個人情報
個人情報とはある面で社会との紐帯を表すものであろう。完璧に個人情報を秘匿したければ、社会と完全に絶縁しなければならない。そこに存在しない人間になれば個人情報そのものが存在しなくなる。
具体的にいえば山にこもり、自給自足して人とまったく交わらず、誰にもそこにいることを知られなければ個人情報は完璧に守られる。そもそもそのとき個人情報は意味を成さない。個人情報は本人のためにあるものではなく、他人が彼を識別するためのものだからである。個人情報保護を声高に叫ぶ人は、個人情報は完璧に保護されるべきだと信じているようだが、そのことが分かっているのだろうか。
社会で生きていく上で、他人との識別のために個人情報は必ず必要である。問題なのは、悪意のある人間がその個人情報を利用することである。だから個人情報保護の判断の境目は極めて難しい。その困難のために、短絡的に完璧な個人情報秘匿などという夢想をするけれど、それは不可能である。
私はこういう人間である、ということを隠さないとならない社会とは嫌な社会だなあ、と思う。どうして個人情報を悪用するような人間が横行するようになったのだろうか。
電話という匿名性の高いものが出現し、さらにそれをはるかに超えたインターネットという匿名性の高い手段が生み出され、大量の情報を簡単に扱えるようになった。しかしその社会は、思ったよりバラ色ではなかったようだ。
いつの時代にも悪意というものは存在したが、いまはその悪意がいかにも手軽に、しかも匿名で横行する。ついには人類は悪意の海に溺れてしまわないか心配している。悪意の海を泳ぐ能力のない人は大勢いる。その不安が過剰な個人情報保護を叫ばせているのかも知れない。
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