見た目が変わると自分も変わる
「気の弱り」という私のブログにいただいたコメントに返事を書きだしたら、昔のことを思い出した。書いたコメントに重なるけれど、あらためて書いておくことにする。
私はいまは身長183センチ90キロという巨体だが、子どものころはひょろひょろの虚弱児だった。運動が本質的に苦手であり、だから嫌いだった。懸垂は一度もできず、跳び箱をすれば頭から砂場に突っ込んで怪我をした。運動会は最後尾ではないけれど、三等賞を取ったのは一度だけ。それも信じられないラッキーなことで転げ込んだものだ。
休み時間はひたすら教室の片隅で本を読んでいた。一番居心地の良いのが図書館だった。それではちょっと辛いな、と思ったので、中学に入ってから剣道を始めた。腕立て伏せ、懸垂も人並みにできるようになった。郡市の勝ち抜き戦で入賞するところまで行った。気がついたら鉄棒は得意技になっていた。
それでも本質的に人と交わる方ではなく、クラスの中のグループに属するのを嫌い、いつも独りでいた。似たような性格の奴はいるもので、それが二、三人になることもあったが、全体的には孤立していた。
どうもこのままでは生きにくそうだなあ、と気がついたのは大学受験の後だった。家を離れ、それまでの知り合いとも別れるのを機に自分の性格を改造しようと思った。端っこや一番後ろに自分の居所を定めて生きてきたが、電車に乗ればまん中に、教室では一番前に、トイレもまん中に入るようにした。形から入ったのである。大学では寮に入り、役柄に積極的に手を挙げた。一番苦手なことほどあえて引き受けた。先輩や後輩とどんどん飲みにいき、寮にOBが来れば知らない人でもおごってもらった。
人のよく集まる先輩の部屋に常にたむろし、議論をした。そんな時代だった。自分の部屋を皆の集まる部屋として開放し、煙草の煙がもうもうとたちこめ、煌々と灯りのついた騒がしい部屋でも安眠できるように鍛えられた。私の手柄はそれでいて決して煙草を吸わなかったことだ。私が非社交的だとは誰も思わなかったに違いない。
そんな生活だったからあまり勉強はしなかった。祖父を受け継いで化学屋を目指したが、気がついたら化学会社の営業になっていた。大学時代の不勉強は仕事に差し支えるほどではなく、専門外の歴史や文学や心理学、哲学の本を読み続けてきたことが大いに役に立った。
性格は変えようと思っても変えられない。でも他人から見た性格は見た目だけ変えればよいのだから変えることができる。それを意識して続けて習い性になれば、それが板につく。無理する必要がなくなっていく。
子供との関係も似ているところがある。子供をつい自分の意のままに出来るものと思い、自分の価値観を擦り込んでいると、子供が自立するころに手ひどい反発を喰らう。そうでなければ子供は自立できないからそれは大事なことなのだ。子供はそこからは勝手に成長していく。そこから今度は親としての自立が始まる。
子供を自分とは別の一個の人格として受け入れるには時間と忍耐が必要だ。子供よりも親の方が自立が難しいかもしれない。そういう長い葛藤があって、子供はおとなとして親を見るやさしさを持てるようになり、親もそれを有難いと思えるようになって関係が安定する。
今回のブログは、嬉しいことに私はそんな状態にありますよ、と云うのろけ話のようなものである。それはある意味で自分の気の持ち様で全く違うものでもあることは承知している。幸せだと思えば幸せなのである。
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自分と子どもさんの関係を冷静に見つめる事ができて素晴らしいと思います。
主人兄弟とその親がこのような感じで自分の意のままにしたがり困ります。
投稿: 藤子 | 2017年1月23日 (月) 22時05分
藤子様
私も子供の反発を経験して自分が変わっていったので、最初から良好な関係というわけには行きませんでした。
そもそもスムーズすぎると子供の成長には良くないのかもしれません。
子供が自立したら、その後は親の自立だということに気がつかないと、いつまでも関係がこじれるかもしれませんね。
投稿: OKCHAN | 2017年1月23日 (月) 22時09分
感慨深く読ませていただきました。いつもながら、ぐぐっときます。
投稿: かんちゃん | 2017年1月24日 (火) 06時41分
かんちゃんへ
ほめすぎです!
投稿: OKCHAN | 2017年1月24日 (火) 10時04分