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2016年8月22日 (月)

独り酒

 梅棹忠夫氏の「比較芸能論」という文章を読んでいたら、「独酌型の飲酒習慣が大規模におこるのは、日本の場合では、十八世紀以降のことではないかとわたしはかんがえている」とある。

 どうして芸能論に酒の話が出てくるのか。

 そもそも古代では、芸能も酒も神事に関わるものであった。ハレとケという。ごく雑に言えば、ハレとは祭、ケとは日常である。神の前に人が集まり、日常にはない精神の高揚状態になるのが祭であり、そこに芸能は奉じられる。酒はその高揚状態をもたらすものであろう。

 祭は独りでするものではない。

 十八世紀以降というのは、酒が大量に生産できるようになり、個人が消費することが一般化した時代ということである。そして芸能も大衆が楽しむものに変わっていった。

 詳しいことは梅棹忠夫氏の文章を読んでもらうとして、独り酒のことである。 

 わたしは気の合う相手と飲む酒が好きである。しかしいつもいつも相手がいるはずもなく、ふだんは独りで飲む。細君がいて、彼女に話しかけながら飲めば、それはもう独り酒ではない。酒とつまみを前にして無言で飲むのが独り酒である。

 会話は酒の美味しさを引き立てる。無言ではハレにはならず、酒は本来のすばらしい力を発揮しきれない。仕方がないから、その淋しさを肴に飲む。慣れたらそれも味わいである、などと負け惜しみを言おうか。

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コメント

おはようございます。
私は実は独酌派です。
独酌派の場合、アルコール依存症にかかる危険が大きいとよく注意されますが、
私の場合多人数で飲むのはどうも・・・、です。
では、
shinzei拝

shinzei様
本来の酒というのは儀礼的な、そして多人数で飲むものだったというのが梅棹忠夫氏の紹介した説です。多分そうなのでしょう。
ただ、わたしもよほど気心の会う人たちとでなければ多人数の酒は苦手です。必ず不愉快な酒の飲み方をする人がいますからね。
話が通じる相手と自分の考えたことを話しながら飲む酒は楽しいものです。
美味しい酒、美味しい食べ物は相手との楽しい記憶に裏打ちされているものが多いです。

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