じっくり楽しめそうな本を手に入れた
人があまり読まないだろうと思うけれど、気にいっている本がある。ときどき手に取り、少しずつ読む。何度も読んでいる。少し自慢めいているなら申し訳ない。ちょっとその気もあるのは確かだから。
一冊は桑原隲蔵著「考史遊記」(岩波文庫)という明治時代に書かれた中国旅行記である。このブログを始めた初期の頃、文語文で書かれたこの本を現代文に直して一部を紹介したことがある。桑原隲蔵は白鳥倉吉や内藤湖南と並んで東洋史学の創始者のひとりである。桑原武夫の実父であり、「くわばらじつぞう」と読む。
「考史遊記」には著者自身が撮影した写真が後半にまとめて多数収められている。本文を読みながらその写真を見返し、当時の様子を想像する。当時の中国は、道路はもちろん舗装されておらず、ぬかるんで泥濘となった道を苦難して旅行したことが記されている。また貨幣が地域で違い、その両替も苦労のタネであった。宿も整備されていないから寝る場所を確保するのも大変だった。また太平天国の乱のあとでもあり、まだ殺伐とした空気が残り、その時代の現実が透かし見える。
歴史学者だから訪ねるのは遺跡である。その遺跡は惨憺たる有様で、写真で見てもよく分かる。いまのように観光地の体裁はまだない。埋もれたものを埋もれたまま見ながら遙かな歴史を脳裏に浮かべる旅だ。その驚異的な博学が駆使される回想だから、わずかな文章の中に膨大な思いがこもる。
もう一冊は張岱(ちょうたい)と云う人の書いた「陶庵無憶」という本。訳は松枝茂夫、これも岩波文庫に収められている。私はワイド版を二冊もっている。二冊あるのは、一冊は風呂で読みながらうっかりして湯の中に落としたので、ごわごわになっているからだ。それでも必死で頁がくっつかないように剥がし、重しで平らにしたからほぼ原型に復している。却って愛着があって、そちらを良く手に取るが、外に持って出るときは綺麗な方にしている。
張岱は明の時代の大富豪の息子で、商売よりは文人としての才能のある人だったようだ。その博覧強記ぶりは想像を絶する。記憶力が尋常ではないのだ。やがて明が滅亡し、清の時代になり、財産は戦乱で失われてしまう。大事にしていた膨大な書画骨董はことごとく散佚し、栄華の夢から醒めた杜子春みたいな晩年を送る。
彼の回想録がこの「陶庵無憶」なのだが、これはそのまま絶品の随筆集なのである。本文と同量の注釈があり、それが懇切を極めている。その注釈をさらに漢和辞典で調べなければならないほどこちらは無知なのだが、それが苦にならない面白い本なのだ。通読は二回だけだが、折に触れて開く本である。
そして今回手に入れたのが、「西遊草」という本だ。書いたのは清河八郎。山形庄内出身の幕末の攘夷派の志士で、山岡鉄舟などと親交があった。そもそも新撰組が募られたのはこの清河八郎の幕府への建議による。幕府に金を出させて尊皇攘夷の志士を募集させるという奇手を思いつくのが清河八郎という男である。
幕末について書かれた物語で、清河八郎はヌエのような、得体の知れない妖人のような書き方をされることが多い。策士過ぎて信頼されない人という評価のようだ。しかし藤沢周平は同郷の人として、あるがままの清河八郎を描き、その事跡を明らかにしている。
私も父の生まれが清河八郎の出身地である最上川沿いの清川から近いので、以前から清河八郎に興味をもっていた。一昨年清川に清河八郎記念館を訪ねたが、たまたま休館中であり、昨年春にもう一度訪ねて展示物を見ることが出来た。しかし撮影禁止のために展示物の紹介が出来なかったのは残念である。清河八郎の事跡を世に知らせるのが記念館の主旨であるなら、撮影をさせても良いのではないかと係の人に言ったが、館長不在のため、埒があかなかった。
ここには大きくて見事な山岡鉄舟の書がある。生涯の友だったようだ。清河八郎はその傲岸と見える性格のため、ついには暗殺されてしまう。ちなみに清川は松尾芭蕉が最上川を船下りをしたときの再上陸の地である。
この記念館で清河八郎に「西遊草」という旅行記があることを教えてもらった。若くしてふるさとを出奔し、迷惑をかけ続けた母だったが、あるときその母を連れて庄内から日本海、そして名古屋から伊勢参りをし、関西、四国、中国地方を経て京都、江戸、日光をめぐるという足かけ7ヶ月の大旅行をする。
その旅行記が「西遊草」なのである。記念館で見せてもらったその本が案外読みやすそうなので、その後本屋で探し続けたが見つからずにいた。アマゾンで調べたら古本で何冊かあるのを知り、今回ようやく手に入れたのだ。
読んでみると旧仮名遣いのままの本文ながら、古文の苦手な私でも苦労せずに読める。清河八郎は勉強家で素養が深かったから、文中にはいろいろの知識が散りばめられているけれど、それを丁寧な注釈が補ってくれるので分かりやい。校注は小山松勝一郎、こやまつ、と読むらしい、珍しい名字だ。
紀行文は好きである。これも楽しみながら読める本として愛読書の一冊になる気がする。
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