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2017年4月 9日 (日)

倶利伽羅峠

俱利伽羅不動寺からさらに少し細い道を上ると倶利伽羅峠の古戦場に至る。

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源平合戦慰霊の地と石碑にある。
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供養塔へ登る階段。
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供養塔。
倶利伽羅峠の戦いは平家追討を受けて挙兵した木曽義仲(源義仲)が戦勝を続けて勢力を北陸道までひろげたため、
平家が10万の大軍で攻めてきた。当初越前で平家が勝利し、義仲は越中まで後退を余儀なくされ、追討する平家と義仲軍が本格的に激突することになったのがこの倶利伽羅峠なのである。
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木曽義仲は地の利を活かして平家軍を隘路に追い込み、夜襲で倶利伽羅峠の崖から平家軍を追い落として大勝した。
このあと平家は敗走、それを追って遂に木曽義仲は京都を制圧する。
つまり歴史の転換点となったのがこの倶利伽羅峠なのである。
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古戦場を見下ろすが、なにも残っていないからどこでどう攻防があったのか分からない。
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目を上げればはるかに雪山が望める。どちらを向いているのかよく分からないので、立山なのか白山なのかそれとも違う山なのか分からない。

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平家物語には、倶利伽羅峠での夜襲に木曽義仲軍は数百頭の牛の頭に火のついた松明を結び平家の陣に突入させ、それに驚いた平家軍が逃げ惑って崖から転落して死屍累々となったと記している。

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これを「火牛の計」という。

子どものときに読んだ本では、この奇策を進言したのは巴御前だったと書かれていた。

しかし現在ではこの火牛の計は事実ではないとされている。そもそも頭に火のついた松明を付けた牛が揃って平家軍の方向に突進することはあり得ないし、この戦法は中国の戦国時代、斉の田単が行ったものであることが知られている。

田単は牛の角に剣をくくりつけ、しっぽに火を付けて牛を狂奔させ、敵に突入させたという。この方が現実的だ。

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すぐ近くに芭蕉の句碑があった。

「つかもうごけ 我泣く声は 秋の風」

これは源平の戦いのことを読んだのではなく、奥の細道で東北からの帰り道、日本海沿いに南下し、北陸路を西に行き、最後は大垣まで歩いた芭蕉が、金沢の小杉一笑という俳人の死を悼んで読んだもの。この倶利伽羅峠は北陸路の峠であるからそれにちなんでおかれているらしい。

金沢には一笑塚と一笑の墓があるという。

今回の小旅行はこれで終わり。

それにしても立ち寄る値打ちのあるところが日本中にあるものである。

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