開けたら閉めるについて再び
子どもが小さいとき、わたしが親として口ぐせのように言っていたのは「開けたら閉める」ということばであることは以前書いた。これのサブとして「脱いだ履き物は揃える」というのもある。同じことだ。
もうひとつ、「出したらしまう」というのもあったのだが、自分が出来ないことを子どもに言っても逆に突っ込まれるだけなので、途中からあまり言わなくなった。それはいま自分自身に言い聞かせている。
本を読んでいたら「下司(げす)の一寸、上(じょう)ぴたり、下々(げげ)の下等(げとう)はあとをかまわず」という歌があるのだと知った。戸やフスマの行儀をよんだもので、「ぴたり」としめるのが一番上等なのだが、行儀のわるい人は、あと一寸というところで、最後のしまりをしない、あとをかまわずあけっぱなしというのは、もはや論外であるという。
出入りしたあとの戸をきっちりしめるということは、昔は、社会生活におけるもっとも基本的な行儀の一つであったと、この文章を書いた民俗学者であり、文化人類学者である梅棹忠夫氏がまとめている。
この意味での「下司」や「下々の下等」にしばしば遭遇する。電車の通路のドアや飲み屋などの部屋の出入り口のそばにいたりすると、繰り返しその後始末をさせられて腹が立つ、と梅棹氏が書いていて、わたしも同じ経験をして不快な思いをすることがしばしばなので笑ってしまった。
いまは自動ドアがそこら中にあるからうっかりすることがあるかもしれないが、そもそも自動ドアでなければ自分で開けたはずなので、それでもきちんとしめないのは、もともとしめるようにしつけられていないのだろう。そういうのはおとなとはいわない。
些細なことなのだが、人間の基礎的な部分に関わる大事なことでもあるとわたしは思うが、大げさだろうか。
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