山口瞳「わたしの読書作法」(河出書房新社)
この本は読書論に似て、読書論ではない。だから「読書作法」である。本を読みたい、読まなければならぬ、と思いながら新聞や雑誌を何種類も揃えてそれを丁寧に読んで日が暮れる。本をじっくり読む時間がない。活字中毒者であることでは人後に落ちないと自負する著者の悩みが書かれている。
著者の山口瞳が心底敬意を持って「先生」と呼ぶのは高橋義孝である。ドイツ文学者で大学教授でもあった高橋義孝は、内田百閒の衣鉢を継ぐエッセイストとしても知られる。わたしの叔父に熱狂的な高橋義孝好きがいて、自分の息子に義孝と名付けた。そのエッセイはひょうひょうとして簡単に書かれているようだが、じつは推敲が重ねられていることは内田百閒と同じである。そしてさらにその高橋義孝の薫陶を受けた山口瞳がその影響を受けていないはずはない。
この本もそういう意味ではまさにエッセイである。そして彼が直木賞を受賞した「江分利満氏の優雅な生活」は、小説というよりエッセイに思えた。
ただ、この本は単行本に未収録の文章をまとめたものなので、長短入り交じり、しかも項目立ても難しい雑多なものになっており、当然統一性に欠ける。本人が生きていれば、一つにまとめるときにいろいろ手を入れたかったであろう、と拝察する。
山口瞳は1995年に物故。
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