捨てるについて考える
捨てるというのは失うということだ。人は捨てるときに何から捨てるか。自分にとって取るに足らないもの、大事ではないものから捨てていくだろう。それを考えると、捨てにくさの順番こそが自分にとって大事なもの、価値のあるものの順番であることが分かる。
「北の国から」というドラマが好きで、スペシャル版も含めて全て観たし、ビデオにダビングしたものをさらにDVDに移してコレクションにしてある。いまちょうどフジテレビが記念再放送をしてくれているのでBDに録画して、DVDのコレクションに替えようとしている。このドラマのシチュエーションが、主人公の黒板五郎(田中邦衛)が男手ひとつで純(吉岡秀隆)という男の子と蛍(中嶋朋子)という女の子を育てる物語になっていて、私が置かれた立場と似ていると勝手に感情移入しているのだ。もちろんドラマの方が私より先行していたが。
このドラマのスペシャル版の「’92巣立ち」の中で、純がタマコ(裕木奈江)という少女と関係を持ち、妊娠させてしまう。純にはその責任を果たす力も気持ちもない。タマコの保護養育者である叔父(菅原文太)は激怒し、黒板五郎は息子の代わりに謝罪のために彼の元を訪れる。北海道からわざわざ重い野菜などを抱えて土産として持参し、誠意を持って謝罪する旨を伝える。
そのときに菅原文太(私には、タマコの叔父というより菅原文太としての記憶が定着している)の発した言葉が耳についてずっと離れない。「誠意って何ですかね?」ぐさりとくる言葉である。重い野菜をわざわざ担いで北海道から汽車を乗り継いでやって来た黒板五郎の行動に、そうすることが相手の気持ちをいささかでも和らげるだろうという計算があっただろうことを指摘したのだ。
この瞬間に菅原文太という俳優が嫌いになった。しかしそれは菅原文太が悪いわけではないことくらい分かっている。その言葉に逃れようのないむき出しの真実を感じたからだといまなら分かる(別の理由で菅原文太を再び好きになることは出来なかったが)。
黒板五郎は自ら建てた丸太小屋のわが家を火事で失い、その再建のために仕事でこつこつ金を貯めては原木の丸太を一本ずつ買い、自分でその皮をむいて集めていた。それはいつか純や蛍と再び住む家を建てようと彼が夢に描いていたものである。
彼は誠意を示すためにその丸太を売り払い、全てを失う。また一から出直すしかない状況に自らを追い込む。彼は失うことの出来るぎりぎりのものを「捨てた」のだ。彼にとって純と蛍が自分の家、家族が再び暮らす家よりも大事なものであることを自ら示したのだ。ここにとても重い「捨てる」があると私は感じている。
最近キーボードのミスタッチが多くなった。物忘れもひどい。イメージは浮かんでいるのに名前が出てこない。呆けが始まったのではないかと不安である。どうも身の廻りの処分よりも、私の身体に私という意識が捨てられそうな気がしてこわい。
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