまたまだと思っていたが、本日も約八割が赤信号であった。

 そんなに赤信号に遭遇するのは奇跡に近い。渋滞しているわけではない。信号に近づくと赤信号に変わるのだ。誰かが見ていて操作しているみたいだ。国道8号線でもそうである。トラックが多い道路だから、赤信号だらけだととてもロスが多い。

 車は停止してしまうと発進のときに燃料を多量に消費する。トラックは特にそうだ。静摩擦は動摩擦よりずっと大きいのだ。燃料を無駄にし、大気を汚染し、時間を無駄にし、気持ちをいらだたせるように富山の道路は仕掛けてあるのだろうか。

 私だけがそのような目に遭っていると言うことは考えにくいが、もしかしたら富山では私は不運に宿命づけられているのかもしれない。一度富山の街中を車で走って試して欲しい。普通の街と一緒か、特別赤信号に遭遇するか。たいてい富山市内は慢性渋滞である。

 富山を脱出するまでの50キロ足らずを二時間以上かけて、ようやく国道41号線を走り出せば雨もやみ、快適に走る。ナビは高山からせせらぎ街道を指示する。前回は41号線をそのまま進んだが、今回は指示通りに走る。このせせらぎ街道は高山から郡上へ抜ける、信号のほとんどない大好きな道だ。特に秋の紅葉がすばらしい。

Pict0025 せせらぎ街道の紅葉

Pict0044 せせらぎ街道

 機嫌を直してドライブを楽しんでいるうちに、あっという間にわが家に到着。帰る早々次はどこに行こうか、などと考えている。

ストレス

 考えたくないのに、ついそのことばかりを考えてしまうというのがストレスのようだ。わずらわしいことでも、本当に必要なときだけそのことを考えるように出来ればけっこうしのげる。体はストレスに対して反応するらしい。一種の防御反応なのだろうが、原始時代なら一時的なことが、今は無数に持続的に大量のストレスが降り注ぐ。

 そうなるとストレスに対する体の防御反応が過剰反応を引き起こし、却って体に大きな負荷になり、ときには命取りになる、というのがNHKの番組「キラーストレス」で知ったことだ。

 適度なストレスは人間に必要だ、ともいう。確かにストレスが全くない状態というのはある意味で不活性な状態で、死んだ状態に似ている。生きて生活していればさまざまな些事が押し寄せて、その煩わしさはストレスとなる。人間関係などそのもっともわずらわしいものではないか。

 絶海の孤島に独り暮らしをしていれば、食うに困りさえしなければストレスはないかもしれない。ときに人はそれを夢見る。私がときに一人で北へ旅に出るのも、そんな思いからかもしれない。寅さんがさすらうのもおなじ理由だろう。

 でもその寅さんも、夜汽車の一人旅から見える野中の一軒家の明かりの下に暮らす家族を夢見る。そんな時に淋しさが寅さんを襲う。人はそういう生き物なのか、それともそれを味わいたくて一人旅をするのか。

 それほどわずらわしいのに人はストレスの中に身を置く。生きていくために必要だと諦めている。ところがそのストレスが人間を傷つけるという。

 そのストレスに強い人と弱い人がいるらしい。ときに弱い人は精神疾患にまで追い込まれるという。ストレスによる自家中毒のようなものか。

 今はリタイアしたが、在職中は営業という仕事をしていた。これは考えようによってはストレスフルな仕事である。ときに自分自身を別の自分、演技している自分(by先輩)として考えないと乗り切れない。いやなこと、やりきれないことを役割としてこなさなければならないことも多いからだが、これは営業に限ることではないかもしれない(ほかの業務をしたことがないから知らない)。

 だからストレスに正面から立ち向かうのではなく、それをやり過ごすことには普通の人より長けているという自信はある。ところが個人的なことでそのストレスに直面しなければならなくなって、得意のやり過ごし戦法もうまく出来ない事態となった。

 意気地のないことに、夜眠れなくなった。眠るために酒が欠かせなくなり、体も変調を来した。昔なら、ストレスで不調などという人間を笑い飛ばしていたのに、情けないことである。

 そんな自分が、今回の旅の温泉でただひたすらぼーっとしていたら、なにかが吹っ切れたらしい気がする。ようやく元の自分を取り戻せたのではないかと思っている。やはり一人旅は私にとって特効薬なのかもしれない。 

 今日帰る。

2016年6月20日 (月)

葉室麟「秋霜」(祥伝社)

 帯には羽根藩シリーズ第四弾と銘打っている。第一弾は私が初めて葉室麟と出会った「蜩ノ記」だ。葉室麟のファンなら、この本の感動を共にしているはずだ。

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 第二弾が「潮鳴り」、第三弾が「春雷」、それぞれが北九州の羽根藩を舞台にしながら独立した話であるが、この「秋霜」は前作の「春雷」と話が連続している。「春雷」の最期で壮絶な死を遂げた家老の多聞隼人の、係累の人々がたどる運命と、それに関わった謎の男・草薙小平太の物語である。

 「春雷」で多聞隼人に旧悪を難じられ、隠居に追い込まれた前藩主・三浦兼清は、反省をすることなく逆恨みをして、欅屋敷の人々(多聞隼人の元妻女・楓たち)の抹殺を画していた。折しも幕府はそれらの旧悪を理由に藩の取りつぶしのための巡見使を派遣しようとしていた。

 数奇な生い立ちの草薙小平太が欅屋敷に送り込まれる。じつは現在の家老・児島兵衛から、藩の危機を救うためとして、欅屋敷の人々の抹殺が命じられていたのだ。

 しかし小平太は楓をはじめ、欅屋敷の人々と接するうちに、そのような役目など果たすつもりを失う。そしていつの間にか彼らを命がけで助けることに生きがいを感じるようになる。彼の持っていたある呪われた出生の秘密は、彼を犯すことなく、却って真の男の生きざまをはぐくんでいたのであって、それが目覚めたのだ。

 彼の命がけの闘争と、同じように命をかけて欅屋敷の人々を護る人々。そして事態は意外な結末を迎える。

 ラストは涙で字がぼやける。

 感動で泣きたかったらぜひどうぞ。

池内紀「ニッポン周遊記」(青土社)

 帯にある通り、池内流の紀行エッセイである。名所旧跡を歩き、その由緒を語るというのなら、類書は山ほどある。もちろんその語り口、思い入れのレベルによって優れたものとそれほどでもないものとは画然と別れるが、池内紀の旅エッセイはそれらのものとはずいぶん違う。

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 なにより誰もが知るような場所にはあまり行かない。この本に挙げられた30の場所にしても、そんなところがあるのか、と言うところが多いし、行ったことがあって知ってはいても、そんな風な見所があるとは知らなかった場所ばかりだ。この中で唯一同じような視点で私も歩いたことのあるのは岐阜県恵那市・明智町のみ。

 彼は車で散策しない。原則として電車やバスを乗り継いで目的地を訪ね、あとはひたすら歩き回る。だから表通りより一本裏、ときには二本裏の道を歩き、さらに横道に入りこむ。人が見過ごすようなところに面白いものを発見し、気軽にそこにいる人に声をかける。

 旅とは同じところにふたたび行くことがあるかどうかわからないところを訪ねるものである。今度また来てみよう、ではないから、常に一期一会。見たいものを見る、見たいものを見逃すのは残念だが、誰かが見せようとするものを、見ずに通過するのは惜しくない。

 かれは観光ガイドブックではなく、役場に赴いて街の沿革や知名人を教えてもらい、自分の知識とつき合わせてほかの街や人との関連を考える。そうしてその街が時間軸も含めた四次元世界として現出する。

 しっかりと地に足のついた町おこしに成功している場所、なにか勘違いしたままさびれつつある街、あえて過去を保持することで矜持を護っている街。それぞれが池内紀の目にどのように映ったのか、それが語られている。

 こんな本を読んだらそこを訪ねたくなるではないか。ただ、挙げられたこれらの場所は歩いて廻るほうが良さそうだ。それなら今のところ車主体の旅をしている私としては、数年後に車を手放してからの旅先として、残しておくべきご馳走、宝物としておくのが良いのかもしれない。

爆睡

 昨夜は九時過ぎからNHKの「キラーストレス」という番組を見ながらいつの間にか寝てしまった。19日(土)の第一回は、ストレスが体にも大変負担をかけるもので、ときに命取りになる、というので、昨晩は第二回。そのストレスの解消法に画期的なものがあるという。かなりきついストレスを受ける日々が続いていたのでぜひ知りたかったのに、見損なって残念であった。

Dsc_9861 夜が明けたばかりの宿の前の景色

 しかし考えてみれば、こうして温泉に浸かり、なにも考えずに朝まで爆睡してさわやかに目覚められたということは、大変なストレス解消になっているわけで、自分にとっては正解なのである。

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山の中と言うほどではないけれど、やはり朝は冷気が窓から入り、肌寒いほどである。

宿から10分ほど山道を登ると洞窟風呂というのがあるそうだ。いってみたいような気もするが、わざわざ汗をかいて風呂に行くのも面倒な気もする。

それより宿の風呂でのんびりしてゴロゴロしようか。

さあ朝風呂に行こう。お仕事のある皆さんには、朝から大変申し訳ないことである。


2016年6月19日 (日)

大岩山・日石(にっせき)寺

いま富山の温泉にいる。一軒宿だと思ったらとなりに大きなホテルがある。

泊まっているところは湯治宿なので、クーラーも扇風機もない。目の下に川が流れていて、川のせせらぎに加えて、カジカらしき啼き声や、鳥や虫の声がしている。
午後から雨。今も雨が降っている。

いつものように地道でここへ来た。国道41号線を高山経由で富山まで北上し、たまたま地図で見つけた日石寺というところに立ち寄った。

磨崖仏がある、と言うからぜひ見たかったのだ。

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日石寺は滑川の郊外にある。

駐車場には車がたくさん止まっている。日曜日とはいえ、意外である。道の途中にほとんど案内もないような寺なのだ。

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いちばん山側に立っている三重の塔。

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階段横に石仏が並んでいる。

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崖のあちこちに見え隠れするようにこのような石仏が点在している。いい顔だ。

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三重の塔から眼下に見えた夫婦岩。

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割れ目から外界を見る。胎内から覗く心地。

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大きな仏様の銅像。三メートル以上ある。

左腕下に注目。

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こんな感じ。

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真っ暗な洞窟の中の、この寺の住職だった上人の石像。

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実際に目で見たときより写真のほうがよくわかる。

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磨崖仏だというから野外にあるものと思って探していたら、本堂のなかにあった。本当に暗い。

意外なところに意外な掘り出し物があるものだ。

ここは真言宗の名刹だそうだ。寄って良かった。

温泉に向かう

 いろいろあって、少々くたびれた。思い立って温泉をあちこち検索していたら、富山の一軒宿の温泉に空きがあったので、二泊三日でのんびりと温泉に浸かることにした。

 天気もあまり芳しくなさそうなので、動き回らずゴロゴロするつもりだ。

 気持ちがずっとざわついていて、本が集中して読めなかった。だから温泉で本が二、三冊読めれば幸せだ。だからたぶんこの温泉行での写真はほとんどないと思われる。カメラは持参するつもりだが。

愚かでは生きていけない

 生活していれば、いろいろなところで手続きをしなければいけない事態に遭遇する。公的な手続きでも、ときに煩雑で迷うことが多い。私も多少頭が衰えたとはいえ、おおむね人並みだと思っていても、その煩わしさ難しさに泣き言をいいたくなることがある。

 人はみな同じような煩わしさに堪え、それを処理しているのである。それは愚かではこなせないことのように思う。

 テレビなどでインタビューを受ける人に、明らかに大丈夫かこの人は、と心配になるくらいものを知らず、かなり愚かであるように見える人が頻繁に登場する。あたかもこの世の人間の大半がそのような人なのかと思う。

 それは、私のような人間から見ると、世の中こんなバカばかりだからあなたもバカでいいんですよ、とそのような人ばかりをマスコミが選んでそそのかしているかのようである。安心させてくれているのか、バカにしているのか。

