無料とフェイク(2)
新聞の購読数が減少しているのは、ネットニュースなどに奪われているからだ、という解釈が為される。多分それは事実であろう。しかしそれだけだろうか。冒頭に言ったようにメディアが劣化しているように感じる購読者が離れているからだともいえるのではないか。新聞代に見合う内容が新聞紙面から得られていないという不満が知らず知らずに購読者減少をもたらしているのではないか。
そもそもネットニュースと言ったって、たいていが主要メディアが取材して提供してくれたものを適当に切り貼りしたものに過ぎない。ネット自身が取材などしているわけではない。少なくとも私のニュースソースであるヤフーやニフティのニュースはそのようである。
ただ朝日新聞デジタルのみは出だしが少しだけ読めてあとは有料である。朝日新聞の記事に信頼性があれは対価として支払っても良いが、朝日新聞に対する私の信頼は損なわれているので有料記事に金を払いたいと思うことが出来ない。見出しだけ見ていても、首をかしげることがあり、だからこそ本文全部を読みたい気がするときもあるのだが。
話が長くなった上に横道に逸れかかったけれど、ニュースには取材する主体が絶対に必要で、そのためにはたくさんの人員と努力が必要であり、当然それに膨大な経費がかかる。そしてその人員もそれなりの人格見識のある人材が必要である。つまり報道することに価値を感じ、その場に身を投ずることに生きがいを感じるような人材である。
そういう有能な人を集めるにはそれなりの報酬も必要であろう。無料で広告収入だけで経営することには本来は無理がある。
今ネットを中心に情報はデジタル化されて収集され、拡散されているけれど、もとの情報は生身の人間が現地で取材したものでなければ信頼性に欠けることは昔と変わりはない。事件は人間に起こるもの、人間に関わるものだからである。そしてそのためには経費は絶対に必要なのである。
ここに本当のニュースと嘘ニュース、つまりフェイクニュースの厳然たる違いがある。机上で、流通するニュースを解釈して想像で意味づけして語るフェイクニュースは、本当のニュースよりしばしば面白い。ネットにはそれらが入り乱れて、フェイクをもとにさらに変形していくから、何が本当か分からない世界が出現しつつある。面白いニュースを追い求めるとそういうところにはまり込む。
無料のニュースには対価としての責任がない。何しろ無料なのだからそれを信じる側の自己責任である。しかし有料のニュースには責任がある。信頼のもとに対価が払われたのであるから。
その有料メディアが正義の名のもとにフェイクニュースを流せば責任を問われるのが当然で、私が朝日新聞をつい批判するのはそれが理由である。しかも朝日新聞にはその自覚があるのかどうかよく分からない。
(申し訳ありません。まだ続きます)
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本土を守るために、「沖縄は捨石された」 という前提の記事が先日ありました。
捨石のために10万人の日本兵が死んだのでしょうか?
投稿: けんこう館 | 2017年4月 1日 (土) 09時44分
けんこう館様
本土の人が捨て石にしたかどうかというより、沖縄の人が捨て石にされたと本当に思っているならそれが問題でしょう。
戦時を体験した人がそう思っていたのか、あとでそう思わされるような刷り込みが為されたのかが気になるところです。
韓国や中国でも、戦時を生きた人ではなくて、それ以後の人に擦り込まれた反日が強く存在します。
誰かがなにかの都合のためにそのような刷り込みをしたような気もします。
ときに沖縄への哀れみからそのような刷り込みをする人々がいるものです。
投稿: OKCHAN | 2017年4月 1日 (土) 13時21分