土曜日の安らぎ
今日は土曜日。毎日が日曜日の生活が始まってもう7年近くが過ぎたのに、土曜日が来ると嬉しい気がする。(当たり前のことだが)明日は日曜日で、もう一日休みがあり、今日は何をしてもいいし、なにもしなくてもいい日だ。日曜日になると、特に日が傾き出すと明日から仕事だと思い、休みにはあれもしたい、これもしたいと思っていたのに出来なかったなあと悔やんで、なんとなく憂鬱な気持になる。森本哲郎師が「日曜日のアンニュイの午後」と名付けた気分である。
毎日が日曜日だと毎日が土曜日でもあるわけだけれど、いささか違う気がする。
リタイアしてすぐに労働者モードから遊民モードへの精神の切りかえと疲労回復(というほど働いてもいなかったが)のために、一週間あまりのあいだ湯治に出かけた。本物の湯治宿で、食事は三食自炊か買い出しか外食である。
そのときにぼんやり窓外を眺めながら、ああ、今頃はみんなせっせと働いているのだなあ、と思った。自分だけ安らいでいることにかすかな優越感と満足感がないわけではないが、一番強く感じたのは疚しい気持であった。仕事中にサボっている気持に近い疚しさである。
その疚しさは年月と共に少しずつ薄らいでいるけれど、まだ完全になくなってしまっているわけではない。だから土曜日になると、世間の人も休みだなあと思い(土日に休みでない人には申し訳ないが、一般的なサラリーマンとしての感覚なのである)、なんとなく働いていた昔の感覚で安らぎを感じているのである。
毎日が日曜日の中の土曜日の安らぎは働いていたときに近いもので、毎日が日曜日の感覚にはいささかの苦みがあって、私にとっては違うものなのである。
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コメント
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私は来年の3月で定年退職。65歳というのはまだ十分働ける年齢なので、年金生活に入るのはちょっと早いだろう?という気がしています。
それに今は毎日授業もあり、研究も管理関係も現役で忙しく、土曜祭日といえど働かざるを得ない状況なので、もし来年やることがなくなればどうなるか? ちょっと不安です。
ま、いざとなれば新しい生活に向け大転換する計画がないわけではありませんが、まだ少し早いという気持ちも、、、
複雑ですね。
投稿: Hiroshi | 2017年4月15日 (土) 12時53分
OKCHANさん
お勤め+農家さん
今は、種籾を蒔いて苗床の作業中
休みがある土曜日、日曜日は忙しい=筋肉痛との戦い。
月曜日になり、疲労はピーク
火、水、木、金と休んで、
週末、働く
今、庭の雑草との戦いの最中
今月1杯は続く
年金生活若葉マークなので、週2回のマッサージ付き。
投稿: ちかよ | 2017年4月15日 (土) 13時00分
Hiroshi様
私はリタイアしたらあれがしたい、これがしたいとやりたいことだらけでしたから、ずっと忙しかったです。
ようやくいまペースダウンして家にいることが多くなりました。
辞めたらやることがなくて困ると云う人は生きがいのために働き続けるほうが心身の健康のために良いと思います。
私の友人にもそういうひとがいます。
仕事も最後の十年は面白かったですが、辞めてからも充実できているのは本当にしあわせだと思っています。
投稿: OKCHAN | 2017年4月15日 (土) 13時13分
ちかよ様
田舎暮らしにあこがれた時代もありました。
自然と接し、土と接するのは生物として健康なことだと思います。
でも私はどちらかというと頭でっかちな方なので、田舎暮らしは向いていないことに気がつきました。
それに畑仕事は体力が必要です。
歳とともに体を動かすのが億劫になっていますので、散歩程度で充分です。
旅に出て、よそ者としてしか田舎を見ることができませんが、それも私が選んだ人生だと思っています。
投稿: OKCHAN | 2017年4月15日 (土) 13時18分