Dsc_8761 この人が愚かであるかどうか知らない

 しかしあれほど愚かだと、生活に必要ないろいろな手続きに苦労するか、出来ないにちがいない。いくら今は窓口の人がみな親切になったとはいっても、限度がある。同じことをくどくどとやり合っている人を見ることもたしかに少なくない。

 そもそもその難しさを敬遠して、本来するべき手続きそのものを無視している人がたくさんいるにちがいない。社会的なトラブルの多くがそのようなことで起きているのかもしれない。

 振り込め詐欺をはじめとして巧妙な手口の詐欺は多いけれど、これだけ注意を喚起しても、次々に引っかかる人がいる。引っかかる人が一定以上いるから、詐欺をするほうも商売が成り立つわけだろう。

 愚かでは生きていくのは難しい。難しいだけでなく、生きていけない時代になりつつあるのかもしれない。

 歳とともに頭の働きが衰えれば、自分で思っているよりも愚かになっていくのは仕方がないが、それがそのまま生きていくことの困難さにつながる社会というのは、残酷な社会だと思う。

2016年6月18日 (土)

因果は巡る

 イギリスのEUからの離脱を問う国民投票が来週行われる。当初劣勢だった離脱賛成派が次第に優勢になりつつあると報道されている。事前の調査では離脱の可能性が高くなりつつあった。

 そして離脱反対派のイギリス女性国会議員が暴漢に射殺される事件が起きた。暴漢は離脱推進派の可能性が高いようだ。ただそれにしてもあまりに過激すぎて精神的に問題があったかもしれない、などという報道もあるようだ。過激な人間はそもそも常識を欠き、精神的に問題があるかもしれない、と言う目で見ればその通りだろう。

 このことでイギリス国民の離脱への熱がやや冷める可能性があるかもしれない。離脱すれば好いことがあるかもしれないと思っていたひとも、本当にそうだろうか、と思うようになって、EU離脱が否決されれば、死んだ女性議員も少しは浮かばれるかもしれない。

Dsc_0348 杭州の街角にて

 ところで、中国軍艦が日本の領海を無断で通航して挑発している。日本が何らかのアクションをすればそれを口実に次の段階へエスカレートさせようと狙っている。日本からの抗議に対しての中国の返答は、日本の気持ちを逆なでしているが、これはやくざの挑発と一緒で、言いがかりをつけるきっかけを待ち望んでいるのとまったく同様である。

 突然なぜ中国の挑発の話なのか。

 イギリスがEUを離脱すれば、EUは崩壊するとはいわないが、イギリスに追随する国が出てくる。崩壊に向かう可能性がないとはいえない。そうなれば、ヨーロッパの国々は個別の国として世界経済の中で自立しなければならなくなる。

 それでなくともヨーロッパは中国の脅威を直接受ける可能性が低いから、EUの経済的な力が衰退すれば、それぞれの国は中国に対して経済的な関係を強化する方向に向かうのは必然だろう。口で人権を唱えても最後は金である。それでなくともイギリスは中国に融和的である。ドイツもそうだ。こうして次々に中国との経済関係が強化され、中国の行動に対して厳しいことがいえなくなっていく。

 経済的に頭打ちになっている中国にとっては、この事態は歓迎すべきことだろう。さいわいアメリカはイギリス同様、いやイギリス以上に内向的になりつつある。中国の覇権主義的な行動に対してなにもしないどころか、言いもしなくなるかもしれない。

 中国軍艦の日本領海の無断航行は、それを見越しての日本に対しての挑発である。先日のG7での、日本主導の中国の覇権主義への非難を逆恨みしての報復でもあり、同時に相手の出方をうかがい、既成事実の積み重ねの一歩にもしようという魂胆だろう。

 そうなると、もしイギリスのEU離脱が否決されれば、その動きが多少は緩和されることになる。

 つまり過激だか異常者だか知らないが、暴漢による、EU残留派の女性議員の殺害がもたらす選挙への影響は、日本にとっても歴史的に大きなものだったことになるかもしれない。このような暴力に対する反対の気持ちがイギリス国民をEU残留に向かわせることに期待する。

平岩弓枝「窓の向こうに」(新潮文庫)

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 大好きな平岩弓枝のエッセイ集。日常の出来事について彼女が感じたさまざまな思いが綴られている。
その中から特に感銘を受けた一文を紹介する。


   「書写山幻想」

 八月七日午後七時、姫路の書写山圓教寺(えんぎょうじ)の常行堂で「書写山幻想」と題した、お夏清十郎の物語を素材とする舞踊劇が開幕した。

 この企画が私のところへ持ち込まれてから、実に一年半の歳月がかかっていた。その間、何回、スタッフを案内して御山へ登ったことだろう。

 書写山は、その縁起によると、醍醐天皇の延喜十年に誕生された性空上人が五十七歳のとき、ここを霊地と感じて開山されたという由緒のある名刹で、花山法皇をはじめとして皇室の御幸も多く、和泉式部も参籠したといわれている。

 けれども、関東では、それほど知名度が高いとはいえず、私もむかし弁慶が修行をした寺といった程度の知識しかなかった。

 たまたま、姫路在住の知人に案内されて御山へ登ってみて、私は自分の不明を恥じた。

 海抜五百メートルくらいのものだろうか、だが、書写山は深山幽谷の気配を保っている。天を圧するような杉木立の中を行く参道には、夏とはいえ、山の冷気が漂っているし、ロープウェイを降りて、ゆるやかな山道を登って行くと、木の間に塔頭(たっちゅう)がみえがくれする有様は時空を超えて、私達を開山の古(いにしえ)へ誘い込んでしまう。

 公演の行われた常行堂は本来、東向きの建物でその北側に細長い切妻屋がついていて、その中央がさらに張り出して能舞台のような恰好になっている。その舞台は正面の広い空間をへだてて大講堂と向かい合い、その御仏に舞楽を奉納するのに用いられたようだ。

 そして、大講堂と常行堂は西側の食堂(じきどう)の建物によって、コの字型につながっている。

 とにかく、私もそうだったが、長い山道をひたすら登ってきて、この三つの建物のある広場へ来た人々は、例外なく呼吸(いき)を呑み、しばらくは声も出ないほどの感動を受けていた。

 そのスタッフの方々、出演者の方々の書写山へ対する感動と、長年、ひそやかに、この御山へ思いを深くしてきた地元の方々の熱意が八月七日の「書写山幻想」へ向けて盛り上がったのだったが、当日に到るまでの労苦は当初、私が想像したものどころではなかった。

 が、私達はそれを乗り越えて当日にたどりついた。しかし、いちばん、恐れていた天気は朝から時折、小雨のぱらつく、どんよりしたものであった。雨になると客席は野外だから、どうしようもない。

 はやばやと山へ登った私達は圓教寺御住職の大樹孝啓師にお願いして、大講堂でこの公演の成功を出演者一同、心をこめて祈願した。

 御住職は、こちらの観音様はここぞというときには必ずお力を貸してくださるのですよ、と私達をはげましてくださったが、空はいよいよ暗くなり、空気は湿り気を含んで、青いビニールシートをかけられている客席を眺めている限り、不安は濃くなるばかりであった。

 出演者の大半は昨日の新幹線の大事故で、十数時間もかけて姫路にたどりついた。おまけに一休みする間もなく、真夜中の午前一時半から三時にかけて舞台稽古をし、それでも誰一人、苦情もいわない。徹夜で私達を運んでくれたロープウェイの係の人々も、いやな顔一つみせず、むしろ、みんなをいたわってくださった。何日も準備のために、本業をほったらかしにして山へ泊まり込んでいるボランティアの人々の気持ちを想っても、天気になってもらいたい。
 五時すぎ、どしゃ降りになった。どこもかしこも水煙が立つほどのひどさである。

 なんとなく父を想った。病院のベッドで酸素吸入を受けるほどの重態だった父に付き添って、姫路へ発つ前夜、私は病院にいた。父はいつものように娘の明日からの仕事について聞きたがり、私は書写山のイベントのことを話した。七日は書写山、九日と十日は文化ホール、その日の夜には帰郷するといい、私は父と別れた。

 お父さんが助けてくれるといいな、と、そのときの私は雷雨を眺めていた。子供の時から困ると、いつも、神職である父を通じて神様にお願いする習慣が私にはある。

 雨は六時前、奇跡的に上がった。疲れ切っていた「ちょぼちょぼ会」の方々がタオルを持って飛び出していき、そのあたりにいた関係者の方も一緒になって客席の椅子を拭いた。

 雨宿りをしていた観客が続々と登ってくる。

 自分の関係した仕事のことを自慢らしくいうのは決まりが悪い。しかし、その夜の舞台は凄いものになった。照明はわずかに残っていた霧をスモークの代わりにして、まさに書写山を幻想の世界にし、最高の音響効果は山々の夜の中から湧き上がるようであった。出演者の素晴らしさはいう言葉がなかった。照明が朝の日を舞台に照らし、効果が夜明けの鐘を峰々から響かせるまで私は観客の一人として酔っていた。父の死を知ったのは翌日のことである。


 *平岩弓枝は代々木八幡の宮司のひとり娘。ご主人が父上の後を継いでいる。

2016年6月17日 (金)

ひとつ済んだ

 戸籍だけの、二十年以上別居中の妻と離婚調停中なのだが、突然妻の母親から、過去にさかのぼっての生活費の請求申し立てを受けた。調停の中で、妻の今後の生活を維持するために出来ることはしようとしていたが、さかのぼっての高額の請求は論外のもので、弁護士も前代未聞、とあきれていた。

 本日名古屋の家庭裁判所で第一回目の調停。一切申し立てに応ずることはしない、と断言したので、結局この一回で、この申し立ては裁判官によって不成立が宣告された。先方もそこからさらに訴えて裁判にしても勝ち目はないと判断してこの件は終了した。こちらに不快感を与えるだけの無意味な申し立てであった。

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 あとは妻への金の問題だけである。それについては弁護士にこちらの存念は伝えてある。その確認をして、こちらから先方に提出する案を打ち合わせて本日の用件は終了。

 出口の見えない闇に少しだけ曙光がさして来た気がする。まだ多少は越えなければならない山があるかもしれないが、金で済むことなら、多少無理をしてでも早く解決するほうを選びたい。

 こんな話をさらけ出して恥ずかしいが、一番心にかかっていることであり、今はそのことを置いて自分の話は語れない。それに片がつかないと本来の自分を取り戻せない。とはいえけっこう好きなようにやっているけれど。

 調停が始まってはや一年経った。出来れば年内に解決したいものだ。

故人をおもう

 ほとんど人の悪口を言わない。そのかわり本人を前にすると辛辣にやり込める。部下に対して容赦のない叱正を延々とする。言い訳や話の終わらないうちの反論が大嫌い。ほとんど本人を直接ほめるのを見たことがないが、本人のいないところではそれなりに評価していたりする。

 苦手にする人が多かった。なかなか仕事をまかせず過剰に指図をするが、一度まかせると、とことん信頼して責任逃れをしない。多少無理な指示を平気で出し、何とか成功しても、俺ならもっと早く、しかもうまく出来た、といってにやりと笑う。内心では嬉しいのだ、とこちらは勝手に思っていた。

 案外あたたかい心を持っているのだが、ふだんの言動から、冷たい人に思われがち。甘い言葉が恥ずかしくて言えないのだ。どんなところでも物怖じしないが、繊細な神経の持ち主。

 物怖じしないといえば、むかし「ついてこい」というのでどこへ行くのかと思ったら、サラリーローンの店に連れて行かれた。窓口でローンの組み方、利子、返済法など細々と聞いたあげくに「ありがとう、仕組みがよくわかった」といってさっと店をあとにした。

 興味があるとすぐ直接訪ねに行く。流行も知らなければいけない、といってデパートや量販店などで売れ筋のもの、流行のものをよく確認していた。今年はニットものが流行っている、とか、プリントが多いようだ、とか、色のはやりなどもよく知っていた。

