内田樹「内田樹の生存戦略」(自由国民社)
読者からの質問に老師が回答する、という本である。お悩みごと相談から政治的な意見の問い合わせまで、多種の質問が寄せられている。
「はじめに」で書かれているけれど、「どうしましょうか」「どうすればよいでしょうか」という質問に、「こうしたらいいと思いますよ」という答えはあまりない。「どうして人はこういう質問をするのか」ということを老師は考える。そしてそこから質問者に対してときに辛辣な回答が返される。そのあまりの明快さに胸がすく思いがすることも多い。
少なくとも前半はそうだ。面白くて次の質問に行くのが楽しみである。
例えば、
「就職活動中なのですが、『なにやっとけばいいんですか?』」というクリエーター志望者の質問に対する答えなどは、とことん辛辣である。
「あなたはクリエーターに向いていない、なぜならばわたしに『正解』を求めているからだ」
「イノベーターは『どうすればいいんですか?』ということばを口にしない。それは標準的なふるまいを問うことばであって、『みんなは何をしていますか?』と問うことであり、さらにいえば『何をしていればその他大勢に紛れ込めますか?』を訊くことに外ならない」
そういう態度は「クリエイティブ」とはいわないのだ、と断定する。
そこからさらに「なにをやっておけばいいんですか?」という質問の中にこめられた心理が暴かれていく。
一見「正解」を求めているようでありながら、求めているのは「ミニマム」であると喝破するのだ。この質問は「これさえやっておけば、失敗しても責められない最低ライン」の開示を要求していることに外ならない、と指摘する。
現代の人々が、特に若者の多くは、この「最低ライン」をいつも質問する。それだけやればあとはやらなくていい最低限を知りたがる。つまり最低限の努力しかする気がないと宣言しているのと同じなのだ。
この心性に対しての危惧、非難は繰り返し語られてきたことである。哲学とフランス語の教授であり(1960年に名誉教授)、武道家でもある老師からすれば、学問や武道に「ミニマム」という思考はあり得ない。いや、そもそも人生のあらゆる事に「ミニマム」、つまり「なにをやっておけばいいんですか?」という質問はなじまない。人間として「ミニマム」を求めて生きることにどんな意味があるというのか。
これが現代の商業主義の普遍化でなくてなんであろう。最低の対価で最高のものを得ることに血道を上げる。人生を値切ろう、というのか。すべてを値切り続けて最低価格で手に入れることに喜びを感じる、それは同時に少しでも余分の金を払ったときに激しい後悔、損に対する嫌悪となる。
だから「なにをやっておけばいいんですか?」という質問になるのだ。
このあと仕事というものについての老師のお考えが述べられているが、長くなるので前半だけ。
かほどに楽しく面白い本が、後半うんざりする本に変わる。政治的な質問ばかりになり、それに対する回答は当然ながら老師の政治的スタンスを答えることになるから、ほとんど同じことを繰り返し語ることになる。
わたしが老師と同意見であればそれも心地よいかもしれないが、じつは政治的スタンスとそれに関わる世界観が全く違うので、読み続けるのが苦痛である。老師もそのことをあとがきで述べていて、多少残念に思っているようだ。
前半だけの本なら良かったのに。
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コメント
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おはようございます
内田氏の本は私もほぼ全て読んでいます。
おっしゃる通りこの方は政治に関すること以外は面白いのですが、
いざ政治を語りだすと独断や偏見が出てしまうので読んでてイライラしてきます。
完成は良い方なだけにそこら辺が甚だ残念です。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2016年8月 5日 (金) 06時55分
shinzei様
同感いただいてうれしく思います。
ものを見る方法、考える方法についていろいろと学ぶことの多い人なので、いままで参考にしてきましたし、今後もそうしようと思います。
ただ、いままでは出る本を揃えていましたが、これからは内容によって選択することにするつもりです。
投稿: OKCHAN | 2016年8月 5日 (金) 07時27分