年寄りのてがら
子供はおとなになったことがないからおとなの気持ちが分からない。若者は年寄りになったことがないから年寄りの気持ちが分からない。顔つきから相手が悲しんでいるのか怒っているのか喜んでいるのか、それくらいは読み取るかも知らないが、どうしてそういう顔をするのか、同じ気持ちになることはできないから分からない。
なにかを感じるときの心の鏡は経験に裏打ちされている。生きてきた長い年月の積み重ねがたくさんの思い出になって、新しい体験に対する反応に現れる。
年寄りは外見は年寄りでも、内面はときに子供であり、ときに若者であり、ときに壮年である。そのことは年寄りにならないと分からない。子供のとき両親や祖父母というのは自分とはまったく別のものだと思っていた。そして歳をとるとともに自分がだんだん変わっていって、親や祖父母のようになるのだと思っていた。
どうも子供のときの、そして若いときの私が、そのまま外見だけ老化しているだけらしいことに、最近ようやく気がついた。だから私はしばしば10歳で、ときに25歳である。
66歳の私が息子や娘のどん姫を見て彼等の気持ちを忖度するとき、私は彼等が小学生だったときの私であったり、中学生高校生であったときの私である。だからおとなになった彼等が私をじっと見返したりすると、我に返ってとても照れくさい気持ちになる。彼等の目を通して私の過去と現在がオーバーラップする。
そういう複眼的なものの見え方を不思議と思わずに自分自身として受け入れることがひとりでにできること、そのことが年寄りのてがらかな、と思ったりする。
生きているって面白い。
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まことにそのとうりです。それを的確に
表現出来る文章力 素晴らしい。
投稿: 周さん | 2016年11月14日 (月) 09時45分
周大兄様
息子や娘を見ていると子供のときの彼等がオーバーラップして見えます。
それを見て、彼等がおとなであることに照れくささを感じたのです。
それを感じている私もそういう存在なのだと思いました。
投稿: OKCHAN | 2016年11月14日 (月) 11時09分
じつにおっしゃる通りだと思います。
私も通って来た道なら忘れていません。
時々それが覘きますね。つまり外見のように心や気持ちは
はっきりと老いたわけでもない。
そして、人によって違いはあっても
老いは内面を少なからず豊かにします。
投稿: おキヨ | 2016年11月14日 (月) 13時25分
おキヨ様
いまは年寄りが若い人に迎合することが多い時代のような気がします。
若いこと、強いこと、金銭的に豊かであることが価値があるとされる時代は、年寄りには生きにくいものですが、経験からそうでない価値観を獲得して毅然と生きる年寄りになりたいと思っています。
その方が生きるのが楽です。
投稿: OKCHAN | 2016年11月14日 (月) 14時31分
そうですね。この歳で初めて知ったことを喜ぶ時は、まさに小学生になっていますから。年寄りになって幸せだと思うのは・・・感動や感激が若いころの何倍も豊かに胸の奥でこだまし合っているな・・・て感じるからです。心の花は・・・天に召されるまで水や肥料や光をたっぷり与え続けて大きく大きく育ててやりたいものです。
投稿: かすみ風子 | 2016年11月14日 (月) 21時21分
かすみ風子様
おっしゃる通り、歳をとって無感動になるよりも、すぐ感激したり、涙もろくなっているのを実感しています。
だからあまりきつい映画やドラマを観るのがつらくなってきました。
投稿: OKCHAN | 2016年11月14日 (月) 22時12分