宮崎正弘・渡邉哲也「世界大地殻変動でどうなる日本経済」(ビジネス社)
中国ウォッチャーとしての宮崎正弘の本と出会い、その後もときどき読んできた。中国ウォッチャーはときに中国についてはとても精通しているけれど、世界全体という視点を複眼的にもっているという点でこの人にはかなう人はいないのではないか。何しろ中東でも、ヨーロッパでも、南北アメリカでも目配りが効いていることに驚かされる。もちろん日本についてもである。
渡邉哲也という人は経済という視点から世界を絵解きする立場で宮崎正弘と対談している。やはりその目配りは行き届いていて、宮崎正弘に引けをとらない。
この二人の対談では、これからの、つまりトランプ次期大統領が誕生する前後から先の見通しを語り尽くしている。世界はどう動きつつあるのか、例えばイギリスが離脱後のEUはどうなるのか、そしてイギリスはどうなるのか、中国はどうなっていくのか、それはどうしてそうなるのか、ということを語っているのだ。世界はグローバリズムの終焉を迎えようとしているというのが二人の見立てだ。
そのような背景の中で日本経済はどうなるのか、最後にそれがまとめられているけれど、それはあまり悲観的なものではない。なぜならそもそも日本にはグローバリズムというものがなじまないからではないかと思われる。グローバリズムというのがただたんなるアメリカンローカリズムでしかなかったわけで、アメリカが世界をリードする意志を失えば、かげろうのように消え去るものだからだろう。
世界はこういう理由でこうなった、そしてこれからこういう理由でこうなるだろう、というご託宣が書かれた本は本屋に行けば山のように積んである。ではそれらの本とこの本はどう違うのか。それは時間のスケールが違う、と云うことだろうか。
テレビや新聞で語るコメンテーターたちは、あたかも明日の天気予報を語るように世界を語る。世間はせっかちである。明日どうなるかを知りたがり、それが即答できないコメンテーターは退場を迫られる。解釈はしばしば理屈として毛嫌いされる。どうしてこうなったかはどうでもいいから明日どうなるのか知りたがり、当たった外れたとギャンブルのように評価する。
今回読んだこの本から得た知見は、そのような短期的なものとは少々違う。未来は無数の分かれ道に満ちている。その分かれ道のどちらが選ばれるかで未来は大きく変わってしまう。その分かれ道がいま我々の目前にいくつも待ち受けている。その分かれ道がどうして生じたのか、そしてどちらを選べばどのような可能性が高いか、それを示しているのがこの本なのだ。
不確定な未来を、すでに生じたさまざまな事実から予測するのが未来予測者の役割であろう。そのことを良くわきまえて、必要な情報を揃えて見せた上で、こうなるだろう、と推定しているのがこの本である。短期的には外れることも多々あるかもしれないが、たぶん大筋ではここに書かれた予測は現実となる可能性が高い気がする。
« 競争が嫌いなのか苦手なのか | トップページ | スパムコメントに注意 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 世の中が理不尽であることを直視する(2025.01.10)
- こんなことがあった(2025.01.08)
- 今日が雨のようなので(2025.01.06)
- タフなのか繊細なのか(2025.01.05)
- 余秋雨の慨嘆(2025.01.04)
グローバリズムがアメリカンローカリズムだったというのは、納得ですね。
民族・地域を大事にしながらの穏やかな連携が本来のグローバリズムでなければ
未来はなさそうです。
投稿: けんこう館 | 2017年1月19日 (木) 11時53分
けんこう館様
自分だけ得したい、と思っている人たちが、自分だけ損している、と人々に思い込ませて拝金主義を蔓延させたのがいまの世界のように見えます。
ちょっとその価値観から退かないと、常に自分が割を食っていると思い込んでさもしくなります。
もう十分みんな豊かではないでしょうか。
投稿: OKCHAN | 2017年1月19日 (木) 12時12分