蒐集に淫する
誰でも何かを集め始めるとそれにこだわり、不必要に集めてしまう傾向があるようだ。使い切れない金を持ちながら、さらに集めることが目的と化して、ため込むことに死にものぐるいとなったりするのもその極端なものか。使うことをせずただ集めているけれど、死んだときにあの世に持っていくわけにも行かず、残された者に争いの種を残すだけである。
コレクションに精力を傾けて、資産のことごとくをつぎ込んで家族に恨まれながら本人はご満悦、という図をテレビなどで拝見するけれど、本人にとれば幸せなのだろう。犬や烏でも、生きるために必要とはとても思えないものをせっせと集めていることがある。生き物にはそのような蒐集という本能があるのかもしれない。
自分を振り返れば読みきれるはずがないのに置き場所に困るほど本を持ち、さらに買い増している。録画した映画やドラマのディスクも気がつくととても観きれないほどの数になっている。残念ながらそれに反比例してお金の方は減るばかりだが、惜しいと思わない。
ほどほどを超えることを淫するというならば、本を読んだり映画を観ることが目的だったはずだが、それに淫するのではなく、どうも本や録画そのものをただ集めることに淫しているようである。何しろデジタルブックなど論外で、本がそこにあると嬉しいのだからどうしようもない。
必要を超えて集めて、さてどうする、と自らを振り返っても答えることは出来ない。無限に時間があるわけではなし、時間があればさらに増えるだけだから、ひたすら読んだり観たりしても追いつくわけもない。そのことは頭で分かっているのに、積んである山を眺めて呆然としているのである。
呆然としながらも、とりあえず眺めていれば幸せであることを善しとしている。まあ、ないより良いわけで。(ダメだ、こりゃ)
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コメント
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おはようございます
先日は私の拙い教育論を見ていただきありがとうございます。
私の亡き友人にもアニメなどのフィギュアを集めるのが趣味の人がいて(面白いのはその人はその一方でマリンスポーツを楽しむという”相反する(?)”趣味を持っていました)彼が心筋梗塞で若くして亡くなった時、形見分けとしてそれらの一部を8体ほど貰い受けましたが、亡くなった彼には申し訳ないのですが私から見れば「趣味はいろいろだなあ・・・」と思わされました。何も彼の趣味が悪いわけではありませんが・・・(ちなみに彼はこれらを200体以上持っていたと遺族の方からは聞いています)
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2017年7月26日 (水) 06時04分
shinzei様
コレクションは、興味のない人にとっては価値が感じられないでしょうね。
怪人二十面相は、個人の秘蔵する貴重なコレクションを盗み取り、それを自分だけのための美術館に収蔵していました。
究極の蒐集ですね。
投稿: OKCHAN | 2017年7月26日 (水) 06時44分