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2016年12月

2016年12月31日 (土)

ありがとうございました

 旅をしたり、本を読んだり映画やドラマを観たり、ニュースを見ていろいろなことを思い、考える。それは「よどみに浮かぶうたかた」のように「かつきえかつむすん」でほとんどが虚空に消え去る。その消えかかるなにものかを惜しむ気持ちがむかしからあった。

 そのようなものを書き留めることで自分が何を感じ、何を思ったかを自分で知る。しかしそれを書き留めるのは手間のかかることである。たくさんの残された手帳にはそのようなものがいくつか残されている。せめて読書手帳くらいはと思いながら継続せず、読んだ本の著者と題名の記録だけが二十数年分残されているばかりである。

 仕事を定年でリタイアして自由な時間が増えた。そして知り合いがブログをしていることを知ったのは定年後一年ほどしてからだ。興味を覚えて試行錯誤しながら始めたブログに「ポチッと」や「いいね!」をもらえるようになって自分の書いたものを読んでくれる人のいることのよろこびを知った。

 丸五年あまり、いまではブログの文章の形でものを考えていたりして我ながらおかしい。考えていることが形になる、書いているうちにそれが考えていたこと以上のものになることに驚くことも多い。きっかけがあると頭の片隅にしまっていたものがずるずると一緒に引き出されてきたりするのだ。

 ただ、多くのものが誰かの文章や言葉に影響されたものであることも自覚している。私の考えは無から生じたわけではない。それをすべて自分の言葉で書けるようにするなどと言う大それたことは目指さないが、少なくとも自分の言葉に咀嚼し直したものだけを使いたいと思う。だから引用の部分は自分の言葉でないことを明らかにしているつもりだ。

 性格からつい理屈っぽくなってしまう。

 自分の思いの記録を書き留めることはそれだけでは持続できるものではない。やはり誰かひとりでも読んでくれる人がいると思うから励みになる。私がいつも拝見しているブログの方々の影響を受けているように、私のブログからかすかではありながら私のメッセージは伝わっているはずだと夢見ている。

 それにしてもブログを書くことが生活の一部に定着してしまった。今年もずいぶんたくさん駄文を書いた。読む煩わしさをものともせず、読んで下さった方々には本当に感謝している。

 来年ももちろん継続して書くつもりである。引き続き読んでいただけるよう、読んで時間の無駄だったと思われないようなものを書きたいと念じている。

 今年一年本当にありがとうございました。

 来年が皆様にとって良いお年でありますことを心から願い、年末の挨拶と致します。今年はこれで終わりです。

2016年12月30日 (金)

獺祭(だっさい)

 息子から酒が届いた。いま評判の山口の酒・獺祭、純米大吟醸・磨き三割九分、それも一升瓶である。なかなか手に入りにくいし、高いはずだ。張り込んだものだ。たぶんボーナスが好かったのだろう、めでたいことである。さっそくお礼のメールを送る。「明日と明後日一緒に飲もう」と返事が来た。当人は酒より一日遅れて明日来る。

 こちらは新潟は高田の酒、雪中梅を用意して待っている。

 片付けが途中で息切れしてしまい終わっていない。今日は台所回りだけ何とかすませた。明日は朝から部屋中をもう一度掃除して、トイレと風呂場を磨いたらいちおう良しとするつもりだ。昼前後には息子が来るだろう。

 息子が来たら魚や肉の買い出しに行く。生ものはぎりぎりの方が良い。酒の肴と料理をもう一度確認しておかなくてはいけないな。

案の定、反日

 韓国の観光客は、今年、過去最大の1720万人に達する見込みだという。日本だけ観光客が増えているわけではないようだ。そのうち中国人観光客は800万人あまりと半分近い。近いし安くて手頃だということなのだろう。ここ数年減り続けてきた日本人観光客も25%増えて約230万人と、今年は再び増加した。

 しかし免税店での売り上げはところによって減少し始めている。それは日本同様、中国人の爆買いが減っているからのようだ。もともと最近の日本人は中国人のように爆買いはしない。

 ある中国人観光客は「一日で六カ所もショッピングモールに連れて行かれてイライラした」と話しているという。これは極端にしても、ショッピングに廻ることでガイドが収入を得るシステムなら当然のことで、旅行代金もこれで格安となっている。こんな旅行をすれば二度と韓国には行くまいと思うはずで、リピーターを得られないだろう。中国には膨大な人口があるから、そんなことを知らない新手が次々にやってくる。しかし口コミで次第に不評が伝播すれば、いつかはぱったりと客が途絶えるだろう。すでに免税店の閉鎖が始まっているという。兆しが出たときにはすでに取り返しがつかないのは世の常である。

 「売り家と唐様で書く三代目」という。一代で富をなした金持ちも、三代目にはそれを蕩尽してしまうものだと言う川柳である。「唐様で」というところがミソで、芸だけは達者になっているわけである。韓国はチェスンシルとの異常な関係の問題で朴槿恵大統領が瀕死の状態である。この問題が露見する前から韓国の財閥の三代目の劣化はしばしば話題に上った。

 すでに韓国は経済的に右肩上がりの時代を過ぎているのに、右肩上がりの時代のやり方を続けていて、それが停滞したときの方策を採らずに来た。経済が減速したときの対策は今までにないコストがかかる。そのコストをかけずにいれば、一時的にはコスト競争に勝つことができる。そうして韓国は勝ち続けてきた。ところがそれだけではもたなくなってきた。そのときに対策をしようとすれば、いままで怠ってきたことのツケが一気に回ってくる。停滞したときに高いツケを払うのは困難である。そしてそのツケを払うのは三代目である。

 三代目は銀の匙を加えて生まれてきた。苦労を知るはずもないし、苦労しなければならないことは頭で分かっていても、先送りにしようとする。そして人のせいにする。その挙げ句の果てをこれから見ることが出来るのではないか。

 釜山の日本領事館前の慰安婦像設置を当局が阻止し、撤去したことについて、韓国政界、マスコミの多くが市当局の「暴挙」とこぞって非難している。大統領候補や野党の党首は次々に「韓日慰安婦合意を破棄する」と公言している。稲田防衛大臣の靖国参拝を口々に罵り、あるまじき悪行であるかのように非難している。

 韓国は今苦難の時代の到来におびえている。国民の気持ちをまとめて苦難に立ち向かわなければならないときである。そのときにまたいつもどおりの反日で国民をまとめようと、政界、そしてマスコミは反日キャンペーンを盛り上げ、繰り返すことだろう。意識しなくても自動的にそうなってしまうのは、韓国の国民性であり宿痾である。そしてそのことから韓国が得るものなどなにもない。問題の根は韓国にあるのであって、日本にあるのではないからだ。

 日本を憎みながら日本をモデルに頑張ってきた韓国は、停滞した日本を尻目にわが世の春を謳歌してきた。震災で苦しむ日本を「悪行の報い」と高みの見物をした。そうしてその日本が停滞したときと同じ轍を踏みながら、その対策を怠った。韓国は日本とは違う、と胸を張った。そのときすでに韓国の内部の時限爆弾は動き出していたのである。止める方策は韓国の内部にある。反日にはない。

 反日が盛り上がれば盛り上がるほど時限爆弾の時計の針は進むのだ、と思いながら見ていれば、反日に対する不快感は多少軽くなり、韓国はドラマチックな見ものになる。

ハードーン

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 いま『上海物語』(丸山昇著・講談社学術文庫)という本を読んでいる。読書のためのエネルギーがいま最低レベルなので遅々として進まない。それにこの本の中身は飛ばし読みするにはもったいないほど濃密なのである。

 副題が「国際都市上海と日中文化人」であり、上海の近代をとことん語り尽くそうと試みた本である。上海には何度も行った。南京路から外灘にかけての道筋なら何度も歩き回った。だから地理的な記述になんとなくなじみが感じられる。

 それと陳独秀という人の書いた文章を集めた東洋文庫の『陳独秀文集 全三巻』(平凡社)を並行して読み始めている(現在第二巻まで出版されている)。陳独秀という人は中国共産党創始者のひとりであり、初代の総書記を務めている。毛沢東、魯迅、孫文、蒋介石を始め、多くの文人や政治家と関係があるのにあまり知られていない。それは第一次国共合作に奔走したのにそれが破綻したとき、コミンテルンから「日和見主義」であると糾弾されて共産党を追われたからである。

 この国共合作は、実はコミンテルンの指示によるものであることがいまは知られているが、その失敗の責任をかぶせられたのだ。そもそも陳独秀は思想家であって政治家ではない。政治家達の権力闘争で真っ先に追われていくのは思想家の宿命である。

 陳独秀についてはいつかまとめてここに記したいと思うが、いまはまだ読み始めたばかりなのでイメージがまとまらない。陳独秀は上海を拠点に活動した。この人の事蹟を追うことは中国近代の変遷をたどる道筋であると思っている。

 その陳独秀に関する記述が散見されたので『上海物語』を読み始めたのだ。その『上海物語』の中に郭沫若に関する部分で、ハードーンという人物についての言及がある。

 以下にその部分を引用する。

 郭沫若は七月二日にはまた上海に渡る。これ以後、彼は二三年四月に初めて上海に妻子を連れて行くまでのあいだに、上海-日本間を二往復している。雑誌『創造季刊』創刊号は、二二年五月一日に出た。
 一九二二年七月に上海にもどってからは、馬霍路(マーホールー)の泰東書局の二階では手狭になったので、郭沫若は哈同(ハードーン)路民厚南里東弄(ロン)一二一に移った。哈同路-ハードーン、Silas Aaron Hardoon の名をとったもの。現在、人民広場となっている昔の競馬場跡から約二キロメートル西、延安中路の北側に、高い尖塔をもち、ひときわ目立つ上海展覧観がある。上海の工業製品が常設で展覧されているほか、国内外のさまざまな展覧会も開かれる。この展覧館が建っている土地は、かつては哈同花園と呼ばれ、ハードーンの邸が建っていたところで、その西側の道、現在の銅仁路が昔の哈同路だった。ハードーンは一九四七年生まれのユダヤ系イギリス人である。一八七四年、香港から上海に来て、最初はインドのボンベイに本社をもつ、アヘン貿易で有名なサッスーン洋行に勤めたが、一九〇一年資本を蓄えて独立、ハードーン洋行を起こし、土地の投機・買い占めで富をなした。かつては共同租界の主な道路、特に南京路一帯の相当部分がハードーンの土地で占められていたほどで、彼は「土地大王」と呼ばれた。ハードーンは軍閥・官僚ともつき合いがあったほか、辛亥革命後はかつて清朝の宮廷にいて、生活の道を失った者を多くその哈同花園に受け入れ、食客として暮らさせていた。ハードーンは早起きを提唱しており、毎朝起きると庭園を散歩に出て来た。食客たちは主人の習慣に敬意を表するため、その時間にはやはり庭園を散歩に出て来た。だがじつは彼等は徹夜でマージャンをしていたのであり、眠気をこらえてハードーンに挨拶をした後、夕方まで寝るのだった。ハードーンも当時の上海で富をなした多くの外国人同様、かなりあくどいこともしたらしいが、この話はそれなりに勤勉だった新興資本家と、完全な没落階級との対照を示すもの、といえるだろう。ハードーン自身は中国人を妻とし、伝説上の漢字の創始者である倉頡(そうけつ)を敬い、倉頡の誕生日とされる三月二十八日には、それがたまたま自分の誕生日だったこともあって、盛大な祭をしたという。文字学の広倉学会を作り、雑誌も出した。仏教を信じ、葬儀は完全な中国式でおこなわれた、という。彼なりに中国文化を愛したのだろうが、中国から見れば、外国帝国主義の上海支配の一部であったことはたしかであろう。戦後の文献に「吸血鬼」とまで書いているものがあるのも、必ずしも言いすぎということはできまい。
 話が横道にそれたかもしれないが、これも、上海のことを見てくると、その歴史の一コマ一コマ、建物一つ、地名一つに至るまで、列強の支配の跡が出てこざるをえない、ということを、あらためて思わされるからである。長安・洛陽などでは、新しい建物を建てようとすると、すぐ旧跡が出てくる、ということだが、上海で出てくるのは、中国から見れば、帝国主義の爪跡なのである。

 たまたま郭沫若に関係して出てきた通りの名から、その由来である人物、ハードーンが語られていく。そして中国と列強との関係、その心情が語られる。『上海物語』が中身の濃い本だという意味が分かっていただけたであろうか。

2016年12月29日 (木)

塩素臭

 トイレに入ると煙草臭がすることがある。どうもほかの部屋の煙草の煙がダクトを伝わって侵入するようだ。トイレで煙草を吸う人がいる、と自治会で問題になっていたからそれだろう。トイレの換気扇を廻すと部屋が減圧になるから、ほかの部屋の臭いが多少侵入するのはやむを得ない。

 先程からそのトイレで塩素臭がする。塩素系の漂白剤でトイレ掃除でもしているのだろうと思った。それにしてもちょっと臭いが強いようだ。しばらくしたらトイレだけではなく、部屋の中まで塩素臭がするようになった。

 もともと化学屋なので薬品の臭いには敏感でありながら耐性もある。その私が、ちょっと臭いが強すぎると感じた。寒いけれどあわてて窓を開け放ち、空気を入れ換えた。普通に塩素系の漂白剤を使用してもこんなに臭うのはおかしい。そもそも私の部屋で使用したものではなく、漏れ出てきただけでこんなに臭うのだ。混ぜてはいけない薬品を混ぜて塩素が異常発生でもしたのだろうか。

 しかしそれが階上か階下か隣室か分からない。塩素ガスは重いから上の階から下りてきている可能性が高いが。とりあえずいま換気に努め、治まるのを待っている。

 さいわいしばらくして臭いが弱くしなりだした。治まりつつあるようだ。臭いの元となる家の人に健康被害はなかっただろうか。心配である。

羽織ゴロと言われるのもむべなるかな

 日刊ゲンダイが安倍首相の真珠湾訪問について、初めてをアピールしたつもりだったが、実は初めてではなく、そのもくろみは失敗した、と書いていた。初めてではないことが明らかになるとなぜ失敗になるのか。初めてであることを強調して騒ぎ立てていたのはマスコミではなかったのか。

 今回の真珠湾訪問はオバマ大統領の広島訪問に対する答礼であることは明白である。オバマ大統領は当初安倍首相は歴史修正主義者で悪者であると思い込んで(思い込まされて)いたらしく、安倍首相を毛嫌いし、会うこともいやがっていたように見えた。それが次第に自分の見立て違いらしいと気づき、徐々に態度が変化した(ミシェル夫人は最後まで日本嫌いだったらしい。そもそも彼女は中国好きのようだ)。

 今回の安倍首相の真珠湾での慰霊はオバマ大統領退任への安倍首相のはなむけであろう。その気持ちをオバマ大統領はたしかに受け取ったと思う。互いに敬意を持って挨拶を交わしたらしいことは慶賀すべきことである。終わりよければすべてよし。

 自国の首相に最低の敬意をも払わず、悪者と決めつけて成果を無視して皮肉を書く品性は下劣である。嫌いで悪者と思うのは勝手だが、少なくとも成果についての評価くらいは正当にすべきだろう。あの安倍首相の所感を聞けば、きれい事かもしれないが、正しいことを言っていた。きれい事だから間違っているというのか。政治家がきれい事を言わずに何を言えというのか。ドゥテルテ大統領のように語れというのか。

 安倍首相はアリゾナ記念館の訪問に先立ち、飯田記念館を訪ねた。飯田中佐は真珠湾攻撃に零戦のパイロットとして従軍し、燃料タンクに被弾して帰還を断念し、戦闘機ごとアメリカの飛行機の格納庫に突入した。この飯田中佐の行為を英雄的なものとして、日本ではなくアメリカが記念館を建てたのである。飯田中佐は安倍首相と同じ山口県の出身でもあり、ここを訪問した。

 これを韓国のハンギョレ新聞は「安倍の和解・・・真珠湾『自殺攻撃者』記念館を訪問」と報じた。

忙中閑あり

 世の中の人々は正月の準備に忙しい。それを見ているこちらも、あれもこれもしなければ・・・と思ってせわしない気持ちになる。とはいえ実際に身体を動かしている時間はわずかで、ほとんどの時間はぼんやりととりとめのないことを考えている。忙中閑ありは間違いで閑中忙あり、というところか。

 韓国・釜山の日本領事館の前に市民団体があの慰安婦を象徴する少女像を突然設置した。ソウルと違い、釜山市当局は慰安婦像の設置は認めない方針を堅持していて、もみ合いの末警察による排除を強行した。団体はこの像の除幕式を31日に設置する予定だったという。

 この行動は日韓の慰安婦問題の件について、昨年末に合意がなされたことへの拒否のアピールであろう。日韓合意で約束された日本からの拠出金を元に46人の元従軍慰安婦だったという老婦人たちに対して支払い交渉が行われ、すでに34人がそれを受け入れていると伝えられている。残りの人もこれから受け取る方向に行くものと思う。

 当然あくまでも金を受け取らない人もいるだろう。しかし他のひとが金をもらったのに自分だけがんばれる人が何人いるだろう。親類縁者たちも金をもらうよう働きかけるだろう。がんばりを支えるのは今回の釜山の騒動を起こしたような市民団体の人々だろう。

 この市民団体は元慰安婦と称するおばさんたちを探し出し、彼女たちのため、と称して活動を行ってきた。そのおばさんたちすべてが金を受け取って運動から脱落すれば、彼等の活動は名目を失う。そもそもが彼女たちのためにしたはずだから、市民団体の目的は達成されるのであろう。

 ところが市民団体は金を受け取らないように女性たちに働きかける。なぜ受け取らせないようにするのか。市民団体の存在理由を失うからである。目的のために始めたものが目的達成を嫌がるという矛盾に彼等は気がつかない。彼等は問題を解決したくないのであろう。

2016年12月28日 (水)

こりゃダメだ!

