因果のむこう
この宇宙の向こう側がもしあったとしても、人間はそれを見ることが出来ない。宇宙の涯は光速で遠ざかっていて、人間は光より早く移動することが出来ないからだ。それは相対性理論で明らかなのだが、人間の観念は物理法則の地平を越えて想像できるから宇宙の向こうを夢想する。
宇宙には始まりがあるという。空間そのものも存在しないようなところから突然生じ、ビッグバンという現象を経て宇宙は誕生したという。その宇宙の誕生してからの年齢は概算で計算されている。ビッグバン直後の極小宇宙の姿は想像を超える。
しかしどうしてなにもないところから宇宙は誕生したのだろう。そのきっかけは何なのだろう。考えたって解るはずはないのだが、そのことをずいぶんむかしから考え続けている。
聖書の創世記を挙げるまでもなく、この世を作ったのは神様だという神話は世界中に存在する。やはりみんなどうして宇宙が始まったか知りたいと思い、解らないなりにそれを説明する物語を作ったのだろう。
人間は死んだらどうなるのだろう。宇宙のことを考えるのも死のことを考えるのも意識である。意識は脳の働きで、脳が考えているだけだ、と養老孟司師は言う。その通りだとも思うけれど、肉体とは別に意識があるとどうしても思ってしまう。この場合の意識とは魂に似ている。離魂現象というのがあるらしい。自分の意識が自分の肉体を離れて、自分自身を見下ろしているというイメージのようだ。この場合は意識は肉体と別である。
だがそれを思考しているのは脳ではないか、と養老孟司師は言うだろう。
唯物論と唯心論とどちらをとるかと問われれば、私は科学系の出身者として唯物論をとるべきだと思いながら、どうしても唯心論的な考えに傾く。
ただ、死んで魂魄がこの世にとどまるとは思えない。墓にもいないし風に乗っていたりもしない。意識が物質とは違うものだとするならば、肉体を離れた意識が存在する場所は物理学的な世界とは違うところだろう。
その意識こそが宇宙の始まりのきっかけを為す、と云うのが私の作り上げた物語だ。これこそが神の御業だ。ただ、意識は物理的存在ではないから、作られた宇宙には存在していない。宇宙の向こう側で自分の生み出した宇宙の森羅万象を眺めているだけである。そして宇宙は与えられた初期条件の不備により、ついには混沌に陥り、消滅する。
再び三度宇宙は作られる。そしてきっかけのみの役割を与えられた意識は無限の試行錯誤を繰り返し・・・。
人間は死ぬと神様になるけれど、その神様は寂しいかもしれない、というのが私の物語である。
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宇宙の事を想像する・・・誰でも一度はやっているでしょうね。
科学者でもなく、技術屋でもない平凡な主婦の私が不思議に思う事。
私たちの太陽系は、宇宙の中の1つの塊。
その太陽系ですら地球から端まで行くのに物凄い時間を要する!!!。
沢山の銀河系が犇めいて存在する。
不思議ですね~。
凡人は何事も身近な物から想像しますから、太陽系は宇宙の中・・・沢山の銀河系は?、
宇宙は、何の中にあるのかな~?。
不思議だけれど・・・宇宙は存在して、毎夜星空を見る現実がある。
投稿: マーチャン | 2017年2月 2日 (木) 10時52分
マーチャン様
本当に人間の知識などまだまだだと思います。
解れば解るほどますます解らないことが増えているらしいですが、だからこそ何事にも「そういうこともあるかもしれない」と思う気持ちを大事にしたいと思います。
嘘、迷信、妄想は論外ですけれどね。
それを見分けるためにも最低の知識は得たいと考えてきました。
投稿: OKCHAN | 2017年2月 2日 (木) 11時33分