 歩くのが速い。何にでも興味をもち、記憶力が抜群で、凝り性。囲碁、将棋とも得意。特に囲碁は日本棋院のアマチュア四段。仕事についても先をとことん読むのが好き。だからつい指図が多くなるのだ。

 わたしが仕事で判断に迷ったとき、あの人ならどう考えてどうするだろう、とモデルにする何人かのなかの一人であった。

 わたしは言い訳が嫌いなので、自分に非があるときは全面的に降伏する(あまり非がないと思っても、言い訳したくないので黙っていることもある)。それが男としてあたりまえだと思っていたら、案外そこが気にいられたのか、かわいがってもらった。

 せめてもう一度だけでも会いに行けばよかった、といまさら思ってももう遅いのだ。

2016年6月16日 (木)

久闊を叙す

 弔問外交などという。外交ではないけれど、久しく会わない人に葬儀のときに会うことが出来る。まるで故人が引き合わせてくれるかのようだ。

 昨日の通夜、今日の葬式でたくさんの人に久しぶりに会うことが出来た。お互いの消息や、その場にいない知人の消息についても情報交換をした。遠方から来ている人もいるので、次に何時会えるかわからない。そう考えればまことに貴重な時間であった。

2016年6月15日 (水)

訃報

 昨日、上司として世話になった人で、仲人でもある人が亡くなったという知らせを受けた。本日の夕方が通夜、明日が葬式なのでこれから奈良へ行く。

 いろいろ深刻な病を抱えていたものの、うまく折り合いをつけて何とかしのいでいたと思っていたのだが、残念である。何年か前に遊びにうかがって、歓待を受けたのがお目にかかる最後となった。そのあと、ときどきメールや手紙でやりとりをしていた。またいつか息子や娘を連れて挨拶に行こう、などと考えていたのに、もうそれは叶わない。

 この歳になっても、いまだにわたしや家族のことを心配してくれている数少ないひとの一人だった。冥福を祈りたい。

 自分のネットワークの中の何人かに連絡した。そのなかに、別件で先日連絡を取ったら、体調不良で息切れがして、とぼやいていた人がいたのだが、何と来週治療のために入院することになったという。ずいぶん深刻な状態らしく、声に力がない。恥ずかしいから人には言うな、というが、恥ずかしいこととは違うので、縁の深かった人には伝えることにする。だんだんそういう話がふえるのは仕方のないことなのだろう。

 そういうわけで、少なくとも今晩と明日はブログの更新は出来ない。

白川郷

友人が白川郷に来たのは四十年以上前だという。民宿に泊まったそうだ。


白川郷インター出入り口の前に道の駅があり、その向かいに神社がある。ここではどぶろくまつりが毎年秋、盛大に行われる。道の駅の売店で、友人が「とろーりにごり原酒」というちょっと度数の高い酒を購入。みやげにするのかと思ったら、今晩用だという。

その道の駅の中におもしろいものがあるのを今回初めて知った。

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合掌造りの作業の様子を実物大で見ることができる。

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このように立体的に俯瞰できると面白い。

白川郷に向かう。

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駐車場に車があふれている。橋を渡って村に入るのだが、人が多い。

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こんな風に人が多い。こんなに混んでいるのは初めてだ。

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友人はこんな民宿に泊まったらしいが、ここは新しい。

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大きな声で自撮り棒を持っていたら、ほとんどが中国人。そこら中に中国語が飛び交う。

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人を写し込まなければ、いい雰囲気。

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これが本来の田園風景。

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夕闇がもうすぐ迫る。山の日はつるべ落としなのだ。

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合掌造りはなくてもこういう景色が好き。子どものころこんなところに暮らして、ザリガニ取りやセリ採りをしたことを思いだした。

ここで切り上げて帰路につく。まだ寄りたいところもあったが、次回にしよう。

みやげに高山で買った酒と白川郷で買ったどぶろくがある。

結局二人で飲みつぶれるほど飲んだ。楽しい旅であった。



2016年6月14日 (火)

菅沼集落

春に訪ねたばかりだが、友人に合掌集落を見てもらうために五箇山の菅沼集落に行った。


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菅沼集落は合掌集落としては小ぶりだが、それだけ観光ズレしていない。

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集落の向こう側は庄川。すぐ下流にダムがあるので、湖のようになっている。

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村の入り口に近いところに塩硝の館がある。塩硝は黒色火薬の原料で、加賀藩の一大産業だった。

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そのすぐ近くの五箇山民族村と共通券が買えるので、そちらにも入る。

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つぶらという、赤ん坊を入れておく籠。東北だとうづめこか。うづめこよりも解放的だが。

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正月などの正餐のときに使う食器だろうか。

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二階に珍しいものが。

谷をこの籠で渡ったのだ。木曽でいえばいわゆる野猿である。

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ワラ製品がずらりとならぶ。みな自家製だったのだろう。

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ちょっと雰囲気を出して。

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この小さな店で五平餅を食べる。いつもは甘酒も頼むが、今回は五平餅だけ。クルミ味噌で少し甘い。

このまま帰るのは名残惜しいので、白川郷に向かう。

千光寺の円空仏

今回の円空仏探索のハイライトが、飛騨高山郊外の丹生川町にある千光寺の円空仏。友人がテレビで見たという。

ナビを頼りに車を走らせると、どんどん山道を登っていく。千光寺はその山道の行き止まりのところにあった。

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駐車場から派手な山門へ。千光寺の本来の山門は歩いて登ってくるほうに立派なものがあり、こちらは裏口のようだ。

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千光寺の円空仏寺宝館入り口。

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ここではお地蔵様も円空仏。

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ちょっと微妙な木像たち。

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入館料を払って中へ入ってすぐのところにある巨大な円空仏。下半身は自然木そのままで、木が仏になったのか、木のままで仏なのか。わたし(六尺余)より大きい。

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表面がなで回し続けられたようにすべすべで光沢がある。
どうしたら大胆な彫り方なのにこんな表情を表現できるのだろうか。

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今回見た中で白眉の一点、両面宿儺の像。しばらく目を離せなかった。

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おお!何たること、館内は撮影禁止なのである。すまぬ。

もともと点数は多くないが、展示の仕方も好いし、逸品が並んでいる。

そういう事情で千光寺での写真はこれだけ。

円空仏を堪能し、友人と二人なんとなく円空に酔ったようになった。

このあと星宮神社に戻っても4時には着けそうもない。合掌造りを見に行くことにする。

まず五箇山の菅沼集落に向かう。

「済んだことと済まないこと」
 舛添都知事の釈明を聞いていると、不適切なことがあったことを認めるけれど、違法ではないので許して欲しい、認識をあらためて不適切なことは今後しないようにする都知事を続けさせてくれないか、というものだ。
 追求している側にとって、その不適切な過去を問うているので、これからのことなど、今論じていることとは関係がない。
 不適切な行為がぞろぞろ明らかになるような人間は都知事として不適切である、と断定しているのに、これからの話をしていてまったく議論がかみ合っていない。
 すでにいつ辞めるか、という話に追い込まれているのなら、出口はないのだから辞めるしかないのに、見苦しいかぎりだ。
 こういうさもしいひとが非難されることは、世の中のためによいことだ。さもしいひとは案外しばしば目にして不愉快だが、さもしいことをするとひとから指弾されることが身に沁みてわかれば少しは控えるだろう。しかしさもしいひとというのは、舛添さんのように、自分が見えない人が多いから、自分のこととして考えないかもしれない。 
 さもしいことをしたひとを非難する人のなかに、ただのヤキモチ焼きのひとがいる。ひとが立場を利用していい目をするのがうらやましいだけなら、自分がその立場に立ったら同じことをするにちがいない。そういうひとにならない、という自覚がないと知らずにさもしいことをするかもしれない。
 それにしても昨日の自民党の質問に立った鈴木某議員はひどかった。ほとんど追求になっていない。ただ自分の感想を語り、舛添都知事のお考えを伺う、という体に終始した。
 なにか自分に弱みでもあるのではないかと勘ぐりたくなる。多くのひとがテレビを見ていた。鈴木某議員は大いに男を下げた。彼の問題なのか、自民党都議団の体質か、自民党そのものの体質か。自民党の逆宣伝としては、これ以上ないほどの最悪のもの(この場合、宣伝として最悪で、逆宣伝としては最高のものというのが言葉の流として正しいのかもしれない)だった。

2016年6月13日 (月)

続・飛騨高山まちの博物館・円空仏

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円空仏のコーナーを見るのは友人の望んでいたこと。

展示室はじつはとても暗い。ストロボは原則としてたかない主義なので、感度を思い切り上げて撮影した。今のカメラは高感度で撮れるから本当に有難い。

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観音像。トップライトなので顔が暗くなってしまった。

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展示品の中で最も優れていると思った柿本人麻呂像。

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ほかの像とは違い木肌がきれいに磨かれている。初期の頃の像は普通の仏像のようだったという。ライトが映り込んでしまった。

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この愛染明王像もよい。

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この木像はわたしの背丈ほどもある大きなものだ。円空の木像は、一本の木を縦に断ち割って二体作成したという。
だから背面は平らである。

主なものを数点紹介した。

満足して博物館をあとにする。

このあと立ち寄ったのが、

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この玉乃井ブランドの加賀屋という造り酒屋。ここで夜飲むための酒をみやげとして購入する。買ったのは「氷室」という名前の大吟醸。

次は今回友人指定の、本命の千光寺。ここに絶品の円空像があった。


飛騨高山まちの博物館

高山にいる。

友人が、円空仏があるはずだという民俗資料館がない。確かいつも高山へ来ると車を置く駐車場の近くに、昔は民俗資料館と言っていたところがそうではないかと思って行ってみると、「飛騨高山まちの博物館」となっていた。

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円空仏の展示があることを確認したので入場した。なんと無料。それなのにちゃんとしたパンフレットを渡される。江戸時代の豪商、矢嶋家と永田家の二軒の家や蔵を展示室にして開放しているのだ。無料だからそれほど期待していなかったのに、中に入ってびっくり。広いし展示物がいろいろあって、じっくり見るに値するものが多数ある。

今回は円空仏のコーナー以外のところのみ紹介する。

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高山祭の山車には飛騨の匠の作るからくり人形が乗っているものがある。その現物が展示されている(からくり人形が動作しているのを見るには、桜山八幡宮の近くの「からくり館」に行けばよい)。

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なかなか鋭い顔をしている。

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飛騨の匠について記された古文書。撮す角度が変なのは、ガラスの反射を極力少なくするため。

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こういう書画がふんだんに展示されている。

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お決まりの刀剣や武具、火縄銃なども展示されていた。

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飛騨地方では化石がたくさん出土する。山なのに海の生き物の化石も多いからむかし海の底だったことがわかる。このほかに神岡で採取された鉱物の展示もあった。今江の虫眼鏡を覗くと上の恐竜の歯がどうなっているのか見ることが出来る。

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山岡鉄舟の遺したもの。

そう言えば山形県の清川村で、清河八郎の記念館では写真撮影を拒否された(そういうところが多い)。来客の多いところなら、立ち止まって写真を撮っていたら迷惑だけれど、誰もいないところである。知っている人もほとんどないところだろう。わたしのように写真を撮ってブログなどで紹介してくれれば知名度も少し上がるかもしれないではないか。撮影禁止にする意味がわからない。向こうからすれば、わたしの勝手な理屈ということになるのだろうか。

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大好きな落款。いつか趣味として篆刻をやりたいのだが。

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高山も火消しの組織があったようだ。纏は思った以上に大きくて、重いものだったようだ。

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火消しの装束を眺める友人。麻だろうか、といったら、材質は木綿だ、と説明を読んだ友人が言った。

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天井からつり下げられたとても大きな鯉のぼり。今のデザイン化が進んだものよりリアルな形をしている。

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休憩室の向こうに美しい中庭が見える。

この間に円空仏の展示を見ているのだが、それは次回に。

星宮神社

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あたりは鬱蒼とした山林。縦長の世界、見上げる世界はふだんの生活の中にはあまりない。

