法的書類の罠
一昨日、弁護士事務所で打ち合わせをした。相手方の提出してきた書類について私の考えをまとめたものを弁護士に見せ、相手の要求する私の資産の資料の一部を渡した。
話していて話しがかみ合わない。これはいままでにもしばしばあった。よくよく話をつき合わせると、先方の書類のレトリックに私が引っかかっていることに気づかされた。法的書類はくどいほど主語は誰であるかを明確にする。それの繰り返しの中にぽんと主語のない文章が組み込まれていて、そのまま読むと私の話にしか読めないようになっている。ところが、そう解釈して同意であると回答すると、実は先方の主張を認めたことになる、と云う仕組みになっている。具体的なものを見せられないのが残念である。このレトリックには裁判官も慣れているので当然と考えていて、一度同意するとその前提で話が進んでしまうようだ。恐ろしいのである。打ち合わせて良かった。
こちらの感情や主張は正直に言いすぎると裁判官が誤解する。裁判官がどう受け止めるかを斟酌しながらものを言わないと心証を害する。人間は自分に都合の良いことをいうものであり、弁護士は信用できないもの、と裁判官は考えているのかもしれない。裁判官の心証が決定的な判断につながりかねない。
こちらから見ると、今回の先方の主張がやや常識を欠き、矛盾も多いことに弁護士も呆れており、「落としどころを考えるよりも全面否認で行きましょう。ファイトが湧いてきました」という。
さてこれから家庭裁判所で審問が始まる。どうなるか。胃がキリキリする。これで終わりになれば良いけれど、それは難しいようだ。
まさか相手がこのブログを見ているとは思えないが、万一のことを考えて、審問が終わった頃アップするように設定する。
結果はまた書くことになると思う。引き続きいやな思いが続くのか、いちおうの区切りがついてほっとするか、晴れやかな気持ちになるか・・・・。
どちらにしても今晩はいつもよりちょっとだけたくさんお酒を飲むことにしている。
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