おいしいお茶
上等のお茶、つまり高いお茶を買って淹れて飲むと美味しい。でもその美味しさが淹れ方一つでずいぶん違う。うまく淹れたときの美味しさは格別である。
お茶の善し悪し、淹れる温度、湯とお茶の葉の割合、湯を入れてから注ぐまでの時間など、こだわっているときりがない。しかしそれらをなるべく一定にしても、お茶の味が違う。
たぶんお茶ばかりではなく、コーヒーや紅茶でも同様なのであろう。映画「カモメ食堂」でコーヒーに注ぐお湯を、ひいた豆にどう注ぐかの微妙な違いで味が違うことを表現していた。じっくりと湿らせた上で時間をおいてから湯を注ぐだけで、コーヒーの味が違うというのはわかる気がする。
今はとにかく茶葉に注ぐお湯の温度にこだわってみている。沸騰させたお湯を、どのように冷ましてからどのタイミングで茶葉に注ぐのか。
少し贅沢に茶葉の量を多くし、少し低めの温度でじっくりと淹れてみる。そのたびに味が違うけれど、お茶のうまみを以前よりも楽しめるようになった気がしている。
そもそもお茶の入れ方の基本がわからなければ、良いお茶と不味いお茶の違いすらわかるわけがない。良いお茶をいかに不味くして飲んでいたか、それが悔やまれる。今は安いお茶でもその味の最善の味をひきだして飲む飲み方を模索している。
中国の少しうるさい文人の随筆を読んでいると、お茶の味に対するこだわりに興味を覚える。張岱という人の「陶庵夢憶」という随筆集は私の愛読書で、読んでもわからないことだらけなのに、三回も読んだ。この人のお茶に対するこだわりはずいぶん私に影響を与えていると思う。
張岱のこだわりはもちろん、まず水である。美味しいお茶を飲むために名水を求め、そのために金を惜しまない。中国は日本よりも水が良くないはずだから、そのこだわりは当然なのかもしれない。
たぶん張岱はどこの水であろうと、目隠しされていても味の区別がついた人だと思う。水の味のわかる人が現実にいることを私は実際に知っている。そういう人は御飯の味も酒の味も絶対味覚のように区別がつく。そんな人に若いときに出会って知っている。
そんな微妙な違いはわからないけれど、本当に美味しい、と思うお茶を飲んだことは何度かある。贅沢なほど高価なお茶を求めるつもりはないが、ささやかな出費で多少は良いお茶の葉を買い、それを最善の淹れ方で飲んで満足したい。
今はそれを楽しみの一つにしたいと思っている。ときどき自己満足だがうなずけるときがある。嬉しい。
愛用の急須。実際にこれでお茶を注ぐのをイメージして欲しい。
違和感を感じないだろうか。
そう、これは左利き用。右手では注げない。
ワタクシ、左利きなのです。
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私はコーヒー党ですが、コーヒー同じです。
それと、お茶、コーヒーを美味しいと思うには飲む側の体の調子や気分も
あるかもしれませんね。
あら、左利き・・・私もです^^
ですから鏡字が得意です。
投稿: おキヨ | 2016年6月23日 (木) 12時21分
おキヨ様
字を書くことと箸だけは右手使いに矯正されました。
娘は左利きですが、一切矯正しませんでした。
左手できれいな字を書きますよ。
直す必要はないと思っています。
左利きだとナイフを左、フォークが右で、持ち替える必要がなくて楽です。
左利きで不便なのは裁ちばさみと缶切り、バターナイフが使いにくいことです。
よくご存じですよね。
投稿: OKCHAN | 2016年6月23日 (木) 12時42分