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山側から星宮神社へ向かう。鳥居とは反対側に当たる。

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星宮神社。

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拝殿を見上げる友人。

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罰当たりなことに拝殿の中を撮す。

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拝殿奥の本殿。

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向こうの白壁の建物が美並ふるさと館。ここに円空仏が展示されている。現在ちょうど9時。ところが開館時間は10時から4時まで。これから一時間も時間をつぶすのは無理だ。友人がしきりに残念がる。帰りに立ち寄ることにして諦める(結局タイムオーバーで寄ることが出来なかった)。

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ふるさと館の前の木像。

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左右に並んで立っている。

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鳥居のそばに絵馬がたくさん奉納されている。鎌が描かれている。そう言えば実際の鎌の刃を奉納している神社に立ち寄ったことがある。そこには理由が書かれていたのだが、なんだったか思い出せない。

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円空街道に置かれている円空仏。

ふるさと館に多少後ろ髪を引かれながら引き上げる。ここから高山へ向かう。

2016年6月12日 (日)

矢納ヶ淵

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粥川村という所にいる。ここに矢納ヶ淵というところがある。


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こんな石碑の横に川へ降りていく階段がある。実際に淵をのぞき込むと神秘的な深い色に、吸い込まれるような心地がする。ちょっとこわいくらいの色なのだ。写真ではそこまで伝えられないのが残念だ。

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どのくらい深いのか、見当もつかない。ウナギはここにいるのだろうか。

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見る場所によって、流れ落ちる水しぶきに虹が見える。

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こういう岩盤の隙間から水がしみ出している。

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川が上流から淵に流れ落ちている。

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下をのぞき込んだら、水の中に入って写真を撮っているひとがいた。足ごしらえも本格的なので、ただのカメラ好きではないようだ。プロかもしれない。

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神秘的な淵を堪能したあと、もう一度社の前に戻る。

中をのぞき込む友人。中に「神明神社」という額がかかっている。

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奥の本殿の前の狛犬が苔むしていて絵になる。

このあと星宮神社へ向かう。

円空街道

友人が円空仏を訪ね歩きたいと言って、指定したのが、高山市の「まちの博物館」と千光寺であった。円空なら円空街道というのがあって、円空の博物館がある。まずそこを見てから高山へ行くことにする。


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東海北陸道の美並インターの近く、国道156号線を西へ折れると円空街道がある。標識があるが、とても狭い道を折れるのでうっかりしやすい。長良川の支流、粥川沿いに遡上すると、星宮神社があり、そこに円空仏を置いている小さな博物館が併設されている。

円空街道にはところどころに円空仏(もちろん円空の彫ったものではないが、木像である)が立っていて、案内してくれる。

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円空街道の途中にちょっと立ち寄りたくなる場所がある。
粥河村の集会センターというのがあってその向かいに石碑とこの二宮金次郎の石像がある。

石碑によれば、ここは元小学校の跡地らしい。道理で二宮金次郎がいるはずだ。

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石像の後ろ、粥川をのぞき込むと、すんだ水の中を魚がたくさん泳いでいる。もしかして鮎ではないだろうか。

長良川では鮎釣りが解禁されたのだろう、たくさん釣り人が川に入っていた。ここに来れば釣らなくても網ですくえる。

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円空街道の終点の、星宮神社の駐車場の前に湧き水を汲む場所がある。その前にある円空仏を見て、手で触りご満悦の友人。

時間が早いので、粥川の上流の沢沿いに少し山を歩く。

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木々は新緑から夏の深い緑色に変わり、斜面も美しい緑に覆われている。命の洗濯になる。

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道の途中に大きな石碑があるが、苔むして読めない。自然の石に戻りつつあるのだ。

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途中で沢を渡る。この上流に矢納ヶ渕というところがある。次回紹介する。

この辺りは粥河村という。粥川のひとはウナギを食べない。むかし藤原高光という豪傑が、山に住む魔物を退治した。なかなか魔物を見つけらずに苦労していた高光を案内したのが、神に遣わされたウナギだったという。この粥川には貴重な天然ウナギがいて、神の使いとして今も手厚く保護されている。

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矢納ガ淵の前の神社。いい具合に古びていて、いい雰囲気だ。

矢納ガ渕の神秘的な姿は次回に。すばらしい場所だ。

書けなかった

 友人が来て、わが家に泊まった。本当に久しぶりの来客だったのでとても嬉しくて、そちらに夢中になってブログを書く間がなかった。一日まったく更新をしなかったのは久しぶりだ。

友人が円空をテーマにいろいろ調べたり本を読んだりしていて、円空のふるさとである岐阜県を歩きたいというので、昨日はそういうところを中心に歩き回った。その写真をこれから何回かに分けて紹介したいと思う。写真を整理したらすぐアップしますので、もうちょっとお待ちいただきたい。

 二晩、友人とおいしい酒を飲んだので、今朝も二日酔い気味。というよりまだ少し酔っている。その友人は、もっとゆっくりすればいいのに、先程帰った。きりがないと思ったのだろう。今度はこちらが向こうへ遊びに行くつもりだ。

2016年6月10日 (金)

手のかかるひとと面倒を見るひと

 熊本の震災で、施設の発達障害児たちが、異常行動をとったという記事を読んだ。壁に体当たりを繰り返して血だらけになる者、突然裸になってお漏らしする中学生、気絶する子ども、しゃべり続けてとまらなくなる子どもなど、ふだんでも情緒面に問題のある子どもたちだから、非常事態に精神的に堪えられなかったようだ。

 大きな災害のときに、重い病気のひとや寝たきりの老人に対する手当が行き届かなかった話は繰り返し報じられていた。本来残されていたはずの寿命を縮めたことも多いようだ。そこまで気がつかなかったが、障害者についても同様だったことを知った。

 いつも面倒を見ているひとの能力の限界を超えていたこともおおかったことだろう。だから誰かのせいだとして非難することは出来ない。もちろんこのような経験に基づき、それに十分対処できるように方策を講じることは検討されるべきだろう。

 日本では少子高齢化が進んでいる。高齢者の割合が急激に増えている。当然寝たきり老人や認知症の老人が増加している。その老人たちは自力で生活できない。当然その面倒を見る人が必要である。

 自分で自分の面倒が見られないひとが社会の中で一定割合を超えたらどうなるのだろうか。あたりまえだが、そういうひとよりもはるかに多くの自力で生活しているひとたちがいる。そのなかに、自分以外のひとを補助できるひとがいるから、社会は廻っている。

 しかし補助しなければいけないひとは、多くの人手を必要とする。大きな災害のときにはその補助をするひとたちが、自分のことでいっぱいになり、他の人に手が回らなくなる。自分のことより介助を優先するべきだというのは、言うのはやさしいが、言っている人間が実際に出来るのか、と問われたら答えられないだろう。

 今、障害者が増えているのではないか。精神的にストレスの多い世界に堪えられないひとがいる。他のひとが平気なことでも、もともと弱くてそれに堪えられず適応できないひとが障害者と呼ばれているのだろう。

 弱者を支えることができるのは、ある程度強さをもったひとだ。弱者の割合がふえていく社会は、そういう意味では皮肉なことに生きていくために強さを求められる社会でもある。強さを求められることがそのままストレスになる。それなら社会は、ますます弱者が適応しにくいになっていく。

 強者と弱者の差が拡大する社会は、貧富の差が拡大するのと似ている。同じ構造なのかもしれない。善悪の問題などではなく、起きている現実にどう対処していくのか、そろそろ真剣に考えなければいけないような気がする。

 どちらにしてもわたしは十分な介助を受けられないだろうと覚悟している。思えば昨年亡くなった母は、本人はどう感じていたかは知らないが、十分な介護を受けられて幸せだった。

Dsc_3984 将来のわたし

食べるな

 スペインで、まつりのときに牛を殺す儀式をやめるよう提案があり、議会が決議したので今年から牛は殺されなくなったというニュースを見た。

 古来供犠は人間の神聖な儀式のうち最重要なものだった。

140920_231 なぐごはいねが(泣く子はいないか)

 そもそも人間は生き物を殺して食べる、という原罪を宿命としている。動物保護を叫びながら、牛肉も豚肉も鶏も食べない人がどれほどいるだろうか。鯨やイルカが可哀想だと言って魚を食べないひとがいるだろうか(イルカや鯨が魚類ではないということは置いておく)。

 そのような原罪は神に負う、だから神がそれを求めているとして、人間は神の求めに応じて生き物を殺して供物として捧げる。犠牲(いけにえ)としての供物を捧げることで人間は生物を殺して食うことを神の責任として、自らの罪の意識を緩和する。

 ところが現代、神は死んだ(by ニーチェ)。そうなると原罪は人類自らにはね返るものとなる。動物を殺すこと、そしてそれを食べることは罪深いこと、というこころの底にあるやましさが頭をもたげる。

 こうして犬が、そして馬が、イルカが、鯨が食べてはならないものになり、次々にタブーが増え続けていくことだろう。将来あらゆる動物が食べてはならないものにならないとはいえない。生き物を殺して食べることに変わりはないからだ。

 さらに植物だって生き物なのである。

 こうして人間は自分がものを食べることを否定していき、衰退していくだろう。

 でも、その前に戦争で滅びてしまうか。 

 わたしはイルカも馬も犬も蛇も蛙も鯨もラバもラクダもザリガニも食べたことがある。食べる機会があればまた食べるだろう。ただし、ひとは食べないと決めている。それは、食べなければ死ぬとわかっていても、食べないということだ。食べずに死ぬことを受け入れると言うことだ。
 ひとを食べないと言うことと、その他の生き物を食べることは、人間であるということに根ざすもので、わたしにとって同じことである。
 安易に文化としての食べ物を、食べるな、というのは、だから人間否定だと考える。

泥縄

 今夕、友人が来てわが家に泊まるので、あわてて昨日くらいから部屋を片づけている。片づけるといっても右のものを左に置き直して、こちらのものを向こうにもっていって、とウロウロするばかりで、よく見ると全体はほとんど変わらない。

 掃除も少しずつしておけばよかったのだが、また散らかるから直前にしよう、と自分に言い訳して今日になってしまった。さあ、多少は汗をかこうか。

 最近は子どもたちは別として来客らしい来客がない。どうもこちらから出かけることが多すぎるせいかもしれない。ときどきは人が来ないと、家は本当には片付かないものだ。

 有朋自遠方来。不亦楽乎。

 なんとなく嬉しくてわくわくする。

 大変強烈な雨男の友人、今回も雨かと思っていたら、なんと晴れそうだ。どういう風の吹き回しであろうか。

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2016年6月 9日 (木)

開けたら閉める

 子どもが小さい頃、口ぐせのように私が言ったのは「開けたら閉める」という言葉である。

 これは生活の基本で、開けたら閉める、つけたら消す、出したら片づける、借りたら返す、など、すべてに通じる。

 だからドアを開け放したままでいる人を見ると、ああ人間としての基本がなっていないな、と思う。いくら自動ドアがあたりまえになったとしても理由にはならない。

 残念ながら、世の中にはあたりまえのことが出来ない人がかならずいて、それがあたりまえになると、出来ていた人までそれを忘れ出す。ところがどんな世の中でもきちんとやるひとも必ずいる。中国で、割り込みがあたりまえの中で、ちゃんと待つ人も少なからずいたのを見てそう思った。

 だってあの人もしているのに、なんで私だけ言われなくちゃいけないの、と言う人を見ると、ああいうひとには絶対になるまい、と思う。

140920_67 しあわせなひと

 以前にも書いたけれど、好きな言葉に「ゴミを捨てるひとはゴミを拾わない、ゴミを拾うひとはゴミを捨てない」というのがある。ひとの捨てたゴミを平然と拾うひとを尊敬する。そういう人がいるから世の中はなんとかまともに廻っている。ひとが捨てたものだからと、つい気がつきながら行き過ぎてしまうことのある自分が哀しい。

06112324_096 世界を支えるひと

 それでも最近はときどき拾う。

永六輔「一人ぼっちの二人」(中公文庫)

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 出版された永六輔の本の一番初めがこの本(つまり処女出版)だ。昭和36年に、えくらん社という出版社から出た。まだ知名度も低いから、ほとんど売れなかったようだ。この文庫に収録されたのは昭和56年。

