年末なので
年末の仕事としては年賀状と大掃除が残っている。25日が年賀状の受付最終日ということ(元旦配達が約束されるという意味らしい)だが、23~25日は郵便局は休みではないか。つまり22日までということか。毎日が日曜日なのでついうっかりした。今頃気がついてももう手遅れだ。何とか26日には投函できるようにこれから手をつけることにしよう。
当然大掃除はその後だ。例年どおりそれほど徹底してやるつもりもないので、子どもたちが帰省してきたときに、父親の呆けを心配されない程度にすれば好いだろう。
その子どもたちはいたってクールである。いつ帰省してくるのか、こちらから聞かなければまず連絡はない。「明日帰る」とか、ときには「今日これから帰る」などということも平気だ。こちらは帰ってくるなら部屋も片付け、美味しい酒と食べ物を用意したいが、それでは間に合わない。別にそれほど帰りたいわけではないが、帰ると喜んでいるから顔を出してやろうか、という慈悲心で帰ってくるようである。自立するように育てたのだから仕方がないのだが、彼等は私もクールだと思っているようだ。私は見かけよりもウエットなのであるが。
「いつ帰る?」と聞かなければ帰ってこないこともあり得る。彼等なりに休みだからやりたいこともあるかもしれない。自分がそうだったからよく分かる。でも私は自分の親が、私が帰省するのを当たり前だと考えていたことを知っていたし、帰ると喜ぶのも分かっていたからほぼ必ず正月は実家にいた。孫である私の子供たちの顔を見ることを特に喜んだ。だから子供たちは私の両親である祖父母が好きだったと思う。
正月だからといって、ふだんどおりに過ごしてもどうということはないだろう。しかし人間にはむかしから伝えられた伝統とか文化を継承することも大事だと思う。そういうものをどんどん廃れさせていくことで失われるものを現代は軽んじすぎているのではないだろうか。
失われたものは取り戻せない。文化というのは民族の個性のようなもので、それが刷り込まれて継承されてきた。個性を尊重せよ、といいながら文化を喪失していくのはおかしなことである。個性とはほかと違うもののことと思われそうだが、その違いはほかと共通するものをたくさん共有する社会にこそなり立つものだろう。オリジナルを強調しすぎて共有するものを見失えば、それは個性ではなく異端である。
その共有するものこそ文化であり、季節の行事の根底にあるものだろう。しきたりはこだわりすぎる必要はないけれど、軽んじるべきものではない。そこに敬意を持たない者は文化喪失者で、例えばわざわざ韓国からやって来て、福島の神社仏閣の石像や木像や墓を破壊したような異常者の姿である。韓国に民族的な退廃を感じたのはその故である。
年賀状もおせち料理も初詣も、それなりに必要なのだと思う。年末だからそんなことを考えた。
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コメント
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こんにちは。
年賀状、一筆添えて書き終わりました。
年々枚数は減っております。
旅立たれた方やもう年賀状はやめますなどなど・・・。
私共は年に1回のご挨拶と思っております。
お子様方、きっと楽しみに
お父上のもとにお帰りになられることでしょう。
親子水入らずで大晦日、そして新年をお迎えくださいませ。
投稿: マコママ | 2016年12月22日 (木) 14時30分
マコママ様
いま大車輪で作成中です。
毎年、来年こそもう少し心のこもった年賀状を作ろう、と思いながらやっつけ仕事になります。
心のこもった年賀状を受け取るととてもうれしいものなのですが・・・。
投稿: OKCHAN | 2016年12月22日 (木) 14時41分