いじめ再考
先般中学三年の女子生徒が自殺した件についてブログに私見を書いた。コメントもいろいろいただいた。それぞれの経験からいろいろな見方がある。
いじめは集団の中では古来から有るもので、今突然始まったものではない。先般のブログでは、その事件の教育委員会の処理に対する批判を書いたつもりである。その中でなぜいじめがなかったことにされようとしたのかを非難するつもりであった。
いただいたコメントのなかにいじめた生徒についての情報があり、その返事などで教育委員会の対応について、在日の生徒や、日教組について言及することになった。個人的な理由があるが今はそれは置いておく。
これが、在日や日教組がいじめの原因である、と私やコメントをくれた人が主張しているように受け取られたようである。もちろんいじめたのはいじめた生徒であって原因は個別のその生徒にある。私が言いたかったのは、いじめを直視せずに隠蔽しようとした教育委員会の行動の批判であり、いじめそのものの解析ではない。
そもそもいじめというレベルを超えた、明らかな犯罪すらいじめと言い換える傾向は問題だと思っているし(そのことにも言及したつもりである)、今回は事なかれ主義でいじめがなかったことにされるそうになったことが問題で、その背景に観念的な、子どもは無垢で罪がないから護られなければならないという、裸の王様的な決めつけがないか、と云いたかったのだが、犯人は日教組だ、と云ったようにとられたのは、こちらの文章のつたなさであって申し訳ないことであった。そんなつもりはなかったのである。
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