 下ネタが多い。それもWAISETSUよりもHAISETSUに関するもの、特にONARAに関するものがたくさんある。

 永六輔が、歩きながらリズミカルにONARAを続ける父親を尊敬し、あこがれ、おとなになったら同じようなONARAができるようになりたい、と志したことは、ほかでも読んだことがある。 

 そういう話が大好きな人と大嫌いな人がいる。わたしは大好きではないが嫌いではない。初期の頃のテレビ業界で夢中でシナリオを書き、コントを書き、作詞をしているうちに、なくてはならない存在になっていった永六輔の原点が、はにかみの裏返しの露出によって言葉にされている。

 永六輔は江戸っ子なのだ。

心配

 よくわからないと不安になり、心配がつのる。

 二部上場会社であるニフティは三分の二の株を富士通が所有する。それが今度100%富士通になることがきまったようだ。富士通は利益の期待できるクラウド事業を残し、ISP事業を切り離すのではないか、という。なんだがよくわからないが、プロバイダに関連することは、富士通は引き受けないで身売りするのではないかということらしい。ではココログはどうなるのだろう。

 もしどうかなったところで、たいていどこかが引き受けることだろが、現在特に不都合なく居心地よくブログを書いている身として、面倒なてつづきが必要になったりするならわずらわしい。今まで書きためたものはどうなるのか。

 まだなにもきまったわけではないらしいが、心配である。

 富士通という会社は冷たく頑固なところがあると聞いたことがある。思い当たることもある。とてもクレバーな人が入る会社として定評があるからなあ。たまたま知っている、富士通に入社した知人がその通りだったから、偏見があるかもしれない。差し障りがあったら申し訳ないことである。すみません。

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2016年6月 8日 (水)

ただはモラルを下げる?

 困ったときに助けられたら、ありがたいと思い、それに感謝するのは当然だ。ところが何とも思わないとしたら、それはなぜなのだろう。

 北海道新幹線の開業に合わせ、函館市内の無料貸し出しービスで用意された1500本の傘のうち、約1100本が返却されていないという。観光客が宿泊先に置いたままにしたり、地元市民が持ち帰ってそのまま返却しないらしい。同じような無料貸し出しを行っているほかの観光地も同様だという。あるホテルで調べてもらったら、一度に13本も見つかったことがあるそうだ。

 小樽でも市民や企業から1500本の傘を集めて市内で貸しだしているが、一年後に残ったのがわずか40本だった。

 善意のサービスが継続できない、と北海道新聞が報じていた。傘の返却は観光客や市民のモラルに頼るしかないのにどうしたことか、と記事では嘆いている。

 ひとのモラルが低下したのか、それともそもそもひとのモラルなんてこんなものなのか。こういうときにどうすべきか問われたら、返すのがあたりまえ、とみな答えるだろう。借りたものは返す、というあたりまえのことがどうしてできないのか。

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 世の中はすべて対価をもって購う、というルールで支配されている。そもそも対価となじまないものまで、購う対象と考えるのが普通になっている。例えば教育や政治(舛添さんを見よ!都知事の仕事の対価としてなにをしていたか)だが、そのことを詳しく説明していると誤解を招くからやめておく。現代は何でも金で換算される。

 そんな時代だから、ただで手に入るものにひとは価値を感じない。街頭で配られるティッシュペーパーに書かれたサラ金のコマーシャルに、誰が目をやるだろう。ローンが必要な者はティッシュペーパーを手がかりにすることなどなく、自ら探してローン会社に行くだろう。ティッシュペーパーをもらったことをありがたいと思うひとは、いまはほとんどいないだろう(トイレで助かることはあってもローン会社に感謝することは決してないだろう)。このとき、ティッシュペーパーは天から降ってきたものと同じである。

 民放はただである(受信料を払わないひとにとってはNHKすらただである)。その代わりにCMに堪えなければならない。それは対価である。

 ただにはただの理由がある、とひとは身に沁みて知っている。理由のない善意があることが信じにくくなっている。

 傘は返される前提で貸し出されたけれど、これをただで手に入れたもののように感じた者が返さないのではないか。もちろんたいていのひとは返しただろう。少なくとも返さなければと思っても、わざわざ返すのが面倒だと思ってそのまま、というひともいたにちがいない。わざわざ返す手間を掛けるに値しないと思ったのだろう。 

 ただであることが、モラルの低下を招いている時代なのかもしれない。

 サービスが継続できないなら、やめたらよい。そもそも傘はただではない。

 この項、いつも以上にうまくまとまらなかった。考えが足らないのだろう。もっといいたいことがあったような気がする。

森本哲郎「ぼくの会話学校」(角川書店)

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 わたしは千葉県生まれ、大学は四年間山形県で暮らし、大阪の会社に就職した。研修期間の一ヶ月を除いて大阪に住んだことはなく、営業として東京、名古屋、金沢の営業所に勤めた。

 その大阪の会社で新入社員として研修を受けたとき、同期の面々と出会い、その饒舌な会話に驚嘆した。みな当意即妙、ツウといえばカア、打てば響くようなやりとりは、まるで関西漫才のようである。わたしも無口な方ではないが、とてもついて行けないし、面白みもあまりあるほうではない。

 なにより関西弁が飛び交うのが不思議である。それまで東北弁の中で暮らしていたから、みんなが関西弁をしゃべるのが、それだけで面白い。

 この本の「ぼく」も、そのときのわたしのように、無口ではないのだが会話がうまく出来ない、と思い悩んでいる。そこで会話を勉強しようと思い立つ。ところが「会話学校」を探すと、ほとんどが外国語の学校である。日本語の学校があっても、それは日本にやって来た外国人のためのものであった。

 ようやく見つけた「セキセイ会話学校」は日本人のための「ぼく」の願ったような会話学校であった。不思議な先生達、そして受講するさまざまな生徒達。こうして先生達の講義の様子、そして「ぼく」と関わる生徒達との関係が展開していく。やがて「ぼく」は生徒のひとり、魅力的な女性に恋する。

 ちなみに講師の名前は、松尾蕪村先生、初山八郎(ハッサン・ハチロー)先生、是出由(これでよし)先生、アリストテレス・プラトン先生、ノラリ・クラリーノ先生、ドン・コレナンデス先生、そして校長は関成印行(せきせいいんこう)氏(最後に校長であることが明かされる)、副校長はマメッチーナ女史。

 それぞれの講師がどんな講義をするのか、そして、それによって「ぼく」は会話が上達するのか、そして恋の行方はどうなるのか、まことに楽しいお話である。

 わたしが師と仰ぐ、思索家の森本哲郎先生の本であるから、楽しい話にもさまざまな寓意が込められていて、冗談のようでありながら、じつは哲学的な深い意味がある(はずである)。

 大昔読んだと思うのだが、ほとんど記憶にない。だから初めて読んだように面白かった。自分を口べただと思っている人なら読んでみたくなるかもしれないが、たぶんこの本は古本屋で探さなければ手に入らないだろう。それでもあるかどうか。

 森本哲郎先生の本はたぶん八割以上わたしの手元にあると思う(一時期ずいぶん探して揃えたのだ)が、現在ほとんど普通の書店にはない。一度全集らしきものが出て、それも揃えている(一部欠巻があるのが口惜しい)けれど、書いた文章の全体のほんの一部しかおさめられていない。出来れば正しい全集が出ると嬉しいのだが・・・。少々高くても、無理して絶対揃えるだろう。

 ちなみに、是出由先生の会話上達法骨子
1.材料を仕込むこと
2.人間を研究すること

 これは文章を書くことと共通しているなあ。

小野の滝

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上松宿のはずれ、国道19号線のすぐ横に小野の滝がある。滝が好きなので、立ち寄る。行くときに滝があることに気がついたのだが、通り過ぎてしまったので帰りに必ず寄ろうと思っていた。

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大きな滝ではないし、水量もしれている。

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ところが、この看板によれば、それなりにむかしからよく知られた滝らしい。

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看板にある通り、滝の上に中央線の鉄橋が架かっている。

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由緒ありげな石碑。右下が割れている。なにかが目をひいた。

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なんだこれは!石とはいえ、首だけ置いてあるのは気味が悪い。夜、通りかかったらこわいだろう。

そう言えば、以前山道を走っていたら、藪の中に錆びたドラム缶が置いてあって、そのなかから首をかしげた犬が覗いていた。電気屋にむかし良く置いてあった、蓄音機のとなりで首をかしげているあの耳の垂れた白い犬である。

どういうつもりでそんな置き方をしているのかわからないが、一瞬見ただけなのに奇妙な気持ちがして忘れられない。

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口直しにもう一度滝を。

これで今回の木曾街道の宿場旅はおしまい。

今週末に大阪から友人が来る。彼のテーマは円空仏。彼の指定の場所も含め、何カ所か廻る予定。ところが天候が悪そうだ。そう言えば友人は雨男、晴れるはずでも彼と旅すると雨が降る。梅雨時とはいえ、やはり雨か。

その報告は来週。

2016年6月 7日 (火)

奈良井宿

中山道・奈良井宿は木曾街道に残る宿場としては、むかしの姿が比較的に残されており、そのまま残そう、観光宿場として維持していこう、という意思が感じられる。


今回、この木曾街道へやって来たのは、その前に日光などを訪ねる旅の途中、地道の国道19号線を北上したとき、この奈良井宿のそばを通って、近々ここへ来よう、と思ったからだ。

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奈良井の木曽大橋。この橋を渡って向こう側に、川と並行して奈良井宿がある。ここから宿に入りたかったが、駐車場が一杯。写真だけ撮って、道を戻る。本来の奈良井宿は、ここより南側に町営の駐車場があって、そこへ車を置いて入る。宿場内は原則許可車のみしか入れない。

駐車料を取るのだが、本日は特別な日(理由をなにか言ったが聞き取れなかった)とのことで無料。

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宿場町の南端近く。人の姿があまりない。

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中村屋御櫛所利兵衛とある。ここで作っていたのか、売っていただけなのか。見学も出来る。ものの本によれば豪商だったらしい。鎧庇(よろいびさし)に卯建(うだつ)、古民家の典型的形。

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宿場町によくある鍵の手。敵の侵入の勢いをここで止める。

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鍵の手に社があって、その横に可愛い道祖神がある。

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石碑は明治天皇の巡幸の碑。その前の店は「て津か」という問屋。問屋はこの場合、といや、と読み、宿場の荷物の集配管理、人足・伝馬の手配などを行っていたところ。

その向こうに赤い字の看板が見えるのは酒屋。ここで友人と飲むための「中乗さん」という銘柄の、純米吟醸酒をみやげに購入。この「中乗りさん」の看板はこのあたりを走るといつも目にするので、いつか飲んでみたいと思っていた。

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日陰の格子の前で、しゃがんで赤ん坊をあやす若い母親。

全体で絵になる。

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適当に切り上げて、鍵の手の角にあるそば屋で昼食。

道を戻り、高札場を撮す。これが普通に読めたのだから、日本人はむかしから読み書きが出来るのがあたりまえだったのだ。

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高札場のすぐ横に、庚申塚や道祖神がいくつも立てられてある。そのほんの一部。

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元の道をもっと南へ行くと、宿のはずれに鎮魂社という神社がある。

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絵馬堂に掛けられた献額を眺めるのが好きなのだが、なんたることか、ここは完全にロックアウトされていて中に入れない。しかも格子が狭いのでのぞき込んでもなにも見えない。

ちょっと怒りを覚えたが、たぶん貴重なもの、有名な人のものがあるのがもしれない。不届き者がいるのだろう。でも見ることができなければ献額の意味がないではないか。

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鎮魂社は少し高くなっているので、そこから宿場を見下ろす。初夏の日盛りに、ほとんど人影もない。

