正義について
正義の味方をしばしば揶揄しているので、私が正義を無意味なものと考えているように誤解する人がいるかもしれない(現にそのように受け取ったらしいコメントをいただいたこともある)。私は多くの人と同様、世の中の秩序が維持されて人びとが平和に暮らすためには正義が行われることが必要だと信じている。
しかし正義はしばしば相対的である。ある人には正義でも、ある人には正義でないこともある。その違いによる摩擦が世界中で起こる争いのエネルギーとして備給(内田樹老師流に言えば)されているように思う。自分が正義だから相手の正義は間違いであり、悪である、と決めつけることが世の中を不安定化させていると思う。
それを感じるからこそ、自分だけが絶対正義だ、と言い立てる人を疑うことにしているし、時にその言い立てそのものを憎むこともある。戦争はたいてい正義のための戦いであることは歴史に明らかである。
谷沢永一翁や山本夏彦翁は「正義の味方の嘘八百」と世の中を喝破した。敬する二人が正義を無意味だと思っていたか?とんでもない、多分誰よりも世の中に正義が必要であるという思いがあるからこその言葉だ、そう私は信じている。
むかし山崎正和の本に「状況倫理の可能性」という本があった。ちゃんと読めている自信はないが「状況倫理」という言葉に衝撃を受け、頭に焼き付いて離れない。世界は時に相対的なものであり、価値観は人によってさまざまだ、と云う当たり前のことを思い知らされた。
人はそれぞれ違うのである。絶対正義を唱える人は、人は平等だといいながらしばしばその違いを否定する。それが私をいらだたせるので揶揄する言葉になるのである。
普遍的な正義というものがあることを私は信じる。しかし普遍的な正義を信じるからこそ相対的な正義を絶対的と言い立てることに首をかしげるのである。
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おはようございます
私も同感です。
あの隣の大迷惑国家や、自国の正義を標榜してイスラム圏に結果として災禍をもたらしたあの国に聞かせてやりたいですね。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年6月16日 (金) 04時45分
shinzei様
そうですね。
イギリスやフランスを初めとするヨーロッパの国々がずたずたにしたイスラム圏に、正義の旗印の下に介入したアメリカの残したものは、災厄でしかありませんでしたね。
そういえばベトナムでもフランスに替わって介入し、ベトナム戦争の泥沼を生み、自国の若者を数多く失いました。
キューバも長い長い経済封鎖で苦しめました。
アフガニスタンもロシアに替わってベトナムと同じ泥沼を生んだだけでした。
投稿: OKCHAN | 2017年6月16日 (金) 07時00分