ひきこもり(1)
少し前のニュースで、ひきこもりの多数が40歳を越え始めており、それを支えていた親が高齢化して共倒れの危機に瀕しているということであった。
子どもが40歳を越えるということは、父親のほとんどは定年を過ぎているということで、サラリーマン家庭なら年金生活がふつうであろう。よほどの資産を残していれば良いけれど、いまどきはそれほどゆとりのない人の方が多いに違いない。ましてや稼いで少しは親を助けるはずの子どもが親の負担になるのである。
親はまさかこんなにいつまでもひきこもりが続くとは想像もしていなかったに違いないが、ひきこもっている当人はどう思っているのだろうか。ドラマなどを観ていると、自分がそうなったのは親や周りが悪いからだと喚いて暴力を揮ったりしている。
ひきこもりする人は他罰的な考えをするからそこから抜け出せないのだろうか。それなら自分自身に問題があるかもしれないと思えばひきこもりから抜け出すことが出来るのか。ドラマなどではそこに気付くことで変化が現れるシーンをよく見るが、あれは本当だろうか。
登校拒否をする子供が少なからずいて、ずいぶん以前から問題になっていた。登校しない子どもは登校できないそれなりの理由があるらしい。いじめなどがあればもちろん誰だって登校拒否するだろう。しかも問題がなにも解決されなければ、その登校拒否は続いてしまい、登校できなかった歳月の長さが登校をさらに困難にしていくだろう。
問題がなくなっても登校ができない子供が多いともいう。そもそもどうして学校に行かなければならないのか、そのことを説得できる論理を持たない親や学校が当たり前になっている気がする。登校することに意味が見出せなくなれば、登校はときに苦痛でしかない。
若い頃営業で毎日走り回っていた。ラジオを聞きながら運転していたが、人生相談の番組を興味深く聞くことがある。他人の人生をそこに垣間見る気がする。夫婦関係や財産問題の話題と共に子どもの登校拒否に悩む親からの相談が結構あった。
教育学者と称する先生がそれに回答するが、異口同音に言うことは、「登校を強制してはならない。本人が行く意欲を持つまで忍耐強く待ちなさい」というものだった。それを聞いて最初は、なるほど、と思った。親は「放っておけばいいんですか?」と問うたりする。なにもしない方が良いのか、という質問だが、先生は必ずこう答える。「放っておくのではなく、手を出さずに見守るのです」。
どう違うのか私には分からない。多分親も分からないだろうが、断定的に言われると、「どう違うんですか?」と問いにくい。「そんなことも分からないんですか。だから子どもが登校拒否になるんですよ!」と言われかねない気がするのだろう、そこで口を閉ざす。
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