出来るけれどしない
昨日、寅さん没後20周年の上映会などがあったらしい。映画館で見たことがない若者が増えているというが、もうそんなに経ったのだ。しかし若い人でも寅さんファンはいるし、初めて観て大好きになる若者もいるという。
その中の、ある若者のことば。
「寅さんは、自由に生きるという、したくても出来ないことが出来ているのがうらやましい」。
ちょっとことばにこだわってもうしわけないけれど、自由に生きることは誰にでも出来ることである。したくても出来ないというのでは、誰かに自由にさせてもらえないかのように聞こえる。しないのは自分である。したくても出来ないのではなく、出来るけれどしないのである。
そんなことを言ったって生活があるではないか。そんなことはわかっている。こんなときは、寅さんのように自由に生きることは、出来るけれどしない、それがわたしの生き方である、と考えて欲しいのだけれどなあ。
明日からオリンピックが始まる。世の中は賑やかになるであろう。昔はわたしも興奮してテレビにかじりついたものだけれど、最近はそれほど気持ちが盛り上がらない。歳のせいなのだろうか。戦いのひりひりするような緊張がつらく感じるようになった。これはシリアスなドラマでもそうだ。
興奮しなくなったのではない。あまりにも感情移入しすぎで、つまり興奮しすぎていたたまれなくなってしまう。年をとって意気地がなくなるとは思ってもいなかったことである。
そう言えば父もそんなところがあった。だから「ドラマなんて嘘っぱちだ」と言った。リアルだと考えるといたたまれなかったのだ、と今ならわかる。
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私も今は日本チームが確実に優勢な試合でないとあまり観ませんね。
ドキドキしたり、切なくなる思いはしたくないのです。
それを含めてオリンピックの楽しさがあるのでしょうけど。。。
投稿: おキヨ | 2016年8月 6日 (土) 12時13分
おキヨ様
娘と開会式を観ました。
最後まで見たのは久しぶりです。
出だしの柔道や体操や水泳で、良い成績を出して勢いがつくといいですね。
投稿: OKCHAN | 2016年8月 6日 (土) 13時31分