 在日大使館の報道官が日本のメディアに苦言を呈した。

 24日夜、新千歳空港の国際線ターミナルで、大雪のために飛行機が欠航したことに腹を立てた中国人達100人あまりが搭乗ゲート付近で騒ぎ出し、中にはゲート内に侵入してそれを阻止しようとした警察官ともみ合いとなった者もいた。このことはすでにブログに書いた。どうしようもない天候による欠航に腹を立てて騒ぎ出すとはいかにも幼稚である。新千歳空港は延べで1万6000人がこの大雪のために足止めされ、空港で夜を明かしたが、騒いだのは中国人だけである。

 この中国人の騒ぎをメディアが報道した。騒ぎがあったのだから当然である。ところが中国大使館の報道官は、「感情が過激になって他人に迷惑をかけることを支持しないが、日本メディアはあまりにあおぎすぎではないか。中国メディアのなかにはそうした報道もある」と述べた上で「このような小さな一件が、中日両国の国民感情に影響するとは思えない」と指摘した。

 この報道官は何を言いたいのか?日本メディアがあおりすぎだと言うけれど、限られたニュース報道を見た限りではあるが、このことをこと立ててあおっている報道など見ていない。事実を伝えたものだけである。あれを「あおっている」と認識するということは、そもそも中国人の恥ずべき行為は、彼等にとってはいささかも恥ずべき行為ではない、と考えているのか、またはそのような中国にとって不都合なことは報道するな、と脅しているのかどちらかである。

 だから中国メディアの中には、「日本が(悪意をもって)中国人の「些細な」ことを大げさに騒いでいる」と受け取り報道しているところもあるぞ、とこの報道官は苦言を述べたのである。

 この場合、中国大使館はこの観光客の行為を日本に対して謝罪し、騒ぎを起こした観光客に対して叱責するのが筋ではないか。それをあろうことか、日本のメディアに苦言を言う。

 弱みを見せることを極端に嫌い、面子を重んずることを何より優先する国柄とはいえ、これでは自らの幼稚さを正し、まともな国になるのはおぼつかないだろう。この報道官が勝手に苦言を呈したとは思えない。中国という国家が苦言を呈したのだろう。こりゃダメだ!

八の日

 八は末広がりで縁起が良い。だから飾り物を買うのは今日28日が好いのだ、というのを母から教えられている。ちなみに29日は九(く)の日といって避けた方が良いという。マンション玄関の扉に飾るささやかな飾りと、やはり可愛い鏡餅を買って正月の準備。

 お酒や正月用の酒の肴は大晦日で好いだろう。正月はいつも実家に行くからほとんど買わない。今度からはわが家での正月だから、少し張り込んでちょっと良いものを揃えたいと思っている。

その日が来ると好いね

 真珠湾で語った安倍首相の所感は、言葉を素直に聞けば善いものであった。敗戦後にアメリカに送られた脱脂粉乳の恩恵を受けた時代の記憶がよみがえった。この言葉は主にアメリカ人に対するものであるけれど、日本人として聞いておくべきものでもあった。

 「素直に聞けば」というのは、素直に聞かない多くの人々がいるだろうと想像するからである。真珠湾攻撃で死んだのは主に軍人であった。しかしアメリカが空襲で狙い殺したのは民間人であった。原爆で死んだのは民間人であった。その死者の数は真珠湾とは桁が違う。そういうことを言い出せば、きりがない。

 それはそれとして、その真珠湾で死んだ一人一人に家族があり、恋人がいたであろうことに言及することは、とても大事なことだと思う。死者を数で語るのではなく、個人それぞれに思いを致して語ることこそ意味があるからだ。

 中国は、安倍首相は真珠湾に行くなら、なぜ南京に来ない、重慶の空襲で死んだ死者を慰霊しないのだ、という。日本でも中国以上にそれを語る人たちがいる。

 中国の死者達、それは中国人はもちろん、大陸に派兵されて戦病死した多くの兵士達や、中国に渡って生活していて命を失った多くの日本人民間人達を含めて慰霊することは、とても大事なことで必要なことである。

 しかし正義と悪というとらえ方でしかあの戦争をとらえることのできない国に行って、真珠湾のように慰霊ができるかどうか、考えれば分かることであろう。慰霊は日本が絶対悪であるという思想を補完することになるだけの、つまり敵対心をなくすのではなく強化するだけのものになりかねないことは、分かる人には分かるであろう。

 中国で、そして韓国で慰霊をすることは大事なことで必要なことである。そしてそれができるときがいつの日にか来ると信じたい。

 真の和解のために慰霊せよ、という人々もいるだろう。今回の真珠湾の安倍首相の所感を聞きながら思ったのは、和解ができている間柄だからこそ、心からの慰霊ができるということであった。

2016年12月27日 (火)

陳謝?

 福島第一原発の事故処理にかかる費用が、当初の11兆円から21兆円あまりにほぼ倍増する見通しとなった。そのことについて東京電力の社長は、「国民のみなさまにまでご負担をおかけすることになり、大変申し訳ない」と頭を下げた。

 これをNHKのアナウンサーが、社長が「陳謝した」といったのが引っかかった。淡々と謝罪の言葉を述べ、たしかに頭を軽く下げていた。もともとこの社長は表情を見せない人である。この様子を「陳謝」と表現するのはどうだろうか。深々と頭を下げ、自分の責任に押しひしがれそうな表情でも浮かべていれば「陳謝」と言っても良いが、ただ淡々と言葉を述べて軽く頭を下げたのは「陳謝」とは普通言わないのではないか。

 マスコミは東京電力に対しておもねりがあるとしばしば言われてきた。NHKもそうなのか。この言葉はアナウンサーが自らの言葉として言ったのか。それとも誰かスプリクトを書いた人がいるのか。東京電力に対してはそのような言葉遣いが自動的に出てくるように慣らされているのか。

 東芝が買収したアメリカの原子力関連の会社の資産見直しで、巨額の負債があるために数千億円の損失を計上しなければならなくなったと報道されていた。

 東芝は何代もの社長による粉飾決算が露見して、再建途中である。その再建の柱と位置づけられているのが原子力事業であり、アメリカの会社の買収もその一環であった。それが巨額の損失をもたらした。

 見通しの甘さ、判断ミスは会社の体質か。再建の柱が自らを粉砕することになってしまいかねない。ところでその責任を誰がどうとるつもりなのか。シャープのようにずるずると赤字を膨らませ続け、最後は中国に身売りでもするつもりなのか。日本の重電は世界一である。その技術的蓄積、ノウハウはかけがえのない日本の宝である。これを失うこと、ましてや他国に売り渡すことは国家に対して大変な損失を与えることになりかねない、失ってよいものでは決してない。

 日本の根幹を担っているという自覚がないのか!と憤りを覚えたが、いや、実は日本の根幹を担っているという自負の過剰こそが慢心をもたらしたのかもしれないと思い直した。

 先般、東芝のパソコンの不具合から東芝そのものを批判したが、東芝は内部から腐り始めていて、その表れが私に実害をもたらしてくれたのかもしれない、と得心するとともにまた腹が立ってきた。

 大丈夫か日本!

負の連鎖

 千歳空港は北海道の大雪で飛行機が欠航し、多くの乗客が足止めをされた。それに怒った中国人観光客が騒ぎを起こしたようだ。天候というどうしようもない事態に彼等は何を求めたのだろう。集団で騒げば何が得られると考えたのだろう。まさか雪の中を飛行機が飛ぶようになるとでも思ったか。

 NHKBSの「文化大革命50年 知られざる負の連鎖」--語り始めた在米中国人--という先日放映されたドキュメント番組を観た。

 文化大革命についてはずっとこだわっている。高校生のとき、朝日新聞で報道されている文化大革命の様子に、最初は意味が分からず、そして次第に違和感を覚えるようになった。そこには朝日新聞が理想の世界として絶賛する中国のエピソードが次々に掲載されていたが、まだ高校生の私でさえ、どうも変だぞ、おかしいぞ、と思えるような話が多かった。

 文化大革命が終わったのはその10年後である。そして文化大革命とは何だったのか、それがまとまった形で本に読めるようになったのはさらにその後しばらくしてからだった。何種類かの文化大革命に関する本を読んだ。そしてその狂気の時代をかすかに知ることができた。

 今回見たドキュメントでは、私の知っている文化大革命とは多少時系列を異にしている。それぞれの人が個人として経験した文化大革命を語るのであるから、その様子はそれぞれ大きく違う。紅衛兵だった女性と、迫害された人とではその受け取り方もまるで違う。

 文化大革命とは何だったのか、それを総括しないと中国はそのひずみを抱え続けることになる。しかし中国でその正しい情報が公開されているとはとてもいえない。中国の拝金主義、そして弱肉強食の論理を見直さない限り、文化大革命は再び三度起こるだろう。集団の狂気は何より恐ろしい。

 中国人が知らないなら、その正しい情報を知ることができる日本人こそ知識として知っておくべきではないかと思う。それを原点にしないと日教組や朝日新聞のように、目の前にあったことを見ることもできずに歪曲してしまう。

 いま習近平は毛沢東の生きざまをなぞろうとしているように見える。その先にどんなことが起こりえるのか。文化大革命で、人は話せば分かったのか。千歳空港の中国人の騒ぎに文化大革命の影を見た。

2016年12月26日 (月)

コントロール

 洋泉社MOOKから「世界を変える次世代7つのテクノロジー」というグラフ雑誌が出ていたので購入、読み始めたところだ。最新のテクノロジーは想像を超えたものがしばしばあって、知らないものも多い。じっくり読むのは大晦日あたりにしようと思っているが、パラパラとめくって驚いた。

 ウェアラブル・デバイスの「スパイア」というのは、ベルトや衣服の襟にクリップで留めておくと、センサーが呼吸の深さや長さをモニターしてストレスの状態を知らせてくれるというものだ。

 また頭に装着する「シンク」というデバイスは、集中したいときやリラックスしたいときに「集中モード」や「リラックスモード」を選択すると、微弱な電流を脳に送る。その効果は多少ながら検証されているという。これからさらに改良強化されることだろう。

 ストレスによって人の精神は波立つ。それを機械がコントロールして平静を保たせてくれる。自分の精神状態を装置で教えてもらい、コントロールする時代がくるのだろうか。

 いまに高僧しかできない瞑想状態も、そのような装置で可能になるのかもしれない。また、集中力を高めることは知的レベルを上げることに寄与する可能性もある。しかしそれは明るい未来なのだろうか。

 それよりも心配なのは、外から精神を操ることが可能になる時代がくるかもしれないことだ。そのような装置は必ずネットに繋がるように作られるはずだ。ということは外部から侵入されるおそれもあるということだ(WOWOWの「CSIサイバー」というネット犯罪のドラマを観ているので、そのこわさはよく分かる)。

 オウム真理教のような洗脳という手間が必要ではなくなり、頭にヘッドギアをつけさせさえすれば言いなりにできる時代がやってくるかもしれない。

 私は死んでもそんなものをかぶらないぞ!

なぜ隠すのか?

 フランス・ブザンソンの留学生行方不明事件の犯人と目される人物の国籍と名前をなぜ警察は隠すのか?それを疑問に思う人が多いことだろう。この人物はすでにフランスどころかヨーロッパからもいなくなっているという。警察はフランス人でも日本人でもない、などという言い方をどうしてするのだろう。

 考えられるのはこの人物が誰か有名な人物の子息だったり縁戚だったりする場合だ。例えば朴槿恵大統領の息子(いないけれど)とか、インド国王の息子(これもいないけれど)とかである。この場合万一間違いだと国際問題になりかねないからフランスも気を遣うだろう。

 非常にかしこい、などという言い方をされているのも気になるではないか。

 それにしても、こういう場合に隠されれば隠されるほど暴き立てるマスコミがその隠蔽に加担しているのはどうしたことか。ほかの留学生達に聞けば容易に犯人について情報が取れるはずだし、たぶんすでにこの人物についての情報は入手しているに違いない。人の口に戸は立てきれない。そこからもこの犯人らしき男の公表は非常にデリケートな問題を抱えていることが想像される。

 まさか習近平の息子ではあるまいな。

2016年12月25日 (日)

殺処分2500万羽

 韓国メディアは高病原性鳥インフルエンザによるニワトリなどの殺処分が2500万羽になったと報じている。そのうち1700万羽は鶏卵用の鶏で、韓国は鶏卵不足による価格の高騰が起きているという。  

 数日前に日本の鳥インフルエンザに対する対応と韓国の対応を比較して、そのスピードと徹底さの違いが論じられていた。日本は韓国での鳥インフルエンザの深刻さを見ての対応だけれど、それにしても韓国のこの問題に対する対処の鈍さは呆れるほどで、韓国のメディアが嘆くのは当然だと思う。

 危機に対する対処のお粗末さは、誰もがあのセウォル号事故の時に目の当たりにした。沈みつつある船の舷窓に人が見えているのに右往左往して、何もせずに引き上げていった海上警察の船を見た。結局沈没船に乗り込んでひとりでも助けようという救助隊の姿を見ることはなかった。助けたのはすべての乗務員とほんの少しの乗客だった。

 そのときの朴槿恵大統領の7時間の空白が問題になっているのは、彼女を非難するための材料の一つではない。物事は本質的な韓国の危機管理に関わることで、国民が危機に瀕しているときに、危機管理の最高責任者が不在であったという由々しき事態の深刻さを問題にしているものであるはずだ。

 一部メディアの中にはそれを冷静に捉え、それに言及しているが、ほとんどのメディアや韓国国民は、悪者である朴槿恵大統領の悪事の一つとしてしか見ていない。だから髪を直していただの整形手術をしていただのという、些末なことばかりが取りざたされている。

 こじつけだと言われるかもしれないが、危機管理の不手際の連続(SAASもあった)の問題は、反日に繋がる韓国の病理ではないかと私は思う。

 韓国国民は問題を自分の問題として考えるのが苦手なのではないか。常に問題は誰か自分以外の他人のせいで生ずる。だから問題の対処は自分以外が責任をとるべきで、対処も責任者がすべきであると考える。だから責任者に対する追求は執拗で徹底している。

 では危機の時に誰が責任者として行動するのか。自分以外の誰かである。自分が動かなければならない、ということに気がつくのが遅いのである。だから常に危機に対する対処が手遅れになる。朴槿恵大統領は韓国国民を代表してその精神を象徴している。だからどんな事態でも自分の責任だと思わない。そう思うことが誰よりもできない人なのだ。そして同じ思考回路の韓国国民は朴槿恵大統領を責任者として糾弾する。

 日本が韓国を併合した経緯について、日本が間違っていなかったなどと言うつもりはないが、韓国にはその結果を招いた歴史的理由があることも事実である。100%相手だけがわるいなどと言うのはあまりに妄想が過ぎる幼稚な考えである。歴史を直視できずに改変し、相手をなじるようなことを平然と行う国は自立ができにくい。

 それを脇から焚きつけて加担する異常なメディアが日本にある。常に自分は正義の味方で、わるいのは他人である。

 その新聞社は電通の過労問題攻撃の急先鋒にたっているが、その某朝日新聞は労働基準監督署から超過勤務の問題で指導を受けたという。

空気清浄機の手入れ

 空気清浄機が自分のメンテナンスをするようお願いをしてきた。いままで、プレフィルターの掃除やプリーツ式のフィルター交換はしたことがあるが、加湿ファン周辺は掃除したことがない。分解の仕方も分からない。

 仕舞いなくしかけていた取扱説明書をようやく探し出し、手順どおりに分解した。こんな風にばらばらになるものなのだ。水洗いできる部分と決して水に濡らしてはならないところとがあるらしい。洗え、という部品をぬるま湯で洗い、細かいところを歯ブラシや綿棒で掃除した。けっこう汚れている。水垢も溜まっていた。

 さっぱりしたのだが、さてすべての部品が全部乾くまで待たなければならない。空気清浄機は満足してくれているだろうか。

 大掃除第一弾の、リビングの大掃除がおおむね終わった。いつもよりは丁寧にやったつもりだ。掃除機を見たらゴミ袋がはち切れそうである。あわてて交換した。このゴミ袋の交換もやるたびにどうして良いか戸惑う。それでもむかしから見ればらくになった。これだけゴミを吸い込んだのだからその分部屋は綺麗になったはずである。

 本日は高校生駅伝。全国の高校生達が都大路を駆け抜ける。毎年この駅伝は欠かさず見ている。私は箱根駅伝と同じくらいたのしみにしている。午前中は女子、午後は男子である。暮れで忙しいと思うけれど、面白いですよ。

2016年12月24日 (土)

楽しい夜を過ごすのであろう

 本日はクリスマスイヴ。皆さん楽しい夜を過ごされるのであろう。いつも楽しみに拝見している方々のブログの更新も、年末になって少なくなっているようである。それぞれにお忙しいのだから当然だ。

 中身がお粗末な分、数で勝負している当方であるが、しなければならないことを脇に置いてのんびりとブログを書いている。今晩も独り酒である。世間が忙しいと逆にぼんやりしてしまうこの天邪鬼は、好きなCDを目の前に積んで次々に聴いている。CDをAVアンプからサラウンドにして少し音量を大きくしているけれど、今日くらいはお隣さんも大目に見てくれるだろう。

 昼間少し張り切りすぎたので、身体のあちこちが少々痛い。いろいろなものを移動させたのだ。しかしお陰でだいぶ身の廻りがさっぱりした。

 鶏腿もケーキもない。代わりにちょっと張り込んで刺身を少々。自分へのご褒美である。メリークリスマス!

DynaBookのバカッ!

