漂泊放浪
自由律俳句と云えば尾崎放哉と種田山頭火が特に有名である。放哉については少ししか知らない。
渥美清が自由律俳句をたしなんでいたことをNHKの追悼ドキュメントで知った。心を打つ句が遺されていて驚いた記憶があるがどんな句だったか覚えていない。冊子にでもなっていれば手に入れたいと思う。
漂泊放浪の詩人種田山頭火が好きなことは前にも述べた。この山頭火をフランキー堺が演じたドラマがあった。この役は最初渥美清が演ずるはずだったけれど、すでに体調を悪くしていて演ずることがかなわず、フランキー堺が引き受けた。渥美清はどれほど残念だっただろうか。
フーテンの寅が乗り移った渥美清が漂泊放浪の山頭火を演じたら、どんなドラマになっただろうか。渥美清の語りが素晴らしいことは昔「遠野物語」をドラマで朗読したのを聴いて身震いするほど感動したのでよく分かっている。山頭火が乗り移った渥美清の独白を聴いてみたかった。
寝そびれて眠れないときに数独パズルをする。超難解版を二冊置いて挑戦するのだが、目標タイムが60分とか80分というものなので、集中しているとたちまち二、三時間が経過してしまい、ますます眠れなくなる。そこで数独パズルのかわりに、ちくま文庫の山頭火の句集を枕元に置き、何句かを暗唱する。頭の中に句のイメージを浮かべる。すみやかに浮かぶ句もあれば、もやがたちこめたままのものもある。そうして数頁読む頃には眠りにつける。
漂泊放浪は男の夢である。いや、私の夢であるが、そのためには強固な意志と頑健な体が必要であって、いまの私にはそれは叶わない。芭蕉の辞世の句も
旅に病んで、夢は枯れ野をかけ廻る
芭蕉も漂泊放浪の人であった。何しろ先達である西行を偲びながら旅をしていたのだから。
その漂泊放浪の旅にあこがれながら、ときにまねごとの小旅行に行き、ときに鬱々と旅を夢見ている。以下山頭火の句
落ちかかる月を観てゐるに一人
しぐるるや死なないでゐる
どうしようもないわたしが歩いている
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