主語がない
先日、弁護士に「Oさん(わたしのことです)は、主語がない言葉遣いをするので相手にこちらの意思が伝わりにくい」と言われた。
主語がないと、意味があいまいになると同時に、ことばの強さが損なわれるのだそうだ。つまり誰が誰に言っているのか不明確になり、相手の勝手な解釈を生み出すことをゆるしてしまうことになるらしい。
なるほど、法律家らしい指摘である。
西洋のことばには必ず主語があるのと違い、日本語には主語がなくても通じるところがある。それだけあいまいなことばだとも言われる。西洋のことばは日本語と違って論理的で、意味を明確にすることにこだわる。ただ、これは優れているとか劣っているとかいう話ではなく、文化的な違いによるものではないかと思う。
ただ、交渉ごとなどでは、誤解や言い逃れを避けるためにことばの厳密さが必要で、それを日本的感性で行うと間違いが生じるということなのだろう。
わたしはそういう意味でとても日本的なのかもしれない。そしてそのことを弁護士に指摘されて初めて知った。わたしはしばしば理屈っぽいと言われてきたので、最初心外であったが、よく考えると思い当たることがなくはない。
どうしてこんな誤解を受けるのだろう、と思ったことが何度かあった。それはたぶんわたしが言ったことばに、相手を非難する匂いを感じて不快に思われたからではないか。たいていそういうときは自分のことを自嘲的に言っただけで、相手に対して含むところはなかったはずなのだが、皮肉と受け取ったのだろう。
わたしと親しい人たちは、たいていわたしのことばが普通に通じている。親しくなれなかった人たちは、たぶんわたしに足らないところがあったからにちがいないが、ことばに理由があったことも多いのだろう。ただ、この歳になって、いまさら主語を明確にして親しくする人を増やそうと努力しようという気にはならない。
そんな努力なしに、今のまま親しんでくれる人たちとの交友で十分に幸せである。話が普通に通じるのだもの。
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言葉でも文章でも主語を意識しすぎると主張が強すぎたり、
美しい文章になりにくい場合がありますね。
投稿: おキヨ | 2016年8月23日 (火) 11時59分
おキヨ様
日本語にはことばとことばの句切りがあいまいなところがあり、そこが論理的ではない、などという人もいますが、日本語の情緒というのはそのような曖昧さから生まれるものでしょう。
わたしはそのような日本語が美しいと感じますし、好きです。
それを美しいと感じない人もいるのでしょう。
投稿: OKCHAN | 2016年8月23日 (火) 12時14分