 東芝製品ではいままでさんざん不愉快な思いをしてきたのだが、数年前、手持ちのDELLのノートパソコンがご臨終になったので、パソコン店を物色したところブルーレイドライブ付きで格段の性能なのに格安のDynaBookを勧められてつい魔が差した。

 Windows8から10にしたらやたらにフリーズする。最近はキーが次々に効かなくなっていく。何と一番最初に受け付けなくなったのがRETURNキーであるからどうしようもない。少し大型なのでもう一カ所RETURNキーがあり、そちらは問題ないが、使い慣れない位置なのでイライラする。次第に増えていまは4つくらい動作しにくいキーがあるが、どんどん増えそうだ。耐久性は三年以上使用されることを想定していないのであろう。

 別にコーヒーやミルクを飲ませた覚えはない。それにちょっと重いので、持ち歩くのがしんどくて、持ち歩く気にならない。だからどこかでぶつけたりもしていない。ほとんどデスクトップみたいな使い方しかしていないのだ。ふだんはAcerの10.5インチを旅のお供にしている。DynaBookが使い勝手がわるいので仕方なく購入したものだ。これも格安で、店頭では一番安かったかもしれない。

 こちらも8から10にしたけれどフリーズなどしたことはない。コストパフォーマンス抜群である。しかもDynaBookの10倍使っているのにキーに不具合などない。どうなっているのだ。

 東芝と私は相性がわるい。製品に怒りを覚えたのは何回目だろう。ほとんど気も狂わんばかりに不快である。今後東芝製品は絶対に買わない、と何度目かの誓いを立てたのであった。

ついに着手

 やっつけ仕事ではあるが年賀状の作成が終わり、ついに大掃除に着手した。

 病院で咳が続いたのはアレルギー性の気管支炎ではないかといわれた。考えられるのはハウスダストか特定の花粉だろうという。昨年と今年の11月前後にひどかったので、季節的なものだと思うが、ハウスダストも間違いなく多い。掃除がいい加減だからだ。

 そういうわけで、いままであまり手をつけない部分を丁寧に掃除するつもりである。あまり動かさなかったものをどかし、その周囲を掃除する。きりがない。

 本に手をつけ出すと収拾がつかなくなるのは分かっているのに、つい出したり入れたりしはじめてしまう。作業が停滞し始めたので、手をつける棚を限定することにした。大邸宅ではないから空間に限度があるので、やはり処分するものを選択しなければ収まらない。いつかまた読もうと思ってとってあるものが、もう物理的に限度を超えていることを思ってがっくりする。無限に生き続け、読み続けることはできないのだ。

 部屋のレイアウトをいじりたくなってくる。計画があるのだがそれは来春(懸案が片付いたら)に本格的に行うことにしている。AVアンプとスピーカーを新しいものに買い換えた後の想定がベースになっている。ともにそれほど高価な物を買えるはずもないし、野中の一軒家ではなく集合住宅ではそれほどの大音量で鳴らすわけにも行かない。

 寝室兼遊び部屋の古いMDミニコンポはガタが来ている(MDは大丈夫だが、CDは音飛びする。だから古いDVDプレーヤーをCD用としてミニコンポにつないで使用している)ので、古いAVアンプとスピーカーを音楽観賞用に転用する。HDMIのない古いものだが、音だけはとても良いアンプなのだ。

 購入するAVアンプはいまのところDENON製を考えていて、カタログは何度も読み込んだし、ビックカメラに何度も見に行った。気持ちが入れば入るほど買ったときのよろこびは大きい。いまのAVアンプはレシーバー機能もあるし、ハイレゾ対応だから、念願のハイレゾが楽しめる。

 それに続いて4Kテレビへの買い換えもしたい。順番が逆だが、4Kテレビは一般放送が始まり、4Kチューナーがテレビに装着されるまで何とかいまのテレビに頑張ってもらいたいと思っている。

 などと夢うつつにぼんやり考えていると、再び掃除の手が止まっている。掃除はいつ終わるのだろうか。

2016年12月23日 (金)

キャベツと手羽先入り野菜スープ

 キャベツの玉が小ぶりになったら芯を取り除き、切り離さないように四つ割りする。その切れ目にコンソメスープをいくつか挟み込む。手羽先をけちらずに大量に加える。玉葱をざっくりと切ってほうり込む。人参も大きめに切って加える。

 さらにエリンギをこれは少し細かめに切って入れる。セロリの白くてかたいところだけを切って入れる。ニンニクと生姜を適量入れる。ネギの残ったものがあればこれも薬味がわりに加える。

 たっぷりの水で煮る。決して沸騰させてぐらぐらさせてはならない。ぐらぐらさせると汁が濁ってしまう。味がもの足らなければ塩を加える。やや塩味が足らないくらいが良い。好みで黒胡椒を振る。

 だいたい煮えたら食べる分だけのジャガイモを大ぶりに切って加え、さらにエノキやセロリの葉を加えてさらに煮る。ジャガイモが煮えたらよそる。ジャガイモが崩れると汁が濁る。ウインナソーセージを加えても良い。

 野菜の甘みとうまみ、手羽先のうまみが混ざって美味い。煮るほどに手羽先がやわらかくなり、軟骨もとろけるようになって食べられる。セロリは大事な香り付けの役割をするので必ず入れる。

 後で加えるものは必ず食べる前、煮直すときに入れる。

 二度目三度目には味を変えるためにレモン汁を加えると、風味が変わって美味しい。私はレモン果汁100%のポッカレモンを使うがそれで十分である。食べるときにパクチーなどが添えられると良いのだろうが、近所のスーパーにはまだ並べられていないので試していない。

 最後の最後には具をさらってからスパゲッティを茹でて投入し、ケチャップやトマトジュースなどを加えてスープスパゲッティにする。スパゲッティが少しやわらかくなりすぎるが、私はそれも好きである。たっぷりの粉チーズにタバスコという定番を加えて鍋を完食する。私は大きな鍋で大量に作るので、だいたい2~3日間楽しむ。食べるときに味に多少変化をつけるのがコツである。

 この野菜スープ鍋をまさに食べ終わったところである。次はおでんでも作ろうか。これも一度作ればしばらく食いつなげる。酒の肴にもなるし、お気に入りの手抜き省力料理である。

保護者?

朝鮮日報の記事
 今月20日、ベトナム・ハノイを出発して仁川空港に向かっていた大韓航空機内で、会社員の男(34)が乗務員や乗客に暴力を振るう事件が発生。男は9月にも仁川発ハノイ行きの機内で暴れ、器物を損壊していた。3か月間に同じ航空会社の機内で2回も騒動を起こしたわけだ。しかし韓国警察は21日、韓国に到着した男を「あらためて出頭させて取り調べを行う」として保護者と共に帰宅させた。

 この事件を朝の民放のニュースで見た。ほかの乗客が映像に撮っていたのでその様子がそのまま(顔にはぼかしが入っているが)映されていた。暴れるのを常務員に取り押さえると唾を吐きかけ、座席に縛り付けられると足で座席を蹴り続けている。女性乗務員の腕にはその男による擦り傷がくっきりと残されていた。

 朝鮮日報では「会社員」となっているが、テレビでは「中小企業の社長の息子」と報じられていた。この父親の会社がどの程度の規模か分からない。財閥系の企業の系列かもしれない。

 ところで朝鮮日報の記事で唖然としたのは、最後の「保護者とともに帰宅させた」とある下りである。あれっ、と思ってもう一度年齢を見るとやはり34歳とある。韓国では34歳の大の男に「保護者」がいて何の不思議もないのだろうか。たぶんないのであろう。まさかと思うが、韓国では自立したおとなというのは想定されていないのかもしれない。たしかに何事も人のせいにするのはおとなとはいえないから、そういう国なのだろう。

 朝鮮日報の記事では、海外の同様の事件の例も挙げられていた。それによるとこのような暴行事件があれば、飛行機が着陸次第現地警察に身柄を拘束され、禁固刑と高額の罰金が科せられることが普通である。このような行為が甚大な事故に繋がりかねないとして厳罰が普通なのだ。

 中国でもしばしばこのような自己中心的な乗客による暴力行為が起こる。中国もそういう国である。そして刑罰も意外と軽い。ただし、そのような乗客はブラックリストに載せられ、次からは搭乗を拒否されるという。 

 ところが、くだんの「保護者とともに帰宅」した男性は3ヶ月前の9月にも同様の事件を起こしているのだ。これを見ても韓国が劣化していることの一つの兆候といえないか。

 それにしても「お客様は神様である」、としてかなり自己中心的な客の横暴に手を焼いている日本よりももっと幼児的な国があるのを知って驚いた。この「保護者とともに帰宅」した男にはたぶん山ほど言い分があるのだろう。聞くに堪えない屁理屈に違いないが。

夢で身体が痛い

 変な夢を見て目覚めた。友人と二人でイタリアをバックパックしている夢である。リュックに荷物を入れ、二人で旅をしていて、ローマまでバスで行こうとバス停にならび、乗り込んだら逆方向のバスだったらしい。運転手に事情を話したら(夢だから片言の英語で何とか通じるのである)このまま乗っておけ、という。終点まで行ったらこのバスはローマ行きになって引き返す、料金は不要だというのだ。

 そこで安心していたら、となりのイタリア人が、終点まで二時間くらいあるよ、という。これではローマに着くのは五時間後くらいになるかもしれない。あわてて下りた。そして逆方向のバスに乗ってローマに向かったのだが、突然ローマの街の中で走り回る羽目になった。なぜだか理由を覚えていない。なにかから逃走していたのかもしれない。石造りの建物の階段を走って上がったり、また下りたり、汗みずくになり、しかもどこかでぶつけたのか肩や腕が痛い。

 目覚めたら夢の通りに肩や腕が痛い。どうしてか分からないが、たぶん寝床の中で格闘していたのかもしれない。

 ところで一緒にいた友人というのが、学生時代に寮で半年ほど同室だった男で、自己中心的でマイペースのちょっと変わった男であった。しかしそれほど親しくなかったから、大学卒業以来会っていない。友人というほどの間柄でもないのだが、なぜそんな男と一緒にイタリアまで行ったのか分からない。彼のことを思い出したのはずいぶん久しぶりだ。

 夢の解釈は嫌いではないのでいろいろ思うけれど、今回ばかりはあまりに唐突な話でまったく見当がつかない。宙ぶらりんな話で申し訳ない。

2016年12月22日 (木)

真相の深層

 韓国で集中砲火を浴びているチョンスンシル女史はすでに収監されている。その娘のチョンユラも出頭を求められているが、滞在中のドイツから動かずに出頭を拒否している。逮捕状をもって強制的に帰国させ、出頭させるよう特別検察が動いているようだ。

 面白い話を聞いた。チョンユラは、実はチョンスンシルの娘ではなく、朴槿恵大統領の娘だというのだ。隠し子だというのである。乗馬関係の人たちの証言によれば、チョンユラは母親であるチョンスンシルに対して、罵倒する言葉をしばしばぶつけていて、実の親子とは思えなかったという。

 未婚の朴槿恵が子供を持つのは都合がわるくて、親しいチョンスンシルに託した、という話は実に良くできている。このことからチョンスンシルは朴槿恵大統領の生殺与奪の権を握ることになった、ということができるし、また、チョンユラのことになると朴槿恵大統領がなりふり構わずバックアップしたというのも頷ける。

 その噂を検証するために一部のマスコミが必死で真相を突き止めようとしたが、どう調べてもチョンユラはチョンスンシルの実の娘であるらしいということだ。だからチョンユラが朴槿恵大統領の隠し子だというのは間違いらしい。

 しかし、実の子供でなくても朴槿恵大統領にとってはかけがえのない娘のような存在であったのではないだろうか。血縁はなくても朴槿恵大統領の心の中ではチョンユラは娘だったのではないか。それが真相の深層だったのではないか。

年末なので

 年末の仕事としては年賀状と大掃除が残っている。25日が年賀状の受付最終日ということ(元旦配達が約束されるという意味らしい)だが、23~25日は郵便局は休みではないか。つまり22日までということか。毎日が日曜日なのでついうっかりした。今頃気がついてももう手遅れだ。何とか26日には投函できるようにこれから手をつけることにしよう。

 当然大掃除はその後だ。例年どおりそれほど徹底してやるつもりもないので、子どもたちが帰省してきたときに、父親の呆けを心配されない程度にすれば好いだろう。

 その子どもたちはいたってクールである。いつ帰省してくるのか、こちらから聞かなければまず連絡はない。「明日帰る」とか、ときには「今日これから帰る」などということも平気だ。こちらは帰ってくるなら部屋も片付け、美味しい酒と食べ物を用意したいが、それでは間に合わない。別にそれほど帰りたいわけではないが、帰ると喜んでいるから顔を出してやろうか、という慈悲心で帰ってくるようである。自立するように育てたのだから仕方がないのだが、彼等は私もクールだと思っているようだ。私は見かけよりもウエットなのであるが。

「いつ帰る?」と聞かなければ帰ってこないこともあり得る。彼等なりに休みだからやりたいこともあるかもしれない。自分がそうだったからよく分かる。でも私は自分の親が、私が帰省するのを当たり前だと考えていたことを知っていたし、帰ると喜ぶのも分かっていたからほぼ必ず正月は実家にいた。孫である私の子供たちの顔を見ることを特に喜んだ。だから子供たちは私の両親である祖父母が好きだったと思う。 

 正月だからといって、ふだんどおりに過ごしてもどうということはないだろう。しかし人間にはむかしから伝えられた伝統とか文化を継承することも大事だと思う。そういうものをどんどん廃れさせていくことで失われるものを現代は軽んじすぎているのではないだろうか。

 失われたものは取り戻せない。文化というのは民族の個性のようなもので、それが刷り込まれて継承されてきた。個性を尊重せよ、といいながら文化を喪失していくのはおかしなことである。個性とはほかと違うもののことと思われそうだが、その違いはほかと共通するものをたくさん共有する社会にこそなり立つものだろう。オリジナルを強調しすぎて共有するものを見失えば、それは個性ではなく異端である。

 その共有するものこそ文化であり、季節の行事の根底にあるものだろう。しきたりはこだわりすぎる必要はないけれど、軽んじるべきものではない。そこに敬意を持たない者は文化喪失者で、例えばわざわざ韓国からやって来て、福島の神社仏閣の石像や木像や墓を破壊したような異常者の姿である。韓国に民族的な退廃を感じたのはその故である。

 年賀状もおせち料理も初詣も、それなりに必要なのだと思う。年末だからそんなことを考えた。

大酒飲みとリンゴ

 母方の祖父は成田空港に近い多古というところの出身である。いまもそうだが、田んぼの多い田舎だ。祖父の父親は大酒飲みで、毎晩とっくりの冷や酒を時間をかけて飲む。なくなるとおつもりなのだが、しばしばもっと飲みたくなると祖父を酒屋まで行かせた。

 夜道をてくてくと歩いて酒屋まで行き、量り売りの酒をとっくりに入れてもらう。夏以外は子供には寒いし夜の闇は恐ろしい。そこでその徳利の酒にわらしべを突っ込み、ちびちび飲みながら帰る。飲んだのが知られないように水を足す。

「なんだかこのごろ酒が薄いなあ」と祖父の父親はいったそうだ。そんな祖父であるから酒は好きだし強い。八十を過ぎても正月などは五合くらいぺろりと飲んだ。若いときはどれほど飲んだろうか。母の下に弟たち、つまり私の叔父が三人いる。長兄はそれほどでもないが、下の二人は酒豪であった。正月は一升瓶が次々に倒れ、ウイスキーの瓶が空く。高校生くらいから下戸の父に代わって私がその席に参加した。もちろん酩酊するほど飲みかけると追い出された。いつかとことん酩酊してみたいと思った。

 大学に入り、その願いはすぐ叶った。何度ものつらい体験を乗り越え(そんなもの乗り越えなくても良いのだが)、いつの間にか人並みよりもたくさん飲めるようになっていた。

 しかし世の中にはレベルの違う大酒飲みがいる。山形という酒飲みの多いところで、しかも寮で暮らしたから、酒が飲めるかどうかで居心地が違う。そこで仲良くなった連中は例外なく酒飲みであり、親友となっていまもつき合っている友人はその大酒飲みであった。二升は軽く飲めた。わが家に彼が遊びに来るときは必ず一升瓶を三本用意したものだ。母は自分の親や弟たちが大酒飲みだから笑っていた。どちらかと云えば嬉しそうだった。父は自分が酒を飲めないから目を丸くしていたが、友人が来ることは大歓迎であったから喜んでいた。

 その大学時代からの親友はいま長野県の松本にいる。時々遊びに行く。明るいうちから飲み始め、たいてい気がつくと二人とも討ち死にしている。親友の嫁さんはいつもあきれ果てている。

 歳暮は彼に日本酒を贈る。そして彼からは大きくて立派なリンゴが送られてくる。そのリンゴを食べながら、いつまた松本へ行こうかな、などと考えている。

2016年12月21日 (水)

中国ウオッチ(3)

 中国の大手資源会社の神華は石炭生産量が2015年と比較して17.8%増加したと発表した。販売量は13.4%増であった。大気汚染に直接関係すると思われる石炭の生産量や販売量が相変わらず二桁増であることに驚かされる。

 中国の大気汚染は北部23都市で最高レベルの「赤色警報」が発令される事態であるとチャイナ・デイリーが報道した。

 北京の大気汚染が16日から深刻化し、一部地域ではPM2.5が400を超えている。日本の環境基準は35であるからその深刻度が分かる。17日には1キロ先の建物も霞んでしまうほどであった。「赤色警報」は21日まで継続される予定だという。

 日本でも四日市や川崎の公害で多くの人が健康を害し、命を縮めたが、中国の大気汚染はそれと較べてどれほどなのであろうか。毎年数万人がこの大気汚染によって肺ガンで死んでいるという見立てもある。もう一桁多いともいう。

 もともとの人口が多いから目立たないけれど、このような汚染は人体に累積していく。いつか突然ばたばたと都市部で人が倒れ出すかもしれない。中国の人々は壮大な人体実験にさらされている。

「一太郎」に苦言

 朝のブログから続く。

 それにしても最近「一太郎」の変換ソフトであるATOKの変換がおかしい。あり得ない変換を繰り返し、文の切れ目が異常になり、一発変換のヒット率が恐ろしく低下している。そのストレスは限度を超えかけている。そして「一太郎」本体は動作がのろい。打ち込みスピードについてこられないのだ。私など半ブラインドタッチ(手元をしばしば見る必要がある)で、それほど早い入力ではないというのに何たることか。私はむかしからひらがな変換でそれが動作を遅くさせているのだろうか。

 大いに笑えるATOKのトンデモ変換を一度ご披露したいと時々メモしていたが、ほかのメモにまぎれてつい散失し、まとまらない。小さなメモ帳を専用に用意しようか。それだけでブログが一つや二つ書けるはずだ。それにしても「一太郎」を提供している人たちはまさか「一太郎」が使いにくいからWORDを使っているのではあるまいな。「一太郎」を使っていればその問題点に気がつかないはずはないのだから。 

 こうして「一太郎」ユーザーが減りだせば、ますます「一太郎」は劣化する。それを挽回しようとますます高機能にして差別化を図ろうとする。さらに重くなり動作が遅くなる。負のスパイラルで自滅する。いまは逆転の発想で、重くなっているあまり使わない機能は別売りにすれば、安く、そして軽くなる。使用しない人には不要でも、必要とする人はいるはずだ。ファンは少なからずいるはずなので、その人達が離れない前に手をうって欲しいと切に願う。

 「一太郎 ver.3」の頃が懐かしい。

よく眠れる

 近頃はよく眠れる。

 もともと寝付きも良く、快眠する質だったが、いろいろわけがあって眠れない日がしばしば続いていた。眠れないという経験があまりなかったので、けっこう辛いことだったが、快眠がありがたいことであることをあたらめて知ることになった。

 快眠した朝は気力も違う。雑用する意欲が湧き、手際も良くなる。できなかった数独パズルの難問も解けたりする。これはじっくり考える時間が持続するようになるからだろう。頭脳の問題より根気の問題なのだ。

 面白いのは、ネットニュースを見るときだ。不調のときはこちらのセンサーに引っかかるものがほとんどない。ところが快調のときは次々にセンサーが働く。なにかが動き出し、それについてブログに書くようなイメージがにじみ出てくる。それを一言か二言でメモにしておく。それらを無意識に反芻しているようである。

 あとでメモを見て意味不明のものもしばしばあるが、思い当たるものがすっとでてくるとそれを題材にブログを書く。書き出せば勝手に文章が出てくる。きっかけをひき出せば後は自動的である。文章を形にするのは私であって私でない。

 誤字、言い回しの変なところ、文章の流れについて、書いた私ではない私が、初めて読む文章として手入れをする。書いた本人が自分の文章を校正するのはなかなか難しい(問題点に気がつきにくい)が、半ば他人だから少しマシである。しかし真の他人ではないから文章にシンクロしていてうっかりすることも多いのは仕方がない。なかなか真の他人にはなれないものだ。

