亡霊の嫉妬
宋の張士能の妻の鄭夫人は美人であった。張が太常博士になったとき、夫人は病死したが、臨終に際し、「あなたはきっと再婚し、わたしのことなど思い出さなくなるでしょう」というので、彼は泣きながら、「そんなことをするはずがない」と答えると、「人間の言葉など、あてになりません。それなら、天を指して誓いを立てたらどうです」という。そこで、「わしがもし約束を破るようなことがあったら、去勢された男になって、碌な死にかたはしないだろう」と誓った。
さて夫人が、「わたしが死んだら恐ろしい形相になりますから、遺体は空室に安置し、誰にも伽をさせないように。幾日かそうしておいてから納棺して下さい」と、再三遺言して息が絶えた。
彼は遺言どおりにするに忍びず、一老嫗をやって遺体の番をさせた。と、夜半になって屍体が顔を覆った面帛(べーる)を自分ではねのけ、ガバと立ち上がった。その姿はまるで夜叉である。老嫗は肝をつぶして大声に叫ぶ。家人が壁に穴をあけて内を覗く。そして数名の男を呼び集め、棒を手にして戸外を囲む。夜叉は室内を歩き回っていたが、やがて寝所に戻り面帛を覆って横たわる。しばらくして家人が室内に入って窺うと、それは死んだときのままの姿であった。
それより三年して、張は鄧洵仁という高官のもとに右丞になった。鄧公はその娘を妻合わせようとするが、彼は固辞して受けない。鄧公は内々で勅旨を仰いで強いて結婚させた。彼はこれより鬱々として楽しめなかった。
あるとき昼寝をしていると、亡き鄭夫人が窓から下りてきてその違約を責め、寝台に登ってきたかと思うと、手で彼の陰部を打った。彼は激痛を覚えて家人を呼んだが、来てみるとなんの姿もない。
これより彼は去勢されたようになってしまった。
(「夷堅志」から)
あそこを打たれる痛みは男にしか分からない。もっとすさまじいのもある。パターンはほとんど同じ。
呉興の袁乞(えんきつ)、その妻が臨終に夫の手を取って、「わたしが死んだら再婚なさるでしょうね」と問う。彼は、「そんな気になれない」と答えたが、その後やはり再婚した。亡妻が白昼にあらわれて、「あなたは前に誓いを立てたのに、それを破りましたね」というなり、刀で彼の陰部を切った。死には到らなかったが、それっきり使い物にならなくなった。
(「太平広記」から)
次のも恐ろしい。
南鄭県の属官だった李雲というもの、長安で一妾を納れようとしたが、その母が許してくれないので、「誓って結婚はしないから」といって許してもらい、妾を楚賓と名付けた。数年して楚賓が死去。一年たつと南鄭の長官だった沈氏の娘と結婚した。
婚礼の日、李雲が入浴していると、楚賓が薬を持って現れ、「結婚しないと誓ったのに、今度は沈家の婿になりなさる。何もありませんが、香一包みを入浴用に差し上げます」といって、粉末を湯に入れ、釵(かんざし)でかき廻して去った。
彼はひどく不安に思ったが、身体が疲れて湯から出ることができず、ついに死んだ。肢体は綿のようになり、筋肉もばらばらになっていた。
(「太平広記」から)
しかし、死んだ者が生きている者に嫉妬して危害を加えるのは、本当に相手を愛していることになるのであろうか。
そもそも臨終の誓いなど、相手を安らかに逝かせるための気休めではないのか。
そう言えば落語の「三年目」も死んだ妻が幽霊で出てくる話だ。こちらはユーモラスだけれど。
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