とらわれる
最近興味を感じたことをぼんやり考えているときに、文章で考えていることが多い。ブログの文章として思考しているのだ。このことはいいように感じられもするが、そうでもないのかもしれない。
ブログを書くときには書きたいことだけがあって、その書きたいことを引き出すための言葉を書き出すと、ひとりでに文章になっていく。ああこんなことを考えていたのか、と思うこともあるし、書き出しさえすれば少しレベルの違う意識でほかのことと関連づけて書くことが出来て、自分で感心したりする。
この程度の雑文でよろこんでいるのだからおめでたいことだが、書くことが楽しいと思えることは有難いことだと思っていた。
ところが文章で考えてしまうと、思考が自由を失うようだ。その文章にとらわれて自由に飛び立てなくなる。書かれた文章は考えたことを形にしたもので、考えたことの一部にすぎない。思った通りに全て書くことなど不可能である。そんなことをしようと思ったら四六時中書き続けなければならなくなる。
そのような文章を実際にキーボードから打ち込んでも、すでに書かれたものを再び読んでいるようなもので、目新しさがないから面白くない。
どうしたらよいのか思案中である。
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日常的には新聞・雑誌くらいしか読まない私は感覚で考えてることが多いので、文章で書くと考えが整理されてる気になってしまいます。でも、読み直すと自分でも恥ずかしいことがよくあります。
投稿: けんこう館 | 2017年7月29日 (土) 09時57分
けんこう館様
いつも貴ブログを見るのを楽しみにしていますよ。
書かれていることは分かりやすくて同感することが多いです。
投稿: OKCHAN | 2017年7月29日 (土) 10時53分