 こうして下書きをしたあとにブログに貼り付けている。下書きは「一太郎」を使用。これで何十年もやって来ているので、WORDは使えない。使い勝手が違いすぎてリズムが合わないのだ。旅行のブログなど、写真が多いものは文章を下書きする必要がないのでじかに書き込む。あまり読み直しもしないので、後で誤字を発見する率が高い。たぶん見る人も写真を見ているから文字にはあまりこだわらないと勝手に言い訳している。

2016年12月20日 (火)

中国ウオッチ(2)

 2016年11月の中国の国内投資家の海外投資額は対前年76.5%と大幅に増加した。1-11月累計でも対前年比55.3%の増加である。

 人民元はアメリカの金利引き上げ以来対ドル相場が下落し、八年半ぶりの安値をつけたと報じられた。これにより中国からの資本流出が加速するとの懸念が高まった。

 2016年10月時点でのアメリカ国債の保有高は、中国が413億ドルの減少、日本は45億ドルの減少。その結果、現在の保有高は、中国が1兆1157億ドル、日本は1兆1319億ドルとなった。これはアメリカの金利が引き上げられた12月の前の時点であり、来年初めに明らかになる2016年末の中国の保有高がどれだけさらに減少するかが見物である。

 これらはすべて関係している。つまり中国のお金がどんどん海外に流出しつつあり、それが加速していること、それにより人民元の価値はさらに低下すると予測されるということだ。

 習近平主席はアフリカをはじめ、世界中を訪問して大盤振る舞いをすると約束してきた。それは中国の豊かな外貨保有額があるからできることである。ところがそれが急速に減少している。実はこの外貨保有高の減少はこの数年続いていることで、今に始まったことではない。それがさらに加速しているということである。

 中国の金持ち達は資産をどんどん海外に持ち出すべく、海外に対する投資を増やしている。中国で持っていても目減りするばかりであると分かっているからだ。それが海外投資の急増である。

 ノルウェーと中国が関係正常化することで合意した。中国の作家で人権活動家の劉暁波氏は2010年のノーベル平和賞を受賞した。それが気にいらないとして、中国はノルウェーとの外交を凍結していた。それが今回突然正常化することになり、自由貿易交渉が開始されるのだという。

 中国の外交担当のトップである楊潔篪国務委員がイギリスを訪問し、メイ首相と会談すると発表した。EU市場進出の窓口として機能してきたイギリスがEU離脱するにあたり、その対策を打ち合わせるのが目的とみられる。

 中国はいまあらゆる手立てを講じて経済的な凋落を食い止めようと必死である。これからもいろいろなところにそのあがきが見られるに違いない。さて日本に対してはどう出てくるか。アメリカに対しても思ってもみない手をうってくるような気がする。不利になれば平気で下手に出る国である。さあ来年中国はどう動くであろうか。

中国ウオッチ(1)

 ヤフーの海外ニュースの中国のものが今年になってどんどん少なくなっている(相対的に台湾の話題が増えている)。Niftyもその傾向があるから、たぶん中国発信が減っているのであろう。海外の中国駐在メディアもニュース発信がコントロールされているのかもしれない。

 特に減っているのが、ブログに取り上げたくなるような、中国特有と思えるおかしな話である。マナーの悪さや公害、劣悪な食品の添加物などの話題である。それが報道しなくてすむほど激減したとは信じられない。そのような報道が当局によって厳しく規制されているのではないかと推察する。

 習近平は報道規制強化を進めているようである。だから中国ウオッチをしたい私にはそのネタが激減しているのが残念である。

 そういう状況ではあるが、久しぶりにいくつかの中国のニュースから妄言を記すことにする。

 中国の2016年11月の電力使用量が、昨年同期と比べて7%増加したそうだ。1-11月で較べても5%の増加だという。電力量は経済活動に関係しているだろうから、めでたいことである。

 中国社会科学院は最新の2017年経済予測を発表した。それによればGDPの成長予測は対前年6.5%だという。なお2016年度の第1から第3四半期の累計の対前年GDP成長率は6.7%であり、昨年の成長予測とぴたりと合致している。2017年はだから経済が減速するという予測だという。0.2%の減少を減速というのかどうか。

 そもそもこれだけ世界が激動して経済に波風が立っているのに、前年に予測したGDPの成長予測がぴたりと当たるのは神業である。たぶん中国の経済学者達は今年の状況をすでに神様のように予測していたに違いない。だからたぶん来年もぴたりと当たるだろう。それにしても電力使用量増加率までGDPの成長予測とほぼ合致していることに驚かされる。

 関連したニュース。

 中国税関の発表による2016年1-11月の輸送機器輸入状況についての報告。それによれば前年同期と比べて輸入された航空機台数は対前年同期と比べて69.4%減少した。輸入額は6.4%の減少。大型機が多かったのか。それにしても9月に習近平がアメリカを訪問して、大量の航空機を購入する約束をしたはずで、まだ納入は始まっていないのだろうか。

 同じく税関の貿易統計。上記の期間の船舶輸出数は24.2%の増加、しかし輸出額は17.5%減少した。
 
 同じくハイテク製品の貿易統計。輸出総額は1.9%増加し、輸入総額は1.8%減少した。

 中国国家統計局の農産物輸出入統計データ。輸出は11.1%増加、輸入は0.4%の微増。しかし輸入金額のほうがもともと多いので、約3.7兆円あまりの貿易赤字となっている。 

 おやおや、全体の一部だけしか見ていないとはいえ、中国のGDPが6.7%成長しているという様子が見えてこない。

 アメリカのWTOへの中国提訴により、中国とアメリカの貿易摩擦が燃え上がりそうである。提訴は中国の鉄鋼のダンピング輸出に対してであり、鉄鋼生産国はほとんどアメリカに賛同している。もちろん日本も、である。それに対し中国はWTOの第三国条項を期限を過ぎたのに継続されたことを不当であるとしてWTOに逆提訴した。

 そもそも中国がWTOの条件に合致しない経済政策を採り続け、国有企業によるダンピング輸出を黙認しているのが問題なのであるから、中国の主張はおかしいのである。中国をWTOの一員として認めたことが正しかったかどうかも問題だが、枠組みに組み入れることで勝手な行動をコントロールしようとしたのだろう。しかしあまりコントロールが効いていないようである。 

 第三国条項とは、正式にフリーになる前に、輸出品の価格の基準をその国ではなく、第三国の価格を基準とするというものである。つまり中国が輸出するときにダンピングかどうかは中国の国内価格を基準として判定するのではなく、他の国の価格を基準とすることで、中国にとっては大きな足かせである。

 赤字を垂れ流しても存続している中国の国有企業の販売価格は世界の基準として採用できない、というのが第三国条項で、自由な市場経済が原則の世界では当たり前の話なのである。

 だからWTOがどのような裁定を下すのか。興味のあるところである。

 中国についてはまだまだ書きたいことがあるので続く。

皇室典範の変更?

 民主党の蓮舫代表は天皇の退位の問題について、今回限りではなく皇室典範そのものを改定すべきであると述べたようだ。どこまで改定すべきだといっているのか分からないが、天皇本人が望めば退位が出来るようにするということであろうか。

 以前にも書いたが、天皇はなりたいからなれるものではない。そして、なりたくなくても直系の男子は天皇を引き受けるしかない。退位が本人の意志で可能であるならば、即位の拒否も可能なのであろうか。天皇にそれが認められるなら、皇太子も自分の意思を主張できるのであろうか。そもそもどのように皇室典範を書き換えようというのか。どんな腹案があって改定を主張するのか。

 今上天皇陛下はまじめな人である。自分の役割を命がけで遂行しようと努めておられる。しかし年齢とともに体力が衰え、それが困難になって来たことを感じて退位を申し出られた。だから国民の多くはその負担を軽くするために退位を受け入れようとしている。

 しかし皇室典範には職務遂行が困難な場合には摂政を置くことでそれを代行することができることになっている。退位せずに負担を激減させる方法があるのだ。

 高齢の天皇陛下に激務を押しつけているのは誰か。各省庁は次から次に奪い合うように天皇陛下に仕事を持ち込んでいる。宮内庁は、各省の出向者で構成され、彼等は出身省の要請を断り切れない。繰り返すが、天皇陛下はまじめな人である。きちんと仕事をこなそうと勤めながら限界を超えている自分を感じられたのだろう。

 天皇陛下から摂政の話を持ち出すことはできないと考えておられるとすれば、退位を言い出すしかないではないか。然らば早急に摂政を置くことこそが肝要で、こうして侃々諤々して相変わらず天皇陛下に激務を押し付け続けているのは、いかにも人道的に見えて実は残酷なことである。

 現行の制度の中でできることをせずに、皇室典範の改定など軽々しくいうべきではない。改定にかかる長い時間のあいだに、天皇陛下が疲れ果ててしまうことに思いが及ばないのだろうか。いま必要なのは何より現在の激務を大幅に減少することである。それは検討され、実行されているのか?

2016年12月19日 (月)

世界観

 細部を見れば世の中は原因があって結果が生じている。だからその結果について理由を解釈することはおおむね可能である。しかし世界はその細部の無数の関係から成り立っていて混沌としており、解釈は不可能に近いほど困難である。しかし人は自分なりに世界を解釈する。それが世界観というものだろうか。混沌を人それぞれに解釈するのだからその世界観は千差万別で、まったく相容れない世界観もあることは世の中を見ていれば分かる。それが世界というものだ、という世界観もある。

 そもそも人は自分の視界から世界を見ているので、他人の視界で世界がどのように見えているのか知ることは少ない。自分に見えているものは、自分の思い込みで歪められているのかもしれない。

 人の話を聞き、本を読んで著者の考えを知り、そこから自分の視度を調整できる人はそうでない人より世界が広いだろう。逆に自分の世界を固定化して認識して自らを疑わない人は、世界が狭く歪んでいることが多い。

 民進党の野田幹事長が安倍・プーチン会談をロシアのみに利のあったもので、日本にとって失敗だったと決めつけて批判した。そうであったかもしれないし、そうでないかもしれない。というよりもこれからどうなっていくのか、もう少し見なければ誰にも分からないことだ。そもそも会談の全容が明らかにされていないのだから、断定的な非難はまだ早いであろう。

 安倍首相には安倍首相の世界観があり、プーチン大統領にはプーチン大統領の世界観がある。二人は、自分の世界観が正しいのだから相手は間違っている、というような決めつけをしないで、相手の世界観を承知していますよ、と互いを認め合い、違いは違いとしてどう折り合いをつけようか、という話し合いをしたように見える。

 互いに国益を背負っているのである。簡単にこちらの思惑どおりになるはずがないことなど子供にでも分かることである。だから会談は目的を達していない、国民の期待を裏切った、という批判は誰にでも、いくらでも言うことができる。言うことができても、マスコミのような第三者ならいざ知らず、政治家が言う場合には、自分ならどうできたはずだ、という根拠を持った批判でなければ、ただの罵りである。

 そもそも野田幹事長には世界観があるのかどうか疑わしい。そして他人は自分と違う世界観を持っている、ということすら理解できていないように見える。

 どうしてそう思うのか。以前にも書いたことだけれど、彼が首相だったときに尖閣諸島を国有化した。その国有化直前に、ときの国家主席の胡錦濤と野田首相が立ち話をした。尖閣問題が燃え上がっているときで正式の首脳会談は開けなかったので、わずかな会話の機会だった。

 胡錦濤はもうすぐ10年間に亘る国家主席の任期が終わり、引退後の権力基盤を維持するために腐心しているところであった。尖閣問題に対する胡錦濤の姿勢は比較的に穏やかなものだった。もともとその前の江沢民ほど反日的な言動はしてこなかった人である。そのことが逆に弱腰であるとして中国国内で批判され、それを権力闘争の理由に持ち出されて苦慮しているときだった。

 日本が尖閣諸島を国有化する、という日本の行動は中国にとって火種を棚上げにして置く、という状態から火種を油に投じることになる。それをおそれた胡錦濤は野田首相にその立ち話の中で繰り返し、国有化はしないで欲しい、と懇願したのだ。本音はせめて自分の任期中だけでも待って欲しい、だったろうし、そういったのかもしれない。それを野田首相は相手が下手に出ていることだけを快感として受け止め、にこやかに肯き、そしてあろうことか帰国後二、三日して国有化を内外に宣言した。

 これで胡錦濤の命脈は尽きた。共産党内部での胡錦濤派は批判にさらされ、権力は地に落ちた。その後の胡錦濤の凋落は哀れなほどである。新しい国家主席が権力を本格的に握るのに三年とも五年かかるともいわれていたし、歴代の新国家主席はそこに全力を投じてきた。ところが習近平はときをおかずに権力を獲得することができた。胡錦濤が野田首相のお陰でこけたからである。

 いまの習近平があれだけ強権を持ってやりたい放題ができるように貢献したのは野田首相である。だから野田首相の罪は重いと私は考えているのである。何よりも胡錦濤の懇請の意味にまったく気づかなかったこと、そしてその結果どれだけ日本にとって、東アジアにとって、そして世界にとって害を及ぼしたのが、いまだに毛筋ほども気が付いていないことである。気がついていれば民進党の幹事長になど決してなれるわけがない。恥知らずで愚かな人である。

 その愚かさこそ世界観の欠如、固定化した正義感に基づく薄っぺらな世界観を疑わない知性の欠如の故である。これが野田氏だけの話ではなく、多くの元民主党、現民進党の面々の多くが同様であるらしいことにまことに情けない思いがする。

 野田氏の顔を見るといつもその鈍感さに怒りで頭に血が上る。もちろん中国状勢のすべての責任を野田氏にかぶせるのは大いに間違っており、要因はオバマ大統領の外交政策の判断ミスなど、ほかにたくさんあるけれど、大きな要素の一つだったことを私は確信している。

陳述書

 昨日、ようやく陳述書を書き上げた。いま調停中の案件のために、この二十数年間の経緯と、経済状況についてまとめたものだ。先々週にたたき台の文章を弁護士に提出し打ち合わせして、追記削除を施して完成させた。そのときにブログに書いたけれど、自分に都合のわるいことは一切書かない、そして主張すべきところはデフォルメする、という意味での書き直しである。ただ心情的にあまり好きなスタイルではないので、出来上がったものは弁護士先生には不満だろうけれど、もうこれで良いのだ。

 先週中に作成するつもりだったが、ようやく昨日完成。決定稿を郵送する。記名捺印が必要なので、郵送するしかないのだ。これで特に重大な問題がなければ、弁護士から裁判官に提出される。

 離婚調停から始まって紆余曲折、離婚調停は不調でうちきりなのに、おかしな金銭問題に発展してしまったが、あと二、三回で終わるだろうとのこと。ただ、先方が嫌がらせのためにさらにエスカレートしないとは限らないので、ちょっと心配は残る。だから今回は完勝しすぎない方が良いかもしれないと内心思っているのだが、弁護士先生は理不尽なものは断固排除すべし、と私よりエキサイトしている。もちろん報酬のこともあるだろう。

 金持ちほど金にこだわることをとことん思い知らされた。良い勉強になったけれど、こんな勉強しないですめばそれにこしたことはなかった。早く笑い話にしたいものだ。

2016年12月18日 (日)

葉室麟「あおなり道場始末」

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 豊後・坪内藩の町道場の道場主が不審な死を遂げる。残されたのは茫洋として風采の上がらない長男の青鳴権平、その妹・千草、そして年の離れた弟の勘六の三人。道場主の死に方もあり、後を継いだ権平の覇気のなさと、女だてらに剣を使い「鬼姫」と異名をとる千草の荒稽古に弟子はひとり減り、二人減りしてついに誰もいなくなった。

 米櫃の米も尽きかけた頃、学問の師から神童と認められている勘六の提案で、権平はほかの町道場の道場破りをすることになる。権平はふだんは茫洋としているが、父から秘剣を授けられていた。ただしその秘剣は未完成で、必ず成功するとは限らないという心許ないものであった。

 これは生計のためもあるが、父の不審な死の真相を突き止め、仇を討つことに繋がる、との思惑もあった。彼等が行動を起こしたとき、坪内藩の奥深いところでなにかがうごめき出す。彼等三兄妹弟には、実は秘密があった。

 彼等に襲いかかる危難、それを助ける人、などが入り乱れて事態は思わぬ経過を辿っていく。誰が真の味方か敵なのか。

 葉室麟のいつもの小説とは毛色が違い、コミカルな調子で物語が展開される。その分気軽に楽しめる。もちろん面白い。

 茫洋としている、といえば、「クレヨンしんちゃん」に登場するぼおちゃんを思い出す。みなは半ば親しみ、半ば軽んじているが、実はもっとも軽んじているように見えるしんのすけだけがぼおちゃんの素晴らしさを理解している。

 そんな権平が次第に魅力的に見えてくるというのがこの作品のミソであろうか。こういう話、好きである。

大晦日のこと

 親が存命中のときは、大晦日から正月は実家にいた。正月は朝から飲むので、大晦日は軽く飲むだけにする。弟夫婦が親と暮らしていたので、実家には弟の息子や娘、孫達がそろう。みんな賑やかに紅白歌合戦を見る。

 私は高校生のときに尊敬する教師から、大晦日くらい静かに本を読むのが良いのではないか、といわれてその通りだと思い、それ以来五十年、紅白歌合戦は見ていない。その間は寝床に入って気にいった本を読む。ずいぶん前から知らない歌手やグループばかりなので、無理して見ないのではなく、まったく見たいという気が起こらない。

 漏れ聞こえてくる歌声と笑い声を子守歌に、いつの間にか寝てしまう。だから正月の朝は絶好調である。

 東日本大震災の年に死んだ父に続いて、昨年母も亡くなったので、今度の正月は実家に行かないつもりだ。いまはわが家が実家であるから、息子や娘はたぶん帰ってくるだろうが、彼等が見ていても私は紅白歌合戦を見ることはないだろう。

 さてどんな本を用意しておこうか。 

 大晦日を静かに過ごすのも良いものですよ。

2016年12月17日 (土)

ドラマに人生を見る

 頭にもやがかかったまま暮らしているので、このところ本を読むスピードが著しく落ちてしまい、読みかけの本が山になっている。集中力が低下しているようだ。

 映画も重すぎてなかなか観る気にならず、ドラマばかりを観ている。「相棒」とか「科捜研の女」とか「臨場」とかの一時間ものがちょうど手頃である。何しろ膨大な数が制作されている。その他「コールドケース」(アメリカ同名ドラマの日本版・吉田羊が主演)やその他のWOWOWドラマも多数録画しているので、観てもみても観きれない。

