多少の蘊蓄
いろいろなことに興味があり、いろいろなことを読み囓り、人に聞いてきたので、自慢するほどではないが多少の蘊蓄はある。しかし世の中にはどの分野にも本物の蘊蓄家がいて、生半可なことを言ったり書いたりしていると低い鼻なのにへし折られる。
そもそもこちらは「多少」の蘊蓄でしかないなのである。より深く詳しい人に出会えば素直に脱帽し、自らのレベルの低さを痛感する。しかしそのことで自己卑下はしないし、奥が深いものだなあと感心し、もっとそのことを知りたくなることも多い。いつか相手のグランドで対等に話せるほどになりたいものだと思うばかりである。へし折られた鼻は痛くても、さいわい昔から回復は早い。
それより見かけ倒しだったり、自分の無知を恥ずかしげもなく自慢するような人はちょっと苦手である。せめて「多少」は自分の蘊蓄を語るくらいのことが出来るように努力する人であって欲しいと思う。そういう人ならその人の蘊蓄からなにがしかの贈り物をもらえる。
蘊蓄は知識の量のことではない。その蘊蓄を語る人の興味の赴くところがどこにあり、それをどう考えているかを知ることで、その人自身を知る手がかりとなるものである。だから無知はつまり世の中に興味がないということかと見えてしまう。
知ったかぶりは鼻持ちならないが(自戒を込めて言っている)、人が意外なことに詳しいことを知ったときには嬉しくなるものだ。その人が興味をもつことを知ることでその人自身が見えるからである。知ることは好きになることの第一歩なのだから。
だから私は知ったかぶりに見えてしまうことを承知の上で「多少」の蘊蓄を自己紹介として語る。御寛容いただきたい。
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