大酒飲みとリンゴ
母方の祖父は成田空港に近い多古というところの出身である。いまもそうだが、田んぼの多い田舎だ。祖父の父親は大酒飲みで、毎晩とっくりの冷や酒を時間をかけて飲む。なくなるとおつもりなのだが、しばしばもっと飲みたくなると祖父を酒屋まで行かせた。
夜道をてくてくと歩いて酒屋まで行き、量り売りの酒をとっくりに入れてもらう。夏以外は子供には寒いし夜の闇は恐ろしい。そこでその徳利の酒にわらしべを突っ込み、ちびちび飲みながら帰る。飲んだのが知られないように水を足す。
「なんだかこのごろ酒が薄いなあ」と祖父の父親はいったそうだ。そんな祖父であるから酒は好きだし強い。八十を過ぎても正月などは五合くらいぺろりと飲んだ。若いときはどれほど飲んだろうか。母の下に弟たち、つまり私の叔父が三人いる。長兄はそれほどでもないが、下の二人は酒豪であった。正月は一升瓶が次々に倒れ、ウイスキーの瓶が空く。高校生くらいから下戸の父に代わって私がその席に参加した。もちろん酩酊するほど飲みかけると追い出された。いつかとことん酩酊してみたいと思った。
大学に入り、その願いはすぐ叶った。何度ものつらい体験を乗り越え(そんなもの乗り越えなくても良いのだが)、いつの間にか人並みよりもたくさん飲めるようになっていた。
しかし世の中にはレベルの違う大酒飲みがいる。山形という酒飲みの多いところで、しかも寮で暮らしたから、酒が飲めるかどうかで居心地が違う。そこで仲良くなった連中は例外なく酒飲みであり、親友となっていまもつき合っている友人はその大酒飲みであった。二升は軽く飲めた。わが家に彼が遊びに来るときは必ず一升瓶を三本用意したものだ。母は自分の親や弟たちが大酒飲みだから笑っていた。どちらかと云えば嬉しそうだった。父は自分が酒を飲めないから目を丸くしていたが、友人が来ることは大歓迎であったから喜んでいた。
その大学時代からの親友はいま長野県の松本にいる。時々遊びに行く。明るいうちから飲み始め、たいてい気がつくと二人とも討ち死にしている。親友の嫁さんはいつもあきれ果てている。
歳暮は彼に日本酒を贈る。そして彼からは大きくて立派なリンゴが送られてくる。そのリンゴを食べながら、いつまた松本へ行こうかな、などと考えている。
« 中国ウオッチ(3) | トップページ | 年末なので »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 雑感(2026.09.06)
- 天気が好いので(2026.09.05)
- 外は雨(2026.09.04)
- 確かにそうかもしれないけれど(2026.09.03)
- 騒音(2026.09.03)
コメント
« 中国ウオッチ(3) | トップページ | 年末なので »


OKCHAN さん

大好きは遺伝するのね



父親一族お酒と、もち大好き家族。
胃がん末期3年療養中。
母にストローで飲ませてもらっていた
美味しい・オイシイ
もちもかまないで、
1日3個飲み込んでいた(^_-)
我慢しないのがいいのね
投稿: ちかよ | 2016年12月22日 (木) 10時46分
父方の祖父を思い出しました。
大変な酒豪で88歳まで生きました。当時としては長生きだと思います。
父も負けず劣らずの酒豪でしたがこちらは54歳という早死に(-_-)
昔、東北の人間は酒を飲まない、飲めない人間は相手にしませんでしたね。
したがって、下戸の我が夫、私の実家に行くのに気おくれしていました。
私も内心恥ずかしかった^^
投稿: おキヨ | 2016年12月22日 (木) 11時44分
ちかよ様
実は私の父方はすべて下戸です。
ビールをコップ一杯飲んだだけで真っ赤になってフウフウいいます。
だから自分から酒を飲むことはありません。
母方は酒飲みですが、父が飲まないので母もほとんど飲みません。
だから私は偏った隔世遺伝です。
投稿: OKCHAN | 2016年12月22日 (木) 12時09分
おキヨ様
父方の実家は山形で、私たち家族が住む千葉からは遠く、祖父母も私が生まれる前に死んでいるので、正月は母方に集まるのが習わしでした。
父がまったく酒が飲めないし、飲む気もないので、小さいときから私が父の代わりに祖父や叔父達の相手をして酒をなめていました。
美味しく感じたと思ったのはおとなあつかいが嬉しかったからかもしれません。
投稿: OKCHAN | 2016年12月22日 (木) 12時17分