 それでも好き嫌いがあり、主演が嫌いな俳優のドラマは選ばない。わざわざ嫌いな俳優の名をあげる必要もないのだが、あえてあげれば、船越英一郎、名執裕子、藤田まことなどか。ほかにもいろいろいるけれど、この三人がでていれば絶対に観ない。

 犯罪事件ものがドラマとしては面白い。もちろん犯罪が好きなわけではない。事件には被害者と加害者と関係者が登場し、それを捜査する警察や関係部署が登場する。それぞれの人たちに人生があり、それが事件の捜査の中で暴かれていく。

 普通に暮らしている人には事件などたいてい無関係であるが、犯罪の場合はそれが極めで凝縮されて極端な形で現れる。ドラマの登場人物の人生は、ドラマの中では真実生きている。他の人は知らないが、観ているわたしはその最中は真実としてみている。それを妨げるのが嫌いな俳優のでるドラマである。感情移入できない。

 父はシリアスなドラマが嫌いだった。「嘘くさいから嫌いだ」、と口ぐせのように言っていたのは、実は感情移入しすぎるので疲れることが嫌だったのだ、ということが今なら分かる。つまりあまりにまじめに観てしまう人だったのだ。

 NHKの地域発ドラマはなるべく観るようにしている。たいてい単発で、一時間ものが多い。しかしそこに登場人物の凝縮された人生が浮き上がる傑作が多く、忘れがたいものばかりだ。そのかわり、父同様あまりに感情移入してくたびれる。傑作も善し悪しなのである。

すぐに来る

 昨夕、ブログを書いてから食料品の買い出しのついでに近くのスーパーに行って洗濯機を物色した。こんなもんだろうと思うのを選定し、すぐさま購入。店頭展示品なら5000円引きするという。見たところどこも問題なさそうなので(当然店頭でデモ使用などするはずがないから、誰かが触っただけのはずである)それにした。必要ならこれから届けますよ、という。

 そのあと一時間ほどで配達され、あっという間に設置完了。いままでも今度もパナソニックである。配達の人によればちょうど最後の時間が空いていたので運が良かったですよ、という。

 古いものと交換して設置するまえに、排水口回りと据え付けるパンのゴミなどを丁寧に除去して拭き取った。ここが詰まると思わぬ事故に繋がる。マンションでの水漏れは階下に大変な迷惑をかけることになるのだ。以前自分が被害者になったことがあるので、そこは手抜きはしない。 

 お陰でタイムラグなしに洗濯機が使用できるのだが、すでに洗濯は終わっていたので、洗濯物が溜まるのを待たねばならないのが残念である。

2016年12月16日 (金)

壊れる

 そろそろ寿命かと覚悟していた洗濯機がついにご臨終を迎えた。洗濯最後の脱水時に異音がしたと思ったら、がりがりばりばりとすさまじい音を立て出したので、あわててスイッチを切った。

 半年ほど前に排水の水漏れがしていたのでひっくり返して補修した。排水ホースのねじれたところに繊維屑などが詰まって、一部裂けていた。中を掃除して防水テープなどで応急処置をしたが、たぶん遠からずまた水漏れをすると思っていたら、違うところが本格的に壊れたようだ。

 もうずいぶん使い込んでいて、いまさら修理に出すようなものでもない。さっそく明日にでも新しいのを買うことにする。独り暮らしだからそんなに大きいものは必要ない。しかしなにかが壊れると、不思議と続けて次々に寿命が来る。一つならどうということはなくても、重なるとちょっと負担になる。少し間隔を置いてもらいたいものである。

 ここからはニュースの話。

 韓国の大統領候補で、支持率現在三位の文在寅氏が「日韓合意の正当性は認めにくい」と述べた。「認めにくい」、というのは認められないという当人の主張であるのか、法的に正当性がないのではないかという疑問符的な意味なのか分かりにくい。こういうときは「認めない」と自分の意思を明らかにした物言いをして欲しいものだ。

 「日本は公式謝罪をすべきだ」とした上で、「法的責任と謝罪を明確にする新しい協議が必要だ」との見解を示した。

 国と国とが公式に合意して世界に報道されたことであっても、「認めにくい」ことだから白紙に戻すべきであるというのがこの文在寅氏のお考えのようである。このような人とは約束事はできないのだけれど、それが正当な主張だと確信しているらしい。

 さらに、すでに11月に日韓で締結済みのGSONIA(軍事情報包括保護協定)についても、「日韓で、軍事保護協定を結ぶことが適切か疑問だ」と述べている。

 この文在寅氏は韓国のトランプ氏と言われているらしいが、こんな人が大統領になるとしたら、韓国とはさらにおつきあいがしにくくなるから「認めにくい」けれど、トランプ氏のようなこともあるから世の中何が起こるか分からない。

 そんな文在寅氏であるから、彼が大統領になれば、ようやく修復の端緒についたかに思われた日韓の間柄も、私の洗濯機のように壊れてしまうことであろう。

もやがかかる

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 晩酌程度でも、連日飲み続けていると脳はアルコールの影響を受けているらしい。思い立って三日(二日では足らない)酒を飲まずにいると、大げさかもしれないが、なんだかもやが晴れたように感じる。 

 ほとんど毎日、少し古い囲碁ソフトで頭の体操をする。もやのかかっているときとクリアなときとでは明らかに棋力の差があることが分かる。もやがかかっていると、何よりマッタをしたくなるような痛恨の敗着を打つ回数が増える。数独パズルでも自分のレベルが違う。

 アルコールは脳をふやけさせ、麻痺させるものだということは承知しているが、五十年も染みついた嗜好であるから、よほどのことがなければ縁を切ることができない。とはいえ、今日はドライデーにしよう、と決めればそれほど我慢することなく飲まずにいることができる。

 飲めば幸せな気分になる。幸せな気分にならないと思う日は決して飲まない。そんな日に飲むと、家中のアルコールを飲んでしまい、翌日には地獄を見る。もうあんな思いはしたくない。そもそもそれではお酒が可哀想だ。

 大酒を飲むのは相手のあるときに限定している。思いのたけをしゃべり散らして発散する酒になるから、多少の二日酔いですむ。

 それにしても若いときよりも酒の抜けるのが遅くなった。肝臓も酷使に耐えてきたけれど、本人同様年をとったのだろう。何より脳の回復が遅くなった。こうしてもやのかかったような日が増えていき、やがて飲まずにもやのかかった日々が訪れる。

2016年12月15日 (木)

情けない

 「おでん、つんつん男」というのを昨日ニュースで見た。今朝のニュースでこの男が威力業務妨害罪で逮捕されたことを知った。28歳既婚で二児の父親だという。昨日はぼかしの入った画像だったのが、逮捕されたので今日はぼかしなしの映像を見せられた。見るに堪えない愚かな行為を見せられて虫酸が走った。

 面白ければそれでいいのよ、というのがこのような行為をさも英雄行為のようにネットに公開する者たちの考えで、テレビなどで公認され流布されている価値観であることを私も知っている。このバカモノの妻もそれを認めていた。この映像を撮っている男があり、それを喝采する仲間もいたのだ。

 世の中にはしていいこととしてはいけないことがある、などということをいまさら言わなければならないことに情けない思いがする。

 先日韓国が劣化しているのではないか、とブログに書いたが、劣化しているのは日本も同じだと思うと実に情けない。

 福島から避難した子供たちが、それが理由でいじめに遭っていた、乃至遭っている、という報道が続いている。いじめは弱者に向かう。弱いものをかさにかかって集団でいじめる。これはもっとも卑劣なことで、まことに情けない行為である。これが子供の自発的なものというより、おとな達の意図しない使嗾でであろうことが腹立たしい。そして学校側がそれを見て見ぬふりをしたり、相談を受けても無視したり、逆に助長したりする教師がいることも不快である。教師も劣化している。

 この親にしてこの子あり、親の顔が見たい、という。親が劣化しているのである。そしてその親が子供を劣化させている。していいこととわるいことのけじめがしっかりしている親は面白くないかもしれない。しかし、面白ければいい、などと言っている場合ではないのだ。私にはまったく面白くない。

2016年12月14日 (水)

台湾最終日

台湾最期の日は昼過ぎまで自由時間。MRTとロープウエイでいける猫空という台北南部の場所はお茶の産地で、おいしいお茶が飲めてお土産のお茶を買うことができる。そこへ行く計画もあったが、天気がわるくては景色も見えず値打ちがない。


今回は雨にたたられていて、最終日もときどき小雨交じり。やや疲れたこともあり、台北市内を散策することにする。

あの高層ビル、台北101はホテルの近くの中山駅からMRTの淡水線で行くことができる。

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台北101の勇姿。高さ508メートルの台北のランドマークである。89階の展望台までエレベーターで一気に登る。2015年まで世界一の早さだったという。日本製のエレベーターである。

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はるか遠くまで見渡せる。

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整然としたところとごちゃごちゃしたところが入り交じる。

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松山空港が見える。いまは主に国内線。昔は国際線もここが使われたが、いまは桃園が国際空港である。

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南の方は山が迫っている。台湾は日本と同様山が多いのだ。これが大昔は海の底だったというのが信じられない。

猫空はこちらの方角であろうか。

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建造中の高層ビルも目の下である。

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こういうところの道路はどうなっているのだろう?何しろ家があちらこちらを向いている。

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MRTの駅。切符はトークン式。料金を投入するとプラスチックのコインのようなものがでてくる。ICチップが入っているのだろう。ホームドアがあるので電車を覗き込むことはできない。

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主要駅で多くの乗客が降りてがらがらになったあとの車内。
椅子はかたいプラスチックで長時間坐るのはつらい。

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MRTの路線は五つあって、イメージカラーに色分けされている。それを顔色と言うらしい。

このあとホテルに戻り、中山駅近くで昼食。そのあとお茶を土産に購入して桃園空港に向かう。

帰りの便が機材の遅れなどで1時間半ほど遅れて、関空についたのは10時を過ぎていた。

これで長々とした台湾旅行の話は終わり。おつきあい、ありがとうございました。

士林夜市

士林夜市へ向かう。


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これは最後に撮ったものだが、説明のために最初にあげる。

左手の高架が士林駅。右手の丸い球体の頭がでているところあたりがむかしの士林夜市があった場所。いまは私の背後に移った。

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こんな風にアーケードになり、地下街に飲食コーナーがある。このアーケードは途中までで、その先はむかしのままの露天街。

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こういう、食べ物があふれるようにならび、その匂いが漂うところは生命エネルギーを感じて好きである。

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揚げ物の店。つまみたくなる。

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開いたばかりなのでまだ客は少ない。夜の食事に影響しないように、早めに何かつまむことにする。

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彭さんのお勧めの臭豆腐の煮込み。絶品。美味いので、探しても食べる値打ちがある。ただし辛い。鍋の左手にレバーのように見えるのが、鴨の血の固めたもの。豚の血の固めたものはこってりして癖があるけれど、こちらは癖がなくて美味しい。豚の血の固めたのも嫌いではない。

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こういう食材たちを見ていると、ここで暮らしたくなってくる。こんなつまみで毎日酒が飲めたら極楽だろう。

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士林の夜は更けていく。

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こういう店に座り込んで晩飯を食べるのも良いのだけれど、今晩は台湾最後の夜で、ホテルでのディナーが用意されている。

台湾も明日が最後。天気が良ければ猫空というお茶の産地に行こうと思ったが、雨の気配である。台北101に行くことにする。
(つづく)

故宮の秘宝(清朝特別展)

清朝時代の宝物を集めた特別展と、仏像のコーナーを見た。疲れてきたので多少見物に飽きてきた。何より腰が痛い。


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乾隆帝の真筆。

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元の太祖・チンギスハン

画面に私のカメラからの補助光が映ってしまった。めざとくそれを見た係員が飛んできて厳しく注意される。補助光でストロボではない、と反論したが、光は光である。追い出されそうな剣幕になったので謝罪した。反論されたことに怒ったようだ。あわてて補助光なしの設定にする。うっかりしていた。

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こういうのを見ると細工の見事さよりその金の値打ちを考えてしまうのは俗人の故か。

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これは二十面体か。中にフリーの球面が何層も彫り込まれている。彫刻師は一代では彫りきれず、二代三代に亘ることもある。

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こういう顔が好き。エネルギーを感じる。

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いろいろなことを想像させる。見飽きない。

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断食でもしているのだろうか。中性的な感じがする。悟りを開くと中性的になるのかもしれない。

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ここには一つの世界がある。

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酒器。嘴に注ぎ口がある。

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鰲魚。あの高雄の愛河のほとりで見たものだ。龍に変じた鯉である。

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見るのにくたびれたが、写真を撮れて大満足の故宮であった。少し早いが、士林の夜市が4時からやっているというのでそれを見に行く。故宮からは近い。士林夜市は昔歩いたことがある。

さらば故宮。また来るだろうけれどしばしのお別れ。
(つづく)

2016年12月13日 (火)

筋違いなのは承知しているが

 福島県の神社や寺の石像や木像が次々に破壊されて話題になっていたが、犯人らしき男がついに捕まった。一月ほど前に日本にやって来た韓国人だという。壊された像はいま分かっているだけで140体ほど、無人の場所も多いので余罪があるかもしれない。賽銭箱も荒らされ、金が奪われていた。

 お地蔵様や仏像の首を折るという、およそ日本では考えられない行為なので、よほど狂的な異常者だろうとは想像していたが、韓国人であったとは予想外なのか、やはりという思いもあったりしてどう受けてめてよいのかわからない。

 犯罪行為はその犯罪を犯した犯人の責任に限定され、その国籍からその国を非難するのは筋違いである。それを承知の上で今回の犯罪は韓国という国の劣化の象徴ではないかと考えてしまう。

 そういえば靖国神社にわざわざ爆発物を持ち込んで放火した韓国人がいた。彼は彼の信ずる正義の行為を行ったつもりらしいし、今度の仏像破壊の犯人も似たような動機を語りそうな気がする。つまり韓国では、日本人が神聖と感じるものを汚すことが正義である、と勘違いする人たちが多数存在することを窺わせる。そのような気持ちの総和がこのような狂信者を動機付け、異常な行動に走らせているのではないか、と考えてしまうではないか。それなら犯人だけの問題ではなく、韓国そのものの劣化の表れだ、と言いたくなる。

 この事実を韓国の人たちに大々的に伝えてあげるべきではないか。彼等のヒートアップした正義感に少し冷静さをもたらすのではないか。それとも日本に対しては何をしても正義だ、と反発するなら、それは韓国人が劣化したことを自ら証明すことになる。

 ところでたまたまかもしれないが(私が見た限りで)、NHKはまったくこのニュースを取り上げない。何か意図的に忌避する理由があるのだろうか。文化的なもの、民族の大事なものを汚すことの異常さは、つまらない事件(芸人の当て逃げなど)よりはるかに大事な話だと思うがそう思わないのか。

わざわざ韓国からやって来て、福島県で事件を起こすということに意味がある気がする。原発事故が福島で起きたことを韓国人はよく知っている。そして異常なほど放射能に過敏に反応していた。原発から避難して横浜に移った少年がいじめに遭ったのと同じ構造を感じるではないか。つまりいじめをそそのかした親の心性は、この韓国人と似ているだろうということである。考えすぎだろうか。

故宮の秘宝・陶磁器

陶磁器の良さを昔はあまり理解できなかった。いまもどれほど分かっているのかおぼつかないが、若いときよりは「好いなあ!」と思うものに出会うようになった気がする。

きっかけは能登の「南惣」というところの蔵の美術館で見た青磁の皿である。やきものがこれほど魅力的であることを初めて知った。その後、韓国に行ったときにソウルで青磁の盃のようなぐい呑みを購入した。いまも日本酒を飲むときはほとんどこのぐい呑みを使用する。ほかに正月などめでたいときに使用するのは金沢営業所のみんなが餞別でくれた九谷焼の華やかなぐい呑みを使う。

使えば使うほどその良さを感じるようになっていくのが焼き物だと思っている。

その焼き物、つまり陶磁器の秘宝中の秘宝が故宮には多数展示されている。その中から時代順にいくつか紹介する。それぞれの名前や時代はしらべれば分かるのだが、カタログではないので写真だけでご容赦いただく。

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これは食器ではないけれど焼き物である。唐の時代の美人は下膨れの顔だったのだ。これはあの楊貴妃の姿である。

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これらは彩色されていた。唐三彩と呼ばれる。

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豚は富の象徴らしい。

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これ何か?