これでほとんど今回の木曾街道散歩は終わりだが、あとひとつだけ帰りがけに立ち寄った、滝の写真を次回にオマケとして見ていただく。

こわい映画

 ブログ「巴淵」に友人の周大兄がコメントを入れてくれた。巴御前というと、映画の京マチ子を思い出す、という。調べると、「新・平家物語 義仲をめぐる三人の女」という映画(1956年、監督・衣笠貞之助)があったから、その映画のことのようだ。木曽義仲を長谷川一夫、三人の女を京マチ子、山本富士子、おお、高峰秀子が演じている。周大兄はこれをリアルタイムで見たのであろうか。

 返しのコメントに書いたのだが、わたしは古い映画での京マチ子といえば、まず「羅生門」を思い出す。そして「雨月物語」か。「羅生門」では芥川龍之介の「藪の中」(大好きな小説)が下敷きで、同じ事実が、人によって全く違う話として語られる。「雨月物語」では京マチ子は不思議な怨霊であった。

 もちろんそれがこわい映画だというのではない。この二本の映画は貸しビデオ屋で借りてみたが、劇場で見た映画で忘れられないこわい映画がある。「妖婆」という映画(1976年、監督・今井正)だ。京マチ子が気味の悪い、呪い師の女で登場する。主演は神保美喜。この神保美喜がこの不気味な呪い師にたたられ、次第に怪異の世界に取り込まれていく。

 わたしの見た日本の映画でもっともこわかったのが、この「妖婆」だ。西洋の恐怖映画は、こわいというよりもびっくりさせるこわさで、リアリティという点では日本映画のこわさに劣る。それはわたしが日本人だからでもあるが。特に宗教がらみだとちっともこわくない。神も悪魔も信じていないから当然だ。ただのファンタジーである。

 西洋映画でこわかったのは「13日の金曜日」と「ファンタズム」という映画。映画館の座席から体がとびあがったのを覚えている。それほどびっくりした。「エクソシスト」三部作(もっとあるが、論ずるにたらない)もこわかったけれど、自分に降りかかる恐怖とは違う。わたしが好きなのは「エクソシスト2」、前作の完全な続編で、悪魔祓いの神父をリチャード・バートンが演じていた。キリスト教とアフリカの土俗宗教の悪魔との闘いに話を展開していて、面白い。

 次々に話をひろげるときりがないので日本の映画に戻ると、「妖婆」の京マチ子のこわさは悪夢もので、それに匹敵するのが「八つ墓村」(三回作られているらしいが、わたしの見たのは1977年版 監督・野村芳太郎)。この映画の小川真由美はこわかった。

 この映画では金田一耕助を石坂浩二ではなくて、渥美清が演じていた。主人公の寺田辰弥を演じていたのは萩原健一。この物語があの津山事件を下敷きにしていることは有名。わざわざ岡山県の奥津温泉に泊まって、あのあたりをうろついたことがあるほど、横溝正史のこの話が好きだ。彼のベストワンだと思っている。津山事件については映画「丑三つの村」(1983年 監督・田中登)に詳しい。主演は古尾谷雅人(のちに自ら命を絶ったのは惜しいことである)、共演の大場久美子の胸が案外豊かだったことに驚いた。

 どうも、次から次に頭に関連したことが浮かんできて、脱線ばかりしていけない。

 八つ墓村の後半は鍾乳洞の中が舞台である。何度も書いているけれど、洞窟が好きで、ずいぶんあちこちの観光洞に入った。人気のない時期の朝早くに一人でウロウロしていると、ぞくぞくしてくる。恐がりだからはやく外へ出たい、と思いながら我慢しているのが、なんだかトイレを我慢しているみたいで快感なのだ。わかる人にはわかるであろう。だから江戸川乱歩のベストワンは、やはり洞窟の場面がメインの「孤島の鬼」である。

 いけない、いけない、なんの話かわからなくなってくる。 

 「八つ墓村」の洞窟のシーンではあの理知的な美人の美也子の顔が次第に変わっていく。それを小川真由美が劇的に演じて強烈だ。化粧もあるけれど、内面からの哀しみと怒りと狂気が爆発する迫真の演技は頭に刻み込まれるように記憶されている。

 この映画では八つ墓村の由来である、落ち武者の惨殺シーンも強烈だ。夏八木薫の憤怒の形相は後のたたりを強く印象づける。

 古来日本人はたたりを恐れた。そのことは鎮魂にこだわるたくさんの慰霊の建物や碑に残されていることからもわかる。たたりは関連する人ばかりではなく、ときに無縁の人にもたたるから恐ろしい。そう言えば法隆寺は・・・。

 そこから先はまた機会があれば。

巴淵

巴御前ゆかりの地、巴淵(ともえぶち)を見に行く。


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巴淵の石碑。

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巴淵と謡曲「巴」について書かれた木札。「巴」は、ほとんど唯一と言って良い、女性が主人公の謡曲だという。

「木曽の僧が滋賀の粟津原に来ると、ひとりの里女が社の前で泣いている。事情を聞くと「木曽義仲が討ち死にした場所で、弔って欲しい」という。僧が読経していると、先程の女が武装してあらわれ、「自分は巴という女武者。義仲の供をして自害しようとしたが、女だからと許されなかった」と語る。巴の霊はその無念さと義仲への恋慕から成仏できずにいたのだった」

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神秘的な色合いの淵。もともとは巴状に渦が渦巻いていたので巴淵といったらしい。

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巴は少女時代、この淵で泳ぎ、あの徳音寺の乗馬姿で野山を駆けまわって育った。伝説では、この淵には龍神が住み、化身して巴となったという。

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粟津聖に討たれし公の
     霊抱きて
   巴の慕情 渕に渦巻く

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多少の感懐を覚えて、去る。

このあとさらに北上し、奈良井宿に向かう。    

2016年6月 6日 (月)

徳音寺(2)・木曽義仲と巴御前の墓

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本堂左手に義仲霊廟がある。

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木曽義仲公霊廟由緒書き。

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これが由緒書きにあった木曽義仲公木像。

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境内の奥に木曽義仲や巴御前、そして重臣たちの墓がある。この階段を登る。

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右が巴御前の墓。龍神院殿とある。やはり龍の化身なのだ。左は木曽義仲の家臣の墓。

義仲の墓はさらにこの上にある。

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木曽義仲公の墓。花が手向けられている。
木洩れ日でコントラストが強い。

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巴の墓 義仲に侍す 杉落葉

境内に戻る。

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招魂碑。来帰軍馬、軍馬に乗って帰ってこい、という意味か。ふるさとの地、木曽から出軍して帰らぬ人となってしまった木曽義仲に、あなたの帰るところはここですよ、と呼びかけているのだ。

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右下はさざれ石。君が代の「さざれ石の巌となりて・・・」のさざれ石だ。わかりにくいが右端に可愛い巴御前?が乗せられている。

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強い日差しのなか、山門脇の片隅に、破損したり摩滅した石仏などがまとめておいてある。野の花がかれらを慰めているようだ。

宮ノ越宿はこれでおしまい。このあと巴御前にちなんだ巴淵を見に行く。

おみやげなあに

Dsc_7325 ゲバラの銅像

 韓国の外相がキューバ訪問に出発した。国交のないキューバと韓国だが、アメリカとキューバの国交再開の動きを受けて、韓国もキューバと国交を再開しようというのだろう。

 共産主義国キューバがアメリカの経済封鎖で孤立したとき、北朝鮮はキューバと親交を維持していたため、関係が深い。韓国はキューバと北朝鮮との間にくさびを打ち込むことで、北朝鮮にダメージを与えようというのだ。

 先般、朴槿恵大統領はアフリカを歴訪した。特に北朝鮮との関係の深いところを重点的に訪問して北朝鮮との関係を縮小させ、結果的にダメージを与えようという意図だったようだ。強行軍でだいぶ疲れたらしく、最後は点滴を受けながらの外交だったという。帰国してダウンしたとの報道もあった。

 北朝鮮を追い込むことに朴槿恵大統領は力を入れているようだ。金王朝を崩壊させ、南北朝鮮統一を成し遂げるか、少なくともその筋道をつけることで、自分の歴史的功績を残したいのだろう。そうでもしないとあまりにも悪評が高くて任期終了後になにを言われることになるかわからない。韓国はそういう国だ。

 韓国外相がキューバを訪問するに際し、なにかおみやげをもっていくだろう。キューバは貧しい国だ。北朝鮮からはあまり経済的な恩恵を受けていないだろうから、キューバ政府は国民のために何でも喜ぶにちがいない。

 昨年秋、キューバに行ってきた。そのときに、キューバも同じ共産国だから中国人であふれているのかと思ったら、あふれていたのは日本人だった。中国人は観光みやげが爆買いできるところしか行かないから、考えれば当然なのだ。日本人が多いからリップサービスかもしれないが、キューバは親日的だという。人種的偏見の全くない国だから、とてもフレンドリーな国だった。

 ところが現地で、キューバ人は韓国が嫌い、韓国人が嫌い、だと聞かされた。アメリカが経済封鎖したときに、韓国はかなり印象を悪くする行動をしたようだ。もちろんキューバ人はキューバを貧しくさせたアメリカが一番嫌いだが、それに次いでいるような言い方だった。詳しいいきさつは知らない。

 そんな国民感情を韓国は認識しているのだろうか。キューバ政府はもちろん承知している。となれば、韓国の持参するおみやげによって今後のキューバ人の韓国の見方は改善するかもしれない(しないかもしれない)。

 おみやげなあに。

陳舜臣「続・中国任俠伝」(文春文庫)

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 中国の王毅外相が、カナダでの記者会見で、カナダ人記者に食ってかかったと報じられた。それほどのことでもなかったようだが、ちょっと周りが驚くような興奮状態だったらしい。

 G7で南シナ海問題などが取り上げられて、中国はほとんど名指しに近い形で警告を受けている。多くの国で中国は非難され、四面楚歌に近い。これは明らかに中国外交の大失敗であるから、王毅外相は責任を感じて精神的に追い詰められているのだろう。

 そう言えば、端正で紳士的な風貌のこの人の顔が、最近見るたびにゆがんで醜く見えているのは、こちらの好悪の問題かと思っていたら、実際に内面を写してのゆがみのようようだ。

 彼は元々知日派で、今の習近平主席の指示の元での外交は意に染まないのではないか、とわたしは見ているが、それはなんとか彼を理解したい気持ちの優しさからである。もう少し賢くまともな人だったことが記憶の隅に残っている。

 他の国も好き勝手にやっているのになぜ中国が非難されるのか、理不尽でわけがわからない、と激高しているようだ。中国以外の国々だって軍備を持つなど同じようにことをしているのに、なぜ中国だけが非難されなければならないのか?と王毅外相は、そして中国人は理不尽だと怒る。

 王毅外相や中国の人々に申し上げる(こんなわたしのブログなど彼らが読むことなどないから、天に吠えているだけだが)。中国だけが非難されるのはほかの国々のせいではなく、中国の行動に問題があるのではないか、なぜ他の国は中国を非難するのか、それを自分に問いかけなさいと。まあ無理か。

 国が、つまり権力者が愚かであるとき、その下にあるものが、それを諫めたり、正しい意見を言うのは命がけである。唯々諾々と従うほうが延命できるし、出世もすることが多いことは世の習いだ。

 それを敢えて身命を賭して異を唱えるのを任俠ということが出来る。中国は任俠を価値あるものと見てきた歴史がありながら、近世その価値観を完全に投げ捨てて失ってしまった。

 国のために働くものがいない国が、繁栄し続けられるのかどうか。そうではないことを願うわたしの気持ちが、今中国の衰退を願うわたしの気持ちの根柢にある。

 そういうことが、「中国任俠伝」そして今回「続・中国任俠伝」を読んだきっかけである。

 「中国任俠伝」のほうは前漢以前の任俠、そして「続・中国任俠伝」は前漢滅亡前後からあとの時代の任俠の話である。

 古代は人間がシンプルである。だから任俠の形はそのまま気持ちの表れであった。ところが時代を経るごとに人間は複雑で屈折していく。心底から任俠ではないのに形で任俠をなぞっているうちに、人は任俠であると祭り上げられる。そうしてそれから脱することが出来ずに、破滅的に短命で終わるもの、ずっと自分自身を偽って、ついに自分でもわけがわからなくなるものが「続・中国任俠伝」に登場する。

