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2016年11月12日 (土)

格差社会

 少し古い(2007年7月24日付け)内田樹老師のブログから引用する。

「格差社会」という言葉が繰り返し登場する。
格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまな提言がなされている。
どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。
だが、わたしはこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思想上の習慣にしている。
「格差」とは何のことなのか?
メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。
平たくいえば年収のことである。
年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。
とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。
パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金」がないせいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。そういう説明がなされている。
ここから導かれる結論は論理的に一つしかない。
「もっと金を」
である。
しかし、この結論でよろしいのか。
私自身は、私たちの社会が済みにくくなってきた理由の一つは「金さえあればとりあえずすべての問題は解決できる」という拝金主義イデオロギーがあまりに広く瀰漫したことにあると考えている。
「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ「金の全能性」が過大評価され、その結果「人間を序列化する基準として金以外のものがなくなった社会」のことではないのか。
人々はより多くの金を求めて競争する。
競争が激化すれば「金を稼ぐ能力」の低い人間は、その能力の欠如「だけ」が理由で、社会的下位に叩き落とされ、そこに釘付けされる。
その状態が大変不幸であることは事実であるが、そこで「もっと金を」というソリューションを言い立てることは、「金の全能性」をさらにかさ上げし、結果的にさらに競争を激化し、「金を稼ぐ能力」のわずかな入力差が社会的階層の乗り越えがたいギャップとして顕在化する・・・と言う悪循環に落ちこまないのだろうか。

 このあとにその拝金主義イデオロギーそのものから自由であると自負する老師の、違う価値観からの「格付け」について語られているが、長くなりすぎるので引用はここまでとする。

 私は老師ほどではないにしても、拝金主義からはかなり自由であると自負しているので、老師の言うことを素直に聞くことができるが、これを読んで腹の立つ人もいることだろう。それを言い争うつもりはない。正しいか間違っているか、という問題ではなく、当人の価値観なのである(と逃げておこう)。

 トランプ旋風を見ていて強く感じた違和感こそ、この拝金主義イデオロギーの吹き荒れる姿として私の目に映ったからである。拝金主義イデオロギーこそアメリカングローバリズムの根本思想そのものであろう。熱狂的トランプ支持者は「もっと金を」とたしかに叫んでいた。世界に瀰漫したこの拝金主義イデオロギーが人々の幸福を奪っている。 

 世界はこの精神病理から抜け出さないと、人々は幸福感を手にすることが出来なくなると思うがどうか。

 私は豊かではないけれど、ときどきは幸福である。

 抜け出し方?これは精神疾患と一緒で、病識があれば治癒が可能であろう。重篤な精神病者は、「自分はけっして病気ではない」と言い、そしてその確信は強固である。

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