枕である。夏はひんやりして気持ちが好い。では冬は?
実は中にお湯を入れることができる。つまり湯たんぽのように使えるのだ。

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釉薬を使って絵付けをするようになる。

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青磁の器。こういうのが大好きである。

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これもすばらしい。秘宝だから当たり前だが。

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釉薬の種類が飛躍的に増え、多彩になる。鹿は神聖な動物と見なされている。「もののけ姫」でもそうだった。

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七宝風のやきものが登場。

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この形には意味があるらしいが説明を聞きそびれた。

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細工がだんだん技巧的になってくる。

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デザインや色合いが西洋風なものに影響されているのが分かる。

もっとたくさんあるがたまたまじっくり写真が撮れたものだけを紹介した。

出石(いずし)と城崎

 11日、12日と友人達四人(台湾へ行った四人)で城崎に蟹を食べに行ってきた。友人のひとりが城崎出身なのである。そしてその友人の弟さんは、お世話になった宿の主人と四十年来の友人で、地元で仕事をしている。シーズンの最盛期であるのにそういうわけで部屋が取れた。

 昨年も同じ頃、この顔ぶれに私の娘のどん姫を加えた五人でここでお世話になった。

 今年はこの四人に友人の弟さんも加えて五人で蟹三昧の一夜を過ごした。どん姫は残念ながら仕事で参加できず。翌朝、飲んだ酒の明細を見てその量の多さに我ながら驚いた。みんな六十過ぎのおっさんとおねえさんである。

 私が名古屋から車で行き、ほかの人たちを京都で拾い、昼は出石の皿そばを食べに行った。出石と城崎は近い。地元の弟さんに教えてもらった、「甚兵衛」という店に行ったら、待つ人が行列である。たしかに美味しかったのだが、長時間待たされたのには閉口した。

 腹ごなしに出石を散策したのだが、残念ながら小雨交じりなので写真は撮らなかった。今度もう一度ゆっくりと訪ねて城跡を中心に写真を撮りたいと思う。何しろ山陰が大好きなので、遅くとも来春には行くことになるだろう。

 友人が勧めた出石焼きの小さな店で、ぐい呑みを購入した。出石の焼き物は白磁で、表面に柄が彫り込まれているのが特徴である。釉薬は塗られていない。出石で採れる土が白いので白磁であるのが特徴である。これでまたぐい呑みのコレクションが一つ増えた。

 昨夕には無事帰還したのだが、疲れ果てていてお土産に持ち帰った蟹やその他のものをつまんで一杯飲んで早々に寝た。

2016年12月12日 (月)

故宮の秘宝・青銅器

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鼎(かなえ)。下で火を焚いて煮る。大きいし熱いので上の輪っかに棒を通して担いで運ぶ。

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小さなものはこのように列べて陳列される。

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文様にはすべて意味があって詳しく研究されている。

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なんの器か忘れた。しかし日本がまだ新石器時代や縄文時代の頃、このような青銅器の文化があったことに驚く。

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銅鐸の原型。銅鐸が楽器だったことはほぼ確実とされている。音程ごとに大きさが異なる。

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嘴を持つ鳥のモチーフだが、四本足である。

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これは豚。豚は金が貯まる象徴。中国は古代から拝金主義なのである。筋金入りなのである。

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右は香炉か。まん中はもちろん銅鏡。
(つぎは陶磁器につづく)

2016年12月11日 (日)

故宮博物館の秘宝・玉(ぎょく)

玉(ぎょく)といえばあの「怒髪天を抜く」という言葉を残した藺相如(りんそうじょ)を思い出す。中国の戦国時代、小国・趙の宰相だった藺相如が大国・秦の横暴で、国の至宝の「和氏(かし)の璧」という宝を奪い取られそうになり、命がけで守って意地を通す話である。詳しくはしらべてご覧になると好い。痛快な話である。


玉はいまでも中国でもっとも珍重される宝石である。その玉のいろいろな色と形のもの、いくつかを写真に撮ったので見ていただきたい。

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一番有名なのがこれ。もうひとつの焼き豚は、いま台南に新しくできた故宮第三展示館に展示されていて見ることができなかった(以前見たことはあるのでその見事なことは承知している)。

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ちょっとピンぼけ。胎児の形らしい。

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これが璧の一種。丸いのもあるはずだが、今回撮ったものにはなかった。丸いものの一部が欠けている形のものを玦(けつ)といい帯につけた。

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鳥の頭である。鳥も神聖なものであった。何しろ空を飛ぶのである。

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こんな形の玉は初めて見た。

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美しい器である。

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玉の酒器。

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玉杯。二つの突起は長いひげが酒で濡れないようにするものだそうだ。

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副葬品。蝉の形で死者の口に含ませる。

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豚の形。これを手に握らせる。ともに来世での幸せのためのおまじない。

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本当に彫刻の好きな民族である。

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まさに璧である。

紫禁城の秘宝を蒋介石が収奪して台湾に持ち込んだものが故宮博物館の秘宝である。

ifの話をしても仕方がないが、これが北京の紫禁城にそのまま残されていたならどうなっていたことであろうか。文化大革命もあった。多くが失われ、誰かの死蔵品になり、海外に流失したことであろう。現に、蒋介石が持ち出しきれなかったものがまだ山のように残っているはずであるが、いまだに目録さえ作成されていないという。

すでに多くが横流しされたり、腐朽してしまったに違いない。
だからこの台湾の故宮博物館の宝物は貴重なのである。
(つづく)

九份・聖明宮(3)

この聖明宮にも見事な石版彫刻がある。好きなのでつい夢中になる。何よりこのような田舎の寺にこのようなものが残されているということは、台湾にはそこらじゅうにこのようなものがあるだろうということだ。


たぶん中国にもこのようなすばらしいものが無数にあったはずだが、文化大革命でほとんどのものが毀壊された。そのことを雲南省を旅したときに目の当たりにした。その文化大革命という暴挙の総括を行わない限り、中国はまともな国にはなり得ないであろう。

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この写実の見事さ。

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もっとたくさん撮ったけれど、興味のない人にはうるさいであろうからこれまでとする。

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前回アップするのを忘れていたけれど、昼食を食べたレストラン(と言うより食堂)のガラスの扉にこんなシールが貼られていた。

日本人が良く来るから貼ったのかもしれないが、それでも嬉しいものである。東日本大震災のとき、台湾はいちはやく、しかも中国よりはるかに巨額の義援金を送ってくれた。

1年後、日本政府(民主党政権)は各国に謝意を伝えたが、なんと台湾を無視した。理由は台湾は国ではないからだという。中国に配慮したのであろうけれど、どのような形でも謝意の示し方はあったはずで、無視は信じられない非礼であった。このことをもっても民主党(現民進党)を私は断じて認める気になれない。

その党首が今、蓮舫氏である。彼女はその民主党に在籍し、自分の二重国籍について二転三転ついに事実を明らかにしないままである。二転三転したということはその都度嘘をついたことに外ならないのだが、その口で安倍首相を「息をつくように嘘をつく」と罵倒したそうである。誰が嘘つきか。

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散策後、坂を車の待つ一番下の通りまで下りる。さらばあこがれの九份よ。

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坂の一番下、角に猫グッズを売る店があった。でかい猫が見送ってくれた。

これから台北に向かう。いろいろ見学予定があるようだが、彭さんに頼んで故宮博物館だけにしてもらった。忠烈祠その他は再三見ているし、何度も行くところではない。
(つづく)

2016年12月10日 (土)

九份・聖明宮(2)

聖明宮に祀られている神様達を撮った。


日本のお寺のように撮影禁止などという無粋なこといわないのが嬉しい。そもそも寺は万人に開かれるべきもので、秘仏などといって仏様や宝物を隠して見せないなどというのは仏様の教えに叛くものではないか。金を取って見せるくせに写真を撮らせないのは、絵はがきを売るための魂胆か。テレビ局が来ればほいほいと撮影を許しているのと矛盾するではないか。などといきまいても仕方ないか。

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どの神様がなんという名前かさっぱりわからない。適当にいうかもしれないので信じないように。

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顔の黒いのは関帝様か。

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誰だか知らない。操り人形の顔みたいだ。

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これは天公(玉皇大帝?)か。

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これは女の神様達。

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これも女の神様達。

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お経を上げる坊さん達。道教でもお経を上げるのか。当たり前だけれど。

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向こうに見えるのは碼祖様であろうか。

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童顔だからそうだろう。

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これも関帝様か?

このあと壁の石の彫刻を見る。友人達はベンチでおしゃべりしながらまだ休んでいる。
(つづく)

九份・聖明宮(1)

高台にある九份の一番高いところにある道教ので、聖明宮を見物する。屋根がごてごてしているのが道教の寺院の特徴で、仏教の寺院はずっとシンプルであるので一目で分かる。


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横から見る。あの高い山が向こうに見える。

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正面から。この門の下、左右にベンチがあり、雨が降っても大丈夫。

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唐獅子であろう。口の中に丸い石がある。口を彫るときに彫り込んだもので、口より大きいから取り出すことはもちろんできない。こういうところが凝っているのである。これは右側、左側も同様であった。

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屋根を見上げる。カラフルでまるでアニメの世界である。

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見ていると飽きない。もっともっと細部にも意匠が凝らされているのだ。

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こんな風にならんでいる。

このあと寺院内や両脇の廟の神様を拝観した。
(つづく)

2016年12月 9日 (金)

九份(2)

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湯婆婆のレストラン。我々はその向かいの、やはり見晴らしの良いレストランで昼食。野菜中心の田舎料理だが、私はそういう料理が大好きだ。いつものようにビールとともに食す。

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もう少し引いて撮すとこうなっている。

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これが湯婆婆の湯屋。神隠少女、とあるのは千であり、千尋であろう。中国語の場合、「的」とあったら「の」と読むと意味が通りやすい。

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レストランの席から、遠くの高い山が遠望できる。よく見ると小雨の中を登っている人がいるのだが、この写真では分からない。

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こういう景色は中華的世界そのもの。

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「非情城市」の1シーンを思い出させる場所。

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右手の喫茶店の看板をよく見ると、

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左手、非情城市と木の板に書かれているではないか。

「非情城市」という映画は、台湾の228事件をテーマにしたものである。戦後、国民党軍による知識人達の虐殺があった。犠牲者数はいまでも不明だが、約3万人が殺されたという。国民党が台湾に敗亡してきたとき、先遣されていたのはならず者の部隊だった。彼等のあまりの横暴に知識人が抵抗運動をしたために、知識人が探し出され、殺された。

きっかけはまさにこの場所の近く、貧しい煙草売りの婦人が国民党のならず者に煙草を奪われそうになり抵抗したために乱暴されたことであった。

日本から解放された台湾の人たちの希望は絶望となり、その絶望は計り知れなかった。

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坂の下の映画館。いまも現役で、無料上映している。嬉しそうな顔をしているのはわが親友。

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坂を下まで下りたので、今度は一番上まで登ってみる。思ったより距離はなく、10分ほどで頂上にある小学校前までたどりつく。そこから見下ろしたら秘密基地があった。いったい何をするところか分からない。

この右手を回り込むと道教のお寺があった。歩き疲れたので全員そのお寺の前のベンチで休憩する。
(つづく)

眠れないわけ

 昨晩、眠りについてすぐに目覚めてしまい、そのあと眠れなくなった。眠れなければ眠くなるまで起きているというのが私の睡眠法なので、プリントアウトしてある内田樹老師の古いブログ(2008年のもの)を読んだり、音楽を聴いたりしていた。そのあと数独パズルをしてもまったく眠くならない。きりがないので電気を消して目をつぶった。

 眠れないのにはわけがある。今晩息子が仕事を終えたあと、出張で名古屋に来る。それが嬉しくて眠れない、というわけではない。

 今度の日曜日、台湾へ行った友人達と城崎へ蟹食い旅行に行く。それが嬉しくてわくわくしているけれど、それが理由でもない。

 昨日は係争中の案件で裁判所に提出する書類(陳述書というのだそうだ)を作成し、それを弁護士事務所で弁護士に提出して添削してもらった。大筋では良くできているとの評価だったが、細部についていろいろ助言があり、それを元に最終稿を再作成することになった。そのときに今後の見通しをいろいろ聞いたけれど、どうも今回裁定をする裁判官はかなりくせ者らしく、あまり楽観的ではないようだ。本来なら一度で(前回だけで)すむはずが、あと二回は必要になりそうだという。正直うんざりである。

 相手を慮り節度を持った書き方をした文書が、却って正しい裁定を得られなくなるおそれがあるという。助言では、相手を斟酌した文言はすべて削除、こちらの主張したい部分はより具体的に、さらにデフォルメすることが求められる。

 この世界(法曹界)というのは私にはなじめない世界であることを毎回思い知らされているけれど、今回も強くそれを感じた。礼節を欠いているように見えて嫌いである。

 そのことを反芻したわけではないが、それが眠れない理由だったのかもしれない。医師に処方された精神安定剤を飲むかどうか迷いながら暗闇で輾転反側。あけがたになってから短時間ながら爆睡。

 本日は皇太子妃雅子様の誕生日だそうだ。心身の過労も多少は良くなっているらしいことはめでたいことである。それにしても愛子様の痩せた姿は多少気になる。他人がそう思うのだから、親ならいっそうのことであろう。摂食障害だなどという憶測も飛んでいるらしい。

 思春期に入り、身長が伸びて痩せたように見えるということもある。身体が劇的に変化するときだから心にもいろいろ波風が立つだろう。それでなくとも芸能レポーターのような人たちが騒ぎ立てているからわずらわしいに違いない。

 「愛子様、いまのお気持ちは?」などとほとんど無意味でバカ丸出しの声をかけるレポーターの声が画面から聞こえてきた。こんなレポーターは即刻別の部署に換えるべきであろう。相手に対する敬意も心遣いもない本当の愚かな人間だから、人の心を開かせてレポートをする能力などかけらもないことが分かるではないか。中学生の少女に向かって「お気持ちは?」とはなんたる質問か。それを何とも思わずに流すテレビ局も異常だし、それを見ているわたしたちも変だ。

 天皇陛下の退位の問題がいろいろ検討されている。有識者達も退位を前向きに検討しているようだし、国民の多くも賛意を示しているという。しかし私は今のところ退位には賛成しかねる。天皇という役割は自ら望んでなるものでないものであり、それは同時に自ら望んで下りることのできない役割だと思うからである。

 その職務が遂行困難であったら摂政を置くという方法があるのだから、そうすれば良いと考える。現に大正天皇が職務遂行困難なために、昭和天皇は摂政として代行をされた。それは天皇という仕事に対しての予備訓練でもあるから、皇太子にとってもいきなりその役割になるよりも良いことではないのか。その間に天皇陛下からいろいろアドバイスももらえるであろう。

 もし天皇という役割を自らの意思で下りることが可能ならば、皇太子という役割も下りることができることになる。皇太子殿下は家庭思いのお方である。彼が皇太子であることが妃殿下の雅子様や娘の愛子様の精神的な負担になっていることは誰もが承知していることではないのか。もしそのような負担がなければ、彼女たちがより明るくいきられるかもしれない、と皇太子殿下が考えることも可能性としてあるではないか。

 皇室という存在はそういうものとは相容れないものであろう。そう思えば安易に生前退位(イヤな言葉である)などを軽々に論ずるべきではないというのが私の考えだ。

 朴槿恵大統領の進退問題は、韓国という国を挙げてのショーの様相を呈している。証人喚問の様子を映すテレビのニュースを見てそう感じた。人出の多いお祭りのようである。踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊りゃにゃ損々、とばかりに国民あげて盛り上がっている。それを眺めているこちらも、いささか腰が浮き加減手が動き出し掛けていないことはない。

 友人のひとりが、いったい朴槿恵という女性がどれほどのわるいことをしたのか良くわからない、と言っていた。そんな風な見方をする彼を面白いと思う。全員が非難するとき、待てよ、それほどのことか、と立ち止まって考えるのはわるいことではない。

 韓国の大統領というのは国家元首であり、ある意味で期間限定の天皇陛下みたいなものであろうか。だからさまざまな特権が与えられている。その自発的な期間終了前の退位を迫る国民がいて、法的に退位をさせるべく動いている韓国国会がある。今のところ摂政らしき役割を置くつもりはないようであるから、韓国は事実上国家元首が空位である。北朝鮮の金正恩が正当な朝鮮半島全体の国家元首として登場を待ち望んでいるのではないか。

 次期大統領としていま人気トップの人物は親北朝鮮の人物であるというから全くの荒唐無稽の妄想でもない。慰安婦合意など吹き飛ばされることだろう。何しろ民意優先の国である。この騒動で野党が実権を握り、そのような人物が大統領になったら韓国とは距離を置くことだ。だから朴槿恵がすんなり退陣して良いかどうか、日本のためには考えどころなのかもしれない。考えてもしようがないけれど・・・。韓国のお祭りに浮かれて同調しすぎないことだろう。

九份(1)

いまデスクトップの壁紙にしているのが下の写真。

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九份は、海岸の街である基隆の南10キロ、山の上にある坂だらけの小さな町である。その九份の坂から海を見下ろす。
右手の獅子のようなものにまたがっているのは七福神のひとりでもある毘沙門天の第三王子だそうだ。この第三王子はやたらとあちこちの道教の寺にいる。下に見えるのは基隆の港ではないそうだ。基隆よりも西の小さな漁港かもしれない。

露店街を歩く。

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覚えているだろうか。お釈迦様の頭のボツボツの姿のようであることから、釈迦頭といわれる果物。中は白くてねっとりして甘い。

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この白いものは何か?ゴーヤーである。これをジュースにする。苦くなくて甘いそうだ。

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こういう露店が並んでいるところをうろつくのは楽しくて童心にかえる。

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これは花のお茶。お湯を注げば花が開く。だから透明なガラスの器に淹れるのがよい。ちょっと欲しくなったけれど、迷っているうちにみんなが先へ進んだのであきらめた。

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飴屋さん。伸ばした飴を切りそろえている。こんなのも欲しくなる。

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こんなに人がごった返しているのでうっかりすると仲間とはぐれてしまう。友人にピントが合ってしまった。

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横道を覗き込んだら妙な店がある。なんだ、おとなの男専用のお店であった。いかにも観光地らしくて楽しい。
(つづく)

2016年12月 8日 (木)

花蓮から礁渓、そして九份へ

太魯閣峡谷を堪能したあと、車で花蓮の駅に向かう。本日の宿、礁渓(しょうけい)温泉までは一時間あまりの汽車の旅になる。


花蓮は台湾中部、東海岸の街。台東とならんで、日本統治時代には日本人のほうが人口が多かったところであり、あちこちにその時代のものが残されているようだ。それが韓国のように取り壊されずに利用されているところを見ると、それほど恨まれているということはないのだろう。たぶん恨まれるようなこともしていないと思う。

国民党が台湾になだれ込んできて、台湾にいた日本人はみな帰国させられたはずなのだが、台湾が好きで残った日本人も少なからずいたようだ。台湾生まれで日本を知らない若い日本人も多かったのだ。その人達にとってはふるさとは台湾なのだ。

礁渓は宜蘭(イーラン)という街に属する。ここも知本と同様温泉である。台北に近いから知本より垢抜けているように思う。いつものように駅前で夜のビールとつまみを購入してホテルに入る。

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夜中、飲み過ぎて爆睡したあと、のどが渇いて目覚めた。窓の外を見るとプールのそばの椰子の木が揺れている。

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翌朝のプールサイドの様子。昨夜雨が降ったらしいがいまはやんでいる。なんとか持てば好いのだが。

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前方、山のほうの温泉街の建物。温泉の風景は日本とよく似ている。

昨日の酒がこたえて二日酔いがひどい。同室の友人は最上階の展望露天風呂にいったが、私はその元気がない。ぎりぎりまで寝た。この朝が今回一番ひどい目覚めであった。

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部屋にカードがあってよく見ると、本日(四日目)は天気・曇り、気温・最高21度、最低19度とある。台湾で気温が20度を切るのは寒いとされる。私には雨さえ降らなければ快適なのだが。

じつは何度も台湾に行っているのに九份にいったことがない。ホウシャオシンの「非情城市」を見て以来、あこがれの九份はいつかは来たかったところである。本日は直接山越えして九份に向かう。礁渓から近いのだ。

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九份は、いまは「千と千尋の神隠し」で有名である。湯婆婆の温泉レストランらしきものもあるのだ。だから日本人観光客も多い。

九份の詳しい案内は次回。
(つづく)

必要な人

 内田樹老師は、敗戦のときに殿軍(しんがりぐん)を引き受ける人を高く評価する。もっとも危険な役割であり、生還を期しがたいことも多い。損得勘定で言えばもっとも割に合わない役割である。

 徳川家康も豊臣秀吉も、この殿軍を買って出たことがある。そのときに死んでもおかしくなかった窮地を切り抜けたことで、高い評価を受けてのし上がった。才覚だけでは人はトップに立てない。

 いま、損得勘定だけが絶対的な判断材料となって、殿軍など引き受ける人がいないようだが、不思議なことにそのような人がいるものである。そして万一そのような人が絶滅したとき、社会は崩壊するであろう。