 人は自分を飾るものだ。ところが任俠は本来自分を飾らない。それなのに任俠を飾ることで自分を飾ってしまうと、なんだかわけがわからない。そういう悲劇のような喜劇のような人物がこの本には書かれている。もちろん本物の任俠も登場するが、皮肉な運命をたどった人物のほうが面白い。

 さて、現代中国に任俠は登場するのか。

徳音寺(1)

木曾街道・宮ノ越宿、木曽義仲に縁のある徳音寺に居る。


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山門手前の植え込みに白蛇の清水という湧き水がある。少し歩いたあとなので、とてもおいしく感じられた。

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山門へ到る道の両脇に小さな石仏や句碑、歌碑が並んでいる。

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歳月に風化して顔がわかりにくくなっている。

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どういう思いが込められているのだろうか。なにを願ったのだろうか。

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句碑のひとつ。義仲や山吹山の月愛し、と読むのだろうか。

木香という名が入っている。

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蛙塚。青蛙 許せむ・・・の次が不確かで読めない。最後は暖風館だろうか。

蛙といえば小さい頃田んぼには蛙がたくさんいた。悪ガキたちと一緒にその蛙を捕まえて足をもって地面にたたきつけ、皮を剥いでももの身をザリガニ釣りの餌にしたりした。

その頃は何のこともなかったが、今となれば可哀想なことをしたものだ。

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徳音寺山門。

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山門の由緒書き。あの犬山城の成瀬家と関係があったとは知らなかった。

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境内に入るとまず目につくのがこの馬上の巴御前。

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そのとなりに貫き石というのが据えてある。わかりにくいが大きな石の下に穴が空いている。

巴御前は龍の化身であるといわれる。だからあのような美人なのに力が強かったのだ。その巴御前があけた穴らしい。

龍の化身の話は、後で行く巴淵という場所に詳しい。

つづく。

2016年6月 5日 (日)

宮ノ越本陣から徳音寺へ歩く

自転車(と人)くらいしか通れない橋を通って木曽川をふたたび渡る。


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下を覗けばこの透明な水の流れ。これが日本の川だ。あんなにも汚い川ばかりにしたのは誰だ。日本人全員だ。わたしにも責任がある。

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田植えが終わったばかりの正しい日本の田んぼ。いいなあ。

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徳音寺の手前に小さな池がある。メダカの学校と木札があるが、覗いても金魚しか見えない。メダカはお昼寝中か。

奥のほうにちらりと見えるのが徳音寺。

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こんな位置関係。

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寺側から写す。

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左手は駐車場。木曽八景、徳音の鐘声らしい。石には木曽義仲の里、と書かれている。木曽義仲は幼名を駒王丸といったのだ。

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里山の風景。山裾に義仲館がある。すぐそこだ。

ぐるりと回り込んで徳音寺に入る。

ゆったりと時が流れているので、こちらもゆっくり。

宮ノ越宿本陣

義仲館から宮ノ越宿本陣へ向かう。

途中、木曽川に架かる橋を渡る。

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橋の上から清流をのぞき込む。晴天だが気温がそれほど高くないので気持ちが好い。

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宮ノ越宿本陣の門。この門だけで2000万もかかったそうだ(by 義仲館の人)。

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ここにも誰もいない。自由拝観。写真も自由。記帳してください、というので記帳した。

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玄関から門を振り返る。玉砂利が真っ白でキラキラ光り、美しい。できたてのようだ。以前大火があって、宮ノ越宿の古い家の多く(約60軒というからほとんど焼けたのではないか)が、失われた。そのときにいろいろな歴史的な文物も失われてしまったようだ。

本陣も一部しか残らず、再建された。再建には億単位の金がかかったという。だからみな新しい。

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定番の甲冑。刀を抜いてみようか、と一瞬考えた。たぶん本身は入っていないだろう。

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殿様が泊まったときの部屋だろうか。

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囲炉裏のある部屋。ここに座り込んでゆっくり燗を付けた酒を友だちと酌み交わしたい。

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天井が高い。

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黒い漆喰。変わった木の根らしきものが鴨居に掛けられている。

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入り口の木の燈籠。ついに誰とも出会わなかった。

このあと木曽義仲と巴御前の墓のあるという徳音寺へ向かう。もう一度別の橋を渡って戻ると遠くに寺が見えた。

2016年6月 4日 (土)

小谷みどり「ひとり終活」(小学館新書)

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 人はいつかは死ぬ。そのときになるべくいろいろな人に迷惑をかけないように、自分でその前に、出来る準備をしておくことが必要である、というのがこの本のテーマである。

 とはいえ、これだけ面倒なことが山積していると思うと、おちおち死んでもいられないなあ、などとうんざりした。さほどに死ぬ前、そして死んでからはいろいろな手続きが必要である。放っておいてもひとりでに片付く、というわけには参らぬようである。

 それがいやだから死なないで頑張るといっても限度があるし、みんなどうしているのだろう。死んだ人たちに直接聞くわけにはいかないしなあ。

 読んでいて死ぬことの煩わしさを思い知らせてくれるけれど、もう少し簡単にならないものだろうか、と考えさせられた。こんなことなら死にたくない。 

義仲館

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木曾街道の案内本を眺めたら、宮ノ越宿の義仲館というのが目についた。木曽義仲の資料などが展示されているという。

19号線から別れて、センターラインのない道を3、4キロ走る。途中なにも標識がないからちょっと不安になるが、ナビがあるので間違いない。

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こぎれいな駐車場の横に、こんな立派な建物が建っている。これが義仲館(よしなかやかた)。

開館中となっているのに、窓口に人がいない。声を掛けるが誰も出てこない。仕方がないので勝手に中に入る。どこかで掃除でもしているのか。

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木曽義仲と巴御前がお出迎え。
木曽義仲は、外の立派な銅像とはずいぶん顔立ちが違う。
巴御前も男勝りの女丈夫にしてはたおやかだ。
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平氏追討の宣旨を受ける木曽義仲。

木曽義仲の生い立ち、関係者、などが紹介されている。源義仲は、頼朝義経のいとこにあたり、この日義の地で挙兵して平氏を京都から追い、ついには征夷大将軍になるが、頼朝に派兵された義経に敗れ、討ち死にする。

史実を多少は知っているが、詳しくない。

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奇計をもって倶利伽羅峠で平氏の大軍を破る様子を描いた絵。崖に追い込んだ平氏軍に、牛の大群の角にたいまつを着けて放ち、もろともに崖下に落としたという。

似た話は中国にあるので、本当の話かどうかわからない。巴御前のアイデアであったという文章を読んだことがある。

当時の武具や衣装なども展示されているが、実際に義仲や巴御前が身につけたというものはない。

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巴御前。美しい。

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武者絵の凧に描かれた巴御前と木曽義仲。

ひとわたり館内を眺めたが、誰もいない。外に出ると庭園で電動草刈り機を使っている人がいる。声を掛けると、その人が管理人であった。料金300円をようやく支払うことが出来た。
とにかく話し好きな人で、それから延々15分、ただただ彼の話を聞くことになった。館内、館外全体の管理を任されていて、とても忙しいといいながら話がとまらない。

今年サミットがある、と繰り返すから、内心こんなところで?と思って、なんのサミット、と聞き返すと、源平時代について研究している学者たちの会合が夏にあるのだという。百人ほど集まるという。

この三十年、いろいろ勉強し続けているとのことでそのノートも見せてもらった。今なら来客もほとんどないから、ここを訪ねればこの人に知っているかぎりのことを教えてもらえるはずだ。わたしは話半ばで失礼したが、是非行って話を聞いてあげて欲しい。

この人に、この辺りの見所として、宮ノ越宿本陣と義仲と巴御前の墓のある徳音寺を教えてもらった。

このあとまず本陣に向かった。

寝覚の床

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寝覚の床。

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臨川寺から階段を降りていくと中央線の線路の下をくぐり、そこからは階段ではなく、坂道になる。それほど急ではなく、寝覚の床までは上から見るほど遠くもない。

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普通、川の石は洪水などで流れ下った大石で、それなりの丸さがある。しかしここのは流れ出す前のもののようである。この左手、下流側を見れば・・・

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こういう普通の川のたたずまいである。

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確かに白くて平らな巨石を見れば、この上で昼寝でもしたくなる気持ちはわかる。いったい浦島太郎が寝たのはどの石の上なのだろう。

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水はすんでいて青空と山を写しているが、なんということもない。

昔は水量がはるかに多かったそうだ。今は上流にダムが出来てしまい、浦島太郎はもちろん、ここをたずねた人々の見た景色とは全く違うようだ。

なんとなく収まりのつかない気持ちである。

そこでずっと北側の宮ノ越宿へ足を伸ばすことにする。


2016年6月 3日 (金)

寝覚山・臨川寺

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 国道19号線を木曽川に沿って北上すると、中山道の宿場のひとつ、上松宿に寝覚の床という場所がある。ここが浦島太郎伝説にまつわる場所だとは知っていたが、今まで一度も立ち寄ったことがない。崖の下、中央線のしたの木曽川の河原に巨大な豆腐石があるのは、国道沿いのそば屋に立ち寄って、そこの窓から見たことはある。

 寝覚の床への降り口がすぐそばであることも承知している。天気がいいので、思い立って見に行くことにした。

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町営の駐車場に車を置いて降り口を見ると、寺の山門に入る。ほかにも降り口があるのだろうが、ここでは入門料が必要。二百円。

境内に、浦島太郎にまつわるものがいくつかあるので、拝観料として納得。

浦島太郎の話は誰でも知っているはずだ。その浦島太郎が竜宮城から戻ってきて、玉手箱をすぐに開けたわけではないらしい。この世とあの世を行き来したような、ある意味のタイムスリップの狭間にいたのだろう、ふるさとは知る人もなく、様子もすっかり変わっていたので、各地を放浪したのだそうだ。

そしてこの寝覚の床にやって来て目覚めたときに、乙姫様からもらった玉手箱のことを思い出し、開けてみたのだ。

あら不思議、浦島太郎は白髪白髯のおじいさん。

その後、浦島太郎はこの地に弁天様を安置したお堂を残して飄然と去って行き、そのまま行き方しれずなのだ。

いまいる臨川寺はその弁天堂を元にした寺だという。

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これが弁天堂。

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弁天様が祀られている。

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お堂の横に、あれ珍しや、算額が掛けられている。

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浦島太郎姿見の池。おじいさんになった自分をのぞき込んだのだろう。

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額には亀の家、と書かれているがコントラストが強くて読めない。

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したが親亀で上が小亀か。しかし、竜宮城に連れていった亀がどうして寝覚の床にいるのだろう。

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芭蕉の句碑があるが苔むして読めない。木札があってありがたい。

この寺の宝物殿に浦島太郎の釣り竿があるそうだが、面倒なのでパス。

さあ肝心の寝覚の床を見に行こう。階段を降り、中央線の線路を下り、木曽川の河原まで下る。

その景色は次回。

ではどうする

 経団連の榊原会長が「まず需要の拡大を!」と会合で語ったという。

 確かに企業収益はささやかながら上向きになってきているのに、消費が低迷しているために景気が回復しないのは事実であろう。ものが売れなければ企業は生産が伸びない。生産が伸びないのに企業が設備投資をするはずがない。「需要の回復拡大を望む」のは当然だ。

 消費が低迷しているのは、国民が先行きに不安を抱えていて、財布の紐が固く締められているからで、それを緩めて欲しい、と願っているのであろう。

 しかし消費の低迷はそのような気分の問題ばかりではなく、少子高齢化という大きな理由がある。いわゆる団塊の世代がすべて65歳以上となり、多くの人がリタイアした。ほとんどの人は収入が現役時代より激減したはずだ。その人たちが現役時代より消費を減らすのは当然で、消費を増やせるわけがない。

 一番人口の多い世代が消費を減少させているのだから、全体として消費が回復しないのはしごくあたりまえなのだ。だから「需要拡大」を願うのは、この場合叶う望みのない願いを願っていることになる。 

