おかめはちもく
岡目八目とも傍目八目とも書く。お面になっている、あのおかめさんの目が八つもあるわけではない。
傍目八目はもともと囲碁から来ている。対局している二人よりも傍で観戦している人間の方が全体を見渡せる。囲碁は囲う盤面の地を争うもので、その地は一目二目と勘定するから、観戦者は八目有利と見る。ハンディのようなものである。だからしばしば観戦者は対戦者の気がつかない手に気がついて口出しする。
相手が気がつかないことを期待していた対戦者は、だから怒り、しばしば喧嘩になる様(さま)を想定しての傍目八目ということばであって、プロやアマ高段者の対戦は想定されていない。ザル碁の光景である。
ドラマや映画をよく観る。ヒロインや若い娘がしばしば自ら危地に陥るのを観ていて歯がゆいのを通り越し、座視していられない心持ちがする。そんな行動をすれば必ず悪いことが起こることくらい分からないのか、と思うからである。危機に対する感度が低すぎる!
あまりにも女性が愚かな行動をしていると、脚本家は女性を愚かなものと決めつけている、蔑視していると腹が立つので論外だが、リアリティのある危機は現実にあり得ることで、たまたま観客である当方はドラマだから何か起こるだろうという予見をもっていたり、実際の犯人の姿を画面から承知しているのだから、傍目八目どころではない。残念ながらヒロインに「そんな方に行ってはいけない」などと口出しするわけにはいかないが。
そういえば昔、近所の友達のおばあさんが、そういう場面になるごとに「よう、やだよう」と身もだえするのでうるさくて仕方がなかった。でも気持ちは分かる。
最近そのおばあさんの境地に近づきつつあるようで、ヒロインがこれでもか、というほど苦境に陥ったり苦難にさらされたりするのを観るのが苦痛になってきた。敏感になってきたとはとても思えない(明らかに鈍感になっているはずである)から、自分と登場人物との区別がつかなくなりつつあるのかもしれない。自他があいまいになりつつあるのか。それは良いことなのか、それとも・・・。
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当事者はいろんな感情があり、見誤ることがあるのでしょうか?
朝日・北朝鮮・帝国陸軍・・・・・。
投稿: けんこう館 | 2017年2月27日 (月) 09時54分
けんこう館様
渦中にいると、入ってくる情報が偏ることが多いので思い込みが生じやすいかも知れませんね。
明らかな間違いと思えるものまで信じ込んでしまうのは、その人本人の平衡感覚が未熟だからだと思いますが。
今のアメリカを見ていると、世の中というのはこんなに急に変わるものなのかと驚きます。
まともな人というのは案外少ないものなのですね。
投稿: OKCHAN | 2017年2月27日 (月) 10時33分