追憶
つい先日亡くなった、世話になった元上司のことをいろいろ思い出していた。そのまま忘却するのも哀しいので書き留めておくことにする。
中国に造詣が深く、わたしの遙か高みを行く知識の人だった。諸橋轍次博士の大漢和辞典を全巻揃えて持っているのが自慢だった。ただ、今の中国があまりお気に召さないため、中国には行かず、わたしの中国旅行の話を面白がって聞いてくれた。
彼とは別の上司と行き違いがあり、わたしがその上司に暴言を吐いたために関係がぎくしゃくしたとき、社内的にわたしのわるい噂が流れた。人を介してそのことを心配していることが伝えられたときはとても嬉しかった。
当時は妻が家を出てしまい、小学生の子ども二人を抱えてわたしも少々荒れていた。その相談をしても一切受け付けてもらえずに追い詰められて、それが暴言に繋がり、結果的に自分の首を絞めた。そのことは深く反省している。
自分が社内の上層部からかなりひどい評価をされているらしいことは漏れ聞いていたけれど、それをかばってくれた人もたくさんいた。そのうちの特に世話になった二人を今年立て続けに失ったのは本当に残念だった。翻ってみれば自分はそのように自分の部下に世話になったと思ってもらえるような人間だったのか考えると、忸怩たるものがある。
夏前に電話で話して体調が優れずに検査入院すると聞いた。そのあともう一度様子を聞くために電話したら、検査結果は胃がんであると知らされた。社内の人にはけっして知らせるな、と強く言われたので、加減がわるいらしいとだけ人には伝えていた。秋になったら見舞いに行かなければ、と頭では思っていたのに、ついに電話で話したのが最後になってしまった。
病気のせいで食べ物を身体が受け付けず、死に顔は頬がこけて面変わりしていたのが哀しかった。豪快な笑い方をする人で、酔うと口ぐせのように「拙者は・・・」と言った。物事をとことん考えぬく人で、わたしが安眠しているあいだに寝ずに作戦を考えてくれる人であった。厳しいけれど楽しく、そして心やさしい人であった。
退職されてから、車で一時間足らずなので、毎年正月にあそびにいってご馳走になっていたのだが、こちらも子どもを連れて帰省することも多く、いつの間にか間遠になってしまった。
名古屋に出て来てもらって会食したこともある。人の話を目を細めて聞いてくれるので、いい気分で飲むことが出来る。それだけ気を遣ってくれていたのだと思う。
人はみな死ぬのだということを思い知らされることが続いている。そうしてそういうことに覚悟が出来て、受け入れられるようになっていくようだ。
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親しい人尊敬する人を失うことが年とともに多くなります。
仕方のないこととあきらめつつも、辛くやりきれない思いをしますが、
これもやがてはすべて好い思い出に変わりますね。。。
投稿: おキヨ | 2016年10月31日 (月) 13時16分
おキヨ様
誰かに、「あながいてくれて良かった」と思われたり、言われたりすることほど嬉しいことはありません。
だからわたしがそう思っていたことを亡くなった人に心で告げることが何よりの供養だと思っています。
投稿: OKCHAN | 2016年10月31日 (月) 15時29分
こんばんは。
会うは別れの始め、と言いますが、恩ある上司・先輩が亡くなられることはなんとも寂しいことですが、人生の中でそういう方に巡り合えたご縁には感謝しなければなりませんね。
投稿: いかさま | 2016年11月 1日 (火) 00時36分
いかさま様
おっしゃる通りです。
ひとりでいるのは自由で楽ですが、さびしいものです。
人とのつき合いにはわずらわしいこともありますが、それ以上にそこから得られる生きている実感があります。
面倒がらずに縁のある人とはこちらから関わり続けようと思います。
投稿: OKCHAN | 2016年11月 1日 (火) 07時48分