 徳川家康や豊臣秀吉の時代のように殿軍を勤めた人を高く評価するという風潮が失われつつある現代は、そのような社会に必要な人を失いつつある時代でもあるのだろう。

(ここからは余談である)
 在職中に、ある大手商社の元副社長だった人が会社の顧問に招かれた。たまたま私がある役職に昇格したとき、その顧問からリーダとは何か問われた。一ヶ月ほどかけて、ない頭を絞って自分なりの考えをレポートした。それを読んでにっこりしてくれたから間違ってはいなかったのだと思う。詳しいことは忘れたが、リーダーとはチームの責任を引き受けること、そしてチームが気持ちよく働けるようにすることが最優先の役割だと考えていた。

 私のしていた仕事は繊維の産地への営業で、右肩下がりの市場でいかに売り上げを維持拡大するか、そして利益を確保するかというものだった。どうせダメだ、という気持ちになれば即終わりである。競合メーカーは次々に撤退、脱落していった。

 いわば殿軍の役割を引き受けているつもりであった。その中でどうチームのみんなが仕事を楽しくできるか、前向きの気持ちを持てるか、そのことに心を砕いた。

 部下の評価と査定を厳密にすることに重きを置くほかのリーダーもいたけれど、私は多分かなりいい加減な評価をしていたと思う。意欲のほうを評価して成果にこだわらなかったからだ。お客様は神様などではないと思っていたから、理不尽なことは拒否した。それで失うものより必ず得るものの方が多いものだ。覚悟の問題である。

 ある得意先の人から、産地を市場ではなく、自分の生きるグラウンドだと考えてみよ、といわれた。産地の衰退を食い止め、生きのびる方策に参画する意識でことにあたると新しい展望が開けた気がした。

 仕事は必ずしも成功はしなかったけれど、実に楽しい日々を過ごすことができた。仕事がこんなに楽しいと思ったことはなかった。それが退職までの最後の10年間だったので、本当に幸せであった。退職時の送別会で、私と仕事をしたことが楽しかった、と口々にいわれたことで不覚にもうれし涙が出たことを思い出す。

 自慢話めいて恥ずかしいが、年寄りのならいと許して欲しい。

太魯閣峡谷・続き

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隧道を通り抜けると大理石の大断崖が眼前に開ける。山全体が一枚岩である。高さなんと700メートルというから驚く。アメリカのヨセミテ公園の大断崖を思い出した。こういうところを登りたい人もいるのだろうなあ。

少し先に尼寺と、工事で遭難した人たちを慰霊する祠があるという。車で向かう。

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右手に見えるのが尼寺。ここは慰霊碑のあるほこらの中である。

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慰霊碑。このほこらの中から隧道を通って尼寺への道が通っているが、ふだんは施錠されていて一般の人は行くことができない。

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崖に穿たれた道が分かるだろうか。高台にあるのも尼寺の一部。それぞれ崖崩れで何度も再建されてきたらしい。どうやって登るのだろう。

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こんな崖の上にあるのだ。

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さらにその左上にも建物が。これも尼寺の一部。

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精一杯アップにしてみる。

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よく見ると滝のようなところに白い橋が架かっている。景色だけはすばらしいところである。宗教の力は驚異的だ。

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本来太魯閣峡谷はこの先まだまだ続くらしいが、今回はここまで。道路が復旧したらもう一度訪ねたいところである。とにかく絶景の連続で大満足であった。来られて良かった。

2016年12月 7日 (水)

太魯閣峡谷・燕子口

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太魯閣峡谷を歩き出す。全体のスケールが大きすぎて画面に入りきらない。想像以上の絶景だった。台湾に行ってここを見ないのはもったいない。中国の虎跳峡というところの絶景に感嘆したけれど、それに匹敵すると思う。

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太魯閣峡谷のほぼ入り口に近いのがこの燕子口。なぜ燕子口というかというと・・・。

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崖を覗き込むとこのような穴が大小あいていて、そこがツバメの巣になっているからである。

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ところどころのあなからはこのように水が噴き出している。岩盤の水圧で弱い部分が穿たれ、水を噴き出すのだろうか。

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左上の人を見ればこの高さと迫力が分かるだろうか。

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大理石の崖が迫る。河がこの谷を削ったのである。

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こういう狭い谷がしばらく続く。それにしても良くこんなところに道を作ったものである。

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こうして延々とトンネルと絶景が続く。繰り返すが、機械ではなくて人力で掘ったトンネルだそうである。

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来た道をふりかえれば、こんなところを歩いていたのであった。
(つづく)

ニュース雑感

 朴槿恵大統領が、4月の引退と弾劾裁判の結果を受け入れる、と表明した。これは、それまではやめない、ということで、居座りだと非難されている。即時辞任を求める韓国国民の民意に反するというのだ。

 朴槿恵大統領は、自分がわるいことをしたという自覚があるのだろうか。まったく間違ったことはしていない、とまでは思っていないようだ。しかし事実を針小棒大に捉え、国民を扇動して自分を追い込んでいる者たちがいる、というのが彼女の本音だろう。実際のところ、彼女が私腹を肥やしている様子はなく、損得勘定で行動したように見えない。だから彼女は自分はこれほど非難されることが理解できないのであろう。

 ほとぼりが冷め、国民が冷静さを取り戻せば、彼女には立つ瀬があると思いたいに違いない。

 彼女は私腹を肥やそうとする人たちに利用された。利用されただけなのだから罪は重くない、というのは一般人の話である。国民は財産欲のなさそうな朴槿恵大統領に、私腹を肥やす人々の罪を問い、格差の是正を期待した。その期待にこたえないどころか、そのような人たちの尻押しをしてしまった。期待を二重に裏切っていることに国民は怒っている。その国民の怒りの意味が理解できない彼女に対して国民はますます怒る。それは朴槿恵を大統領に選んでしまった自分自身に対する怒りでもあるから深刻なのだろう。

 IR法案がどさくさ紛れに成立しそうだ。いままで取りざたされていながら、店ざらしが続いていたこんな法案が成立してしまう責任の一端は民進党にある。何でも反対を繰り返し、国民は民進党の「反対」に不感症になった。またか、という認識しかない。これが是々非々ならば、時にその反対に賛同も得られたはずだが、すべて反対ではそれも期待できない。

 あのTPPの反対理由が、次期大統領が反対しているから成立の可能性がない、などというのではバカ丸出し(失礼)である。それをまなじりをつり上げて「強行採決の暴挙」と非難していたのを見て、民進党に賛同した人はどれほどいただろうか。安倍首相が、自由貿易を持続するためにも可能性は低かろうと日本は成立を目指すべきだ、という言葉の方がはるかに心ある人に伝わったのではないか。

 それを見てカジノを日本に採り入れたい一部自民党の議員がどさくさ紛れにIR法案として提出したのだ。まことに機を見るに敏である。私は日本にカジノなど必要だと思わないし、そもそも日本は原則としてばくちを禁止している国である。パチンコだって景品交換は本当は違反だけれど見逃されているに過ぎないのではなかったか。それをこんなに簡単に成立させて良いのか?

 だから自民党内部にもこの法案に必ずしも賛成していない議員がいるという。推進していたのは維新の党だというから情けない。それが勢いで成立してしまうという最悪の事態なのだ。そしてそれをもたらしたのが、無意味に何でも反対を続けて、本来反対しなければならないときになんの力もないようになってしまった民進党に責任の一端があるというのが私の考えだ。

 カジノの問題くらいなら良いけれど、もっと大事なことがどさくさ紛れに成立しかねない事態を作りだしたという点で、今回のIR法案の成立の顛末は危険だ。

太魯閣(たろこ)峡谷入り口

太魯閣は以前から是非行きたいと思っていたところである。ところがこの数年台湾を直撃する巨大台風が峡谷の崖崩れを誘発し、道路が寸断されて通行不能が続いていた。今回の旅行の予定に入っていたけれど、行くことはできないと旅行会社から通知されていた。


しかし11月に入り復旧工事が進んで一部が通行可能になったと言うことで、急遽行くことができたのはさいわいであった。本来は峡谷沿いに東西を横切る道路なのだが、まだ全通はしていない。

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太魯閣峡谷の入り口の石碑。人が多い。左手の小さな狭いトンネルを車で抜けていく。右手は立霞渓という河。この河が大理石の岩盤を削り続けて太魯閣峡谷が形成された。山は皆大理石。この下流の街は大理石の産地である。

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車窓から見えた、崖を穿った遊歩道。かなりハードな道である。

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遙かな高みに滝がかかる。

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雨が降ると沢になるのであろう。台風などのときは石も転がり道路などひとたまりもない。このような場所があちこちに見られる。

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はるか上空に架かる懸け橋。少数民族が使用している。追われて山中に暮らす少数民族がこのような険しい場所に暮らしているのだ。

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これはもう少ししっかりした懸け橋。

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遊歩道なので、自由に向こうへわたれる。高所恐怖症ではないが、わたるのはご遠慮したい。

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ここで車を降ろされる。このトンネルは人力で掘られたもの。国民党軍に仕事をさせるために蒋介石がここに兵隊を投入して工事にあたらせた。左手を車が往き、人は崖っぷちを歩く。さあ、これから本格的な太魯閣峡谷の見物だ。
(つづく)

2016年12月 6日 (火)

八仙洞と北回帰線

八仙洞とは大理石の岩盤の洞窟である。


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台湾はもともと全島が海面下にあった。それが次第に隆起して島となったのである。そしてその隆起はいまでも続いている。隆起した大理石の岩盤に波が穴をうがち、洞窟を作る。それがさらに隆起して人が雨風をしのげる場所となる。

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そこで暮らしていたのは石器時代や土器時代の人々である。もちろんもともと台湾に住んでいた原住民である。

ところがその洞窟の地底はさらに隆起していく。ついには出入りが困難な高いところになると、次の低い洞窟に住むことになる。だいたい幅20メートルあまり、奥行き30メートル程度の大きさだという。

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小さな展示館に模式図があった。画面上部は縦方向、天を指す意味の上方向である。上の方ほど古い洞窟ということになる。八仙洞といってももっとたくさんの洞窟があり、出土品の時代も長い時代に亘っている。

この洞窟が見学できるはずだったのだが、いま出土品をすべて博物館に移動して整理しているところであり、洞窟も整備中とのことで、立ち入りができなかった。だから覗き込んで撮れた写真だけとなって分かりにくくて申し訳ない。

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こういう大理石の崖なのである。

次に北回帰線を見に行く。

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北回帰線のシンボル塔。あの塔の基部、正面から見て左右に北回帰線、北緯23度27分が走っている。その線から南は熱帯、北は亜熱帯である。

北回帰線、などというとついヘンリー・ミラーを思い出してしまう。分かる人には分かるであろう。

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横から見ればここを縦方向に北回帰線が走っているのである。向こうは海。説明する彭さんとそれを聞く同行の友人。

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これから向かう北方向を見る。晴れているわけではないが、雨は完全にやんでくれた。

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すぐ近くにあるこれらの建物は・・・、お墓である。十字架がついているが必ずしもキリスト教徒というわけではない。少数民族の人たちの墓である。このあとしばしば目にする。以前は土葬だったが、いまは火葬と半々くらいだろうという。
(つづく)

三仙台

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三仙台はいまは島だが、昔は地続きの岬だったらしい。干潮のときには歩いて島に渡れるときもあるけれど、珊瑚などの保護のため、いまは橋が架けられている。

この橋は岩国の錦帯橋を意識しているそうだ。

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ここは台湾中部の東海岸。海岸に南北に走る海岸山脈があり、さらにその後ろに台湾の南北に台湾の背骨である中央山脈が走る。いまは北の方向を向いている。

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さらにアップする。山が迫っているのが分かると思う。

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これは南側。この海岸線に沿って走ってきたのである。

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時間的余裕がないので一番手前の頂上にだけ登る。いま人が立っているところまでである。

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上から見下ろす。とにかく風が強い。いつも強いが今日は特別だそうだ。雨がやんでいてよかった。

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道筋にこの木が繁茂している。パイナップルの仲間なのだそうだが、実は食べられない。枝が何本も垂れさがるので、日本人は蛸の木と呼んでいたそうだ。

次は石器時代の人間が暮らした洞窟である八仙洞へ向かう。
(つづく)

狙いか意味か

 NHK夜九時からのニュースのキャスターの鈴木菜穂子さんはとても美人だと思う。西洋的な美人と言うより和風の美人で、何を言っても許せてしまう。

 問題はもう一人のキャスターで、以前の大越キャスター(どうして外されたのか?)は好感が持てたけれど、この人はどうしても好きになれない。どうしてかうまく説明できないけれど、日教組に教育された世界観をまったく疑わずに生きている善い人の臭いがぷんぷんするから、としかいいようがない。

 安倍首相が今月末にハワイの真珠湾を訪れて真珠湾攻撃の際の死者をオバマ大統領とともに慰霊するのだという。いつかは必要なことだと思っていたことだが、絶妙なタイミングだと思う。広島の原爆慰霊に訪れるという勇断をしたオバマ大統領に対する返礼としてはとても意味のあることとして素直に受け入れたい。

 この場合に、市民が攻撃対象だった原爆と、軍事的な施設に対する攻撃の違いや、二十万人の犠牲と数千人の犠牲を同列に論じることを非難することはいまは控えるべきであろう。日本はそのような数の違いを過剰に粉飾して喚き続ける中国と同じではないことを内外に示しても良いのではないか。

 そのことをNHKのキャスターは「このことの狙いは何か?」と解説者に質問していた。この場合、普通の人なら「このことの意味は何か?」と聞くだろうと私は考える。些細な違いかもしれないけれど、「狙い」という言葉にはとてもイヤなものがこびりついている。あえてその言葉を発するときにはそのつもりがあるときである。このキャスターには安倍首相の今回の発表がそのような功利的なものであるという認識が透けて見える。

 キャスターはよほどの場合を除き、そのような先入観のある言葉を発するべきではない。これは視聴者に余談を与える。

 せめて「どんな意味があるのか?」と聞いて欲しかった。

 以前からこの人にしばしば違和感を感じていたのだけれど、今日はたまたま具体的な事例を挙げることができた。あまりわかりにくい話かなあ。こんなところがNHKの正しさの中のいやらしさかもしれない。

 ちなみに私は鈴木菜穂子さんと同様、パクチー大好きである(これはニュースを見ていないと分からない話しである。失礼しました)。

2016年12月 5日 (月)

知本温泉と水往上流

台湾三日目の朝。知本温泉は台東市の南西部の温泉で、日本人が統治時代に開発した。温泉は知本の街から知本渓という川沿いに上流にさかのぼる。歩いて行ける距離ではない。中国と違い、台湾では温泉は何もつけずに入る。


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部屋の窓からの景色。白いのはこのホテルの露天風呂の湯煙。少しだけ高台にある。

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目の前に睡蓮の池。

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睡蓮の花が咲いている。

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迎えの車でホテルを出発。今日は少し早めなので、やや二日酔い気味。このホテルは一番知本の街に近いところにある。知本渓という河のそばにある。

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街角のビンロウ屋で彭さんがビンロウを購入。試してみないか、と勧められたが全員拒否。ビンロウは覚醒効果があるのでくせになると言われる。味はとてもまずいものと聞いている。普通は赤い石灰のようなものと噛む。果物などと噛むこともある。口の中が真っ赤になり、ガムのように食べかすを吐き出す。血痰を吐いたように見える。台湾ではそこらじゅうにビンロウ屋があるが、日本ではたぶん禁止されているのだろう。弱めの覚醒剤のようなものなのだから。

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ガイドの彭さんが購入したのは、運転手にあげるため。運転手にはビンロウを常用している者が多いらしい。眠気覚ましである。

今日は車であちこち観光しながら花蓮まで北上する。約五時間。そのあと花蓮から宜蘭市郊外の礁渓温泉へ。ここが今晩の宿。

台東から海岸線を走り出してしばらくして、水往上流という不思議な場所へ行く。

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この坂は上り坂である。左手の水流はそれに沿って流れているのだが、なんと上へ流れている。前を行くのは友人二人。

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この写真では向こうへ上り勾配。水は向こうへ流れている。

錯覚だと承知しているのだが、どう見ても水が坂を登って見えるという不思議な場所である。韓国の済州島に行ったとき、空き缶が坂を登ってころがる場所へ行ったが、それと似ている。彭さんもそのことは知っていた。

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水路の縁に大きなカタツムリが。日本のものよりはるかに大きいが、比較するものがないので分からない。もっともっと大きいのもあるよ、と彭さんが言った。これなら料理して食えるかもしれない。

次の場所、三仙台に向かう。
(つづく)

それほどでもない

 午前中は持病の糖尿病などの定期検診をうけるため、かかりつけの病院に行っていた。数日前まで昼間から飲み、美食する楽しい日々を過ごしていて体重もリバウンドしていたから、血液検査などの数値がわるいことを覚悟していた。体重は不思議なことに数日で元に戻っている。

 たしかに血糖値などは最近の良好な数字よりも悪化していたけれど、正常値をほんの少し超えた程度で、それほどでもない。医師には事情を説明し、楽しい日々を過ごして不眠気味だったのが解消し、精神的にも体調も調子が良いことを伝えた。

 医師もにやりと笑って、「それは良かったですね」という。「まあ羽目を外さないようにこのまま頑張ってくださいね」ということで放免された。

 次回は2月6日の検診。こんなにあいだを置くのは初めてだ。コントロールができている、と認められたらしい。注意ばかりされるよりもその方が励みになることを先生は御承知らしい。

 るんるん気分で帰宅し、近くのスーパーで買い出し。ビールがとても飲みたいけれど、晩まで我慢。とりあえず買い込んだ総菜を並べて昼食を爆食。なにせ検査のために朝飯を抜いている。晩には天ぷらでも揚げることにしようと思っている。酒は残っているかなあ。

台湾の鉄道と民族舞踊

高雄市は台湾の南西部の街である。ここから今晩の宿泊地、南東部の台東市に近い知本温泉に向かう。


特急で三時間弱かかる。鉄道は最南端は通らず中央の山脈を抜けていく。だからトンネルの区間が多い。しかも単線であるからやたらに駅に停車する。特急は停まる駅が少ないだけである。

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社内の様子。座席はゆったりしている。窓外は南国の風景。相変わらず雨が降っている。

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台湾は日本と同じく山地が多い。一番高い山は玉山。日本統治時代は新高山と呼ばれていた。富士山より高い山である。その山地に熊がいて、それがこのようにキャラクターとして使われている。頸に白いものがあるから月の輪熊のような熊と思われる。しかし彭さんは違う種類だ、と言い切っていた。根拠があってとは思えないが。

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車両のまん中にこのような意味不明のアーチがある。風水だろうか。友人は補強だろうという。まさか。

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車窓にこのような人工池がずっと続く。ほとんどが海老の養殖だそうだ。

