やかましい
祭がうるさいと言って火炎瓶を投げこんだ初老の男がいた。祭など一年中やっているものではない。祭のときだけ我慢するか、どこか静かなところへ一時的に待避すれば済むことである。この男は突然うるさいと感じたのではなく、以前から祭のたびにそう不満を言っていたらしい。
この男もいきなり祭がやかましいと思ったわけではないだろう。口やかましい女房のことばを繰り返し繰り返し聞かされれば、ついに亭主が発することばは「やかましい!」である。あるとき祭がうるさいと感じたこの男の中で、うるさいと思う気持ちだけが肥大化していく。前の年の祭のときの思いに次の年の思いが重なり、さらに大きくなり、ついに彼の心の中には「うるさい!」が溢れかえる。ほかのことは考えられなくなってしまったのだろう。
彼の気持ちの推測は無理に立てれば立たないことはないが、それにしても異常である。受け入れられるはずなどない。冒頭に書いた通り、祭は一年中続いていたのではない。まともな人間なら「うるさい」という思いは、翌年の祭までにほとんど薄れるものだ。人間はある思いにとらわれてしまうと、ついには悪魔にとらわれてしまうこともあるということか。
保育園の周辺住民から騒音の苦情が持ち込まれることがあって、園児が庭で遊ぶことも出来ないという。だから保育園の新設にもこの問題が立ちはだかって困難になることが多い。
騒音は確かに物理的な、つまり肉体的な苦痛もさることながら、精神的な苦痛をもたらす。拷問にも音を鳴らし続けるものがあるらしい。だから騒音について我慢できないレベルがあり、それが訴訟の対象になり、公害と認定されることがある。ただ、騒音は人によりその苦痛の程度が違う。どこからが障害的な騒音なのか線引きは難しい。
具合が悪くて横になっているときなど、ふだん気にならない回りの生活音や子どもの声がやけに耳にうるさく感じる。歳とともにうるささに不快を感じるようになった。だからといって世の中の音を排除しようなどと考えない。世の中があって私がある。私があって世の中があるわけでないことくらいはわきまえている。人はまともであればそれくらいわきまえている。そのわきまえを越える暴力的なものに対しては抵抗するけれど、そうでないものは我慢する。そうでなければ生きていけない。
そのわきまえを見失い、自分が異常に肥大化した人間が今度の火炎瓶の男だ。ところが世の中は人権という名のもとに、自己肥大を助長しているように見える。「私」が肥大化し過ぎた人間は社会に害をなすが、その予備軍がどんどん増えているような気がする。やたらに怒っている年寄りをそこら中で見るようになった。
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OKCHAN さん
やかましい






我が家も体験しました
お隣の桃畑のオーナーさん
障害者施設の青年に、毎日罵声
暴力も
1年くらい我慢しましたが耐えられず、防衛策。
二重防音サッシに、換えました
最近老人が、切れるようです(-_-)
逃げるのが1番です
投稿: ちかよ | 2016年8月10日 (水) 09時31分
ご意見に全く同感です
私の町内でも子供たちの朝のラジオ体操がうるさいと言ってくる人がいます
しかりつけたくなりますが 優しく諭しながら応対しています
本当は怒鳴りつけたいのですが・・・
お年寄りの方が我儘なようです
投稿: イッペイ | 2016年8月10日 (水) 10時04分
ちかよ様
そのような自分中心にしかものを考えられない人は、他人がどう思うか理解できません。
本当に相手にしたくないし、しないほうが安全かもしれませんね。
投稿: OKCHAN | 2016年8月10日 (水) 11時39分
イッペイ様
年齢とともに我慢が出来にくくなるのは確かですが、どうも戦後昭和二十年代から三十年代に教育を受けた人たち特有の、極端な自由主義、人権主義の成果であるような気がします。
終戦の反省から、戦前の価値観の極端な反動が正義だと日教組などが主張し、先生達もそれに賛同しました。
子供心にこれはえらいことになる、と思いましたが、そう思わずに信じ込んだ子どものほうが普通だったでしょう。
そのような人が今どんどん怒れる老人になっている気がします。
投稿: OKCHAN | 2016年8月10日 (水) 11時45分
集会場の2j階でカラオケ同好会が、暑いので窓を開けてたら、パトカーが来ました。
別の用事で近くにいましたが、私は気になりませんでした。
警察を呼ぶのはちょっと・・・・ と思いました。
理解できないということを理解するしかないのでしょうか。
投稿: けんこう館 | 2016年8月10日 (水) 14時28分
けんこう館様
そういうおかしな人の人権も尊重しなければならないのですからなかなか大変です。
だから自民党の新憲法案ではかなり人権に制約的になっているらしいです。
人権を過剰に言うことが人権を制約することにつながるという皮肉です。
投稿: OKCHAN | 2016年8月10日 (水) 15時35分