 企業こそ利益確保が難しくなって、将来が不安だから、という理由で必要以上の内部留保をため込んでいるという。これは高齢者と違い、努力すれば利益を上げ続けることが可能な企業が貯め込んだ金である。榊原会長が「需要拡大」をいうのなら、まずこの内部留保を需要に転換する方策を打ち出すべきではないのか。経団連に所属する会社に、そのための方策と努力をうながすのが先決だろう。

 国民に、ものを買ってくれないから景気が回復しない、もっと買ってくれ、というのはない物ねだりだ。そもそもどこの家にもものがあふれていて、新たに買いたいものなどあまりない。だから本当に必要なものしか買わない。まさか不要なものでも買え、といいたいわけではなかろう。もう人は飽食にも飽きた。

 これから日本の人口は当分の間減り続ける。それなら経済は経団連の期待するようには動かないだろう。生き残れるところ、必要とされる企業だけが生き残るだけである。今までのような大量生産、大量販売をめざすなら、それが必要な国に売るしかないが、競争相手が多いことは覚悟しなければならない。

 夢よもう一度、と過去の時代を懐かしんでも、たぶん二度とそんな時代は訪れない気がする。そうなれば団塊の世代の老人たちはこれからますます下流老人と呼ばれる人ばかりになるだろう。そうして下流老人はいつの間にかあたりまえになり、ふたたび中流老人と呼ばれるだろう。

 下流老人になることを覚悟して、生活をシュリンクさせることが将来に対する準備として必要だろうと思っている。

 夢のようなことをいったり、約束したりするおためごかしの政治家の口車に乗ってはいけない。年金はますます減り続けるだろう。それは誰かが、わたしから奪っているわけではない。あえて犯人を言えば、私自身であり、国民みんなが犯人である。人のせいにしてもなにも解決しない。生きていけなくなったら死ぬだけだ。

2016年6月 2日 (木)

ことばの広がりと深み

 荒俣宏について知ったのは、博物学についの文章を読み、紹介していた図版のすばらしさに魅了されて以来である。もともとグラフィック誌のカラフルな写真や絵は、見ていると胸ときめくものがあって好きである。

 写真よりも絵のほうがときにリアリティがある。最近の写真には技術も向上したので優れたものが多いけれど、昔はそうだった。深海魚など、もともと生きた状態で写真を撮ることはほとんど不可能だから、絵で描かれている。そのデフォルメされた造形は想像を超えていて、強烈な印象がある。

 また植物などでもその細密さが写真以上で、絵のほうが現物以上に美しかったりする。

 荒俣宏はその中の特にすばらしいものを次々に提示して見せてくれていた。しかも、中にはすでに存在しない絶滅した動物、ときに空想上の生物までがリアルな絵で博物図鑑に収められていたりする。それを嬉しそうに紹介してくれていた。

 それからしばらくして「帝都物語」が出版された。荒俣宏は博物学者だと思っていたから意外だったが、一読とりこになった。この印税で膨大な蔵書を買うための巨額の借金が穴埋めされたことは有名だ。

 その荒俣宏の本(「本朝幻想文学縁起」)を拾い読みしていたら、その頃のことを思い出した。この人は一日数冊本を読むという。それだけでも凄いのに、その読んだ本を咀嚼する力が尋常ではない。わたしのザル頭とは桁が違う吸収力と理解力に脱帽する。いや、比較することがそもそも出来ないレベルの違いだ。世のなかには巨人がいるのだ。

 その文章のなかに、いろいろ膝を打つようなことばを見るけれど、ここではことばの広がりと深みのことについて取り上げる。

 むかしの物語が非常に短いのに、時代を経るごとに長くなっていくことについて荒俣宏はこう語る。


「力学的にいえば言葉の力が、昔にくらべて大幅に落ちたということだろうね。じつは、言葉というのはたんなる記号ではないのだ。例えば七、八世紀頃の日本人は、花が咲いた、という言葉を聞いただけで、突如、自分が花ばたけに立っているような共感覚を持てたのだと思う。つまり、ハナという音や文字が、実際の花がもつ形や色や香りと密接な関係を保っていた。ある地方では黄色い菜の花だったかもしれんし、別の地方では赤いツバキだったかもしれんが、とにかく具体的だった。だから、今ならさしずめ、強烈な赤色のツバキが燃えるように力づよく咲きほこっていた、というところを昔はたんに、花が咲いた、と言えばよかった。それで同じ感動が伝わった」
(中略)
「だからね、正岡子規が主張した写生主義の俳句、柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、といった、どう見てもなんということはないあたりまえな句が、古代人にはすさまじい感動をよびさましたわけじゃよ。花や柿でこうなんだから、まして話に人の名がはいりこんできたら、もう収拾がつかない騒ぎになったはずだ。何しろ、自分以外にもう一人別人の体験が加わるのだから、手や足や目が突如二倍にふえたものじゃったろう。物語の発明にまつわる最大の意義はそこにあるんじゃ。また、並んで話を聞く人々は、物語がつくりだした別の空間にめいめい入りこんで、そこでもう一度となりの人々と出会う。つまりね、人々は物語空間にすべりこんだとたん、他人の目や耳や頭や体を自由に行き来したり使ったりできるようになる。自分以外の人のなかにお出入り自由になるんじゃよ」


 むかしの物語が短いのはそういう理由であることがよくわかる。そして、言霊のさきわう国である日本で、俳句や和歌のような、世界でも類のないほど短い詩が成立し、共感されたのはそういう土壌があるからであろうか。

 現代人は西洋的思考に染まり、言葉に限定された意味を与えて広がりや深みを失わせ、使い方を厳密に規定していったから、人になにかを伝えたり、共感するためにはたくさんの言葉が必要になったのか。そしてことばはただの意味を記号化したものになってしまったから、リアリティを喪失していった。

 人が互いを理解をしにくくなり、寛容を失っていったように見えるのは故ないことではないらしい。言葉の力が衰弱しているのだろう。

足踏み?

 中国の景況感がわずかだが上向いているそうだ。だが、まだ楽観できるほどではないので、足踏み状態ということらしい。問題なのは、構造改革を進めなければならないのに、もっとも遅れている大企業(主に国有企業)の構造改革が遅れていて、過剰生産の是正が進まず、景況感も悪いことだ。

 1-4月期の中国の鉄道貨物の輸送量は対前年比で7.9%減少したと発表されている。しかし経済成長率は6%後半を維持しているそうだ。よほどトラック輸送量が増えているのだろう。

 今世紀が始まってから、資源輸出などで潤っていた中南米で計画されていた高速鉄道計画は、ほとんど中国が受注した。ベネズエラでは原油価格の低下でほとんど経済崩壊にちかい状態であり、鉄道計画は中断した。中国のスタッフは引き上げざるを得ず、中国が持ち込んだ機械や資材は、いま略奪のし放題だという。投下した巨額の資金の回収は不可能だ。どぶに捨てたに等しい。

 ブラジルでも高速鉄道計画があったが、同様の経過であり、再開のめども立っていない。メキシコでも中国が受注した計画は頓挫した。こちらは中国のやり方に問題でもあったのか、メキシコ側から一方的に契約破棄が通告されている。

 東南アジアでも中国からシンガポールまで、多国間をつないで高速鉄道を走らせる計画を中国主導で進めてきたが、先般タイが中国主導を拒否して、自国で進めるとの報道がある。いま中国はマレーシアからシンガポールをつなぐ路線を受注しようとしている。

 中国が日本を押しのけて強引に受注したインドネシアの高速鉄道は、最初からつまずいて、工事は遅れている。インドネシアが日本ではなく、中国に決めた大きな理由といわれた、インドネシア政府の債務保証なし、という約束は、ふたを開けたとたんに破棄され、インドネシア政府は補償を求められて困惑している。

 こんな様子を目の当たりにしている東南アジアの国々が中国をどう見るか、明らかだろう。

 インドネシアの経済水域で違法操業をしていた中国漁船がインドネシアに拿捕された。先般も同様に拿捕され、漁船は爆破されたことは話題を呼んだ。中国政府は強硬に抗議したが、爆破を指示したインドネシアの水産大臣は「女角栄」と呼ばれて国の英雄になった。今回の拿捕のさいには、中国海警局の船が漁船を奪還しようとしたが、インドネシアの巡視船がそれを阻止したのでふたたび喝采を浴びている。

 今回も中国は拿捕に抗議しているが、トーンは前回よりずっと弱いという。

 中国という国は、社民党などのいうような「話し合い」などではなにも変わらず、このような強硬な態度に出ると初めて自分が間違っていることに気がつく国であることを世界に知らせるような事件だ。そのようなことは危機を招くおそれがあることだけれど、それを心配ばかりしていると、中国は間違っていることに決して気がつくことが出来ない国なのだ。

 それを気づかせることの出来るもっとも期待される国であるアメリカが、オバマの優柔不断さによって、中国の判断を誤らせることになってしまった。無理を通らせて道理を引っ込めさせてしまった責任は重い。

 ここでトランプのようにアメリカを内向的な国にしようとする人物が大統領になれば、アジアのパワーバランスや道理など、それぞれの国がその責任の下にやればいい、と公言しているから、中国は大歓迎だろう。手ぐすね引いてトランプ大統領の出現を待ち構えているにちがいない。そう言えば同じ気持ちなのだろう、素直な北朝鮮はトランプを賛美している。

 あり得ない状況、思ってもいなかった状況が、これから世界に出現するような気がする。これこそ第一次、そして第二次大戦前夜に酷似した状況で、今度はドイツや日本ではなく、経済的に追い詰められ、軍事行動を起こす状況に自ら嵌まっている中国が火元になるだろう。そしてトランプやオバマが戦争の原因をもたらした、と歴史に断罪されるだろう。

 もちろんそれは人類が存続していれば、の話だが。

2016年6月 1日 (水)

お疲れ様でした

 本日は朝から娘のどん姫の引っ越し手伝い。荷物の搬入などはプロの業者がするから、力仕事はほとんどしなかったけれど、いろいろ買い出しをするのに一日運転手をした。先程ようやく帰宅。

 しかしどうしてあんなにものがあるのだろう。そのうえさらにいろいろ買い込んでいる。なにかを買ったらなにかを捨てないかぎり家の中はものであふれてしまう。

 そう思うけれど、では自分はどうか、といわれれば一言もない。しかし車の中でどん姫はいろいろなことをしゃべった。とても口の重い(特に私に対しては)娘なので、こんなには話したのは初めてかもしれない。それだけでバカ親父は目尻を下げている。どん姫も腕を上げた。

 娘の新居であるアパートは狭い道を入らないとならないので、出入りにとても神経を使う。それに一番疲れた。先月末にようやく出来たばかりの新築で、娘が第一番目の入居者である。これから入ってくるほかの入居者がいい人で、やかましい人(性格のこと、そして騒音のことを同時にいっている)でなければよいのだが。

 さて、山のような荷物はいつになったら片付くであろうか。どん姫は片付けが苦手だからなあ。

 今日は疲れたので、これから一杯飲んでのんびりする。お疲れ様でした。

娘のアッシー君になる

 昨日と本日は娘のどん姫の引っ越し。昨日は転出届を出すために市役所に行ったり、引っ越しの荷物の搬出を見守ったり(足手まといになるので手伝いはほとんどせず)、新しいところの鍵を不動産屋にとりに行ったり、買い換える日用品をニトリに買いに行ったり、新しいところにその買ったものを置きに行ったり、と娘は忙しくしていて、そのドライバー役をしたのだ。

 新居への荷物搬入は今日なので、どん姫は昨晩、わが家に泊まった。例によっておいしく酒を飲んだが、どん姫も荷造りや掃除で疲れていたらしく、途中ですやすやとおやすみになった。

 荷物の搬入は朝なので、今朝はこれからまた二人で行かなければならない。そろそろどん姫をおこさなければ。

 それにしてもその荷物の多かったこと。これをまた荷ほどきしておさめるのは大変だ。こちらはそこまでは手伝う気はないし、娘もそれを期待していない。

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