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駅で普通列車とすれ違う。だいたいどこでも数分待ち。まるで田舎の鈍行である。列車は特急も普通も電車ではなく、ディーゼル車。

知本駅で降りて知本温泉に向かう。駅から遠い。温泉にはコンビニなどがないというので、駅前でビールとつまみを仕入れて晩の備えをする。

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ホテルで夕食後、ロビーの広場で少数民族の舞踊が見られるというので見に行く。おねえさんがいろいろ説明してくれるのだが、途中からなのでよく分からない。前のほうにたくさん客がいて、こちらは一番後ろからなので人のあいだからしか見られない。

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けっこう賑やかに明るく踊る若者達。

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少年と少女が恥ずかしそうに踊る。左の少女が可愛い。

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最後にバンブーダンスが始まったが、下のバンブーが全然見えない。途中で切り上げて部屋での反省宴会に戻る。今日も酩酊の夜が更ける。

ホテルには大きな露天風呂があるのだが、そこへは雨の中を二百メートルほど坂を登らなければならない。傘を差して風呂に行くのも面倒だ。部屋には石造りの深いバスがあり、温泉が出る。こちらで良しとする。ただお湯の出がわるくて溜まるのにやたらに時間がかかった。ほかの部屋は問題なかったそうだ。
(つづく)

本日(12/5)は定期検診日。血糖値などを中心に糖尿病や高血圧、痛風の検査と診察がある。つい先日まで飲み続け美食三昧の旅行をしていたので、あまり良い結果は出ないだろう。
しかし旅はとても楽しかった。生きていることを本当に楽しむことができた。それで好いではないか、と思っている。何より毎日ぐっすりと眠れたのである。
今晩は思い切り美味いものを作って酒を楽しむつもりでいる。本当に懲りない男なのだ。


2016年12月 4日 (日)

高雄・五甲龍成宮(2)

台湾は大理石がたくさん採れる。このたびのハイライトで、後で行くことになる太魯閣(たろこ)峡谷などは全山が大理石である。


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その大理石の彫り物は見事である。フレーミングは粗末だが。

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この龍の彫り物などボリューム満点。たぶん一枚石であろう。

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龍の頭の部分だが、近すぎてなんだか分からない。遠く離れるとその造形の見事さに驚く。

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こういう石の彫り物をどうやって彫るのだろう。例えば柴又帝釈天の木彫りや日光東照宮の猿の彫り物でも感嘆するのに、それをはるかにしのぐものだと思う。

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たぶん物語が彫られているのだろうが、なんの戦いを描いたものか分からない。ただ見とれるばかりだ。

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これはたぶん、水滸伝で武松が虎退治をするところではないかとおもうのだが・・・。

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こちらは龍退治であろうか。

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柱の彫刻。これも大理石の一本彫りである。

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一部分だけを見ても鳥や人物が生き生きしているのだ。
こういう彫り物が好きなので、ちょっと気合いが入りすぎたか。

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雨に濡れる狛犬。空をバックなので階調が飛んでしまった。

このあと遅めの昼食を摂り、列車で次の宿泊地に向かう。
昼食でビールを飲み、さらにビールとつまみを買い込んで列車で飲む。
(つづく)

痛快

 トランプ次期アメリカ大統領と台湾の蔡英文氏が電話で会談したことが話題になっている。中国と国交を結んだ時点でアメリカは台湾を国と認めることをやめ、断交した。台湾は中国の一部であるという中国の主張を受け入れたからである。それ以来現大統領も次期大統領も公的には台湾の国家代表である総統と直接間接に対話をすることはなかった。

 台湾はだれが見ても独立国家であると私は考えている。台湾を国家と認めないのは中国に対するおもねりである。中国に対してもっとも強い態度が取り得るアメリカが中国におもねるのであるから、日本を始め世界中の多くの国がそれに準じた。日本がそれに同調したことを私は強く残念に思ってきた。

 そもそも台湾のことを知る国は少ない。もっとも知るのは日本であろうと思う。ヨーロッパの国々など、台湾が中国の一部であると主張する中国になんの違和感も感じないだろう。地理的なことも歴史的背景も何も知らないのだから。

 そんな四面楚歌の中で、台湾はしたたかに生き抜いてきた。それを支えたのはアメリカであろう。中国の言い分を受け入れながら、軍事的には台湾に組みし、中国が強権で台湾支配に及ぼうとするのを断固阻止してきた。   

 トランプを私は信用しない。選挙のためとはいえ、人格的に問題があるとしか思えないような異常な言辞を繰り返した姿を忘れることができない。しかしながらそのすることに対しては是々非々で見て行こうと思っている。そして今度の蔡英文氏との電話会談については非常に痛快なものを感じた。

 それはキッシンジャーが中国を訪問し、習近平国家主席と会談しているまさにそのときであったからだ。キッシンジャーは、アメリカは今後もいままでどおり中国と仲良くやっていくことを表明していたという。習近平もそれににこやかに答えたようだ。

 アメリカと中国の国交を結ぶ立役者であったキッシンジャーはずっとアメリカの対中国政策の背後にいて影響力を行使してきた。オバマ大統領がここまで中国の拡大戦略を野放しに見過ごしてきた責任の多くにキッシンジャーが関わってきたのではないかと思っている。

 キッシンジャーは自分の進めてきたアジア政策が正しかったという前提に固執し、中国の強大化による情勢の変化に対応する柔軟性を見失っている。すでに過去の人である。今中国を訪問してアメリカを代表したような物言いをするのは老醜である。たぶんオバマ大統領の了承はとっていただろうけれど、トランプ次期大統領とは何も相談などしていないであろう。

 それを見てトランプ次期大統領が台湾の蔡英文総統と画期的な電話会談をするというのは、トランプ個人の考えか誰かブレインの推奨があったのか知らないが、痛快であると思うのである。中国は抗議をするだろう。しかし中国は具体的な報復などアメリカにできないだろう。中国がもっとも嫌がることをして見せても、中国は何もできないことを世界に知らしめることが出来たのではないか。

 大マイナスのトランプに一点だけ加点しておこう。

高雄・五甲龍成宮(1)

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高雄・五甲龍成宮には道教の神様達と碼祖様が祀られている。三階が道教の神々、二階が碼祖娘娘。


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きらびやかさに圧倒される。もうキンキラキンなどというレベルではない。

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上段と下段に神様とおつきの神様がいて名前があるのだが、誰が誰だか分からない。

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とにかくすごいとしか言いようがない。

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中央上の段の、一番偉い神様、台湾では通称天公様と呼ばれている神様。少し奥の、顔が一番大きいのがその神様。彭さんに詳しく教えてもらったけれど、すっかり忘れた。

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お供え物。紙のようなのはお金である。これらのお供え物は金爐(きんろ)というかまどで燃やす。そうするとあの世に届くことになっている。

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お供え物を見張っているのか、魔神のような守り神。

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たしかこれが碼祖娘娘だと思ったが・・・。

後でおみくじを引くために半月型の板を願い事を唱えながら二つ投げて占う。表と裏が一つずつでればおみくじが引ける。両方表、両方裏ならもう一度投げる。三回投げてダメならその日は願いを聞き届けられないのであきらめる。

四人全員一度で成功。くじの棒を引き、その番号の札をもらう。私だけ中吉、ほかの三人は大吉である。口惜しい!そういえば最近あまりいいことないしなあ。

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この彫り物のすごさを見よ!

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見上げれば天井もこの通り。

建物の外側の石の彫り練りがまたすごいのだが、それは次回に。
(つづく)

2016年12月 3日 (土)

澄清湖畔・中興塔と澂清楼

五甲龍成宮へ行く前に澄清湖半の中興塔と澂清楼に立ち寄ったことを忘れていた。


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湖畔に聳える中興塔は高さ53メートル、七階建てである。もちろんエレベーターはない。

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最上階まであえぎながら登る。澄清湖が眼下に広がる。その向こうは高雄の街である。

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雨に煙る湖面をアップする。

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高い建物は高雄一番の高層ビル、高雄85ビルで高さ378メートル。

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時間があるので、蒋介石の高雄の別荘、澂清楼に立ち寄る。蒋介石の遺品が少しだけ展示されている。

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入り口の看板。

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蒋介石は湖畔のこのベンチから澄清湖を眺めるのが好きだったという。大陸から台湾に逃れた蒋介石は何を思っていただろうか。

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視線の彼方にはこの中興塔があったであろう。

このあと神仏混淆の寺、五甲龍成宮に行く。
(つづく)

高雄・澄清湖

高雄の澄清湖に行く。


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澄清湖は杭州の西湖に似ていないことはない。そのことは台湾の人も意識していると思う。前日観光した蓮池譚はいかにも派手派手でエネルギーは感じるものの、現世利益を求めすぎでいささか辟易するが、同じように市街地に近いのに澄清湖は落ち着いて静かなたたずまいである。

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九曲橋の案内。

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このように曲がり曲がっていく橋。上海の豫園など中国各地の名園にもこんな橋がある。これは魔物が通れないようにするため。魔物は直進することしかできないので曲がれない。

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この風景を曲橋釣月と称して、澄清湖の八景の一つとしているようだ。西湖は十景ある。

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橋を渡って向こう側へ行く。

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この建物は高級ホテル。蒋介石夫人の宋美麗が建てたものという。この公園に来る道を愛人路という。中国語では愛人は文字通り愛する人のことである。

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南国風の植物のあいだからホテルを望む。左の樹はたしか南洋杉だったと記憶する。

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この樹なんの樹?

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黒板の樹。

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この花の名は聞かなかったので分からないが、美しかった。

雨が降りつづいているので散策を切り上げ、車で五甲龍成宮へ行く。調整湖畔にあって高い塔があり、澄清湖全体が見下ろせる。
(つづく)

愛河と寿山

高雄のホテルは愛河のすぐ近くにある。朝食を早めに済ませ、出発時間までゆとりがあるので、小雨交じりだが散歩に出る。


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愛河を向いて鰲魚という龍の一種が聳えている。

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後でこの龍の名前と読みを教えてもらったが、うろ覚えで、読み方は忘れた。鯉と龍との合体したものだと言うが、たしかにしっぽは魚のものであった。登竜門と言うが、鯉が滝を登り切ると龍に化すという伝説がある。その龍に化した鯉なのかもしれない。

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愛河の景色。

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天気がよければここで過ごすのもよいが、とにかく雨の中である。早々にホテルに帰る。

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泊まった高雄アンバサダーホテル。

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部屋の窓からの景色。愛河とは反対側である。

迎えが来て高雄で一番高い寿山公園に向かう。

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寿山公園山頂にある忠烈祠。ごらんのように雨である。

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雨風はますます強くなり、傘を差しても濡れてしまう。写真を撮るのが難しい。

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雨に煙る高雄港を見下ろす。

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アップで港を撮る。ズームレンズに雨がかかり、動きがわるくなる。あわてて車に戻る。

このあとは高雄一の名勝、澄清湖に向かう。雨よ、やんでくれ!
(つづく)

2016年12月 2日 (金)

高雄・六号二路夜市

高雄の夜市の一つである六号二路の夜市に行く。


台北が日本の東京だとすると、高雄は大阪である。台北はICなどの会社が多く、南部の高雄は重化学工業の盛んなところである。

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夜市の入り口。独特の喧噪と屋台の食べ物の匂いがあふれている。

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画面右のめがねの男性が、今回の旅のガイドである彭さん。若いときは商社マンだったらしい。宗教にとても詳しく、とてもいいガイドだが、何度もビンロウを試せと勧めるのに閉口した。

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果物屋。右の緑色のものが釈迦頭という果物。ねっとりとした食感。私はあまり好みではない。台湾南部にはこの果物を栽培している畑が多く、ちょうどシーズンである。

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屋台の後ろの店に蛇屋があった。試してみたいがホテルで食事したばかりである。今度にしよう。

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おねえさんたちがいるのだが、何をする店か分からない。けっこう男連中はそのあたりにたむろしているのだが、最後まで分からなかった。

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右は海老、まん中はイカ、左は田ウナギである。田ウナギはとても美味しいので私は大好き。残念だがこれもパス。

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ここも魚介類を売る店。頼めばすぐ焼いてくれる。手前の細長いのはマテ貝。ここのは太くて大きい。美味そうだけれどこれも残念ながらパス。上海に行くとよくマテ貝の炒めたのを食べた。よだれが出そうだ。

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カモ料理の店。特に売りはカモの頭。

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カモの頭。酒のつまみに良さそうだが、ちょっと大きすぎる。

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そこでまん中のカモの舌を買ってつまんだ。ほとんど硬い軟骨で身をこそげ取って囓る。美味しいと言うほどのものでもない。本当に漢民族は何でも食べてしまう。

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臭豆腐の店。臭豆腐を揚げてくれる。厚揚げのようなものと、スティック状でポテトフライみたいなのとがあった。

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厚揚げ風のは台北で食べたことがあったので、今回はポテトフライ風のを食べてみた。臭豆腐の臭いがあまりしないのでもの足らない。彭さんに聞いたら、最近臭豆腐の臭いが弱くなっているそうだ。たぶん臭いが強いと売れないのかもしれない。観光客が多いからだろうか。

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台湾名物のカラスミ。日本よりはるかに安いが、値段なりの味である。酒で戻してあぶると美味い。

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横手の露地を一枚撮る。

夜市の散策を終えて満足し、ホテルに戻って近くのコンビニでビールとつまみを購入し、本日の反省会をした。大いに盛り上がり、夜は更けていった。
(つづく)

高雄・蓮池潭(れんちたん)

左榮駅から高雄市内の蓮池譚へ行く。


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蓮池と言うけれど、睡蓮と蓮が両方見られる。昔は湖面がすべて蓮でおおわれていたそうだが、いまはこの周辺だけになったそうだ。

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大きなガジュマルの木の下で一休みする観光客達。台湾の人、中国人観光客、西洋人達などさまざま。

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そこから池の方を見れば、二つの塔が見える。左が龍の塔、右が虎の塔。必ず龍の口から入り、虎の口から出ないといけない。塔に登るのが正しいコースだが、パスしてただ口から口へ通り抜けた。

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そこから中国独特の屈曲する橋を歩く。

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こんな景色が橋から見える。そんなに大きな池ではない。さいわい雨はやんでいる。

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夕方なので蓮の花は閉じている。

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遠くの方の湖面に突きだしたところに神様がいる。何という神様か聞いたけれど忘れた。大きい。

その後道教の廟(寺)をいくつか見物した。

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たしか商売の神様になってしまった関羽像だと思う。

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中国の狛犬は立派なものが多い。これは特に見事である。

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タイから来た四面(顔が四つ)の仏像。見た通りキンキラキンである。

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道教の寺は色彩豊富で彫り物がすばらしい。ちょっとごてごてしているけれど。

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紫禁城のような龍の彫り物。

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なかはここもキンキラキンである。こちらの寺は薬や医療の神様で、健康長寿を願うところだそうだ。たくさんの財産を得ることを願い、健康長寿を願う、ストレートな願いである。そこに精神性はあるのだろうか。そもそも道教のメインの神様である老子はそのようなものを否定する人だったはずなのだが。

道教の寺ではたくさん写真を撮ったが、ほんの一部のみ抜粋した。ほかでもたくさん撮ったので、その都度掲載する。

ここを散策したあとにホテルで夕食を摂りに戻る。その後、高雄の夜市に行く。夜市を歩くのは楽しくて大好きである。
(つづく)

台湾へ行く

私も含めて友人達と四人で台湾に行く。

関空から朝の便で桃園空港へ飛ぶので前日に天王寺に泊まる。夕方ホテルに入る。

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ホテルの部屋の窓から身を乗り出してあべのハルカスを写真に撮る。あべのハルカスは高さ300メートルで、現在日本一の高さを誇る。ちなみに台北にあるTAIPEI 101は高さ508メートル、今回の旅の最終日に展望台に登った。

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ホテルから歩いてすぐのところに茶臼山という小高い丘がある。ここは冬の陣のときの徳川家康の本陣跡で、夏の陣のときの真田幸村の本陣跡である。ドラマ「真田丸」で御承知のように、夏の陣では真田丸はすでに徹底的に破壊されてしまった。

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傾きだした夕陽を浴びる茶臼山。一帯が天王寺公園。茶臼山の下には池がある。

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逆光に通天閣が映える。さあ明日は台湾だ。

朝早くに天王寺から関空へ。入国手続きをすませた後、いつものように友人と朝からビールを飲む。今回はJTBのラウンジが使えたので、そこでタダ酒とタダおつまみである。

さらに中華航空の機内はサービスがいい。ビールもワインも頼めばいくらでもいただける。桃園空港に着く頃には出来上がっていた。何しに来たのだ!

桃園空港から桃園駅へ行く。一日目は台湾の新幹線、現地では高鐵(高速鉄道)にて台湾南部の高雄(カオション)向かう。

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高鐵の終点は左榮駅、高雄市内にある。

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高鐵がホームに入ってきた。台湾の駅員はうるさい。黄色い線から少しでもはみ出すと、けたたましく笛を鳴らされる。列車は12両。始発はもちろん台北で、この桃園は停車時間が短い。すぐ乗れ、といわれる。

中は日本の新幹線によく似ているが、新しいからか揺れははるかに少ない。すべて日本の技術で作られている。そして台湾の人は胸を張って日本の技術で作られたと言う。中国製でないことを喜んで自慢する。こう手放しでは面はゆい。

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車窓に雨がかかる。桃園駅でぱらついていたのが本格的に降り出したようだ。車窓からの景色が雨に煙る。

何しろ最高速度310キロであるから速い、速い。

このあと高雄市内の観光地を散策する。
(つづく)


2016年12月 1日 (木)

帰ってきました

久しぶりの台湾旅行を満喫して、先ほど帰宅した。

昨晩には帰国していたが、もともと名古屋に帰れない時刻だったので、大阪に宿をとってあった。飛行機の部品か何かの届くのが遅れたとか言う理由で1時間半ほど出発が遅れ、ホテルに着いたのはほとんど12時であった。宿をとってあって良かった。

ところで、多くの方々から出発のときにコメントを寄せていただいたが、すでに出発した後だったのでお返しができず申し訳ないことであった。ここにお礼を申し上げてコメントのご返事としたい。

午後帰宅して、洗濯したり、雑用を片付けたり、写真をパソコンに取り込んだりしてようやく一段落したところである。

今回はあいにくほとんど雨まじりの日々で、傘を差しながら写真を撮るのに苦労した。それでも大変嬉しいことがあった。

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この写真を撮ったのは私である。四日目に行った故宮博物館は、何と今回特別に撮影が許可されている日だったのだ。ご存じの方も多いと思うが、白菜とキリギリス、そしてイナゴだそうである。左肩にイナゴが見えますか。これは故宮の至宝。天然の玉(ぎょく)を彫ったものだ。

とりあえず帰国の報告とブログ再開のお知らせです。

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