読めない
若いとき、日曜日に一日で文庫本を6冊読んだのが私の記録だ。もちろんエンターテインメントの一気に読める本ばかりだけれど、ほとんど徹夜で読んだ。本ならいくらでも読めたけれど、本はただの娯楽だった。
そうでない本を読み出したら読んだあとにものを考えるようになった。本から影響を受けるようになった。もともと影響を受けていたのだけれど、それが自分に少しずつ残され、蓄積されるようになったことに意味を感じるようになった。
そう感じた頃から読書ノートを付けるようになった。すべての本を記録しているわけではなくて、思いついてしばらく続け、面倒くさくてやめて、の繰り返しだった。それから著者と本の題名だけをメモするようになって20年以上、その手帳が私の宝物として残されている。それ以前のものを含めれば40冊ほどの手帳がある。
そこに記されている本の数が、昨年末から激減している。本に集中できるときとできないときがあるのはいつものことだけれど、これほど長く続いたのは初めてだ。
読みたい気持がなくなったわけでは断じてない。それなのに本が読めない苦しさは説明がしがたい。読みたければ読めばいいし、読みたくなければ読まなければいいだけのことであるのは承知している。それが読みたいのに集中できない。
ようやくそこから抜け出しつつある気はしている。だから何冊もの本を読み囓りしている。いまは読書のリハビリ中で、安岡章太郎の全集から短編を一つずつ、内田樹老師の本を、そして森本哲郎老師の本を、種田山頭火を、小林秀男の人生論を、そして森銑三氏の「オランダ正月」を読み、そして宮家準氏の「霊山と日本人」を読んでいる。数頁ずつ、一歩ずつ、読み進めていればいつかは読了する。
出口があるのかどうか知らない。読み飛ばすつもりもない。読みながらもがいて前のように歩き出せる日を夢見ている。
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OKCHAN 、こんばんは
私は8年も単身赴任の時代がありましたが、送金されてくる生活費の10%を本に割きました。
仕事に生かすための本が殆どでしたが、今は文庫本が殆どで娯楽として読んでいます。
就寝前と寝起きだけですが、月に20冊くらい読んでいます。
投稿: 岳 | 2017年5月 9日 (火) 19時20分
岳様
私はリタイアしてから娯楽の本がだんだん読めなくなりました。
読みながら考える本の方に読む楽しみを感じるようになったように思います。
でも過去の惰性でつい面白そうな小説も買ってしまうので、それがだんだん未読本としてたまっています。
そういう本は旅に出たときなどに読むことが多くなりました。
投稿: OKCHAN | 2017年5月 9日 (火) 20時30分
前にも書いたかもしれませんが…
ある時から読んだ本の数はどうでもよくなりました。計算したら、一生かけて一生懸命読んでも大学書庫の1列の棚の中に納められている本の数よりも少ないことに気がついたからです。
それ以来、『数を競っても仕方が無い、よい本を選んで読むことが大切だ』 との方針を貫いています。
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投稿: Hiroshi | 2017年5月 9日 (火) 21時39分
Hiroshi様
人は何でも知りたい、何でも手に入れたいと思う欲があります。
それが叶わないことを知りながらそれを求めるのは、たぶん神になることを夢見る気持があるからかもしれません。
人生が限られていることを自覚することでその夢から醒めるのでしょう。
それでもバベルの塔を積み上げ続けるのが人間かも知れません。
投稿: OKCHAN | 2017年5月10日 (水) 06時38分