仁木英之「僕僕先生 神仙の告白」(新潮社)
「僕僕先生」シリーズの第十弾、「旅路の果てに」という副題がついており、帯にはラスト直前とあるから、次巻が最終巻となりそうである。
いままでは、西遊記で言えば物語の中盤の個別の地区での妖怪や異界との戦いであったが、前回あたりから神仙界と僕僕や王弁との、存在をかけた戦いに転じつつある。西遊記の序盤の孫悟空の戦いの様相を呈し始めている。さらに仏界までその戦いに関わり始める。だからすでに佛によって悟りを開いたはずの孫悟空や猪八戒、沙悟浄もこの物語に関わってくるのだ。それはこの世界、つまり宇宙の存亡がかかる戦いになりかねない。
そもそも外観は美少女の姿をした仙人である僕僕が過去に実際に関わった宇宙の存亡をかけた戦いの再現のように神仙界の神々や仙人には見えるのだ。だから僕僕を亡き者にしてこの宇宙を存続させるのだ、と云う一派と、この世界を一度終わらせて作り直そうという一派に別れての戦いにもなっていく。
その中で、無敵の僕僕はなぜか無力となり、ただの人間だったはずの王弁が宇宙存続の鍵となるかもしれないという、いままでからでは信じられないような展開がやってくる。
こうなると光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」の描く宇宙ではないか。宇宙にも興亡がある。無限のときの中で生じ、そして滅する。この銀河宇宙もたかだか130数億年前に突然生じたのだ。突然消滅することもあるだろう。
その因果は何に起因するのか。そんな(おおぼら)話を楽しませてもらっている。僕僕が、そして王弁が真に目覚めたとき、世界はどうなるのだろうか。次巻が待ち遠しいではないか。
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おはようございます。
先日は私の拙い文を見ていただきありがとうございます。
この本は私も持っていますがまだ読んでいません。
早速読んでみようと思います。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年1月 6日 (金) 07時18分
Shinzei様
面白かったですよ!
Shinzeiさんもこういう本を読むとは知りませんでした。
投稿: OKCHAN | 2017年1月 6日 (金) 08時16分