自己流
私も男だから女の子にもてたくないことはない。ただ、ガールシャイだったから積極的にチャンスを求めることはなかった。でも高校生時代に哲学書を読み始めたのは、女の子に良い格好をして見せて、もてたいと思ったからではない。
高校生時代は列車通学だったので、混雑する車内のなかでひたすら本を読んだ。しばらくある哲学者の本を必死に読もうとした。ほかの本より分かりやすいものだったけれど、言葉が分かっても意味が分かるわけではない。繰り返し読んでいるうちになにかが頭の中でフラッシュすることがある。もう少しでなにかに手が届きそうなのに、それが何か分からない。
ある著作の出だしの一ページで引っかかって、繰り返し読むうちにいつの間にか丸ごと暗記してしまった。そうなると言葉がイメージになって頭の中に現れるようになる。言葉を発した哲学者のものではない、自分のものであるイメージが立ち現れる。いままで数回だけだがそんな経験があってそのときが初めてのことだった。
どうしてそんな読んでも分からない本と格闘したのか。それは読み始めてすぐに、ここに自分にとって大事なことが書かれているらしいという確信が感じられたからだ。どうしてちゃんと読まないうちから、そして分からないうちからそんな気になるのか不思議だが、確かにそういうことがあるといまなら自分の経験で断言出来る。
だいぶ前にその自己流の解釈をブログに書いたのだが、哲学に詳しい方からそもそものその哲学者その著作の主旨はこうでありますよ、というご教示をいただいた。それはその通りであることを私もいろいろな解説書などで承知している。キリスト教的な基盤なしにその哲学者の文言を解釈するなどあり得ないのだ。そして私にはそのような素養はない。
その哲学者にしても、君のようなとんでもない受け取り方をする人間がいるとは思わなかった、と言われるかもしれない。そのことを承知しながら、なお私は私に見えたなにものかを自分の宝物だと思っているし、人生の思考の原点の一つにしている。
具体的なことを書かないのは以前ご教示いただいた方がこれを読んで不快に思うかもしれないからである。
哲学者は何かを伝えようとしている。その哲学を解釈することは大事なことで必要なことだろう。しかしその哲学者はその前の哲学者の考えを知り、それを自己流に解釈し、新たな考えを考えだす。そうして前代から受けたものを引き継ぎ自分の新たな考えとして次へ送り出す。哲学にもっとも必要なことは解釈ではなく、受け取り、自らの言葉を書き加え、自分のものとして次の人に送り出すことだろうと思う。
ずっとこのことが気にかかっていたので書き留めておくことにした。いまはその哲学者に私の考えを説明したら、面白がってくれそうな気がする。贈り物は受け取ったら送り主にお返しするのではなく、次の人へ自分のものを贈り物として送ることなのだ(by内田樹)。使い回しは贈り物ではない。
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私は凡人ですから哲学・・・と聞いただけで後ずさりしてしまいます。
上に立って物事を進める人たちは、哲学を持っていないと・・・と聞いたことが
あります。
今日のY新聞の 「地球を読む」を面白く読みましたが、
これも ある意味哲学を持たない人たちが上に立っている・・・と言えなくもありませんね。
投稿: マーチャン | 2016年10月16日 (日) 07時47分
マーチャン様
私も哲学とは何かを論ずるほど読んでいるわけではありませんから、自己流になるわけです。
その自己流で考えると、哲学とは見えている世界を一皮めくるための入り口かと思います。
人はあるがままに世界を見ていると思っていますが、じつは見たいものしか見ていないのではないか、見ている世界の向こう側から世界を見直して、自分の中の世界を構成し直すための方法が哲学ではないかと思います。
自分が書いていて何を言っているのかと思いますが、そんな感じです。
正義の味方は見えている世界しか信じていないという偏狭さがあります。
これでは世界はばらばらになっていくだけでしょう。
投稿: OKCHAN | 2016年10月16日 (日) 09時28分
難しいことはわかりませんが
人間はみんな哲学者だと思うのですが・・・
それを自覚し表現していけるかどうかだと思うのですが
飛躍しすぎでしょうか
投稿: イッペイ | 2016年10月16日 (日) 09時57分
イッペイ様
哲学をどういうものと考えるのか、ずいぶんいろいろあるのでこれだというものはないのでしょう。
私は世界をどう見るのか、その見方についての方法を自覚することかな、と考えています。
人はいろいろな情報から世界を見ていますが、それは他人がこうですよ、と教えてくれたものの集合でしかありません。
それを自分の本当の眼で見直す方法が哲学かな、と思います。
だから他人の目で見させられた世界を見せられている、という自覚がまず出発点でしょうか。
投稿: OKCHAN | 2016年10月16日 (日) 11時56分